第5話「森の賢者と、最初の来訪者」
温泉ライフを満喫し、畑の規模も順調に拡大していたある日のことだった。
俺とルルが昼食をとっていると、拠点を囲む土壁の向こう側から、何者かの気配を感じた。それも、一つじゃない。複数だ。
「カイ様……」
ルルも気づいたのか、不安そうな顔で俺を見上げる。彼女の長い耳が、警戒するようにぴんと立っていた。
(ごろつきの仲間か? それとも、魔物か……?)
俺はクワを手に取り、ルルに家の中に隠れているよう指示すると、慎重に扉へと向かった。
扉の覗き窓から外を伺うと、そこにいたのは、予想だにしない来訪者だった。
緑色の衣をまとった、数人の集団。
先頭に立っているのは、長く尖った耳を持つエルフの女性だった。木漏れ日の中で立ち止まった彼女の翠の瞳は、深い森の湖面のような静謐さを帯び、長く尖った耳の輪郭が陽光に透けて淡い緑に染まっている。人間とは明らかに違う、神秘的な空気をまとっている。
ハイエルフだ。
彼女の後ろにも、同じように尖った耳を持つエルフたちが、弓を構えてこちらを警戒していた。
(エルフ……? なぜこんな場所に?)
この忘却の荒野に隣接する森は、エルフの領域だと聞いたことがある。彼らは人間を嫌い、滅多に姿を現さないはずだ。
俺がどうしたものかと考えていると、リーダーらしきエルフが、凛とした声で言った。
「そこにいるのはわかっています。我々は、この森の守り手。あなた方が何者か、ここへ何をしに来たのか、聞かせてもらいましょう」
その声には、敵意と共に強い警戒心が込められていた。
下手に隠れていても状況は悪化するだけだ。俺は意を決して、扉を開けて外に出た。
「俺はカイ・アサノ。見ての通り、ここで土地を開拓している者だ。あなた方こそ、何か用だろうか」
俺が姿を現すと、エルフたちは一斉に弓を引き絞った。その鋭い視線が、俺の全身に突き刺さる。
「人間……! やはり、あなたでしたか。この地のマナを乱し、森の理を歪めているのは!」
エルフが、厳しい表情で俺を非難する。
マナを乱す? もしかして、俺のスキルの影響のことだろうか。
「待ってくれ、話を聞いてほしい。俺は森を傷つけるつもりなんてない。ただ、生きるためにここを耕しているだけだ」
「言い訳は結構です! 人間が自然を敬う心など持ち合わせていないことは、我々が一番よく知っています。あなた方が自然に手を加えるとき、それは常に破壊し奪い取るため。即刻、この地から立ち去りなさい。さもなくば、実力をもって排除します」
話が通じない。彼女の人間に対する不信感は、相当根深いもののようだ。
どうしたものか。戦闘は避けたい。彼女たちの放つ雰囲気からして、相当な手練れであることは間違いない。土壁やゴーレム(まだ試作段階だが)で防衛はできても、事を荒立てるのは本意じゃなかった。
そのとき、俺たちの緊迫したやり取りを遮るように、家の扉がそっと開いた。
「カイ様……」
ルルが、心配そうに顔を覗かせたのだ。
「ルル! 危ないから中に……」
俺が言い終わる前に、エルフたちがルルの姿を捉えた。
彼らは一様に大きく目を見開いていた。
「兎人族……? なぜ、人間と共に……」
エルフが、戸惑いの声を漏らす。
ルルはエルフたちの鋭い視線に怯えながらも、俺の後ろに隠れるようにして、小さな声で言った。
「こ、この方は、わたしを助けてくれた、優しい人です! 森を壊すような、悪い人じゃありません!」
一生懸命俺を庇おうとしてくれるルルの言葉に、エルフたちの警戒心が少しだけ揺らいだのがわかった。
亜人を助ける人間。それは、彼らの常識からは外れたことだったのだろう。
エルフは、しばらく俺とルルを交互に見ていたが、やがて仲間たちに弓を下ろすよう合図した。
「……わかりました。少しだけ、あなたの話を聞きましょう。私の名はエリナ。この森の賢者にして、民を導く者です」
エリナと名乗った彼女は、まだ疑いの目を向けながらも、対話の意思を見せてくれた。
俺は彼女たちを拠点の中に招き入れた。
エルフたちは、俺がスキルで建てた丸太小屋や、異常なほど瑞々しく育っている野菜畑を見て、戸惑いと感嘆の入り混じった声を漏らしていた。
「信じられない……。死んだも同然のこの土地で、これほど生命力に満ちた作物が育つなんて……」
「この家も……まるで、生きている木をそのまま組み上げたかのようだ。魔法の気配もするが、これほどの建築術は見たことがない」
俺はエリナに、自分が追放されてこの地に来たこと、生きるために『創生の庭園』というスキルで土地を開拓していることを正直に話した。ルルを助けた経緯も。
話を聞き終えたエリナは、腕を組んで考え込んでいた。
「……あなたのスキルが、この地のマナの流れを大きく変えたのは事実のようです。ですが、それは破壊ではなく……むしろ、活性化に近い。こんな現象は、古の文献でも読んだことがありません」
彼女は、俺のスキルに強い興味を抱いたようだった。
そして、ふと、拠点の一角に植えられていた一本の老木に目を留めた。それは、この土地にもとから生えていた木で、ほとんど枯れかけていたが、俺がなんとなくスキルで栄養を与え続けていたものだ。
「この木は……『月詠みの古木』! なぜこんな場所に……。ですが、もう寿命が尽きかけている……」
エリナが悲しそうに呟く。
彼女によると、その木はエルフにとって特別な聖木で、数百年に一度だけ、マナを凝縮した貴重な実をつけるのだという。
(そうか……この木を助けられたら、彼女たちの信頼を得られるかもしれない)
俺はエリナに言った。
「エリナさん。もしよかったら、俺にあの木を元気にさせてくれないか」
「なんですって? そんなこと、できるはずが……」
「やってみなければわからないだろ?」
俺はクワを手に取り、古木の根元に立つ。
そして、『創生の庭園』の力を、ありったけ注ぎ込んだ。
イメージするのは、若々しい生命力。大地の養分を吸い上げ、瑞々しい葉を茂らせる、全盛期の姿だ。
すると、奇跡が起こった。
枯れ木同然だった古木の幹に、みるみるうちに艶が戻り、乾いていた枝の先から、次々と新しい若葉が芽吹き始めたのだ。
ざわざわと風にそよぐ緑の葉。それはまるで、老人が若返っていくかのようだった。
エリナたちが言葉を失い、その光景をじっと見つめている。
そして、再生した古木は、枝の先に小さな銀色の蕾をつけ始めた。それは、伝説の実がなる前兆だという。
「信じられない……古の奇跡を、今、目の当たりにするなんて……」
エリナは震える声で言うと、俺に向き直り、深く、深く頭を下げた。
「カイ・アサノ……私は、あなたを誤解していました。あなたこそ、我々が長年待ち望んでいた、真に自然を愛する方なのかもしれない。どうか、我々にあなたの知恵と力を貸していただけませんか」
森の賢者からの予期せぬ協力の申し出に、俺は手にしたクワを静かに握り直した。




