第10章:世界中に拡散されたデジタルタトゥー
白い壁と、鉄格子のはまった小窓。
都郊外にある精神医療センターの閉鎖病棟の一室で、咲良はベッドの上に固定されていた。
腕には鎮静剤の点滴が繋がれているが、その薬効すら彼女の破壊された神経には届かない。睡眠薬をどれほど投与されても、脳の覚醒中枢が異常放電を繰り返し、彼女の意識を強制的に覚醒させ続けていた。
「あ……ふふ……起きてる……ちゃんと、起きてます……」
虚ろな瞳は光を反射せず、乾いた唇から壊れたレコードのように同じ言葉が零れ落ちる。
指先は虚空を泳ぎ、見えないペンタブレットにペンを走らせる仕草を繰り返す。身体は時折、かつて埋め込まれていた玩具の振動を思い出すかのように、ピクンと激しく痙攣した。
彼女はもう、二度と安らかな眠りを得ることはできない。
死ぬことも眠ることも許されず、永遠に「不眠の牢獄」で生体人形として痙攣し続ける。それが、効率主義と虚栄心に取り憑かれた彼女に下された、残酷な終身刑だった。
――そして、現実の彼女が壊れ果てた後も、インターネットの海では彼女の「第二の生」が続いていた。
あの日、男たちによって撮影された集団凌辱の生配信データ、バイブが露出した瞬間の高画質キャプチャ、そして絶叫と失態の切り抜き動画。
それらは「自称ショートスリーパー(笑)の無残な末路」「遠隔バイブで世界を騙そうとした女の結末」という扇情的なタイトルをつけられ、世界中のアングラサイト、動画共有プラットフォーム、SNSのまとめアカウントへと無数にミラーリングされた。
『効率を求めて人生詰んだ女の顔、最高に抜ける』
『今夜もこの動画でお世話になります』
『ショートスリーパーになろうとする奴は全員こうなればいい』
世界中の見知らぬ無数の男たちが、毎夜、彼女の無惨な姿をモニター越しに眺め、己の欲望の道具として消費し続ける。
彼女がかつて渇望した「世界的な知名度」と「数百万もの視線」は、最もおぞましく冒涜的な形で、永遠に消えないデジタルタトゥーとしてネットの深淵に刻み込まれていた。
一方、都心の瀟洒なコワーキングスペース。
仕立てのいいスーツを着た神谷は、淹れたてのコーヒーを口に運びながら、スマートフォンの画面を軽やかにタップしていた。
咲良の一件で炎上した旧アカウントはとうに削除済みだ。
現在の彼のプロフィールには、新たな肩書きが並んでいる。
『次世代タイムマネジメント・アドバイザー/脳科学に基づくウルトラ・ショートスリープ講座 主宰』
画面には、新たな受講希望者からの熱烈なダイレクトメッセージが届いていた。
『神谷先生! 私も睡眠時間を削って、もっと実績を出したいです! 先生のメソッドを教えてください!』
送り主は、プロフィール写真に若い女性のアイコンを設定した、駆け出しのクリエイターだった。
「ふっ……人間というのは、本当に学習しないな」
神谷は冷たい笑みを浮かべ、慣れた手つきで返信を打ち込んだ。
『初めまして。時間を無駄にしたくないというあなたの高い志、素晴らしいですね。私の特別なメソッドを使えば、あなたもすぐに超人になれますよ。まずは一度、個別でお会いしましょう――』
スマートフォンの送信ボタンが押される。
画面の向こうで、また一人、効率という甘い毒に群がる新たな獲物が、口を開けて待つ地獄の扉へと足を踏み入れていた。




