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燃やさない陽動

「クロが神殿の倉庫を燃やすって」


 二号が、わざと最悪の訳をした。


「わかりました!」


 リリアが、なぜか一番元気よく返事をした。


 わかっていない。


 絶対にわかっていない。


「では、燃えやすいところから――」


 まずい。


 本当にまずい。


「ギャアアアアッ!」


 俺は扉の隙間から飛び出した。


 見張りの靴と靴の間を駆け抜け、リリアの足首へ体当たりする。


「クロさん?」


「いたぞ! 黒い魔物だ!」


「踏め!」


 この状況で、わざわざ自分から見つかりに行った。


 我ながら馬鹿である。


 だが、燃えやすいところを探し始めた勇者を止めるには、これしかなかった。


 止められるのは、たぶん世界中で俺たちだけだ。


 槍の石突きが落ちてくる。


 俺は左へ走った。


 ドンッ!


 土が跳ね、腹へ小石が当たる。右からもう一本。前には人間の足。


 囲まれた。


「危ない!」


 リリアの靴先が、俺の腹の下へ滑り込んだ。


 蹴られる――と思った次の瞬間、俺の身体は夜空へ飛んでいた。


「ギィィィィッ!?」


 高い!


 高すぎる!


 地面が遠い!


 人間だったころ、絶叫マシンが大の苦手だった。


 ゴキブリになっても、この苦手だけは律儀に引き継がれているらしい。


 リリアは俺を足の甲ですくい上げ、そのまま軽く跳ねさせたのだ。


 勇者にとっては軽く。


 ゴキブリにとっては投石器である。


 俺は翅を開いた。


 夜気を受け、身体を傾ける。見張り二人の頭を越え、倉の屋根へ。


 着地。


 したつもりだった。


 ころころころころ。


 瓦を三枚滑り、雨樋へ腹から突っ込んだ。


「ギ……」


「お上手です、クロさん!」


 どこがだ。


 人間換算なら、ビルの屋上から放り投げられて雨樋に頭から突っ込んだようなものだぞ。


 見張りが屋根を見上げる。


「どこへ行った!」


「黒い影が屋根に!」


「わたしには見えませんでした」


 投げた本人が言った。


 リリアは本当に頼もしい。


 頼もしいが、もう少し加減を覚えてほしい。


 俺は雨樋から這い出し、屋根裏へ通じる穴を目指した。途中で二号が追いつく。


「いやあ、飛んだねえ」


「ギギギ!」


「怒らない怒らない。ちゃんと火は使わないって説明するから」


 お前が説明を省いたから飛ぶことになったんだ。


「でも、盛り上がったやろ?」


 盛り上がったのは俺の高度だ。


     ◇


 倉の屋根裏には、修理用に置いた道具箱がある。


 村の共同乾燥棚を直した夜、余った縄、薄い木片、発酵茸を丸めた煙玉を隠しておいたのだ。


 なぜ煙玉など作ったのか。


 虫よけである。


 俺たちも虫だろう、と言われそうだが、虫には虫なりに苦手な虫がいる。保存食へ卵を産みつける小さな蛾は、発酵茸の匂いを嫌う。


 俺たちはもっと嫌いだ。


 鼻ではない。触角の根元から呼吸孔の奥まで、酸っぱい靴下を煮込んだような臭いが入ってくる。


 靴下を煮込んだことはない。


 煮込みたいとも思わない。


 だが、たぶんこれよりは上品だ。


 誰か試して確かめてほしい。俺以外で。


「三つ残ってる」


 二号が煙玉を転がした。


「一個で蛾が十匹逃げた。三個なら人間も逃げるね」


「ギ」


 逃げてもらっては困る。


 神殿の男たちには集まってもらう。


「臭いところへ?」


 火事だと思えば来る。


 彼らの倉庫には、村から集めた麦、薬、監視札がある。表へ出せない物ほど、持ち主は必死で守ろうとする。


「性格悪い作戦やなあ」


「ギギッ」


「褒めたんよ」


 最近、仲間からの褒め方がおかしい。


 俺たちは煙玉へ細い糸を結び、屋根の端から下ろした。


 あとは温めるだけだ。


 火はつけない。


 発酵茸は少し熱を加えると、中の空気が膨らみ、胞子と水蒸気を勢いよく吐く。


 俺は前脚を屋根へつけた。


 触角の間に魔力を集める。


 青い火花が、ぱちり。


 一個目の煙玉へ当たった。


 しゅうううう。


 白い煙が細く出る。


「弱いね」


「ギ」


 わかっている。


 もう一度。


 ぱちっ。


 しゅううううう。


「お湯が冷めるときくらい」


 わかっている!


「大将の雷、いつも一言多く煽られますね」


「お前が煽ってるんだよ!」


 魔法というものは、どうして格好よく出てくれないのか。


 リリアが剣を振れば空が割れそうな風が出る。俺が全力で雷を出すと、古い毛布を剥がしたときくらいの火花が出る。


 身体の大きさを考えれば頑張っている。


 頑張っているが、見た目が地味だ。


 人間だったころなら、静電気でドアノブに驚くくらいの見た目である。


「クロ。三つをくっつけよう」


 二号が煙玉を一列に押した。


「一個ずつ温めるから足りないんや。間へ濡れた苔を挟んで、熱を逃がさないよう包む」


 なるほど。


 俺たちは煙玉三つを苔で包み、薄い木片の上へ載せた。二号が翅で風を送り、苔の隙間だけへ空気を通す。


 俺は六本脚で木片を押さえ、今度こそ魔力をまとめた。


「せーの」


「ギィッ!」


 バチン!


 青い火花が三つの煙玉の間へ落ちた。


 一瞬、何も起きない。


 失敗か。


 そう思ったとき。


 ぼふん。


 白煙が俺たちを丸ごと飲み込んだ。


「くっさあああああ!」


「ギャアアアアッ!」


 成功である。


 大成功すぎる。


「これ、俺たちも死ぬやつです!」


「泣いてる場合か、押せ!」


 俺と二号は涙を流しながら煙玉を押した。


 屋根の端から落とす。


 糸が伸び、煙玉は壁の中ほどで止まった。白い煙が倉の軒下から湧いているように見える。


「次、風!」


 二号が屋根を蹴った。


 翅が震える。


 ごく細い風が、煙を北へ運んだ。


 神殿の詰め所がある方向だ。


 まだ足りない。


 煙は出たが、倉から見張りを離すには騒ぎが必要だ。


 俺は雨樋を三回叩いた。


 合図。


 北の坂道で待っていた仲間たちが動く。


     ◇


「押せえ!」


 ピノの号令で、空の樽が一つ転がった。


 ゴロゴロゴロゴロ!


 村の酒場から借りたものだ。


 勝手に持ち出したので、借りたと言っていいかは怪しい。無事に返せば借り物。壊れたら謝る物である。


 一つ目の樽が坂を下り、神殿の倉庫前に積まれた木箱へぶつかった。


 ドガァン!


「火事だあ!」


 二号の声が、風へ乗って村中に響く。


「神殿の倉庫から煙だあ!」


 嘘ではない。


 煙は出ている。


 火事ではないが。


「何だと!?」


 牢の裏にいた見張りが走り出す。


 詰め所からも白い服の男たちが飛び出してきた。


「倉庫を開けろ!」


「水を持ってこい!」


「薬箱を先に出せ!」


 やはり来た。


 二つ目の樽が転がる。


 ゴロゴロゴロ――ガン!


 三つ目。


 ゴロゴロゴロ――バキッ!


 最後の音は嫌な音だった。


「持ち手が取れた!」


 坂の上でピノが叫ぶ。


 あとで直そう。


 本当にごめんなさい。


 弁償リストが、また一行増えた。


 だが音の効果は抜群だった。


 神殿の男たちは倉庫へ殺到する。牢の正面に残った二人も、互いの顔を見た。


「お前はここを守れ!」


「そっちが残れ!」


「俺は薬箱の鍵を持っている!」


「俺は倉庫の鍵を持ってる!」


 二人とも行った。


 大切なのは囚人ではなく鍵だったらしい。


 わかりやすくて助かる。


「いまです!」


 リリアが牢の扉を開いた。


     ◇


 最初に、レンたち四人が床下を進んだ。


 チュウタが先頭。レンが足の悪い老婆を背負う。木こりと母親が続き、最後尾をガーロが守る。


 穴は狭い。


 人間の膝が土へ沈むたび、天井から砂が落ちる。


「止まれ」


 チュウタが前脚を上げた。


 排水溝から泥水が入り、穴の底へ流れ込んでいる。


「このままじゃ婆さんの顔が水に浸かる」


「俺がもっと高く背負う」


「天井につかえる。木こり、前へ。母親は後ろ脚側を持て。四本の腕で寝台にする」


 人間二人が老婆を横向きに支えた。


 ガーロが腹で穴の壁を押し、崩れを止める。


「虫に運び方を教わる日が来るとはね」


 老婆が小さく笑った。


「授業料は高いぞ」


 チュウタが言う。


「外へ出たら、硬いパンをくれ。歯が欠けてるから柔らかいやつ」


「硬いのか柔らかいのか、どっちなんだい」


「間を取れ」


「注文が細かいネズミだねえ」


「命がかかってるんだ、パンくらい選ばせろ」


 暗い穴の中に笑い声が広がった。


 逃げている最中なのに。


 いや、逃げている最中だからこそ、笑えるのは強い。


 一方、正面ではリリアが熱の男を毛布ごと抱き上げた。


 ルビーと俺は毛布の端へ乗り、男の呼吸を確かめる。浅い。速い。だが、まだ力はある。


「治癒をかけます」


 淡い光が男の胸を包んだ。


 呼吸が少し深くなる。


「もう一人います」


 ルビーが一番奥を指した。


 壁を叩いていた囚人だ。


 見れば、細い鎖で足を柱へつながれている。短く切った赤茶色の髪。作業着の袖は破れ、指先には石の粉がついていた。


 女性だった。


 彼女は騒ぎの中でも慌てず、柱の根元を調べ続けていた。


「救助なら、その男を先に」


「あなたもです」


 リリアが言う。


「この鎖は?」


「切ってもいいが、柱まで壊すな。西の梁へ荷重が逃げている。そこを割ると屋根が落ちる」


 ずいぶん具体的だ。


「では、鎖だけを」


 リリアが剣を抜いた。


「待て。鉄輪と石柱の間へ刃を入れろ。鎖の中央を斬ると跳ねる」


「はい」


 勇者が囚人の指示に素直に従った。


 銀の刃が一度だけ光る。


 ちん。


 鎖の根元だけが、静かに落ちた。


「見事だ」


「ありがとうございます」


 なんだ、この落ち着いた二人は。


 外では臭い煙が村を覆い、樽が転がり、神殿の男たちが叫んでいる。


 ここだけ別の朝のようだ。


「歩けますか?」


「歩ける。だが、正面へ出る前に中央の棚から青い帳面を取れ」


 女性は立ち上がり、俺を見た。


 一瞬だけ眉が動いたが、叫びも逃げもしない。


「その黒いのが鍵を開けたのか」


「そうです」


「なるほど。錠箱の横に鋲の抜けがあった。人間には使えない隙間だと思っていた」


 見ただけで、俺が通った場所までわかったらしい。


 怖いくらい目がいい。


「ギ」


「褒めている。設計者が想定しない使い方で開けるのは、立派な技術だ」


 褒められた。


 鍵に挟まれて油まみれになった苦労が、少し報われた。


 今なら、あの錠前ともう一戦できる気がする。


 気のせいだろう。


「でも、帳面を取る時間は――」


「あれには、ここへ運ばれた人間の名と理由が書いてある。持ち出せば、教団は囚人などいなかったと言えない」


 ルビーが棚へ走った。


 青い帳面は、人間の両手ほどもある。俺たちには重い。


「これ、何匹がかりで運びます?」


 二号が帳面の周りを一周する。


 女性がひょいと抱えた。


「行くぞ」


「……一人で済みました」


 二号の触角がしゅんとしぼんだ。


 正面から、四人で飛び出した。


     ◇


「火はどこだ!」


「煙だけだぞ!」


「水をかけろ!」


「薬箱が濡れる、やめろ!」


 神殿の倉庫前は、大混乱になっていた。


 村人たちは桶を手に集まり、神殿の男たちは入口を塞ごうとしている。


「中に火があるなら、早く品物を出せ!」


 村長が叫んだ。


「危険な薬が入っている。近づくな!」


「村の倉から集めた麦もあるはずだ!」


「ない!」


 その瞬間、二号が屋根の上で風を強めた。


 半開きの倉庫扉が、ぎいいっと開く。


 中に積まれていた麦袋が、月明かりに照らされた。


 村の印がついた袋。


 清め薬の箱。


 同じ形の監視札。


 煙は白いだけで、どこにも炎はない。


「……あるじゃないか」


 誰かが言った。


 神殿の男たちが黙る。


 村人たちの目が変わった。


 恐怖ではない。


 自分たちの目で嘘を見つけた人間の目だ。


 その背後を、リリアが堂々と歩いた。


 腕には熱の男。隣には足鎖の切れた女性。ルビーと俺は毛布の陰に隠れ、気配だけを追う。


「牢に病人がいました」


 リリアの声が広場へ響く。


「ほかの方々も保護します。異論のある方は、村の皆さんの前で理由を説明してください」


 異論を言う者はいなかった。


 言えるはずがない。


 倉庫の嘘も、牢の嘘も、もう村人が見ている。


 俺たちは火をつけなかった。


 誰も焼かなかった。


 けれど神殿が積み上げた嘘だけは、白い煙の中で見事に燃え上がった。


 うまいことを考えた気がする。


 実際には、臭すぎて涙が止まらない。


 知恵と涙腺は、いつも仲が悪い。


「クロ、逃げるよ!」


 二号が屋根から降ってきた。


「風向きが変わった! こっちにも煙が来る!」


「ギャッ!」


 俺たちは毛布の陰から飛び出し、全力で排水溝へ走った。


 勝ったのに逃げる。


 締まらない。


 でも締まりなんて、次の話でいくらでも取り戻せる。


 だが、それでいい。


 助けた六人と仲間が、全員生きて笑っている。


 格好よさは、その次でいい。


     ◇


 森の外れで、床下組と正面組が合流した。


 レンが一人ずつ数える。


「一、二、三、四、五……六。全員いる」


「俺たちも数えろ」


 チュウタが怒った。


「頭数、大事だもんな」


 レンが素直に頷く。


「七、八、九……すまん、動くな。黒くて暗いと誰が誰だか」


「失礼やなあ」


 二号が白い煙をまとったまま言う。


「今夜の僕は白いやろ」


 白いというより、臭い。


「二号、三歩離れてても匂います」


「香水だと思ってください」


「その言い訳、誰も買わないぞ」


「お前たちが、井戸の古代部品を動かしたのか」


 赤茶色の髪の女性が訊いた。


 俺たちの空気が変わった。


 どうして知っている。


 誰にも見せていない仕事のはずだった。


「広場に出ていた破片を見た。水路の直し方も、棚の風板も。あれは偶然ではできない」


 女性は青い帳面を地面へ置き、膝をついた。


 俺たちと同じ高さまで、目線を下げる。


「私はセラ。水路と炉を直す技師だ」


 炉。


 俺の触角が止まった。


「正確には、あの浄化炉を設計した一族の生き残りだ」


 森の奥で、夜風が葉を揺らした。


 セラは俺をまっすぐ見て、言った。


「黒い技師殿。取引をしないか」

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