盗人は尻尾を持っていた
「待てえええっ! 名前を教えろ! パンも返せ! 名前が先みたいに言ったけど、やっぱりパンが先――いや両方だ! 俺はもう何を優先したらいいか分からない!」
「知らないよ! しつこいな!」
返事が来る。それだけで嬉しい。なのに灰色のネズミは、俺が命懸けで運んだパンの半分を抱えて逃げている。
嬉しいのに腹が立つ。腹が立つのに、もっと喋ってほしい。
「しつこくもなる! 昨日から一人だったんだぞ! 初めて会話できた相手の第一声が泥棒の開き直りって、出会いをもっと大切にしろ!」
「拾っただけだ!」
「配達員が押している荷物は落とし物じゃない!」
ネズミは俺の三倍ある身体で、パンを抱えたまま二本脚で走る。だが六本脚の俺も負けない。触角で石床の踏み込みを読み、相手が越えた石は横を抜け、木片は下を潜った。
「何でそんなに速いんだよ! 動き方が気持ち悪――」
「最後まで言うな! 自分でも後ろから見たくない! でも速さは俺の長所なんだ!」
「何なんだよ、お前!」
「ゴキブリだからだ!」
自信満々に叫び、自分で傷ついた。
「……今のは忘れろ。勢いで名乗りたくもない肩書を名乗った」
「面倒くさいな!」
「パン泥棒に言われたくない!」
ネズミが低い横穴へ飛び込む。毛を天井へこする相手には狭くても、平たい俺には大通りだ。
「追いついた!」
尻尾へ触れた瞬間、ぺちぃんっ! 鞭のような一撃で顔を打たれ、壁へ転がった。
「尻尾を武器にするな! 俺の触角にはそんな機能ないぞ!」
「勝手に掴むからだ! 尻尾は大事なんだぞ!」
「俺のパンも大事だ! お互い尊重しよう。パンを置け、俺も尻尾を掴まない!」
「こっちだけ損してる!」
頭は痛いのに、口元が笑う。俺の愚痴へ、さらに愚痴が返ってくる。その騒がしさが、たまらなく懐かしかった。
「何を笑ってるんだよ。怖いな!」
「笑ってない! 怒りで引きつってるだけだ! そもそもゴキブリの表情が分かるのか!」
「分からないから怖いんだよ!」
「正論でも本人へ言うな! 傷つくぞ!」
横穴を抜けると、道が左右へ分かれていた。
ネズミは迷わず左へ曲がる。
俺も左へ続こうとして、触角を振った。
冷たい風。古い土。その奥に、生臭い息。
「待て、左はまずい! 何かいる!」
「パンを取り返すための嘘だろ!」
「俺だって嘘なら、もう少し賢そうな内容にする!」
「自分で言うのかよ!」
前方の地面が、ずず、と動き、壁だと思った灰色の塊が持ち上がった。石色の鱗、太い四本脚、横へ裂けた口。俺から見れば馬どころか恐竜だ。
「洞窟トカゲ! ほら、いた!」
「嬉しそうに言うな!」
「信用されなかった悔しさが一瞬晴れただけだ! 逃げろおおお!」
「テンション死ね!」
「無理な注文だ、ゴキブリはしぶとさだけが取り柄なんだよ!」
ばぐんっ!
直後に巨大な顎が閉じ、石床の角を噛み砕いた。二匹で来た道へ逃げる。トカゲの四本脚が落ちるたび、ずしっ、ずしっ、と床ごと俺の身体が跳ねた。
「パンを捨てろ!」
「嫌だ! 妹たちが腹を空かせてるんだ、やっと見つけたんだぞ!」
裏返った声。パンへ食い込む細い前脚。毛の下に浮くあばら。
趣味で盗んだわけではない。帰りを待つ家族がいる。
「妹は何匹だ!」
「三匹! 何で今聞くんだよ!」
「だったら余計に死ぬな! パンも持ち帰る!」
「返せって怒ってたくせに!」
「今も返してほしい! でも事情を聞いたら見捨てられない! 俺の感情は一枚岩じゃないんだ!」
低い横穴へ飛び込む。だがトカゲも平たい頭を押し込み、鱗を天井へ擦りながら追ってきた。
「狭い場所まで俺から奪うな! 大きくて強いくせに不公平だろ!」
「僕の道だ!」
「三本線をつけたのもお前か! 説明不足だぞ!」
「喋るゴキブリ向けの案内なんか書くか!」
前方に黄緑の粘着苔が広がる。
「三本線の下! 苔を踏むな!」
「僕が作った道だ、分かってる!」
分かっていても、パンで身体の幅が増えていた。ネズミの後脚が苔へ沈み、透明な粘液が伸びる。転んだ拍子にパンが飛んだ。
「パン!」
「最初にそっちを見るな!」
「妹たちの晩飯だぞ!」
「分かった! パンは俺、脚はお前!」
転がるパンへ頭から体当たりし、安全路へ押し戻す。ネズミは脚を真上へ引き、さらに粘液へ捕まった。
「上じゃない、横へ滑らせろ!」
「何で知ってるんだ!」
「さっき俺も捕まった! 今は俺の失敗を信用しろ!」
「頼れるのか情けないのか、どっちだよ!」
「両方だ!」
俺が根元を押さえ、ネズミが身体をひねる。
ぶちっ!
脚が外れた。そこへ洞窟トカゲが踏み込み、八方へ粘液を引く。
「捕まった! 休める!」
ぶちぶちぶちっ!
大きな前脚が苔を根ごと引き剥がした。
「力で壊すな! 世の中はいつも大きい側に甘い!」
ネズミは後脚を引きずっている。俺は安全路の端から、網のように広がる苔の太い根を見つけた。
「あれを引くぞ! 全部まとめて顎へ巻く!」
「そんな作戦に命を預けたくない!」
「もう預けてる! 早く!」
二匹で根を掴む。
「小さいくせに注文が多い!」
「パン泥棒に言われたくない!」
「助けるなら忘れろよ!」
「助けるのと腹が立つのは別会計だ!」
舌がパンへ伸びる。
「せーのっ!」
ぶちんっ!
切れた根に引かれ、粘着苔が一斉に縮んだ。
ぬちっ! べたりっ!
黄緑の粘液がトカゲの顎を覆い、舌を床へ貼りつける。弾かれたパンをネズミが飛び込んで抱えた。
「取り返した!」
「元は俺の――今はいい、走れ!」
前方に、壁から外れかけた錆びた排水管がある。入口は石で塞がれ、俺には広いがネズミには狭い。
「あそこへ入る!」
「僕は無理だ!」
「広げる! 方法は今から考える!」
「またそれかよ!」
「待ってくれる敵なら会議を開いてる!」
俺は管の下へ滑り込んだ。
「少し白い石を蹴れ! 右から二番目!」
「全部灰色だ!」
「話ができるのに指示が通じない!」
「説明が下手なんだよ!」
ずしっ!
トカゲが苔を破る。
「もう全部蹴れ!」
「最初からそう言えええっ!」
ネズミが石山を蹴り崩す。その隙に俺は管内へ潜り、上側を留める錆金具の根元へ前脚を差し込んだ。
固い。怖さで脚が滑る。
「嫌なら逃げろ! お前だけなら管へ入れるだろ!」
「そうだよ、簡単に助かる! でもお前を置いたら、今度こそ一人になるだろうが!」
ネズミが黙った。
「パンを盗むし、口は悪いし、俺を気持ち悪がるし、かなり腹は立つ! でも、せっかく返事をしてくれるやつを見捨てて、水の怪物相手に一人で喋るのは嫌なんだよ! だから黙って助けられろ!」
「助けられる側に黙れって横暴だろ!」
「黙らないのかよ!」
「喋ってていいんだろ!」
「……そうだった!」
恐怖が少しだけ笑いへ変わる。俺は全身をねじった。
みしっ。がこんっ!
腐った木片が抜け、錆金具が外れた。管の上側が持ち上がる。
「入れえええ!」
ネズミはパンを先へ押し込み、頭から潜る。肩がつかえた。
「息を吐け! 身体を細くしろ!」
「ネズミはゴキブリみたいに薄くならない!」
「便利だぞ!」
「でもなりたくない!」
「知ってる! 俺だってなりたくてなったんじゃない!」
内側から前脚を引く。ネズミも後脚で床を蹴る。
「痛い! 肩が抜ける!」
「命より安い! 引っ込めろ!」
「助け方が雑!」
「被救助者の注文が多い!」
ずるっ。
肩が抜けた直後、巨大な顎が排水管へ激突した。
ガァァンッ!
金属管が鐘のように鳴り、俺たちはパンごと奥へ転がる。入口を爪が、ぎゃりっ、ぎゃりりっ、と掻いたが、曲がった管の奥までは届かなかった。
俺とネズミは、暗い排水管の奥でしばらく動けなかった。
「……助かった?」
ネズミが小声で聞く。
「たぶん」
「本当に?」
「俺だって見て確認したいけど、今顔を出したら食われるかもしれない。どうしても知りたいなら、お前が先に――」
「嫌だよ! 助けるって言っただろ!」
「助けた後の安全確認まで永久保証に含めるな! たぶんで我慢しろ!」
沈黙が落ち、どちらからともなく笑いが漏れた。
「何だよ、それ……」
「こっちの台詞だ。ひどい一日だよ、本当に。パンを食べるだけで蜘蛛とコウモリとトカゲに追われて、最後は泥棒と金属管の中で笑ってる。朝の俺に言っても絶対信じないぞ」
「僕だって、ゴキブリに助けられるなんて思わなかった」
「その言い方は引っかかるな。“ゴキブリなのに”って顔をしてる」
「だってゴキブリだろ」
「そうなんだけど! 事実をまっすぐ言われると悔しいんだよ!」
パンは粘液と錆まみれ。俺の殻には傷、ネズミは右後脚を痛めている。それでも二匹とも生き、パンもある。最悪ではない。
「脚を見せろ」
俺が近づくと、ネズミは慌てて脚を引いた。
「食べる気か!?」
「食わない! 俺を何だと思ってる!」
「ゴキブリ」
「知ってる! そうじゃなくて中身の話だ! 粘液を取るだけだ。残っていたら、また貼りつくぞ」
乾いた砂を押しつけ、木片で粘液をこそげる。ネズミもやがて大人しく脚を差し出した。
「お前、本当に変なゴキブリだな。普通は僕を見たら逃げるか、隠れるか、餌を奪われて終わりなのに、ずっと怒って追ってきて、挙げ句に助けるなんて」
「こっちだって、自分が何をしてるのか分からないよ。ただ……お前に妹がいるって聞いたら、見捨てられなかった」
「何で?」
「俺にも娘がいたからだ」
過去形になった自分の言葉に、息が詰まる。
「いた、じゃない。いる。今もどこかで生きてる。そう思ってる。俺が会えないだけで……ああ、悪い。こんな話、会ったばかりのお前にしても困るよな」
ネズミはすぐに答えなかった。
「娘、腹を空かせてたの?」
「いや。冷蔵庫を開ければ食べ物があった。好き嫌いして野菜を残すから叱ってた」
「レイゾウコって?」
「食べ物が山ほど入った冷たい箱だ」
「そんな箱、本当にあるの?」
「あった。大きなパンも買えたのに、食べ残して捨てることもあった」
ネズミが信じられないものを見る目をした。
「……嫌なやつだな、お前」
「そうだな」
冗談で返せなかった。
「だから今度は無駄にしない。このパンも、お前の命も」
「僕は物じゃないぞ」
「分かってる。うまく決めようとしたら言い方を失敗したんだよ! いい雰囲気だったのに!」
ネズミが吹き出した。
俺も笑った。
粘液を取り終え、パンを二匹の間へ置く。
「妹は三匹だったな。親は?」
「父ちゃんと母ちゃんは食料を探しに行って、まだ帰ってない。僕が一番上だから、何か持って帰らないと」
「そうか。じゃあ、そのパンは持っていけ」
「……え?」
「俺には水場へ置いてきた半分がある。お前はこれを三匹の妹と分けろ。勘違いするなよ、盗まれたことを許したわけじゃない。今回は俺が渡したことにする。そうしないと、思い出すたびに腹が立つからな」
ネズミは俺とパンを交互に見た。
「でも、お前が運んだんだろ。あんな遠くから」
「ああ。蜘蛛に吊られ、苔に貼られ、コウモリに追われ、何度も背中で押した。だから本当は一口残らず俺のものだ」
「じゃあ何で――」
「待ってる家族がいるなら持っていけ! 俺が格好よく譲ってるんだから素直に受け取れ! ただし条件がある」
ネズミがパンを胸へ引き寄せ、警戒する。
「な、何だよ。あとで倍にして返せとか、巣の場所を全部教えろとか?」
「水場まで戻る安全な道を教えてくれ。この地下のことも、知っている範囲でいいから教えてほしい。それと……名前だ。いつまでもパン泥棒って呼ぶのは長い」
「最後の一言が余計だよ!」
「怒ってるんだから少しくらい言わせろ」
ネズミはしばらく黙ったあと、胸を張った。
「僕はチュウタ。三本線は安全な道。二組なら危ない場所。斜めの線は行き止まりだ」
「チュウタか。そのままだな」
「何がだよ! お前は?」
聞かれて、俺は止まった。
前世の名前をそのまま名乗るのは、何かが違う気がした。
この黒い身体で生きるための名前。
難しく考える必要はなかった。
「クロだ」
「そのままだな」
「お前にだけは言われたくない!」
二匹の笑いが、金属管の中で重なった。
排水管を出ると、チュウタが近道を案内してくれた。ただし、説明は下手だった。
「次の割れ目を右。黒い石が見えたら左」
「黒い石だらけなんだけど! もう少し特徴を言え!」
「丸くて黒い石!」
「全部だいたい丸くて黒い! お前、さっき俺の指示が下手だって散々言ったよな!?」
「僕には分かるんだよ!」
「知らない相手に伝わって初めて案内なんだ!」
文句を言い合いながら歩くと、一人で通ったときより暗闇が短く感じられた。
水場へ戻ると、置いていた半分のパンは無事だった。俺は簡易水路から木の皮へ水をため、チュウタの前へ押し出す。
「飲んでみろ。俺が作った水道だ」
「お前が? ……それ、余計に不安なんだけど。変なものを混ぜてないよな?」
「失礼な奴だな! 三回失敗して、怪物に食われかけて、白い虫で安全確認までした水だぞ!」
「やっぱり不安になる説明じゃないか!」
チュウタは何度も匂いを嗅ぎ、一口舐めた。黒い目が見開かれ、今度は喉を鳴らして飲む。
「冷たい……変な味もしない。こんな水、久しぶりだ」
「そうだろ。もっと褒めていいぞ。今日は誰にも褒められてないから、かなり具体的に頼む」
「面倒くさいなあ。ええと、すごい。とてもすごい。ゴキブリなのに」
「最後の一言で全部台無しだ!」
チュウタは笑いながら水を飲んだ。
「妹たちにも持って帰れるかな」
「入れ物が必要だな。木の皮を重ねて、苔の繊維で縛れば作れると思う。明日、一緒に材料を――」
「明日は来ない」
チュウタが急に遮った。
さっきまで立っていた耳が伏せられる。
「僕の巣には来るな。この水場のことも誰にも言わない。今日のことは、これで終わりだ」
「何でだよ。俺はお前を助けた。パンも渡した。別に恩を売るつもりはないけど……少しくらい、また話してもいいだろ」
「駄目なんだ!」
強い声が水場へ響いた。
チュウタは自分でも驚いたように身体を縮める。
「父ちゃんは、ゴキブリは病気を運ぶ、不吉な虫だって言ってた。巣へ連れていったら、みんな怖がる。お前が喋ると分かったら、もっと怖がる。捕まえて殺そうとするかもしれない」
胸の奥へ冷たい小石を落とされた気がした。人間だった俺も、娘が悲鳴を上げれば「パパに任せろ」と殺虫剤を構えた。何も知らずに。
「そっか。そうだよな。ゴキブリだもんな、俺」
「クロ……」
「いいんだ。事実だ。まだ自分でも鏡を見るたび驚く。お前たちに怖がるなって言う方が無理だよ」
本当は明日も来てほしい。また喋りたい。たった一日で終わりにしたくない。だが、引き止めたら困らせる。
「分かった。巣には行かない。水が必要なら、お前一人で来い。来たくなければ、それでもいい」
格好よく笑おうとした。
ゴキブリの顔で笑えたかは分からない。
そのとき。
ぐうううううっ。
チュウタの腹が鳴った。
水場の空洞に、やけに大きく響く。
「……」
「……」
「妹に全部持って帰るんじゃなかったのか?」
「全部とは言ってない! 途中で倒れたら持って帰れないし、少しくらい食べた方がいいと思ってた!」
「顔に“今すぐ全部食べたい”って書いてあるぞ」
「毛があるから書けないよ!」
たまらず笑った。
チュウタも、耳を赤くしながら笑う。
重い空気が、腹の音一つで吹き飛んだ。
「端を食っていけ。妹まで届けるなら、運ぶやつが元気じゃないとな」
「いいのか?」
「好きにしろ。元は俺のパンだけどな」
「まだ言うのかよ!」
チュウタはパンの端を小さく割り、その半分を俺へ差し出した。
「これは運送料。あと、助けてくれた分」
「自分のパンを返されただけのような気もするけど、今日は細かいことを言わないでおく」
「十分言ってるよ」
二匹で乾いたパンをかじる。ぱさぱさで錆と苔の匂いもする。それでも、一人で食べた最初の一口よりずっとうまかった。
食べ終わると、チュウタは残りを背負い、通路の入口へ向かった。
「じゃあな、クロ」
「ああ。妹たちにちゃんと分けろよ。自分の分も残せ。あと右脚は今日あまり使うな。水は――」
「分かった、分かった! お母さんみたいに一度にたくさん言うなよ!」
「誰がお母さんだ! 俺は父親だ!」
チュウタは一瞬、不思議そうな顔をした。
すぐに小さく笑う。
「変な父ちゃんだな」
「余計なお世話だ」
通路へ入る直前、チュウタが振り返った。
「助けてくれて、ありがと。パンも、水も」
「……おう」
礼を言われるとは思っていなかった。
気の利いた返事を探している間に、灰色の尻尾は暗闇へ消えた。
一人になると、騒がしかった水場が急に広く感じられた。
「明日は来ない、か」
寂しくない。
そう言おうとして、やめた。
「寂しいよ。そりゃ寂しいに決まってるだろ。せっかく名前を呼んでもらえたんだぞ。俺だって、またあいつと喋りたいよ」
誰もいない場所でまで強がる必要はない。
パンも水もある。三本線の意味も分かった。口の悪い知り合いもできた。昨日よりできることは増えている。
「まあいい。来ないって言うやつほど、こういう話ではまた来るんだ。明日か、遅くても二、三話後には――」
その直後、暗い通路の奥から猛烈な足音が戻ってきた。
「クロおおおおおっ!」
「ほら来た! 早いな! まだ場面転換もしてないぞ!」
俺が得意げに前脚を上げると、飛び出してきたチュウタはパンを背負ったまま青ざめていた。
「助けて! 巣の方から、みんな逃げてきてる! 妹たちもいないんだ!」
「何があった?」
「分からない。でも、ずっと奥から、誰かが……人間みたいな声で助けを呼んでる!」
地下の向こうから、細く乾いた声が響いた。
『た……すけ……て……』
人間の声に似ているが、生きた人間の喉から出たとは思えないほど乾ききっていた。
俺とチュウタは顔を見合わせる。
「明日は来ないんじゃなかったのか?」
「今それ言う!? 妹たちがいないんだぞ!」
「悪かった! 行くぞ! 話は走りながら聞く!」
さっきまで寂しいと愚痴っていた俺は、チュウタと並んで暗闇へ駆け出した。
最初の知り合いが、別れて一分で戻ってきた。しかも今度は、三匹の妹と正体不明の“人の声”つきである。
「本当にこの世界、休ませる気がないなああああ!」




