地下にも休日が必要だ
「本日、クロ大将を解任する!」
「急だな!?」
朝、目を覚ました俺へ、チュウタが宣言した。
左右にはガーロとカサカサ二号。
背後にはガルダン王とスケルトン先生。
逃げ道にはバグとクルまでいる。
完全包囲だ。
「一か月の任期って話だったよな? まだ七日以上あるぞ!」
「今日だけだ」
「日替わり解任!?」
「大将は十三日間、全体の休息を入れなかった」
ガーロが厳しい声で言う。
「戦い、冬支度、農園、害虫退治、魔法訓練、白い管の調査。交代で寝てはいるが、全員が同時に仕事を置いた日はない」
「第二浄化区画が動くかもしれないんだぞ」
「だから休む」
チュウタが食い気味に返した。
「疲れた頭で古代設備を触ったら、今度こそ地下全部を鍋みたいに焦がす」
「鍋事故を永遠に使うな!」
『説得力はある』
「先生まで!」
俺は立ち上がろうとした。
前脚が石板へ触れる。
ガルダンが石板を尻尾で取り上げた。
「没収」
「大将の記録板!」
「本日はただのクロだ」
二号が俺の触角へ、魔光苔で編んだ輪をかぶせる。
「休日の印や」
「なんだ、この輪」
「仕事を始めたら光る」
「嘘だろ?」
「嘘や」
「朝から殴りたい!」
「殴ったら仕事になるで」
「殴るのは仕事じゃない、感情表現だ!」
「感情表現も休め」
「休めるかああああ!」
こうして俺の休日が、本人の同意なく始まった。
言っておくが、俺は休むのが嫌いなわけではない。
人間だった頃だって、休日は好きだった。
昼まで寝る。
娘とアイスを食べる。
家族で出かける。
何もしないで済む日は、それだけで嬉しかった。
だが今は、ゴキブリだ。
地下で何もしないゴキブリは、だいたい腹を減らすか、食われるか、踏まれる。
生き残るために動き続けてきた身体が、休めと言われても止まり方を知らない。
「それで、休日って何をするんだ?」
「知らん」
チュウタが答えた。
「提案者が知らないの!?」
「ネズミ族の休みは、食べて寝る」
「ゴキブリ族は?」
ガーロが考える。
「危険がなければ、食料を探す」
「それ仕事!」
「なら危険を探す」
「もっと仕事!」
先生が骨の顎へ指を当てた。
『古代人は祭りをした』
「それだ!」
地下で初めての休息祭が開かれることになった。
名前は二号が勝手につけた。
「第一回、働いたら負けやで祭り!」
「働いて準備してる時点で全員負けてない?」
「祭りの準備は遊びや」
「便利な理屈!」
会場は旧資材庫。
昨日まで道具と食料と土で埋まっていた場所だ。
ネズミ族が床をならし、ゴキブリ族が壁へ魔光苔の飾りを張る。
俺も飾りを――。
「クロ、座れ」
「一枚だけ!」
「解任中だ」
ガーロに持ち上げられ、茸座布団へ戻された。
「自分の脚で歩ける!」
「歩くと仕事を拾う」
「俺は落ちてる食料か!」
座って見ているしかない。
最初は触角が落ち着かなかった。
誰かが土を運ぶ音。
水滴の匂い。
遠くで管が震える音。
全部が「確認しろ」と俺を呼んでいる気がする。
前脚が勝手に床を掻く。
じっとしている方が、ムカデから逃げるより難しい。
「大将」
隣へピノが来た。
「今日はクロ」
「クロ。隙間、入る?」
「隙間?」
壁の根元に、薄い亀裂がある。
仕事なら何度も通った場所だ。
避難路の点検。
苔の採取。
敵の偵察。
でも今日は、ただ入るらしい。
「何のために?」
「気持ちいいから」
ピノは身体をぺたりと平たくし、亀裂へ滑り込んだ。
俺も続く。
背と腹の両方が、ひんやりした石へ触れる。
薄い殻を上下から挟まれる。
人間の記憶では、狭い場所は息苦しい。
閉じ込められる恐怖がある。
ところが今の身体は、逆だった。
背中に天井がある。
腹の下に床がある。
左右から敵が来ない。
触角だけを外へ出せば、匂いも振動も分かる。
安全だ、と身体の方が先に理解する。
「……落ち着く」
「でしょ?」
ピノの触角が俺の触角へ軽く当たった。
何かを攻略するためではない。
誰かを助けるためでもない。
ゴキブリの身体が気持ちいいと思うことを、初めてそのまま味わった。
悪くない。
いや、かなりいい。
亀裂から出ると、今度はニニに「触角休憩所」へ連れていかれた。
葉皿に薄い殻油が入っている。
「触角を置いて」
「置くって、外れないぞ?」
「分かってるよ!」
油を染み込ませた柔苔で、二本の触角を根元から先まで拭かれる。
自分では毎日掃除しているつもりだったが、先端から白い粉、青い色粉、茸の焦げかすまで出てきた。
「俺の触角、最近の事件を全部保存してる!」
「汚い」
「短く強く言うな!」
拭かれた後は、遠くの茸汁の匂いまで輪郭がはっきりした。
六本脚の節にも油を塗る。十三日走り続けてきしんでいた脚が、嘘みたいに軽い。
休むとは、何もしないことだけではないらしい。
次に走る自分の身体を、ちゃんと好きでいられるように手入れする時間でもある。
「よし、試しに一周――」
「走ったらもう一回座らせるよ」
「幼体の監視が厳しい!」
「クロ、寝た?」
「寝てない」
「いびき聞こえた」
「ゴキブリっていびきかくの!?」
祭りの最初は、料理大会だった。
ルールは一つ。
いつもの食材を、いつもと違う方法で食べる。
「審査員はクロ大将!」
二号が叫ぶ。
「今日はただのクロだろ?」
「食べる時だけ大将や」
「役職の使い方が雑!」
一番手、ネズミ族の《茸の木の実包み》。
乾燥茸を砕き、木の実の油で丸めたものだ。
見た目は石。
匂いも石に近い。
「食べて大丈夫?」
「さっきチュウタが三個食べた」
「審査前につまみ食いするな!」
噛むと、表面は硬い。
顎へガリッと来る。
そのあと茸の塩気と木の実の甘みが広がった。
「うまい!」
「点数は?」
「九十点!」
「残り十点は?」
「チュウタが先に食べた分!」
「料理の罪じゃないだろ!」
二番手、ゴキブリ族の《殻粉ふわふわ苔》。
カサカサ二号が風魔法で綿苔へ空気を含ませ、殻粉をまぶした。
「飛ばない?」
「今日は弱風や」
一口かじる。
ふわっ。
風が吹いた。
苔が俺の口から飛び出し、先生の眼窩へ入った。
『零点』
「先生は審査員じゃない!」
『私の目へ入った時点で零点だ』
「骨に目はないやろ!」
三番手、先生の《古代式温茸》。
魔法陣で茸を内側から温めたらしい。
「見た目は普通ですね」
『古代文明の精密加熱だ。味わえ』
俺が触角を近づける。
熱い。
「これ、何度です?」
『推定二百度』
「食わせる気ある!?」
先生しか触れなかった。
正確には先生も味を感じない。
「優勝者なしでは?」
ピノが手を上げた。
「全部混ぜる!」
木の実包みを割る。
ふわふわ苔を中へ詰める。
先生の加熱陣は、十分の一まで弱める。
外はかりっ。
中はふわっ。
温かい茸の香りが広がった。
「うまい!」
「名前は?」
「おやすみ玉!」
「なぜ!?」
「今日がお休みだから!」
理由は単純だが、味は満点だった。
優勝はピノ。
賞品は、おやすみ玉を一個多く食べる権利。
自分で作った物が返ってきただけである。
午後は、ゴキブリ競走。
壁を走り、天井を渡り、細い亀裂を抜け、最後に木の実の殻を押して戻る。
ゴキブリ族ならではの競技だ。
人間だった俺の感覚では、ゴキブリ競走という言葉だけで駆除業者を呼びたくなる。
今は参加者側である。
人生、何が起きるか分からない。
「優勝候補、クロ大将!」
「今日はただのクロ!」
「逃げ足だけで大将になった男!」
「もっと他にあるだろ!」
参加者は俺、二号、ポル、ニニ、クル。それに片翅のガーロ。
「ガーロ、傷は大丈夫か?」
「走るだけなら問題ない」
「無理なら止まれよ」
「大将もな」
「今日はクロ!」
スタートの殻が鳴った。
カンッ!
六匹が一斉に飛び出す。
床から壁へ。
重力の向きが横へ倒れる。
人間の身体なら、手でつかまり、足場を探す。
ゴキブリの脚先は違う。
細かな毛が石の凹凸をつかみ、考える前に身体を前へ送る。
壁が道だ。
天井も道だ。
五センチの身体には、資材庫全体が立体の競技場になる。
「先頭、クロ!」
「当然!」
「調子に乗りました。転倒確率七十二パーセント」
ジロの実況がひどい。
天井の折り返しで、二号が風を使った。
「魔法あり!?」
「自分の能力は使用可や!」
「聞いてない!」
二号が俺を抜く。
クルは土魔法で壁の凹凸を増やした。
「コース改造あり!?」
「自分の能力!」
「ネズミが壁を走ってる時点で反則だろ!」
ガーロは左翅だけを一瞬開き、落下の向きを変えた。
飛べない。
だが、片翅でも曲がることはできる。
「それ、訓練の成果か!」
「遊びながら試している!」
「休日って便利!」
亀裂区間。
俺と二号が同時に飛び込む。
身体を薄くする。
背の殻を石へ沿わせ、脚を横へ畳み、腹の節を一つずつくぐらせる。
二号の触角が俺の顔へ当たる。
「狭い!」
「競走やから譲らんで!」
「一匹ずつ入れ!」
二匹で詰まった。
後ろからポルが来る。
「押します」
「待て!」
ズボンッ!
俺と二号は、栓を抜いたように反対側へ飛び出した。
最後の木の実押し。
俺たちが絡まっている横を、小柄なニニがするりと抜けた。
木の実の殻へ前脚をかける。
「ニニ、先頭!」
蜘蛛の糸に捕まっていた幼体が、百匹の歓声の中を走っている。
ニニは振り返らない。
細い脚で殻を押し、そのまま一着でゴールした。
「勝った……?」
「勝ったぞ!」
俺たちはニニを囲み、身体ごと持ち上げた。
「高い! 落とすな!」
「優勝者だ!」
「大将に勝った!」
「今日はただのクロだからノーカウント!」
「負け惜しみや!」
優勝賞品は、おやすみ玉を二個。
ニニは一個をピノへ渡し、もう一個を半分に割って俺たちへ配った。
「優勝者が食べろよ」
「みんなが押してくれたから」
「押したのはポルだけだぞ」
「応援で押した」
そう言われると、何も返せなかった。
夕方。
魔光苔の飾りが青く光り、二号の歌に合わせて触角と尻尾が揺れる。
俺は茸座布団へ寝転んだ。
誰かが働いていないか気にならない。
白い管の鼓動は聞こえる。
でも今すぐ俺が走らなくても、見張りのポルがいる。畑にはピノがいる。異常があれば二号の金属管が鳴る。
任せて休むのも、共同生活なのかもしれない。
「クロ」
チュウタが隣へ座った。
「休んだ感想は?」
「悔しいけど、楽しい」
「悔しがるところか?」
「競走で負けた」
「そっちかよ!」
ガルダンも今日は王の石台を離れ、木の実の殻を転がす遊びへ参加していた。
目標の穴へ殻を入れるだけなのに、外すたび威厳ある顔で「床が傾いた」と言い張っている。
「王、三回連続で同じ方向へ外しています」
ジロが容赦なく記録する。
「床が三回傾いた」
「地盤災害ですね」
「そうだ」
「負けを認めろ!」
「余は認めぬ。次で流れを変える」
「四回連続で同じ台詞、聞きました」
「記録するな!」
「記録が仕事です」
「休日なのに仕事してる奴が一番多いこの巣、大丈夫か?」
「大将が言うと説得力があるようでない」
「褒めてくれ、貶してくれ、どっちかにしろ!」
ガーロは幼体たちへ片翅で曲がる走り方を教え、先生は頭だけで茸座布団を滑る競技を始めた。
誰も役目を捨てたわけではない。
王も、戦士も、先生も、役目の外側で笑っている。
仲間のことを知っているつもりだった。
でも働いている姿しか見ていなければ、半分しか知らないのかもしれない。
「次の休日、先生滑りに出る」
『私は競技用具ではない!』
「今、自分から滑ってただろ!」
七日後にやることが、もう一つ増えた。
翌朝。
全員が起きる前に、ジロが第二浄化区画の札を見直した。
「分かりました」
「何が?」
「昨夜まで『全生体資源を移送』を、強制的な吸収だと考えていました。しかし管の流れと文字の位置が逆です」
ジロは裏面を上下逆さまにした。
「これは第二浄化区画から地上へ移送する命令ではありません。地上から第二浄化区画へ、種、水、浄化素材を運び込む計画です」
「俺たちが吸われるわけじゃない?」
「少なくとも、この札の命令では」
十三日働き続けて見落とした上下を、一晩休んだジロはすぐ見つけた。
「休日、すごいな」
「次は七日後です」
ガーロが決定事項のように言う。
「毎週やるの!?」
「大将の任期より長く残る掟にする」
「解任された日に制度ができた!」
その時。
資材庫の入口から、ぬるりと湿った匂いが入ってきた。
塩。
乾いた薬草。
知らない苔。
そして、床をゆっくり擦る音。
ずる……ずる……。
祭りの歌をたどるように、巨大なナメクジが姿を現した。
背には木片の箱を三つ載せている。
「いやあ、いい歌だ」
ナメクジは二本の触角を丁寧に曲げた。
「休みの日に悪いね。商売をしに来たんだが、ここでは何が金になる?」
休日の次の日。
今度は、地下で初めての買い物が始まった。




