地下農園、はじめました
畑を作るぞ、と宣言した翌朝。
俺たちの種は、半分が溺れていた。
「誰だああああ! 畑を池にしたのは!」
「大将が『水は命だ、たっぷりやれ』って!」
「言った! 確かに言ったけど、種を泳がせろとは言ってない!」
煙臭い旧資材庫の一角に、浅い泥沼ができている。
その中央で、昨日見つけた種がぷかぷか浮いていた。
丸い種、細長い種、殻の硬い種。
将来の食料候補が、そろって水泳大会を開催中だ。
「水やり係のバグです」
「正直でよろしい! 量はよろしくない!」
「土が全部濡れるまでやった」
「完璧に仕事をしすぎなんだよ!」
バグは太い触角を下げた。
略奪を主張していた昨日までと違って、本人なりに新しい仕事へ本気なのだ。怒鳴り続ける気にはなれない。
というか俺も悪い。
人間だった頃、植木鉢に水をやった経験はある。枯らした経験も同じくらいある。農業知識を期待されても、俺の頭にあるのは「種を土に入れる」「水をやる」「なんか生える」の三段階だけだ。
小学生の理科以下である。
異世界転生したら農業無双!
そんな都合のいい知識は、ゴキブリの腹のどこを探しても入っていなかった。
『まず水を抜け』
スケルトン先生の冷静な声が飛ぶ。
「はい、先生!」
『返事だけは豊作だな』
俺たちは一斉に泥沼へ飛び込んだ。
ゴキブリ百匹が六本脚で泥を掻き、ネズミ族が木片を鍬代わりに溝を掘る。チュウタは土魔法で排水路の縁を固め、ジロは助け出した種を種類ごとに数えた。
「丸が八十三。長いのが百二。硬いのが四十九。水に浮いたのは合計百七十一」
「それ、助かるけど被害報告が具体的すぎて心に刺さるな」
「大将の心より種が重要です」
「朝から正論が硬い!」
泥に入ると、腹の下がひやりとした。
人間だった頃なら、長靴が欲しいだの、手が汚れるだの言っていただろう。
今は六本の脚先が、土の粒の大きさまで拾う。
湿りすぎた場所は腹に冷たく、乾いた場所は脚先がざらつく。二本の触角を低く伸ばせば、水の流れと腐葉土の匂いが分かる。
嫌になるほど、土に近い身体だ。
でも畑を作るには、悪くない。
「左へ溝を伸ばしてくれ! そっちの床が少し低い!」
「見て分かるのか?」
「腹で分かる!」
「大将、今のはちょっと格好悪いで」
カサカサ二号が笑う。
「うるさい! 腹も立派な測量器だ!」
排水が終わる頃には、全員が赤黒い泥まみれだった。
先生だけは骨なので泥が目立たない。ずるい。
助け出した種を前に、共同会議が始まった。
参加者は俺、ガーロ、ガルダン王、ジロ、先生。それに畑を池にした責任を取ると言い張って居残ったバグと、面白そうだから勝手に座ったチュウタだ。
「地上の植物は光を食う」
ガーロが言った。
「ここには光がない」
「先生、魔法で太陽を出せませんか」
『出せたら三十年も瓦礫の下で寝ていない』
「ごもっとも!」
ガルダンが種をつまみ、鼻先へ寄せる。
「深根では茸を増やしたことはある。だが種から草を育てた記録はない」
「ガーロの群れは?」
「落ちている物を食う。足りなければ探す。畑など知らん」
「よし、誰も正解を知らない!」
俺は胸を張った。
「なぜ嬉しそうなんだよ」
チュウタが呆れる。
「誰も知らないなら、俺だけ失敗して恥をかく心配がない!」
「大将の器が小さい」
「ゴキブリだからな!」
でも、知らないなら試せばいい。
一つの方法へ全部の種を賭けるから、失敗した時に終わるのだ。
俺たちは資材庫の奥を六つの区画に分けた。
一番は湿った腐葉土。
二番は乾いた赤土。
三番は両方を混ぜた土。
四番は水を多め。
五番は水を少なめ。
六番は――光の代わりになるかもしれない魔光苔を敷いた実験区画だ。
区画を分けた途端、なぜか応援する班まで分かれた。
「一番は土が黒くて強そうだ!」
「五番は水が少なくて仕事が楽!」
「それは応援理由か!?」
二号は六番区画の前へ、小枝で作った旗を立てた。
「光っとる方が絶対勝つ。見た目が派手や」
「畑に勝ち負けを持ち込むな!」
「負けた班は排水路掃除な」
ガルダン王まで乗ってきた。
「王様、賭け事を始めない!」
「食料は賭けておらん。掃除当番だけだ」
「健全だけど妙に本気になるやつ!」
いつの間にか、各区画へ色違いの石が並んだ。
正解を知らない不安が、明日はどの土が勝つのかという楽しみに変わっていく。
魔光苔は浄水槽近くの壁で青白く光っている。触ると冷たく、わずかな魔力を蓄えているらしい。
『植物が必要とする光と、苔の魔力光が同じとは限らん』
「だから全部には使わない。外れでも、一つの区画が失敗するだけだ」
ジロが石板へ六本の線を刻んだ。
「区画ごとに、種の数、水の量、土の種類、光の有無を記録します」
「毎日、芽の数もだ」
「誰が数える」
「ジロ」
「でしょうね」
即答だった。
土運びはネズミ族。
細かい種まきはゴキブリ族。
水路の調整はチュウタ。
魔光苔の採取は、狭い壁穴へ入れるカサカサ二号とニニ。
ガーロは療養中の身体で全体の動線を考え、片翅でも運べる葉袋を考案した。
先生は種を調べ、毒性がありそうなものへ石の印を置く。
種を埋める深さでも、ひと騒動あった。
「深く埋めれば守れる」
バグが自分の背丈より深い穴を掘る。
「守りすぎだ! 芽が地上へ出る前に一生が終わる!」
「浅ければ運びやすいで」
二号は土の上へ種を置いただけだった。
「それは配膳だ!」
結局、丸い種は種一個分、細長い種は半分だけ土からのぞかせ、硬い種は殻へ小さな傷をつけてから埋めることにした。根拠はない。三通り試せば、どれかの根拠があとから生える作戦だ。
ピノたちは種の横へ小石の名札を置いた。
丸、一本線、二本線。
字が読めなくても、誰がどの種へ水をやったか分かる。
「この丸いの、ピノの担当!」
「名前をつけるのか?」
「マル!」
「見たままだな」
「大将が言う?」
カサカサ二号を名づけた俺に、反論する資格はなかった。
食料になるかもしれない種へ名前をつけるのは、少し変な気もした。
だが、名前があれば見落とさない。
誰かの担当になれば、乾きすぎも濡れすぎも早く気づける。
百匹が畑を持つのではない。一匹ずつが、一粒ずつ明日を預かるのだ。
そして俺は大将らしく――。
「クロ、そこ邪魔」
「はい」
作業通路から追い出された。
大将の仕事とは何だ。
みんなが働きやすい場所を作ることらしい。
つまり、みんなが働き始めたら邪魔をしないことも仕事である。切ない。
「じゃあ俺は水の運搬を――」
「大将は一回の水量を決めて」
ピノに止められた。
「昨日『たっぷり』と言ったせいで池になったから」
「幼体からの信頼まで失っている!」
相談の結果、一回の水量は「木の実の殻一杯」と決まった。
たっぷり、少し、いい感じ。
こういう言葉は禁止だ。
水やり板には殻の絵を刻む。字が読めない仲間でも分かるようにした。
「よし。今度こそ地下農園、開始だ!」
百匹の触角が上がる。
「おおー!」
勢いはあった。
結果は、なかなか出なかった。
一日目。
何も生えない。
「一番区画、まだ力を溜めてます!」
「実況しなくていい!」
二日目。
何も生えない。
「六番区画、光だけなら優勝や!」
「何の優勝だ!」
三日目。
四番区画に白い綿のような物が広がった。
「芽だ!」
「カビだ」
先生の一言で、祝賀会は三秒で中止になった。
水をやりすぎた区画は、鼻を刺す酸っぱい匂いを出していた。俺たちは濡れた土ごと外へ運び、道具を熱い石で消毒した。
「畑って、食べ物を埋めたら食べ物が増える場所じゃないのか」
バグが本気で落ち込んでいる。
「俺も昨日まではそう思ってた」
「大将と同じ知識だった」
「そこまで落ち込むなよ!」
「大将が無知だと分かって、逆に安心した」
「安心する場所そこ!?」
「みんなで無知なら怖くない」
「開き直り方が独特だ!」
「大将も昨日、池を見て同じ顔してた」
「見てたのか!?」
「みんな見てた」
「集団で俺の絶望顔を鑑賞するな!」
四日目。
二番区画の土が固まり、芽どころか俺の前脚も刺さらなくなった。
「二番、守りは最強です!」
「種まで閉じ込めてる!」
五日目。
魔光苔を厚く敷いた六番区画だけ、土の温度が上がりすぎた。
苔は光る。
苔は温める。
苔は増える。
そして増えすぎると、種の上を全部ふさぐ。
「畑を作ってるのか、苔の寝床を作ってるのか分からんな」
チュウタが言った。
「寝心地はええで」
二号が六番区画で横になる。
「寝るな! 実験材料だぞ!」
「休息の実験や」
「それは第何区画だ!」
「区画外や、勝手に作った」
「勝手に増やすな!」
「畑に休憩室があってもええやろ」
「種が休憩室の下敷きになる!」
笑い声は出る。
だが、芽は出ない。
食料庫には、乾燥茸が積まれている。今すぐ飢えるわけではない。
それでも、俺は毎朝一番に畑へ行った。
土の匂いを嗅ぎ、触角で温度を測り、種が眠っている場所を眺める。
人間の目で見れば、小さな土の盛り上がりが並ぶだけだ。
今の俺には、一粒の種が腹より大きい。
土の山は胸の高さまである。
芽が出るとしたら、それは俺の頭上へ伸びる大樹のように見えるだろう。
待つ時間まで、身体の大きさに合わせて長くなった気がした。
「焦るな」
隣にガーロが来た。
切除した右翅の傷には、青月草を練った薬が塗ってある。
「焦ってない」
「三周目だ」
「見回りだ」
「同じ種へ七回話しかけていた」
「応援だよ!」
ガーロは左翅だけを小さく鳴らした。
笑ったらしい。
「群れは、すぐには変わらん。昨日まで奪っていた者が、今日は土を運んでいる。それだけでも芽だ」
「うまいこと言ったつもりか」
「少し」
「悔しいけど、うまい」
俺たちは実験板を見直した。
腐葉土だけの一番区画は匂いが強すぎる。
赤土だけの二番区画は固すぎる。
混ぜた三番は、まだ柔らかい。
魔光苔を敷いた六番は温かすぎるが、端の方だけ温度が低い。
「三番の土に、六番の端くらいの光を当てたらどうだ」
「苔を敷くんじゃなく、壁に張るのか」
俺たちは全員を呼んだ。
七番目の区画を増やす。
腐葉土二、赤土一。
水は殻一杯を二日に一度。
魔光苔は土へ置かず、小枝の棚に薄く張って上から照らす。
さらにチュウタが細い空気穴を開け、二号が触角で風の通りを確認した。
「最初からこれをやればよかったな」
「最初の六つを失敗したから、これが分かったんだ」
俺は石板へ刻まれた失敗の印を見た。
「池も、カビも、苔の寝床も、無駄じゃない」
「池を作った俺も?」
バグが聞く。
「次から量を守ればな」
「守る。殻一杯。たっぷりは禁止」
「よし!」
七番区画へ種を植えた。
そこから、また三日待った。
十日目の朝。
俺は腹の下に、昨日までなかった震えを感じた。
足音ではない。
水滴でもない。
土の内側から、かすかに押し上げるような震え。
「……まさか」
触角を土へ近づける。
柔らかい土の一粒が、ころりと転がった。
その下から、白い先端がのぞく。
白はゆっくり曲がり、薄い緑へ変わった。
小さな小さな芽だった。
俺の身体より細い。
それでも自分の力で土を押しのけ、光の方へ頭を上げている。
「出た」
声が震えた。
「出たぞ!」
俺の叫びで、巣中から脚音が押し寄せた。
「どこや!?」
「踏むな! 全員止まれ!」
百匹が急停止し、後ろから来たネズミ族が百匹の尻へ突っ込んだ。
「急に止まるな!」
「芽を踏むな!」
「大将が一番近い!」
「俺は発見者だからいいんだ!」
「よくない!」
大騒ぎの中、細い芽がもう一度揺れた。
誰からともなく、声が小さくなる。
ガーロ、バグ、ピノ、ニニ、二号。
チュウタ、ジロ、ガルダン、先生。
名前を持つ仲間たちが、小さな緑を囲んだ。
「これが、食べ物になるのか」
ピノが囁く。
「なる」
「いつ?」
「先生」
『私を見るな。種類も分からん』
「じゃあ、まだまだ先だ!」
「答えになってないで」
それでも歓声が上がった。
その日の配給は、茸苔焼きが一枚ずつ増えた。
収穫したわけでもないのに、前祝いである。
「地下農園の最初の一芽に!」
「一芽に!」
殻の皿を打ち合わせる。
俺は焼いた茸をかじりながら、七番区画を見た。
土の下には、まだ何十もの種がある。
食料を拾うだけだった俺たちが、明日の食料を育て始めた。
最弱種族だとか、嫌われ者だとか、今はどうでもいい。
芽が出た。
だったら、次は畑いっぱいに増やせばいい。
翌朝。
増えた芽は、二十三本になっていた。
そして、そのうち五本だけが――。
根元から真っ黒に変わり、音もなく倒れていた。
「……病気か?」
先生が黒い芽へ指を近づける。
『触るな』
その声が、いつになく鋭かった。
『これは枯れたのではない。中の魔力だけを、何かに食われている』
畑の土には、小さな足跡が残っていた。
ネズミの爪によく似た、三本の跡が。




