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奪わない冬支度

「食料庫が空なら、隣の巣から奪えばいい」


 大将就任から十五分。


 最初の反乱が起きた。


「早すぎる!」


「反乱ではない。提案だ」


 ゴキブリ戦士のバグが、尖った石を背負って立っている。


 後ろには七匹。


「北の苔虫族は、冬支度で食料を溜めている。今なら守りが薄い」


「詳しいな」


「毎年、奪い合っていた」


「今年は奪わない」


「では飢える」


「飢えない方法を、今から会議で決める!」


 共同会議の最初の議題。


 残り食料、一日分。


 食べる者、百五十匹以上。


 外では地下の冷たい風が強くなり、キノコの育ちが落ち始めている。


 この世界にも、冬が来るらしい。


 俺が転生してから、初めての冬。


 ゴキブリの身体は寒さに弱い。


 朝、冷えた床へ脚をつけた瞬間、六本全部が固まった。


 動こうとしても、身体が命令を聞かない。


 人間だった頃なら、布団から出たくないで済んだ。


 今は布団がない。


 しかも冷えすぎれば、本当に動けなくなる。


「冬、嫌だ!」


「まだ始まってないよ」


 チュウタが言う。


「今から嫌だ!」


「大将」


 バグが尖った石を鳴らす。


「北の巣から奪えば、全員が十日食える」


「奪われた苔虫族は?」


「春までに半分死ぬ」


「駄目だ!」


「では我らが死ぬ」


「それも駄目だ!」


「両方は選べん」


「その二択を、俺は何度壊した!」


 バグが黙る。


 蜘蛛の庭で、土とニニを両方持ち帰った。


 ムカデ千匹を殺さず捕らえた。


 できたから、次も必ずできるとは限らない。


 それでも、最初から奪う側へ戻りたくない。


「一日だけ待て」


「一日で何が変わる」


「食べ物を保存する。今まで捨てていた物も集める。苔虫族とは奪い合いじゃなく交換する」


「交換する物がない」


「地図、水、掘る力、ムカデの殻。俺たちには食べ物以外もある」


 ガルダン王が頷く。


「一日後、何も増えなければ再び会議を開く。余の民も同じ配給で待つ」


「王様、いいのか?」


「同盟相手だけを飢えさせれば、次に奪われるのは余の巣だ」


「現実的!」


「王だからな」


 バグは尖った石を床へ置いた。


「一日だ」


「よし。お前も保存食班へ入れ」


「俺も?」


「反対した奴ほど、別の方法を一緒に試せ!」


「罰か」


「仕事だ。終わったら同じ飯を食う」


 バグは不満そうに触角を振った。


「何を作る」


「それを今から考える!」


「何もないのか!」


「十五分前に大将になったばかりだ!」


 材料を並べた。


 廃棄茸の残り、十一本。


 洗っていない綿苔、葉袋二つ。


 ムカデ幼体が脱いだ薄い殻、大袋一つ。


 保守虫の油、石皿二枚分。


 赤土、半袋。


 木の実は、なし。


「見事にうまそうな物がない!」


「大将、ため息の前に手を動かせ」


「ため息はつく。手も動かす。両方できる、俺は器用だ!」


「器用の使いどころが違う気がする」


 しかも、その周りを百五十匹が囲んでいる。


 一日分と聞いた途端、茸の欠片が昨日より小さく見えた。


 腹は正直だ。食料会議をしているだけなのに、さっきから俺の口は勝手に殻粉の皿へ向こうとしている。


「大将、触角だけ皿へ入ってるで」


「味見だ!」


「触角で食うん?」


「匂い見!」


 二号に引き戻された。


 食料係は、今日の配給をいつもの半分へする代わり、苔汁で量を増やした。


 薄い。驚くほど薄い。


 だが、誰かの皿だけ空ということはない。


「これ、汁というより温かい水では?」


「茸が一度、横を通りました」


「通っただけ!?」


「明日は二度通します」


「前向きなのか、それ!」


 笑い声が上がった。


 腹は減っている。それでも、奪いに走るまでの一日を、全員で買ったのだ。


『食える形へ変えるのだろう』


 先生が言う。


「まず廃棄茸。赤土で苦味を抜いた後、薄く切って乾かす」


「どうして乾かすの?」


 ピノが聞く。


「水分が少なければ腐りにくい」


「どれくらい?」


「人間だった頃は、干した食べ物が何か月も――」


 地下を見回す。


 太陽はない。


 風も弱い。


「どうやって干すんだ?」


「こっちが聞きたいよ!」


 カサカサ二号が、細い葉へ息を吹きつける。


「風の通る管へ吊るしたらええ」


「白い粉が来た管は駄目だぞ」


「ほな、逆流させた旧排水路。今は安全な水と風が通っとる」


 先生が確認する。


『浄化炉の監視班もいる。使える』


 茸を薄く切る。


 ゴキブリ族の顎では、厚さがばらばらになる。


 ネズミ族が尖った貝殻で削る。


 先生が定規代わりの骨を置く。


『この幅へ揃えろ』


「先生の指骨を定規にしていいの?」


『外したのはお前たちだろう!』


「便利だぞ!」


『褒めても返せ!』


 作業を始めると、資材庫は急に祭りみたいになった。


「薄切り一番、決めようぜ!」


「保存食を遊びにするな!」


「遊んだ方が速い!」


 ロクが切った茸を背に載せ、排水路まで走る。マメは石の隙間へ糸を通す。ピノとニニは長さの足りない切れ端を集め、今日の汁へ入れる。


 ネズミ族が貝殻を押し、ゴキブリ族が六本脚で茸を固定する。


 一匹ではぐらつく茸も、左右から三本ずつ押さえれば動かない。


「俺たち、料理する時だけ脚の数が強すぎない?」


「戦う時も使え」


 バグに言われた。


「使ってる! たまに絡まって転ぶだけだ!」


 切る。運ぶ。糸へ通す。吊るす。


 食料が増えたわけではないのに、作業が一つ進むたび、空っぽの袋ばかり見ていた触角が上を向いた。


 薄切りを蜘蛛糸へ通し、旧排水路へ吊るす。


 風が流れる。


 ひらひら揺れる茸。


「三日で乾く」


 ジロが湿度と厚さを見て言う。


「明日には食べられない?」


「明日も食べられる。保存できるのが三日後」


「成功!」


「まだ腐る可能性二十二パーセント」


「喜ばせてから落とすな!」


 次、ムカデの抜け殻。


 そのままでは硬く、口の中を切る。


「粉にする」


 ガルダン王とネズミ兵が、平石の間へ殻を挟む。


 上から別の石を転がす。


 ばり、ばりばりっ。


 薄い殻が砕ける。


 先生が粉を調べる。


『微量の塩分と鉱物を含む。大量には食べられんが、茸へ振れば味がつく』


「塩だ!」


「ムカデ味だけどね」


「言うな、チュウタ! 急に食欲が消える!」


 茸苔焼きへ少量振る。


 試食。


「しょっぱい!」


 俺の触角が立った。


 この世界へ来てから、塩味らしい塩味をほとんど食べていない。


 人間の舌とは違う。


 今の口は、味を細かく言葉にできない。


 それでも身体が欲しがっていたものは分かる。


 ほんの一粒で、六本脚の先まで力が戻る気がした。


「うまい!」


 全員が手を伸ばす。


「待て! かけすぎるな!」


 ガルダン王が粉皿を抱える。


「王様が独り占め!」


「配給管理だ!」


「舐めた?」


「一度だけだ」


「舐めてる!」


 殻粉は少量ずつ、小袋へ保存する。


 油は、石皿のままだと埃と水が入る。


 木の実の殻がないので、細い石管へ入れ、濡れ粘土で両端を塞いだ。


「使う時は?」


「粘土を割る」


「一回開けたら?」


「全部使う」


「小分けにした方がいいね」


「チュウタ、先に言って!」


 大きな石管を作り直す。


 指先ほどの小管を十本。


 最初の一本は無駄になった。


「失敗品はどうする」


 バグが聞く。


「今日の料理へ使う」


「無駄ではないのか」


「予定外になっただけだ」


 バグの触角が少し上がった。


「奪うより、手間がかかるな」


「当たり前だ」


「だが面白い」


「だろ?」


 保存食の最後は、燻製。


 俺は人間だった頃に見た知識を、必死に思い出した。


「煙を当てれば、腐りにくくなる!」


『煙をどう作る』


「乾いた木を燃やす」


『地下で火を使うのか』


「小さくだ!」


 先生の目の光が、疑うように細くなる。


「大丈夫。空気の通る旧排水路でやる。茸を吊るして、下で湿った木を少し燃やす」


「煙はどこへ行く?」


「風が運ぶ!」


 理屈は完璧に思えた。


 試作燻製台を作る。


 平石の上に乾いた苔と細い木片。


 先生が小さな火をつける。


 ぱちっ。


 赤い火が灯る。


 湿った木片を乗せる。


 白い煙が上がった。


「成功!」


 風が吹く。


 煙は排水路の奥へ――行かなかった。


 逆流した。


「こっちへ来た!」


 白い煙が、資材庫へ続く管へ吸い込まれる。


「水路を逆流させた時、風向きも変わってた!」


『先に調べろ!』


「火を消せ!」


 チュウタが水をかける。


 じゅわっ!


 煙がさらに増えた。


「増えたあああっ!」


 資材庫から悲鳴。


「白い粉が戻ったぞ!」


「違う、煙だ!」


「火事だ!」


「茸が燃えた!」


「誰が燻製食った!」


「まだ完成してない!」


「じゃあ何を食ったんだ!」


「俺も分からん! 煙で味覚まで濁ってきた!」


 ゴキブリ族が一斉に壁と天井へ逃げる。


 煙は上へ溜まる。


 天井にいた連中が、また床へ落ちてくる。


「上も駄目や!」


「俺たちの得意な逃げ場所が全部煙い!」


 触角が煙を拾い、頭の中が刺激でいっぱいになる。


 目より先に匂いで世界を見る身体に、煙はきつい。


 どちらを向いても焦げ臭い。


 仲間の匂いも、出口の湿気も分からなくなる。


 ゴキブリになって初めて、暗闇より「匂いが多すぎる場所」が怖いと知った。


「全員、腹を床へ!」


 床近くには、まだ薄い空気が残っている。


 ネズミの子供と病人を先に運ぶ。


 先生は呼吸しないので、煙の中へ入って扉を開ける。


「先生、ずるい!」


『今は羨むな!』


 ガルダン王とチュウタが、水路側の石扉を押す。


 ゴキブリ隊は別の通気穴を開ける。


 カサカサ二号が金属管を叩き、見えない仲間を音で出口へ誘導する。


 かん、かん、かん!


「こっちや! 低いとこ走れ!」


 煙が少しずつ外へ抜けた。


 資材庫にいた全員が、水路前の広場へ避難する。


 怪我人なし。


 茸の燻製は、真っ黒。


「食べられる?」


 チュウタが聞く。


「俺を見るな!」


 試しに端を噛む。


 苦い。


 煙の味しかしない。


「失敗!」


 全員が笑った。


「大将、北の巣を襲う方が簡単だったぞ」


 バグが言う。


「簡単でも、今笑ってる苔虫族はいない」


「そうだな」


 バグは黒焦げの茸を一口食べた。


「苦い」


「無理して食べるな!」


「俺も失敗へ参加した」


「そういう参加方法!?」


 燻製は失敗。


 だが風向きが分かった。


 次は資材庫から離れた下流で、小さな排煙穴を作って試す。


「今から?」


 チュウタが煙で涙目のまま聞く。


「失敗した直後が、一番よく覚えてる!」


「休んでからにしようよ!」


「休憩してから!」


「それならいい」


 ガルダン王が配給を出した。


 燻していない茸苔焼き。


 ムカデ殻粉を、ほんの少し。


 水。


 煙臭い身体で食べても、塩味はうまい。


 休憩中、誰が一番黒くなったかを競った。


「俺が一番!」


「クロは最初から黒いやろ」


「反則扱い!?」


「先生は白いままだね」


『骨は煤がつきにくい』


 チュウタが煤のついた前脚で、先生の頭蓋骨へ線を引いた。


『何をする!』


「これで参加」


『消せ!』


 笑って、水を飲んで、百まで数えた。


 それから二回目を始める。


 今度は下流の小さな横穴。


 先に濡れた葉を一枚燃やし、煙の行き先を確かめる。


 白い筋は資材庫と反対へ流れた。


「風向きよし!」


 排煙穴は二つ。


 火は一回目の半分。


 茸は厚く吊るさず、間を空ける。


 カサカサ二号が金属板をうちわ代わりに動かした。


「そよ風や、そよ風や、煙は向こうへ行くんやで」


「歌で風は起きる?」


『微弱だが、音の振動が煙を押している』


「本当に役に立った!」


「一回目も歌ってたんやけど」


「失敗の歌だった!」


 今度の煙は、細く下流へ抜ける。


 茸の表面だけが、薄い茶色になった。


 火を消す。


 冷まして、八つに分ける。


「試食は?」


 全員がバグを見る。


「なぜ俺だ」


「保存食班へ入ったから」


「罰か」


「仕事だ!」


 バグが噛む。


 しばらく黙る。


「どう?」


「煙の匂いがする」


「駄目?」


「うまい」


 全員の触角が上がった。


 俺も食べる。


 表面は乾き、中は柔らかい。


 殻粉の塩気と、弱い煙の香り。


「成功だ!」


 歓声が上がる。


 最初から正解したわけではない。


 巣中を煙だらけにし、全員から怒られ、黒焦げの茸を作った。


 でも二回目は、食べられる物になった。


 失敗を隠さず、全員で咳き込み、全員で直したからだ。


「バグ。北の巣を奪う方が早かったか?」


「早い」


「やっぱり?」


「だが、これは次も作れる。奪った食料は一度で終わる」


「保存食班、続ける?」


「続ける」


 バグは二枚目へ前脚を伸ばした。


「それは俺の分!」


「大将は最初に食べた」


「細かいところまで見てる!」


 茸の乾燥は進んでいる。


 殻粉と油の保存もできた。


 苔虫族へは、迷路の地図とムカデ殻の一部を持って交渉することになった。


 奪わずに冬を越せるかもしれない。


 煙で真っ黒になった資材庫を掃除する。


 壁の苔を剥がし、床の焦げた土を掻き出す。


「大将!」


 ピノの声。


「また火が出た!?」


「違う! 土の中に何かある!」


 焦げた床の下。


 赤黒い土を掘ると、小さな粒がいくつも出てきた。


 丸い物。


 細長い物。


 硬い殻に包まれた物。


 先生が一つを拾う。


『種だ』


「食べられる?」


『育てればな』


「育てる?」


 俺は、土に埋まった大量の種を見た。


 今までは、落ちている物を拾い、奪われないよう守るだけだった。


 種を育てれば、食べ物を自分たちで増やせる。


「畑を作れる!」


 冬を越すための仕事が、また一つ増えた。


「その前に、資材庫の煙臭さをどうにかして!」


 全員から苦情が飛んだ。


「大将就任初日から、支持率が下がった!」

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