8
六月四日。東京・霞が関
その三日間は、あっという間に過ぎた。
翌朝、出社して、真平は会議室に入る。九時になると、朝礼が始まった。
背の高いスキンヘッドの榊原署長が最初、また二人の警察官が亡くなったと報告した。そして、その場にいる皆で二人の冥福を祈るために黙祷する。真平も目を瞑り、それをする。
「皆様、今日も無事にいられますように」
黙祷を終えた後、署長がそう言った。それから、「以上。解散」と、署長が叫んだ。
皆、めいめいにその会議室を出て、それぞれの仕事場へ行く。
「永尾くん」
その後、真平は田中巡査部長に呼ばれた。
「はい?」と、真平は田中部長の方を見た。
「久しぶり。少しはゆっくりできたかな?」
部長がそう訊いた。
「ええ」
「そうか。それなら良かった。あ、そうそう。君に紹介したい人がいるんだ!」
それから、田中巡査部長がそう言った。彼の後ろには、若い女性がいた。
「今日から、いや、正確には、一昨日からなんだけどね。うちで一緒に仕事をしてくれる田宮
さんだ」
田中巡査部長はそう言って、後にいた茶髪のミディアムヘアで薄化粧を施した可愛らしい顔の女性を紹介した。
「初めまして、田宮真子です」
彼女は微笑んで自己紹介をした後、ペコリと頭を下げた。
「は、初めまして。永尾真平です。よろしくお願いします」
真平もそう自己紹介して、頭を下げる。
「田宮さんは、田宮丈太郎警部の娘さんだ!」と、部長が口を挟んだ。
「え?」
真平は驚く。彼女が、あの田宮警部の娘さんだったとは! 確かにどこかで聞いたような名前だと真平は思っていた。
「そうなんですか?」
それから、真平が彼女にそう訊くと、「はい」と笑顔で答えた。
「でも、実は、つい最近……」と彼女は言って、表情を曇らせた。「父が亡くなったんです」
「え? ウソ!?」
またしても、真平は驚く。
「本当です。父は、この間の捜査の時に、うっかりと日本語を喋ってしまったんです……」
彼女は残念な顔をして、そう言った。
「そうだったんですか……」
真平はそれを聞いて、残念に思う。自分もつい最近、両親を亡くしたばかりだったからだ。
「それはそれは、ご愁傷様です」
真平がそう言うと、彼女は黙ってしまった。
「そう。だからという訳じゃないけれど」と、田中巡査部長が口を開いた。「真子さんのお父さんの代わりに、捜査の手伝いをしたいと彼女が名乗りを上げてくれたんだよ。それで、うちのところに配属になってね」
「なるほど」と、真平は頷いた。
「そういうことなので……、永尾さん、田中巡査部長、お世話になります」
彼女はそう言って、再びペコリと頭を下げた。
「永尾くん、早速だけど、田宮さんとパトロールへ向かってくれないか?」
それから、部長が真平にそう言った。
「分かりました」と、真平は返事をする。
「田宮さんも、お願いね!」
部長が今度、田宮さんに言った。「はい」と、彼女も返事をする。
それから、真平は田宮さんとその部屋を出て、すぐに外に出た。外にあるパトカーに二人は乗り、真平は車を発進させた。
真平はパトカーを運転し、田宮さんと一緒に近所をパトロールしていた。
ふと、真平の無線機が鳴った。田中巡査部長の声がした。
どこどこの喫茶店で若いカップルが日本語を喋ったと通報が入ったと、部長が言う。真平たちはすぐにそこへ向かった。
その喫茶店へ着いて、二人は店内に入る。真平が警察ですと言って警察手帳を見せると、店員の女性が、若いカップルがいる席を教えてくれた。
真平と田宮さんは二人の元へ行く。そして、事件の経緯を彼らから聞いた。
事情を訊いた後、真平が先頭になって、外へ出る。若いカップルが真平の後に続き、その後ろから田宮さんが続く。田宮さんは入り口まで歩くと、店内へ振り返り、店員の方を見てお辞儀する。
真平がパトカーの後ろの扉を開けて、その若いカップルを乗せた。二人が乗った後、真平と田宮さんが前の座席に座ると、すぐに真平は警察署まで車を走らせた。
警察署に到着すると、真平たちはその若いカップルを取調室へ連れて行った。二人はパイプ椅子に腰掛けた。それから、ややあって、田中巡査部長がその部屋にやって来た。
「永尾くん、君はそこの席に」と田中巡査部長は言って、真平に隅の机に座るように言った。
「はい」
「田宮さんは、部署に戻っていていいよ」
それから、田中巡査部長が田宮さんに言った。
「はい、分かりました」
彼女はそう返事をして、その部屋を出て行った。
彼女が出て行った後、田中巡査部長は彼らの向かい側の席に腰掛ける。
「さて、じゃあ、取り調べを始めよう」
取り調べを終えた後、真平は自分の部署へ戻った。田中巡査部長は、「ちょっと一服」と言って、そのまま喫煙所に向かった。
真平が部署へ戻ると、田宮さんが自分のデスクで仕事をしていた。
「お疲れ様です」と、田宮さんが真平に気付いて言った。
「田宮さん、お疲れ」と、真平も声を掛ける。「もうお昼食べた?」
真平がそう訊くと、「いや、まだです。これ終わったら、食べに行こうかと」と、彼女が答えた。
「ああ、それなら、それが終わったら、一緒に近くにある定食屋に行かない?」
真平がそう言うと、「ええ、いいですよ」と、彼女は言った。
真平はデスクに腰を掛けて、彼女の仕事が終わるのを待った。
「終わりました!」
それから少しして、彼女がそう言った。
「OK! じゃあ、行こう!」
そう言って、真平は椅子から立ち上がる。
田宮さんも立ち上がり、手提げかばんを持つ。二人は署を出て、二、三分程歩いた所にある和食料理屋へ向かった。
その店の中に入ると、すぐに真平たちはテーブル席に案内された。二人は席に着き、メニューを見る。真平は生姜焼き定食を頼むことにして、田宮さんはサバの味噌煮定食を注文する。
「さっきのカップル可哀想でしたね……」
注文後、すぐに田宮さんが口を開いた。
「うん……そうだね」真平は頷く。
「どうして喋っちゃったんです?」
先ほど、事情聴取をした真平に、彼女が訊いた。
「デート中だったみたいなんだ。カフェでね」
真平がそう言うと、やっぱりと言う顔を田宮さんはした。
「二人で普通に喋っていたら、彼氏がついうっかりね……。で、それに気付いた別のお客さんが店員に耳打ちしたらしく、店から警察に連絡があったらしい……」
「なるほど。お客さんもひどいですね。そんなの見過ごしちゃえばいいのに……」と、彼女は言った。
「うん。……でも、仕方ないよ」
「どうして?」
「ほら、最近、テレビでもよく言ってるじゃないか! 『もし日本語を喋っている人を見かけたら、110番』って!」
最近、テレビCMで警視庁がそのような広告宣伝をしていた。テレビを点けると、それはよく見かけられた。そのCMを見ない日はなかった。
お待たせしました、と女性の店員がやって来て、生姜焼き定食とサバの味噌煮定食を二人の前に置いた。それから、ごゆっくりどうぞと言ってテーブルに伝票を置いていった。
「まあ、そうですけど。いくら何でもひどいと思いませんか? 今の世の中の人って?」
田宮さんは不満そうに言う。
「うん、ひどいと思うよ。でも、国が考えたことなんだ。デモを起こせば、それこそ罰される。喋ってしまうより迂闊だ。それに、国はもし、警察が国への反発を起こした場合は、職を剥奪される上に、今後、警察官や官吏の職になろうとしてもなれないなんて言っているしね」
「警察には厳しい社会ってことですよね」
「うん、そうだね」
「それなら、むしろ喋ってしまった方が楽だと思いません?」
「そう考える人だっているだろうけど、僕は嫌だよ。自分の身をわざわざ削りたくはないからね」
「ですよね。私も死ぬのは怖いです。処刑なんていくら何でも悲惨すぎますよ……」
彼女はそう言うと、黙ってしまった。それから、悲しい顔をした。彼女の父親は処刑されてしまった。日本語を喋ったばっかりに。
真平も悲しくなった。自分の両親を殺されたのを思い出したからだ。
「こんな話はやめましょ!」
それから、彼女が気分を変えようと言った。「お料理が冷めちゃいますから」
そう言って、彼女がサバの味噌煮を箸でつつく。
「うん」と真平も頷いて、生姜焼きを一口で頬張った。
お昼を食べ終わった後、真平たちはすぐに自分たちの部署へ戻った。
「おお、永尾くんたち、どこへ行っていたんだい?」
そこへ戻ると、田中巡査部長がそう訊いた。
「あそこの定食屋ですよ」
真平がそう答えると、「ああ、二人で昼飯を食っていたわけね!」と、部長は言った。
「はい」
「永尾くん、水臭いじゃないか! そうなら、俺も誘ってくれればよかったのに」
部長は残念そうに言った。
「すみません」と、真平は謝る。
「今度は、三人で行きましょ!」
それから、田宮さんが部長を見て笑顔で言った。
「うん、よろしく」
「部長、この後は?」
真平がそう訊くと、「俺はここで仕事をするから、休憩が終わり次第、永尾くんたちは午後のパトロールを頼む」と、部長は言った。
「「はい」」と、真平と田宮さんが大きな声で返事をした。
それから、三十分が経ち、午後二時。
真平たちは再びパトカーに乗り、近所をパトロールした。
パトロール中、最初、真平は田宮さんと雑談をしていたが、その後、二人は無言になっていた。
しばらく車を走らせていると、「お巡りさーん!!」と、外から声が聞こえた。
誰だろうと思い、真平は辺りを見回す。
その近くにコンビニエンスストアがあった。
「こっちこっち!」と、そのコンビニから女性が駆けて来た。制服からして、彼女はコンビニ店員のようである。真平はすぐにそのコンビニの駐車場にパトカーを停め、車から降りた。田宮さんも助手席から出る。
「どうかしたんですか?」と、田宮さんがその女性に声を掛けた。
「強盗よ!」と、そのコンビニ店員の女性が言った。
「強盗ですか?」と、真平が訊き返す。
「ええ。そうなのよ。今さっきね、うちの店に男の人が入って来たのよ」と、その店員の女性が話し始めた。「最初、その男が英語で『金を出せ!』って言ってきたの。『金を出さないと、襲うぞ!』って。
こちらは、そう言われてもお金なんて一銭も出せないから、手を上げて『あげるお金なんてありません。帰ってください』と言ったわ。もちろん英語よ。そしたら、『早く出さないと、マジで襲うぞ!』って向こうが脅してきて、『帰って!』って私が叫んだら、急に襲ってきて、『早く出せ』って、今度は日本語で言ったの!
私はそれを聞き逃さなかったからそれがチャンスと思って、『今、あなた、日本語言ったわね?』って言ってあげたわ。そして、『警察に連絡するわね』と私がこう言うと、その男は驚いてね、『チクショー』って叫んで逃げて行ったのよ」
店員の女性は捲し立てるように話した。
「なるほど……」と、真平は呟く。
「多分まだ、この近くをうろついているわ。お巡りさん、その男を捕まえてちょうだい!」
それから、その女性が言った。
「分かりました」と真平は言って、すぐに無線機を入れる。
「虎ノ門四丁目のコンビニで強盗事件発生。犯人は男。現在逃走中。なお、強盗の際、日本語を喋ったということです。すぐに出動をお願いします」
真平がそう伝えると、「了解!」と、別の警察官の男の声がした。
それから、三時間後。そのコンビニを襲った男が逮捕された。
犯人の男はこの近くに住む三十代の無職だった。警察はなぜその男が強盗をしたかを聞いた。男の両親は一か月前に日本語使用罪で処刑され、男は一人になってしまったのだと話した。それから、男は生活が困難になり、やったと供述した。男は強盗罪及び日本語使用罪で逮捕された。彼は警察署に連行され、事情聴取が終わるとすぐに東京拘置所へ送られた。
真平たちも警察署に戻り、部署へと着く。
「二人ともご苦労様」
そこにいた田中巡査部長が二人を見て言った。
「部長、お疲れ様です」と真平が言い、田宮さんは彼に目礼だけした。
「こんなことを言うのもアレだけど、今回の犯人は馬鹿だね」
部長が笑って言う。
「本当ですよね」と田宮さんが言って笑う。
真平もニヤリと笑う。
「強盗だけなら、処刑されなかったけどね」と、部長が言った。
「確かに」と、真平が言った。
「まあ、言ってしまったら終わりだよ」
部長が渋い顔をして言った。
「ですね……」と、田宮さんが頷く。
「二人とも、気を引き締めてね」
部長にそう言われ、「はい!」と真平が返事をする。遅れて田宮さんも返事をした。
「今日はある程度、仕事が落ち着いたら、二人とも上がっちゃっていいよ」
それから、部長がそう言った。
「分かりました!」と、真平。
「はい」と、田宮さんが返事をした。
「じゃあ、私は一足お先に」
そう言って、田中巡査部長は自分のデスクから立ち上がり、コートを羽織るなり、カバンを持ってそこを出て行った。
「お疲れ様です」と、真平たちは部長に挨拶した。
真平は残りの仕事を進めた。田宮さんも自分の仕事をしていた。
「今日は疲れた~」
仕事を終えて、真平が声を上げた。
「お腹空きました!」
田宮さんが手を止めて、こちらを見て言った。
「僕も。なんか飲みに行きたいなあ」
真平がそう言うと、「飲みに行くのいいですね!」と、彼女が嬉しそうに言った。
「この後、一緒に行く?」
真平がそう聞くと、「いいですけど、居酒屋とかだと、日本語をついポロっと言ってしまうんじゃないかななって思うんですけど?」と、彼女が言った。
確かに、と真平は思った。
「じゃあ、飲みに行くのは辞めよう」
「ファミレスでご飯とかなら」
それから、彼女がそう言った。
「ああ、いいね」
「じゃあ、そうしません?」
「うん、そうしよう」
真平がそう言うと、「あと少しで終わるんで」と、彼女が言った。
「分かった」
彼女の仕事が終わってから、真平たちは近くにあるファミレスでご飯を食べることにした。
真平はお酒が飲みたい気分だったので、生ビールを一杯とハンバーグステーキをタッチパネルで注文した。田宮さんは、ミートソーススパゲティとサラダ、それと、烏龍茶を頼んだ。
「そう言えば、永尾さんっておいくつです?」
ふと、田宮さんが真平に訊いた。
「二十八だよ」と、真平は答えた。
「二十八ですか」
「田宮さんは?」
それから、真平が彼女に訊いた。
「私は二十六です」
「二十六か。じゃあ、二つ下なんだ」
「はい。……永尾さんは、ご結婚されてます?」
再び彼女が訊いた。
「いや、まだだよ」
「彼女はいます?」
「ううん」
「そうですか」と、彼女は納得したように言った。
ややあって、犬型の配膳ロボットがやって来て、生ビールと烏龍茶が届けた。二人は乾杯する。真平は一気にビールを飲む。そのビールは冷えていて美味かった。
彼女もウーロン茶を一口飲んで、息を吐いた。
「田宮さんは?」
それから、真平が訊いた。
「私もまだ独身で、今は彼氏もいないです」と、彼女は答えた。
「今はってことは、前にいたの?」
真平は身を乗り出して訊く。
「はい。一年前までいました」
「ふうん。その人は何系の人なの?」
「仕事ですか? 同業者です」
彼女はさらりと答えた。
「え? もしかして、警察官?」
ビックリして真平がそう訊くと、「ええ、まあ」と彼女は頷いた。
それから、また同じようにロボットがやって来て、真平が注文していたハンバーグステーキと、彼女の頼んだミートソーススパゲティとサラダが届いた。
「いただきます」と手を合わせて、真平はナイフとフォークを取り、そのハンバーグステーキを一口食べる。
「うん、うまい」
そのハンバーグステーキは美味しかった。
彼女もスプーンとフォークを取り、スプーンの上にそのスパゲッティをフォークで巻き、一口頬張る。彼女もおいしそうにそれを食べていた。
「永尾さんも、前にいたんじゃないですか?」
彼女はスパゲティを食べながら、ニヤニヤした顔で真平に訊いた。
「二年前にはいたよ」と、真平は答えた。「看護師の女の子なんだけどね。感じのいい子だったよ。マッチングアプリで知り合ってね。ただ、やっぱりお互いの仕事の都合が悪くてさ。結局は、別れるしかなかったんだ……」
「あらら、それは残念でしたね」
彼女は残念そうな顔で言った。
「うん、でもまあ、昔のことだし、特にあまり気にしてはいないかな」
真平は呟くように言った。
「そうですか」と、彼女は頷いた。それから、「私もです……」と、彼女は小さい声で言った。
その後も、二人は料理を食べながら、雑談したり、趣味の話をしたりした。
食後に、二人はコーヒーを飲んで、帰ることにした。