96 異界渡り02
被衣をまといながらもなんとか森を抜けると見慣れた村の風景が目に飛び込んでくる。
本当に村に帰ってきたんだ、と思うと紫苑の瞳に涙が浮かぶ。
こんなところで感動している場合じゃないと自分を奮い起こし、村長の家を目指して村の中をできるだけ人目につかないように走っていく。
いつもなら夜の見回り当番の者が村の中を歩いていてもいいのだが、どうしたことか一度も会わずに村長の家まで来ることができた。
家の前につくと、どんな顔をしてあやめやお時さんに話をすればいいのかと今更ながら不安がこみ上げてくる。
家の戸の前で数分立ち尽くしていると家の中から人の話す声が聞こえてくる。
「あんた、やっぱり大鏡の儀式なんてしないほうが良かったんじゃないのかい?儀式をしてから村の作物は枯れだし家畜たちも日に日に元気をなくしていくよ」
「だからって紫苑ちゃんをこのまま何もせずに放おっておくことなんかできるわけがないだろう。あやめもすっかり自分のせいだと気落ちしてしまってあんなに痩せてしまって……」
どうやら大鏡の儀式を行ったせいで村の敷地内に鬼の一族が多く入り込み、結果として作物や家畜などに影響が出ているようだ。
早く村から鬼の一族を追い出してしまわないと、このままでは再びこの地は不毛の地となってしまうかもしれない。
紫苑は意を決して戸を二回叩く。
「夜分にすいません、紫苑です。ここを開けていただけないでしょうか?」
紫苑が声をかけると、との向こう側で人が動く気配を感じる。
「本当に紫苑ちゃんなのかい?悪いが確かめるためにもいくつか質問に答えてもらってもいいかい?」
戸の向こう側にいるのは村長のようで、紫苑がこの村に住み始めてから起きた紫苑しか知らないことをいくつか質問された。
すべて答え終わると戸はゆっくりと開き、村長が顔を出す。
被衣を少しずらし村長に顔を見せると、大きく目を見開いたかと思うと強く抱きしめられた。
「紫苑ちゃん、よく無事に帰ってきてくれた。ささ、中に入りなさい」
村長に促されるまま居間に案内されるとそこにはお時がおり、紫苑を見ると嗚咽をあげてその場で泣き出す。
「紫苑ちゃん、ごめんね。あやめの代わりにこんな目に合わせてしまって」
紫苑は慌ててお時の側に寄り添い頭を下げて泣き続けるお時にどうか泣き止んでくださいと言う他なかった。
しばらくしてお時がようやく落ち着くと、村長が紫苑が攫われた後に村に起こったことを教えてくれた。
紫苑が攫われた後、神社の周囲を見回りすると札のようなモノの欠片がいくつか残っていたらしい。
その欠片を見せてもらうと、人間の術者が使うような札ではなく楓の術具屋に置いてあった幽世の札に似ていた。
「村長さん、この欠片は念の為私が頂いてもよろしいですか?」
村長は快くその欠片を紫苑に渡すと、ちょうどお時に支えられてあやめが部屋へと入ってくるところだった。
数ヶ月ぶりに見たあやめは以前のような明るさはなく、その手足も細くやせ細り顔も血色が悪いようだ。
あやめは紫苑を見るとその場で座り込んで夢でも見ているかのような信じられないという顔を向ける。
「あやめ、心配をかけてごめんね。私の実力がないばかりにあなたにも辛い思いをさせてしまったね」
紫苑が座り込んだあやめのそばに寄って優しく骨ばった手をにぎるとあやめは嗚咽を殺すようにその場で涙をすする。
「紫苑、ごめんなさい。私、私……」
「大丈夫、私はひどい目になんて合ってないから。自分を責めるのはやめて?ね?あやめ」
紫苑の言葉を聞くとあやめは堪えていたものが堰を切ったように大きな声を上げて泣き出す。
紫苑はただそんなあやめを優しく抱きしめて落ち着くのを待った。
あやめが泣き終えると、すでに時刻は予定の半分ほどを過ぎておりそろそろ月天たちのいる森の中へ戻らねばならない。
紫苑は自分の帰りを心から喜んでくれているあやめたちを見て心が痛んだが、思い切って本題を切り出す。
「今日ここに戻ってきたのは皆さんにお別れを言うためなんです。私は今回のことで妖怪たちに攫われ幽世の世界へと閉じ込められました。しかし、そこで本当の自分と出会うことができたんです……」
紫苑は幽世で知った自分の出生の秘密などを完結に話すと、改めて今まで自分のことを疎まずに優しく接してくれたことを感謝して深く頭を下げる。
「……そうだったんだね。紫苑ちゃんが選んだことなら私達は止めないよ。これから色々と辛いこともあるだろうが頑張るんだよ」
村長はそういい深く下げたままの紫苑の頭を娘の頭を撫でるかのように優しく手を置く。
紫苑が思わず顔を上げると、お時とあやめも目に涙を浮かべながらも笑顔を向けてくれる。
「辛くてもう帰りたいと思ったらいつでも帰って来なさい。あなたは私達の娘みたいなものですから」
「紫苑、きっと絶対に向こうで幸せになってね」
急に姿を消した自分のために多くの対価を払って大鏡の儀式までしてくれたのに、自分はこの人達の優しさに甘えたままでいいのだろうかと紫苑は行き場のない気持ちになる。
少しでもこの村のために最後にできることは……。
紫苑は懐に潜ませていた護身用の札を取り出すと、それを前に差し出す。
「これは如何なる妖怪からも身を守ってくれる護符になります。以前の私が作ったものと違い効果は段違いです。せめてものお礼としてお受取りください」
全部で十枚ほどの護符を渡すと、紫苑は仕上げに月天に指示されていたとおりの演技をあやめたちに頼んで一芝居うってもらう。
被衣を取り去ると紫苑は屋敷の外にも聞こえるような大きな声を荒げる。
「もう二度とこんな村には来ません。あなた達とはこれで縁を切ります!せいぜい鬼神様の加護を頼るといい!」
紫苑は自分の意志とは関係なく溢れ出す涙を拭うと屋敷を飛び出して森へと向かう。
村を出るとすぐに背後から鬼の気配が近づいてくるのを感じ、被衣をかぶり少しの間木の陰に身を潜める。
紫苑を追ってきていたのはどうやら中級の鬼のようで、被衣をかぶった紫苑を見つけることはできないらしい。
息を潜めて鬼たちをやり過ごし、月天の元へと向かう。
◇◇◇
紫苑がこの場を去ってから小半刻が過ぎた、そろそろこちらに戻ってきてもいい頃なのだが未だに姿が見えない。
徐々に苛立ちを顕にする月天を心配そうに白夜が見ていると、極夜から思念が飛んでくる。
「白夜、白桜様がそちらに行ったようだ。俺は術の終いをつけてからそちらに向かう」
極夜はそう告げるとすぐに思念を切ってしまった。
「月天様……」
「よい、分かっている。白桜がこちらに向かっているのだろう?極夜は十分役目を果たしたが、やはりあちらのほうが一枚上手だったようだな」
月天はそう言って口角を怪しげに吊り上げると、術を使って森一体に濃い霧を立ち込めさせる。
「これは、迷霧の術。これでは紫苑様もここにたどり着くのが遅れてしまうのでは?」
「忘れたのか?紫苑に何を持たせたか」
白夜はそこでハッと気づくと、全てを察して深く頭を下げる。
「考えが至らず申し訳ありません。では私は異界渡りのための準備に移ります」
月天は軽く頷くと、森の中に深く広がった霧の向こうにいる紫苑が一刻も早く自分のもとに来ることを願った。
更新遅れました(;_;)
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