【番外】午後のお茶をあなたと
本編完結後、たくさんの方に読んでいただきありがとうございました。
御礼の気持ちをこめて番外編を書きました。
楽しんでいただけたら嬉しいです!
ノルドハイム伯爵家の庭園は、今が花盛りだ。
薔薇のアーチが目を引く可憐な花園を背景に、エアハルト様がガーデンチェアに座っている。
わたしは彼の向かいの席。
テーブルの上には、湯気の立ついい香りのティーセットと、山盛りのお茶菓子。
今日は、エアハルト様とうちでお茶をする約束の日だった。
「忙しいのにお呼び立てしてしまって、すみません」
わたしが言うと、エアハルト様は軽くほほ笑んだ。
今日は珍しく私服姿で、ラフだけど優雅な着こなしをしている。
ここ最近の王立騎士団は王都近郊の盗賊団への対応に追われているらしく、騎士団の人達は鋼色の戦闘服を着ている事が多かったから、なんだか新鮮だ。
「構わない。ちょうど仕事も一段落ついた所だ」
「それなら良かったですわ。冷めない内に、お茶をどうぞ」
「ありがとう」
エアハルト様は、侍女の淹れてくれた熱いお茶に、シュガーポットから砂糖を掬って入れた。
そんな姿も絵になるなあ、と見とれていたら――。
「…エアハルト様? お砂糖…そんなに入れるのですか?」
わたしの目の前で、エアハルト様は機械的にカップに砂糖を入れる動作を繰り返していた。
さっきから何度もどぼどぼと砂糖を投入していて、これでもう5回目になる。
いくらなんでも体に悪そうだ。
「…え? ああ、そうか…少し、考え事をしていた」
そう言うと、エアハルト様はかき混ぜもせずに口をつけ、一気に飲んだ。
賭けてもいいけど、味なんて分かっていないだろう。
完全に、心ここにあらず、という顔をしている。
「いい味だな」
いつもと違う様子ながらも、彼は礼儀正しくお茶を褒めた。
「…ええ、オラシエ南部から取り寄せた珍しいお茶なんです」
それからしばらくとりとめのない話をしたけれど、やっぱりエアハルト様の様子はおかしかった。
そわそわしたり、ぼんやりしたり、かと思ったら、じっとわたしを見つめたりする。
その内に段々とわたしも落ち着かなくなってきた。
そして、ハッとある事に思い至る。
――もしかしてエアハルト様は、マリッジブルーなんじゃないか。
わたし達の結婚式は、再来月に挙行される。
だけどエアハルト様は相変わらず多忙で、来週からは再び遠征団を率いて辺境へと出発する予定だ。
危険で大変な任務が控えているのに、わたしとの結婚という重圧まで待っているんだ。
精神的に不安定になってもおかしくない。
それにエアハルト様は、控えめに言って最高の男性だ。
王家に次いで高貴な身分である公爵家の嫡男であり、王立騎士団の副団長も務めている、という超ハイスペックな点はもちろんだけど、彼の真骨頂はそこじゃない。
エアハルト様は、優しくて、強くて、温かい人だ。
側にいると、包み込まれるような安心感に満たされる。
しかも彼は、外見だって文句のつけどころがない。
金茶色の短髪は太陽に輝いて美しく、青灰色の瞳は一見クールだけど実は多彩な表情を持っていて、どの角度から見ても端正極まりない。
日に焼けた肌はよく見ると少しそばかすがあって少年ぽさを残しつつ、なのに長い手足はとても力強くて頼りになる。厚い胸板に至っては、言葉を並べる必要すらないだろう。全身がもう爽やかな色気の塊だ。
つまり、エアハルト様はとんでもなく素敵な人なのだ。
そんな人の花嫁に、わたしはなる。
…本当に?
本当にわたしなんかでいいの?
後悔してませんかエアハルト様!?
いまさら婚約破棄なんて展開…無いですよね!!?
にわかに不安に襲われて、わたしはテーブルクロスの一点を凝視したままノールックでざぶんと砂糖を入れたお茶をぐるぐるぐるぐるスプーンでかき混ぜた。
エアハルト様が言った。
「ロッテ…もう混ざったのでは?」
「そ、そうですわねっ!!」
冷静に指摘されて焦ったわたしは、ぐいっとカップを呷った。
熱い。
思わず、ぶほっと大きくむせ返り、派手に咳をする。
エアハルト様はさっと席を立つとすぐ側まで来て、わたしの背中をさすってくれた。
「大丈夫か?」
「は…はい…すみません」
咳がおさまっても、エアハルト様は自分の席には戻らずに、なんだか真剣な目でわたしを見つめている。
その視線が、ちゃぶ台返しならぬ婚約破棄返しの前触れに感じられて仕方がなかった。
何を隠そう、わたしはそこまで美人でもないし、棒倒し占い以外に特技もない。
家柄だってエアハルト様の公爵家にはだいぶ劣る。
花嫁修業も王女補佐の仕事にかまけてろくにやってない。
はっきり言って、花嫁にもらうなら他に素敵な貴族令嬢はゴロゴロいるんだ。
王立騎士団にだってきれいどころはたくさんいるし、毎日接している彼女達の内の一人に、情に厚いエアハルト様がよろめいたとしても…。
わたしはすっくと立ち上がって、エアハルト様に言った。
「…お酒とおつまみをご用意して参ります」
「は?」
「大丈夫です! こんな事もあろうかと、既に厨房にスタンバイさせてあるのです! 遺憾ながら鮭とばは入手できませんでしたがビーフジャーキーならうなるほどあります! 少々お待ちになってくださいね、すぐに持ってきますから!!」
彼が打ち明けたそうにしているその何事かを遮るように、わたしはひと息にまくし立てた。
酒だ。
花見には酒、それで行こう。
アルコールが入って楽しい気分になれば、よしんばマリッジブルーに襲われた彼の脳裏を婚約破棄の文字が横切ったとしても、きれいに霧散してしまうだろう。いや、霧散してくださいお願いします。
だって、今エアハルト様にさよならを告げられたら、わたしはどうしていいか分からない。
こんなにも彼の事が好きになってしまった後では。
「待て、ロッテ」
足を踏み出しかけたわたしの手を、エアハルト様が掴んだ。
「…なぜ昼間から酒を…いや、お前が飲みたいのなら止めないが、その前に話がある」
「は…話、ですか…?」
「ああ。座ってくれ」
わたしは青ざめ、よろめくようにガーデンチェアに座った。
くっ…来るのか、婚約破棄返し…。
エアハルト様はわたしの前に跪いた。
そしてポケットから何かを取り出し、それをわたしの指に嵌めた。
大粒の深紅の宝石がきらめく、美しい指輪だった。
あまりにも予想外の出来事に、わたしはぽかんとそれを見つめた。
彼は少しきまり悪そうに耳を赤くして言った。
「俺は来週からまた遠征に行くが…不在中は、この指輪を俺と思って身につけていてほしい」
「…これを、わたしに…?」
「嫌か?」
「いいえ…! 嬉しいです、とっても! ありがとうございます!!」
「…よかった」
エアハルト様は安堵したように息を吐くと、指輪の嵌まったわたしの手を握った。
それから顔を上げ、とても真剣な表情でわたしに告げる。
「俺は無骨で、愛想も悪い。お前を不安にさせる事もあるかもしれないが…これからも、お前に側にいてほしい」
彼の瞳には、心の深い部分をさらけ出している無防備さが覗いていて。
強張った手から、緊張感が伝わってくる。
エアハルト様もわたしと同じように不安なんだ、と、その時初めて気がついた。
「…エアハルト様、あの、実はわたしも…」
わたしはポケットに入れて常に持ち歩いている巾着袋から、男物の金の指輪を取り出した。
エアハルト様が目を丸くする。
「…あなたに差し上げたいと、前々から用意していたんですけれど…その、剣を持つ邪魔になるんじゃないかと思ったら、なかなか切り出せなくて」
「何を馬鹿な…邪魔な訳がないだろう」
エアハルト様は、大きな手をずいっとわたしに差し出した。
どきどきしながらその手を取り、節くれだった薬指に金の指輪を嵌める。
指輪はあつらえたようにぴったりだった。
エアハルト様は自分の手をためつすがめつして眺め、眩しい笑顔を浮かべた。
「美しい指輪だな。ありがとう、ロッテ」
気に入ってもらえてよかった…!
この世界では婚約や結婚をする時、指輪はマストアイテムじゃない。
まして彼は武人だし、迷惑だったらどうしようと思うと、せっかく用意した指輪も渡せずにいた。
だけどエアハルト様がこんなに喜んでくれて、その上、わたしにも指輪を用意してくれていたなんて…。
幸せ過ぎて、夢みたいだ。
わたしは、まだ隣で膝をついているエアハルト様の手を両手で包み込むと、心から言った。
「わたしの方こそ、これからもずっとお側にいさせてください、エアハルト様!」
「…ああ。よろしく頼む」
ぎゅっと強く、手が握り返される。
くすぐったいような空気の中で、わたし達はほほ笑み合った。
たくさん話そう。
ずっと側にいよう。
あなたと一緒に午後のお茶を楽しむ、そんな毎日が、これからも続いていきますように。




