アルヴェニーナとアルヴァトト
「アルヴェニーナ様、お手紙です」
ユーリーンがそう言って手紙を持ってきたのは、ルリのうちに行って一週間くらい経った日だった。カレンダーは用意していないので今が何日かはわからないけれど、日付は覚えている。前の世界でも、日付感覚も曜日感覚もあまりなかったのでそこまで不便はしていない。
「ありがとうございます」
「遣いの者からも、アルヴェニーナ様にお礼の言葉を預かりましたよ」
「……ありがとうございます」
それだけで悪い結果の手紙ではなかったとわかって、安堵する。小さく微笑んだユーリーンはそのまま部屋から出ていく。私が手紙を読むのを邪魔しないようにだろう。雑談はあまりしないが、適所で声を掛けてくれて気が遣える人なので今では専ら憧れの対象として見ている感じだ。
ユーリーンが出て行ったのを見届けて、手紙を開く。文字は前に見たルリのもので、こちらの言葉で書かれている。
要約すると、ソドリーと話ができたとのことだった。結婚のことも聞いたらしく、それについてはまだ困惑しているらしい。また、帰れる可能性についても少しだけ書かれている。可能性はあっても魔法の領域で、その上特別な用意が必要になるので、その方法を探しながらこれからどうするか考えるそうだ。
私が余計なことを言ったせいで事態が悪くならなくてよかった。あの日青の神子の館から帰った日は眠れなかった。悪い方向に話が進んだらどうしようだとか、ルリが傷ついたらどうしようだとか考えて。問題は解決したわけではないけれど、よかったと思う。
それから、日本語で続きが書いてあった。初めにソドリーについてのこと。彼のフォローから入っているところがルリらしい。私にいろいろ言われたことで、ソドリーは少し落ち込んでいると書いてある。そういうタイプには見えないけれど。
そしてその続きには、一転別の話が書いてあった。
「うわあ」
私が三名の神に会したことが、城で噂されているらしい。真偽についてと、心配のような言葉が書かれていた。内容からしてまだバレているわけではないが、時間の問題だろう。言わないと言った以上アルヴァトトが漏らしたとは思えないから、神殿から情報が出たのだろうか。知る術があったとは驚きだ。アルヴァトトにも質問が行っているだろうから、また迷惑をかけてしまう。問われれば立場がある以上嘘はつけないだろうし、答えに困るのは必至だ。帰ってきたら隠したりしなくてもいいことを言っておこう。それで気に病まれてはたまらない。
しかし、そうなると面倒が出てくるのだろうか。何度も頭に出てくるのはここに来て私に神子の役目のことを漏らしてくれた男だ。顔自体はあまり覚えていないけれど、存在は強烈に覚えている。正直大勢の中からあの男を見つけろと言われても見つけられない自信はあるけれど。
バレてしまったものは仕方がない。どうしようとも私はここに居るしかないのだから。それに、冷静に考えて身の安全は保障されていると思う。将来どこの誰とも知らない相手と結婚することになるとはいえ、現状私は子どもの姿だ。十歳そこらの年齢の子どもを即座に娶ろうと考える輩は……いないとは言い切れないけれど、この年で三名の神と会える神子をすぐにお役目から引きはがそうと考える人はいないだろう。それも王の血縁ならば、ひどいバカではあるまいし。
最終手段があるのも呑気にしていられる理由である。現在ほとんどの衣類にポケットを付けて、常に持っておくようにしているのは赤の神からもらったコンパクトだ。おさがりを着るかもしれない次の神子には申し訳ないが、肌身離さず持っているために服にポケットを付けておいた。通し穴があればネックレスにしたけれど、手のひら大のものを首から下げておくのも不格好だし重たいし、危険だろう。
「アルヴェニーナ様、アルヴァトト様がお帰りになりました」
考え事をしつつアルヴァトトから渡されている本を流し読みしていると、扉が叩かれ声がかかった。時間としては少し早い気がする。外を見て時間を予測付けながらユーリーンについて部屋から出る。ここに来てしばらく経つが、気候は未だ変わらない。
「青の神子さまにお返事を出されるようでしたら、三日後に教会でお会いする機会があるので、その時にお預けください。お急ぎのようでしたらすぐにでも届けますが」
「本当ですか。急ぎではないので、お願いします」
返事を書くとまた人の手を煩わせるからどうしようと思っていたのだが、会うのならちょうどいい。というか、ユーリーンたちはルリが教会に行っていることを知っていたのか。
民衆ということは、この世界のこの国の住民だ。少し会ってみたい気もするけれど、教会に私が出向くのはアルヴァトトに渋られた。なんでも護衛を付けなければならなくなるかららしい。ソドリーは、ソドリー自身が腕の立つ騎士だからいいけれど、アルヴァトトではそうはいかないそうだ。
「教会ってどんな感じですか? 町の人が来たりするんですよね」
「そう賑やかなところではありませんよ。それと……アルヴェニーナ様にはあまり合わないところかと」
「? 合わないですか」
聞き返すとユーリーンは言うべきか迷うように視線を彷徨わせる。あまり言い淀んだりする人ではないので言葉の続きが聞きたくて、見上げて待っていれば彼女は視線をこちらに合わせた。
「民衆の期待が大きく、直に向けられるのです」
「それは合わないですね」
言い淀んでいたのは、私に失礼だと考えたからだろう。そんなことを思うわけもなく、納得する。それは、私には合わない。真正面から期待を向けられて、願いを言われて、神様に聞くだけだとしても私には荷が重い。
普段あまり会話しないのによく見てるなあと感心しつつ、少しほっとしたようなユーリーンが再度歩を進めるのについて行く。
「ルリちゃんにはそれができるんですね」
「人には向き不向きがあります。アルヴェニーナ様も彼女にできないことをしたのでしょう?」
私のは棚から牡丹餅というか、ダリアの性格がほとんどの原因だから向いているわけでもないのだけど。言ったところでユーリーンはダリアに会うわけではないので、笑って流しておく。強く否定してみせたって、空気を悪くするだけだ。
そうこうしている間にアルヴァトトの部屋について、ユーリーンがノックする。中から入れと言われれば、ユーリーンの役目は終わりだ。館内だから私が勝手に来てもいいけれど、毎回ついてきてくれるのでもう慣れてしまった。感謝の心を忘れるなと思いつつ、失念してしまうのが人間の性だと思う。
「アルヴェニーナ、先に謝っておきたい」
入ると同時に、アルヴァトトはそう切り出した。どうやらアルヴァトトのところに情報が入ったのも今日らしい。あるいは、城で何か言われたから早く返ってきたのかも。
「三名の神に会ったのが漏れてたことですか?」
気が急いて、先手を打ってしまった。目を見開いたアルヴァトトにしまったと失敗を呪う。こちらから出すべき話題ではなかった。
「すみません、青の神子からの手紙に書いてあったもので」
「いや、そうか。すまない」
「アルヴァトト様は悪くないでしょう?」
「それは……王にのみ報告したはずだったんだが、どこからか広まっていた。だから、私の責任ではある」
「報告は義務で、広めるつもりがなかったならアルヴァトト様のせいではないと思うんですが……。壁には耳がありますし、人の口に戸は立てられないから仕方ないですよ」
私の自己嫌悪が移ってしまったのだろうか。初めの頃に見せていた罪悪感でいっぱいの顔をして、アルヴァトトはこちらを見下ろしている。見ているのに目は合わない。まるで私を向いて別のものを見ているように。
「別に、気にしません。直近で実害はないでしょう? 何かあっても、ダリア様が守ってくれますし」
私の大丈夫だけで頼りなければ、何より頼れる物証があればいい。ポケットからコンパクトを取り出して見せればアルヴァトトは、眉間に皺を寄せながら「そうだな」と同意した。それでもまだ、得心が行っていないような顔はしているが。コンパクトの性能を試せないのが問題なのだろうか。私もこれからダリアが出てきて助けてくれるのか、神託受信装置か何かなのか使ったことがないからわからないし。
話が終われば仕事に入る。もう慣れたものだが、時々思うのはパソコンがあれば便利なのになあということだ。誰か昔の神子が開発してくれていればよかったのだが、電気もない世界では無理だろうし電気があったところで、そうそうできるものではないと思う。電気屋さんだってパソコンを作る職業の人たちだって、一からパソコンを作り上げることなどできないだろうから。
ひたすら無言で仕事をして、適当な時間で切り上げる。普段は途中に少しだけ会話を挟むのだが、まだなんとなく声を掛けづらくて、雑談ができない。アルヴァトトはきっとそんなに私のことを邪険に思うような人ではないのだが、それでも気にはなってしまうものだ。しゃべったら、謝ってしまう。それが私の口を開けない理由だった。
しかし、今日はアルヴァトトの方からも声がかからない。ここのところも二言三言は話しかけてくれるが、今日はダンマリだった。私から話題を振らない以上それにどうこう言うつもりもないが、何か不調だったらと心配になる。または、私が不快にさせたのだったら? 話すのも嫌なほどに嫌われたら?
きっと城の人に三名の神子と会ったことがばれていたことを気に病んでいるだけだと思いながらも、気にはなる。ちらちら顔を覗いてみたところで、私にはアルヴァトトの顔色は読めなかった。
相も変わらず日々することは変わらない。三名の神に会ったと知られたところで、城の人たちもすぐに動くわけにはいかないのだろう。まだ噂の段階なのかもしれないし。もしくは、三名の神に会ったからこそ動けないのかも。
この国の偉い人たちがどういう思想なのかは知らないのでなんともいえない。というか、私はこの国の仕組みもよくわかっていない。歴史だけならば歴史書で勉強しているが、現在の国勢については教えてもらっていない。王政というのはわかるけれど、いい王なのか悪い王なのかも私にはわからない。良し悪しなど立場によって変わるので、一概に判断できるものでもないが。
そのあたりは、実際に外に出てみなければわからないだろうか。現王の行動を書き記した本があるとは思えない。あるとすれば、新聞か? 今は城の本を持ち出しているようだが、新聞となるとお金がかかるだろう。おいそれと取ってほしいとはいえない。
一番無難なのはユーリーンたちに聞くことだろう。けれど、結局はユーリーンたちも王に雇われている身分だ。神子制度は王が行っている政策なので、ここに居るものは王に仕える立場になる。表向きは神や神子に仕えているのかもしれないが、言ってしまえばすべて王の為だろう。
できあがった冠を手で弄びつつ、ため息を落とす。裏庭には植えてある花の他にも雑草が生えている。雑草の駆除は基本的には「するな」と言われているので人任せだが、その中にあるシロツメクサのような花だけはいじらせてもらっている。花なので抜くのは忍びなく、だからといって好き放題伸ばすわけにもいかないからと、時々遊んでいるのだ。
見た目はシロツメクサのようだが、色は全ての花弁が恐ろしくきれいに赤い。まるで他の花の色を吸い込んだような鮮血の赤をしている。最初は怖いと思っていたけれど、もう慣れたもので、冠にするときれいだ。因みに四葉のクローバーはまだ見つけたことがない。
しかし、時間を潰すことには慣れたなあと思う。一日研究と称して本を読んだり、こうして花をいじったり。前の世では考えもできなかったことを毎日毎日していると思う。人間の順応力の高さには驚嘆する。怠惰な方向へまっしぐらだ。
「……良くないな」
そろそろ厨房を貸してもらうくらいはしたい。再度の打診をユーリーンは嫌がるだろうか。
まだ言う勇気はないので部屋に戻るため立ち上がる。いつものことなのだが、作ったあとの冠は処理に困る。クローバー群の上に置き去りにするしかないのだけれど、こうしていると繁殖を抑えられないという点では意味がないのではと考えるのだ。どうしようもないので置いて行くが。
「ユーリーンさん、ありがとうございます。戻ります」
「はい」
今日はユーリーンが付いてくれているので、一緒に戻る。一人で移動するときは外の階段を使うが、ユーリーンが居る時は中から上がる。特に手を汚したので洗ってから部屋に戻りたいので、一度水場に寄った。
「? あの、ユーリーンさん」
そのまま部屋に戻るため階段を上る途中の二階、つい目の言ってしまうアルヴァトトの部屋の方を向けば、ドアが開いているのに気付いた。
「アルヴァトト様は、まだいらっしゃるんですか?」
「いえ? もう城に向かわれている時間のはずですが」
アルヴァトトが扉を開けたまま出掛けるとは考えにくいし、だからといって部屋に居るのに扉をきちんと締めないというのもないだろう。ただ、髪のことといい妙なところでずぼらな人だ。閉じたと思っていたけれど閉じていなかったのかもしれない。たとえば忘れものでもして急いでいただとか? 考えてみても正解がわかるはずはないけれど。
「声をお掛けしてみましょう」
中に居なければ扉を閉じるべきだと思ったのだろう、ユーリーンはそのまま足をアルヴァトトの部屋の方へ向ける。私もついて行くのは特に意味のない行動だ。本来廊下に残って待っている方が正しいのかもしれない。
――かもしれない、ではなく、本当にそうだった。行かなければよかったという後悔は、けれど先には立たなかった。
「あら?」
ユーリーンが小さく声を上げたことで気付いたけれど、中から声がした。盗み聞きなどすべきではないが、聞こえれば気になりもする。中に居るのは、声からしてアルヴァトト……とソドリーだろう。
「あの神子にはなにかあるんじゃないのか」
ソドリーの言い方からして「あの神子」とは多分私のことだと思う。ユーリーンと目を見合わせれば、彼女は私に去るように促した。このまま立ち聞きするのは良くないと思ったのだろう。声を出さずに一緒にこの場から逃げるように、足音を立てないように踵を返す。
「何度も言わせるな。あれは普通の神子だ。特別な力も才能もない。三名の神と対面したこと以外に功績もないだろう」
ただ、音を忍ばせれば声は聞こえてきた。
才能も功績もない、と。
「期待などするな」
「っ……」
扉越しでもはっきりと耳に入り脳まで浸透した言葉に、血の気が引いて行くのがわかる。焦点が合わなくなる。心臓が叩きつけるように鳴り、一瞬呼吸を忘れた。息が詰まる。走って逃げだしたいような、このまま座り込んでしまいたいような、足がうまく動かなくて、
「!」
その足を動かしてくれたのは、ユーリーンだった。手を取り早足で廊下を進む。早足なのに足音が鳴らないのはどういうことだろうか。
ユーリーンの手は、やけに冷たかった。
部屋に戻るとユーリーンは私を座らせて、自分は跪いた。短時間だけれど間を置けば気持ちは落ち着く。一人で聞いていたならわからないが、ユーリーンが居てくれたからだろう。
「アルヴェニーナ様」
それから、ユーリーンが普段では想像もつかないような、泣きそうな顔をしているから。
「大丈夫です、私に才能がないことなど知ってますから」
私のことを想って顔を歪めてくれる人が居ながら一人消沈しているわけにはいかない。そもそも、アルヴァトトがそう思っていると想像していなかった私が自信過剰だったのだ。自分では才能もなければできることも少ないとわかっていながら、人からの評価は悪くないと思っていたのだ。なんたる傲慢か。私の才能など関係なくダリアに連れられて他の神と会っただけで、実際は招致神子としての役目も果たしていないのである。
そういえば、あちらの知識を話すことさえ忘れていたなあ。毎日趣味の研究とちょっとしたお手伝いくらいしかしていない怠惰な生活を送っていた。時間が経つに連れて意識が下がってきていた。
「あはは、ちゃんと頑張らないとだめですね」
「アルヴェニーナ様は、きちんとお役目を果たしています」
「ありがとうございます。ユーリーンさんにそう言っていただけるだけで救われます」
ユーリーンもアルヴァトトも、いい人だ。悪いところは見逃して、いいところを見て褒めてくれたり励ましてくれたりしていたのだ。期待に応えることはできなくとも、その優しさに応えるくらいはしないといけない。
「気にしないでください。寧ろ気合い入れないとって奮起したくらいですよ」
久しく忘れていた、少しでも人の迷惑にならないよう努力しなければという感情が持ち上がってくる。名前以外はちゃんと覚えているのに、社会人経験を失ってはいけない。前の生の意味がなくなるではないか。
「大丈夫ですよ。私は守られてるんですから」
ただ、つくり笑いは、昔からへたくそなので許してほしい。




