青の牧師と青の神子
「ご無理を言ってすみません」
青の神子の館は、赤の神子の館よりも少し質素なイメージを受けた。館の作り自体は同じだ。二階に応接室があるので、現在はそこで四者面談中である。多分、質素に見えるのはカーテンやクロスなどが青系の色で統一されているからだろう。涼し気でいいと思うので、質素でも気にはならない。もしこれが冬ならば寒々しいと感じたかもしれないが、気候は私が来てから一度も変わっていないので、冬はないのではないかと思う。
「構わない。ルリも話したがっていたようだからな」
以前強く当たられてから顔を合わせにくいと思っていたソドリーだが、対面すれば普通に接してはくれるらしい。愛想はないが、ルリの隣に普通に座っている。私の隣にはアルヴァトトだ。再度仕事の時間を取ってしまって申し訳ないと思うので、あまり長居はできない。
「じゃあ、ソドリー様とアルヴァトト様はここで待っててくださいね。二時間もすれば帰るので」
「本当にお前たちだけで行くつもりか」
「許可してくださったでしょう。大丈夫ですよ、ニーナも居るので無茶はしません」
ルリは、アルヴァトトとソドリーから離れる理由として前回言っていた湖に向かうことを提案した。そこならば普段からよく行っているからソドリーなしでの行動が許可されているらしい。といっても、完全に一人ではなくこの館のメイドさんがついてくるらしいが。今回も同様に一人は目付け役としてメイドがついてくるけれど、あまり首を突っ込んでくることはないだろうとのことだ。
「アルヴェニーナ、気を付けていってきなさい」
「はい。いってきます」
アルヴァトトに見送られながら、部屋を出る。階段を、青の神子のメイド、アイリンについて行きながら降りていると隣でルリがにやりと笑った。
「ニーナとアルヴァトト様っていい感じよね。なんだか」
そして隠し事のように日本語で発されたのは、女子高生らしい発想だった。
「そんなことはないよ。ただの神子と牧師」
「ソドリー様はいってらっしゃいだなんて言わないよ」
「私の体が小さいから保護者って感じが強いんじゃない?」
そしてその件があるからアルヴァトトと、所謂いい感じにはならない。彼というか、普通の男性はこんな子どもの体に用はないだろうし、特にアルヴァトトはあまり色恋に興味がないように見受ける。もしかしたら城にはそういう相手もいるかもしれないが。結婚はしていないと思う。牧師だから。
「そうかなあ」
変わらず日本語で言うルリに、前のアイリンは反応しない。けれど、最初に一度困惑したような目でこちらを一瞥したので言葉は通じていないと思う。二人きりで話せなくても暗号が共通言語となると便利なものだ。
そのまま湖についた。あまり大きくないといっても、館と同じくらいはある。森の中にあるそれは水面に太陽を映し、光に反射し輝いている。さわさわと風に音を立てる緑の葉。
「いいところだね」
「そうでしょ?」
花の咲く裏庭もいいけれど、こういう自然感じる湖のいい。私が青の神子なら一日中ここに居るかもしれないので、逆に、赤の神子でよかったのかもしれない。わざわざ館外までユーリーンを連れてきて待たせておくことを考えると。
「それで、ニーナ。二人で話したいことって……前に言ってた件だよね」
「うん」
ルリの方から先に切り出した。湖のほとりに座るルリの隣に腰を下ろす。ルリの視線は私の方ではなく、湖を向いている。
「実は、まだソドリー様に言えてないんだ」
いざ言うとなるとね、と無理な作り笑いでルリは顔をこちらに向ける。目の色が光に反射して、まるで水面のように輝く。ともすれば涙でも溜まっているのかと思ってしまうほどに。
「良くしてもらってるから言い難くって」
「それは……そうだね」
「いや、ごめん。それもある。けど、半分嘘」
「嘘?」
きっとルリは、自分でも何を言いたいのかわかっていないのだろう。私は、解決する術を持っていないのに悩みを聞きだして、言えば解消されるような悩みでもないのに無理に吐き出させて、実際どうしようというのだろうか。何かルリの力になりたいと思ってここに来たけれど、私なんかに人の問題を解決するような力はない。リンドウのことを教えてあげさえすれば、ルリは選択肢が増えて自分で悩める。選択肢だけ増やしてそっとしておいてあげればいいのだが、私はルリの次の言葉を黙って待ち続けた。
「私、自分が帰りたいのかどうかもわからないの」
抱えて座っている膝に顔を押し付けながら、ルリは呟く。
「国の人たちから必要とされてるって思うと、ここで誰かの役に立ちたいって思う。でも帰りたいって気持ちがないわけじゃない。ソドリー様に言ってここに残ってほしいって言われたら残ってしまいそうだけど、もし帰ればいいって言われたら、私はどんな気持ちでここに居ればいいんだろうって思って」
「……うん」
「でも、だからって一生ここで神子として過ごすの? とか、今は必要とされてるけど、いつか必要とされなくなる日が来るんじゃないの? とか不安はずっとあって」
もし。
もし私がルリの立場ならば、同じことを思っただろうか。もしアルヴァトトに帰りたいと言うとして、帰らないでほしいと言われたら? 帰ってもいいと言われたら? 同じ不安を抱いただろうか。実際に帰れる立場ではないから本当に思うかはわからない。けれど、私は同じことを思わないんじゃないだろうか。
それは三名の神と会って相談先に当てがあるからかもしれないけれど。世界を行き来する魔法の存在を知っているからかもしれないけれど。
「言ってしまえばその時点で関係が崩れるんじゃないのかって思うと、怖い。帰れるかもわからないのに、今それを決めるようなことを言いたくない。私がわがままを言うと、ソドリー様がどうにかしてくれるって言ったけど、私を信用してくれてる人たちを裏切ってまで帰りたいかもわかってないの。説得さえできない」
それ以上に、認識に差があるから。
涙声だったルリは、顔を上げる。目に涙は溜まっていない。私と違って強い子だなと思う。だから多分今、こんなに悩んでいるんだとも。
他人事なのに胃の奥がぐるぐるする。多分、頭にきているんだと思う。人を注意したり、誰かに怒ったりするのは苦手だ。でも、現状一番視野が広いのは私なんだ。
「ルリちゃん。ソドリー様に相談するのが難しいなら、リンドウ様に相談するのはどうかな」
「……エルドシャ様に?」
「あの方優しいし、多分力になってくれるよ。帰り方もソドリー様より頼れるんじゃないかな。ダリア様も魔法に詳しかったし」
ぽかんとしているルリに少し早口になりながら伝える。神様に私事で相談なんて普通ならばおかしいのだろう。私も実際あの三名と話していなければそう思うけれど、リンドウならばルリの話を聞いてあげることができると思う。私にできることがあるかはともかく、私も話に入ってフォローできればいいのにとは贅沢言いすぎか。できればあのお茶会にルリを連れて行きたいところなんだけれど。
ダリアに聞いてみたいけれど私の方が謁見が後なのが良くない。さっそく困っているけれど、これはコンパクトを開くほどの案件なのだろうか。鏡というものの創作的性質によって、ダリアと通信できたりすればいいのに。携帯型神託受信装置なんて、何系の物語で出てくるのだろうか。
たら、ればを言っていても仕方ない。いいことかは二の次で行動するしかない。アルヴァトトの言う通り、私は想像以上に攻撃的な人間なのかもしれなかった。
館に帰って、応接室に戻る。アルヴァトトがその場に居るので、ダメなことを言ったら止めてくれるし怒ってくれるだろう。
「というわけで、私ソドリー様に話があるから、ルリちゃんは来ないで」
「は……は!?」
激情のままにルリに滅茶苦茶を言って、階段を駆け上る。赤の神子の館でさえこんな風に勝手に動き回ったことはない。ただ館の作りがどこも同じでよかったと思う。案内が必要になったり迷子になったりしては、かっこがつかない。
扉を叩くと中からソドリーの声が返ってきた。私が扉を開けば、迎えるのは驚いた顔だ。客人が勝手に館内を歩き回り、応接室の扉を自らノックするとは思っていなかったのだろう。基本的にお客様には案内が付くし、何より私が神子だから。
驚いているところで先制攻撃だ。「失礼します」と事務的な挨拶をして中に入り、ソドリーの前に立つ。
「ソドリー様、お伺いしたいことがあります」
「私にか? それよりも、ルリはどうした」
「聞かれては、あなたがまずいかもしれないと考え置いてきました」
付いてこないでと言っただけなので、どこに居るのかはわからないけれど。私はまっすぐにソドリーの方を見る。横から視線を感じるけれど、アルヴァトトの方を見てしまったら何も言えなくなるような気がするので視線を逸らさない。
「ソドリー様。ルリちゃんが今どういうことを考えているのか、ご存知ですか?」
知っているのか知らないのか、私は半々だと思っていた。ルリはソドリーが何も察していないと思って話していたけれど、彼の牧師としての立場と以前アルヴァトトに言った時の反応から、ソドリーにも察しがつく要素はあると思ったのだ。
ただ、さすがに察していれば何かフォローがあるだろうからと、半々と言いつつも知らないのではと思っていたのだが。
「……知ってるんですね」
ソドリーの反応を見て確信したけれど、彼は知っていた。深く眉間に皺を刻み、こちらを睨む。何を言うかと疑問を持って、警戒している顔は寝耳に水の表情でもなければ、私が何を言っているのか理解できていない顔でもなかった。
「なんで何も言ってあげないんですか? ルリちゃん、悩んでますよ」
「何か、言う必要があるのか? 帰る気ならばルリは止めても帰るだろう。私は立場上それを推奨することはできない」
「止めて帰らないなら止めるんですか?」
「どういう意味だ」
「止まってくれないかもしれないと思うから、止めないんですか?」
心臓が痛いくらいに早鐘を売っている。目が回る。人に物申すなんて柄にもないことをしたくない。自分でも何が言いたいのかわからないままに、口は勝手に動く。支離滅裂な質問群は質問という体を成しているだけで、ただの文句のようなものだった。直接的な言葉を使えば女子高生に過剰な期待と責任を乗せておいて、ケアもできないのかなんて内容。
「もう一つ。ちゃんと結婚のこと、教えてあげてますか?」
今度はあからさまにソドリーの反応は動揺一色だった。やはり、言っていなかったらしい。ルリの言葉から彼女がそれを知らないことは察していた。
帰りたいけれど民衆の期待を裏切りたくないというだけならば、ルリには帰る帰らない以外の選択肢もある。神子の役目を、神子を退く年まで全うして、それから元の世界に帰るのだ。子を設けるという役目は果たせないことになるけれど、正直三人もいれば一人くらい逃げても国として問題はないだろうし。何よりルリが望まない相手と結婚したくないならば、気持ちは帰りたい方に振りきれると思う。「一生」なんて言葉を十五、六歳の女の子が考えるのは私たちの世界の一般人として、可哀想だと思う。それも選択肢を二択だけ見せて。
「ルリちゃんはあと一、二年先のことでしょう。どのタイミングで話すおつもりなんですか? なぜ話さないんですか? あなたが、ルリちゃんを信用してあげていないからじゃないんですか?」
「お前に何がわかる」
「何もわかりません。私は帰る方法があることも、ある年になったら嫁いで子を為さなければならないことも聞いているので。ルリちゃんから見ればずるい立場なんだと思います。選ばなくていいんですから」
ルリは、そんなことを絶対に言わなかったけれど。心の中では思っているのではないかと思う。初めに会った時に零れた言葉はきっと本音だったのだろう。羨ましい、ずるいと言ったって構わない年頃のはずだ。
「選ばなくちゃいけないけど、選べるんだから、選ばせてあげてくださいよ」
選択肢を与えるのも奪うのも、ソドリーに依っている。帰りたい方向に向けるのも、こちらに留まらせるのもソドリー次第だと思う。知らない世界に連れて来られて、ルリは、頼るところがソドリーしかないのだから。けれどそれが頼れないから、初めて会った日に私に会うためにソドリーから離れたのだろう。
「本当のことを、腹を割って話さないと信頼しきろうと思ってもできません。こちらに振りきれてないのも、あなたが信じきってあげてないからです。必要ならば必要だと言ってあげてください。正しいことがわからないと、不安になります。ちゃんと見てることを、認めてることを教えてあげてください。それでもルリちゃんが帰りたいと言うなら手伝うっていうんなら、ちゃんと手伝ってあげてくださいよ」
若しくは突き放してあげてくださいよ、とまでは言わない。突き放されては困るので。
言いたいことを滅茶苦茶に言い終わり、深呼吸する。道理も順序もないようなことを言ってしまったので伝わっているかわからない。
「動かないと知りませんよ。青の神へ相談することを勧めました。リンドウ様はお優しいので、ルリちゃんのことを尊重した結果を出してくださるかもしれませんね?」
だから最後にひとつ脅しだけしておいて、私は口を閉じた。
さて。とはいえ同じ部屋に居る以上ソドリーは私を睨み続ける。ここで焦ってルリのところに行ってくれれば助かったのだけれど、残念ながらそんなドラマチックな展開には持ち込めなかったらしい。私の方がここから走って逃げたいけれど、アルヴァトトがここに居る以上一人で逃げることは叶わない。
気まずさに死にそうになっていれば、視界の端で、アルヴァトトが動いた。
「ソドリー」
そのまま私の方へ歩いてきて、頭に手を置く。正面から置かれて視界が塞がれてしまった。ただ状況に驚く間もなくアルヴァトトが声を掛けたのはソドリーだった。
「出過ぎた口ですまない」
心臓が、いっそう大きく鳴った。勝手なことを言ったのはわかっている。論理的でも正論でもないことを感情任せに押し付けたことも。
けれど、だからといって子どもの戯れ言だと言われるのは嫌だ。アルヴァトトに、余計なことをと否定されるのは、辛い。
「だが、同じ立場の少女の忠告だと思って、受け入れてほしい」
「え……」
「ここで黙っていてはいずれ同じ問題に直面する。今度は自分の神子とだ」
アルヴァトトに頭を押さえられていて見上げることはできない。けれど、その声色から私に対して怒っているのではないことはわかる。
むしろ、彼は私を肯定してくれている。フォローしてくれている。私の言ったことを受け止めて、ルリのことを考えてくれている。
「アルヴェニーナもお前と同じように、青の神子のことを思っていることを考えてくれ」
何も言葉を返せないソドリーに「邪魔をした」と一言残して、アルヴァトトは扉へ向かう。ノックして人を呼び、そこでようやく私を見た。見下ろす目は普段と変わらない。
「帰るぞ」
その一言に、鳩尾の奥がぎゅうっと引き締まった気がした。そこにあるのは何という器官なのだろうか。胃? 心臓? 膵臓か? 最後ならば精神的なものでなく普通に病気っぽくて嫌だけれど。
嬉しさとか申し訳なさとか、先ほどまでの興奮も混ざり合っていろんな感情が体中を回る。胃痛も頭痛も感じるような、何も感じないでぼうっとしているような、何が何だかわからない。
「アルヴェニーナ。大丈夫か?」
「は、はい!」
館を出たところで呼ばれて、顔を上げる。アルヴァトトの顔はやっぱり怒っていない。それどころか心配したような表情だ。
「……すみません、ソドリー様に勝手なことを言ってしまって」
それでも、今回ばかりは理解していながら勝手なことをしたのもあって、謝る。いつもの口癖のような謝罪ではない。本当のごめんなさいだ。
「それから、ありがとうございます」
気を抜くと泣いてしまいそうなので必死にスカートを握る。皺になってあとからデージリンに迷惑をかけるかもしれない。服飾関係はほとんどデージリンが面倒を見ているというのは以前聞いた話だ。
「礼を言われるほどのことはしていない」
私は、してくれたように感じたんだけどな。
アルヴァトトにとってはお礼を言われるほどのことではなかったらしい。どういう考えを以って私に加勢してくれたのかはわからないけれど、アルヴァトトにはアルヴァトトの考えがあるのだろう。多分彼は、神子に思うところがあるように感じるし。
「アルヴェニーナ」
「はい?」
「きみはどうなんだ」
不意に話のつながらないことを言われ、首を傾げる。何がどうなのだろうか。帰りたい帰りたくないの話ならば前にした。私に帰るという選択肢はないし、だからこそ今回こんな立場で話せたのだろう。実際私がルリと同じ立場なら、帰りたくとも帰りたくなくともアルヴァトトの前でソドリーに怒鳴ったりできない。変なところで理性的になったりするので。
「帰る帰らないは別にしても、きみは何も言わないだろう。青の神子と自分を重ねているんじゃないか? 何か、不安があるか」
きっとアルヴァトトは、ここ最近の私の態度を言っているのだろう。勝手にぎくしゃくして距離を取っていることに気付いているから、それを解消しようとしてくれているのだと思う。つくづくいい人だ。
「大丈夫ですよ。アルヴァトト様はちゃんと必要なことを教えてくださいますし、褒めてくださるでしょう。褒められることなんてなかったから、嬉しいです」
大人になったら人に褒められることなんてないから「よくやった」と言われてどれだけ嬉しいことか。まるで自分が役に立っている気になるその言葉にどれだけ救われているか。
「それならいい」
その褒め言葉に見合うだけの仕事ができていればいい。今みたいな厄介ごとと合わせたらプラスマイナスでマイナスが現実だろうけれど。見ると悲しくなる現実は、見ないことにしておいた。




