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「ずいぶんと遅かったが、何かあったのか?」
ダリアの部屋から戻ると、そろそろ日が傾き始める時間だった。あの後「何、ニーナのこと気に入ったの?」と茶化すリンドウとグリにダリアが応戦しているのを眺めていたら、時間が経っていたのだ。仕事さえできないこの場所で神殿の人たちと同じ空間に居させられたアルヴァトトを思うと申し訳ない。時間が勿体ないにも程がある。
「すみま……」
謝りかけて、言葉を止めた。謝ってはいけないんだった。でも、今このタイミングは謝るべきタイミングではないのか? いや、しかしアルヴァトトからすれば、神子としての一番の仕事をしていて時間がかかったことに対して謝られるのは不快かもしれない。私視点から行くと帰りますと言い辛くて居過ごしたのだから、謝るべきなのだけど。
「話は戻ってから聞く。帰るぞ」
言葉の出て来ない私に、アルヴァトトは立ち上がって帰り道を示す。神官は困ったように眉を寄せたが、口を出すことはなかった。前回の行動が活きているようだ。
護衛が居るので帰り道に話すわけにもいかずに、アルヴァトトの部屋までまた無言で帰る。気まずいと感じるのは私の考えすぎが原因だ。いつも通り、仕事をする配置になってアルヴァトトはこちらに体ごと向ける。
「それで、今日は何を聞いた?」
問いかける声は優しい。聞くべきことがわからなかったけれど、私は全部話すことでどれか国のためになることがないかと、順番に話した。
「…………ちょっと、待て。つまりきみは緑の神にも会って」
「はい」
「人間側の情報を神に提供し、青の神にも緑の神にも話し相手として認識され」
「はい」
「赤の神に贈り物をされたと……?」
「はい。事実を並べると、そうなります」
結果、頭を抱えられた。深く深くため息を吐くアルヴァトトの気持ちはわからなくもない。けれど、あったことは全て伝えなければ私が神子をする意味がない。頭の痛くなるような話であることは承知の上で、私は肯定した。
「どうなってるんだ、きみは」
「一度死んだことが理由らしいです。それと、青の神と緑の神は自分の神子ではないから取り繕わなくていいと言っていました」
「そして赤の神はそもそも取り繕わない性質、と。赤の神に渡された鏡を見せてもらっていいか?」
鏡を取り出し、アルヴァトトに手渡す。赤がベースで、金で模様が取られたコンパクトは、品のない考え方をすればとてもお金になりそうな細工が施されている。たとえ国の為とはいえ、私から取り上げるようなことをアルヴァトトはしないと思うので、二つ返事だった。
「一応開けないでください。ダリア様のことなので八割がた冗談かとは思いますが、私以外が開けると爆発すると言われているので」
「渡す前に言うべきだと思うんだが」
「す、すみません」
開けずに外を見回していたアルヴァトトは真顔でこちらに言った。この後開けるつもりであったらしい。冗談のつもりだったから軽く言ったが、神の言葉だ。実際爆発したらたまったものではない。私にとってダリアは気安いお兄さんでも、アルヴァトトにとっては敬うべき神様なのだから。
「きみが開ければいいのか?」
「困ったことがあったときに開けと言われているので、今開いていいかはわかりません」
「開かない方が無難ということか」
アルヴァトトはそのまま私の方へコンパクトを返してくる。次の謁見のときにでも、本当に別の人が開けてはいけないのかと、困っていないときに開けてもいいかということを聞いておこう。
「しかし、神によって考え方が違うのか。結婚後の神子を神の元へ遣ることはないと思うが……場合によっては神子の居ない期間をなくせるな」
「かなり話が通じる方々なので、もう少し話し合いという形を取ってもいいと思うんですけど」
「どこからが不敬か判断に難い以上あまり思い切ったことはできない」
神子を守る立場から考えると、そうなるのだろうか。確かに、結婚しようと思うんだけどと神に相談して嫌がった誰かがそのまま神子を返してくれないと困るし、よしんば返してくれたとして、結婚するなと言いつけられてしまってはその神子は身動きが取れなくなる。一生神子であってもいいのではと思うが、そこで引継ぎの問題が出てくるのだろう。簡単に神子を用意できなかった場合、神子のいない空白期間ができる。
昔、一度あったらしい。一人の神子を引退させたあと次の神子を待ったが、なかなか現れなかったことが。そのときは招致の方法も確立していなかったため、大変だったそうだ。国中草の根もかき分けて神子に相応しい子どもを探したとか。
王の質は神子の質によって変わると、この国では噂されている。その代の王様は神子を持たない王として、周りからバカにされていたのだとか。
だとすると、ルリに余計なことは言わない方がいいのだろうか。
「取り敢えずよくやってくれた。きみのもたらす神託の所以が神の話し相手となったことだということは驚いたが、認識を改めるのにはかなり役立っている」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって、しっかりと褒められて緊張が緩む。私は、アルヴァトトの役に立てたらしい。ここのところ気まずい気分になっていたので、お世辞でも本心でも、褒められると嬉しい。
「緑の神と会ったことは、今は広めないようにしておこう」
「あ、それは、助かります。また緑の神子に乗り込まれても困るので」
「そうだな」
また突然呼び戻されても困るからだろう、アルヴァトトは苦笑のような表情を浮かべながら目を伏せる。
「他に何か、気になることはあるか?」
「あ、えっと。ルリちゃん……青の神子に会いたいんですが、許可はいただけますか?」
言わない方がいいのかとは思うが、話をしておいて損はないだろう。私が余計なことを言わなければいいし、ソドリーに言ったのかも気になる。その後、どうなったか。野次馬心がないとはいえないが、同じ立場の神子がどういう状況にあるのか、知っておきたいと思うのは不自然な感情ではないだろう。
「……わかった。ソドリーに確認をしておこう」
「私から彼女に手紙を送ってもいいですか?」
「手紙? なんのために」
「前回私が彼女から手紙をもらったので」
適当な理由をつけると、アルヴァトトは不審そうに首を傾げながらも許可してくれた。
しかして私はルリに手紙を書いた。ソドリー他、誰にも聞かれないように話をしたいという旨を添えて。久しぶりに書いた日本語は、少し下手になっていた気がする。