調理工程最終局面 ~七星と雪那~
こうして、雪那は吶々と母、塩道美雪の過去を語る。
「昔、父と母が営んでいた店は『にこにこラーメン』って言います。当時の父と母の願いを込めた名前のお店です……」
しかし、父が亡くなり、手が足りなくなり、味が落ち、客は離れていってしまった。
食材の仕入れや店の経営、それらを父に頼っていた美雪は見事に悪質な業者に騙された。
『はあ……ご主人がいらっしゃれば、今頃、こんなチャンス、絶対逃したりしなかったもんなんですがねぇ……いえ、すみません。女将には、そのあたり、難しいですよねぇ』
『…………』
『言っておきますが、今だけです! 明日には値段が倍になりますよ。ですので、今、ここで決めてください。我々としては、高く売れるので明日以降でも全く構いませんが……』
『~~~~っっ!!』
そんなハナシあるわけないのだ。
もともと安売りと言って業者の売った価格が定価。倍の値段とは、口から出まかせ、ただの方便だ。
それこそ、亡きご主人なら、絶対に乗らないハナシ。
それを、物を知らぬと見た業者は、美雪に対して、ここぞとばかりに売りつけた。
「こうして、母は一度店を潰し、誰も信用しなくなりました」
食材のチェックは、毎回自分で行う。仕入れ先に抜き打ちで検査しに行ったこともある。
その時から塩道美雪は、全く既製品を使わなくなった。ラーメンの味に影響するものは全て手作り、自分の腕で調理する。
その手作りスタイルが、逆に功を奏す。
どこにもない味、ここでしか味わえない料理。
それらは、世間に受け入れられて、今の地位を築くに至る。
美雪は、周囲に完璧を求め、自分もまた、その三倍完璧であり続けた。
「でも、その時から……店で母の怒鳴り声を聞かない日はなくなりました」
当時、幼かった雪那は、そんな母の怒鳴り声を聞いて、いつも一人、店の奥で声も出さずに泣いていた。
「母の店で修業した人は、皆、二年以内に辞めていきます。中には将来有望で、才能のあった人もいました」
でも、その人は美雪の店を辞めた後、サラリーマンとして企業に就職し、料理の道から完全に足を洗ったという。
こうして、美雪の傍からは人がどんどん消えていく。
その瞳にたくさんの涙を抱えて、しかし、決して溢さず雪那は語る。
「そんな時、母はとっても悲しそうな目で、それでも力強く、いつも以上に精一杯働いていました」
「……今の、雪那ちゃんの目だ」
「いえ、私など、とても……母はもっと私より苦しんでいます」
「だから、私には、今のお母さんに、もっと笑っていて欲しくて――」
言葉にならず、嗚咽する。
これ以上、言わせてはいけない。
「――うん、分かった。僕が、キミのお母さんを、もう一度笑ってもらえるようにする!!!」
そういうラーメンを作る。
頑張れよ、俺。
もともと、自分など、それだけが、この身に与えられた取り柄なのだから。
今回の七星のラーメン。
塩ダレのベースには、円蔵さんの漬物、その漬け汁を使う。そこにキタムラの爺さんの店で買った昆布、塩昆布茶、ワカメの戻し汁を加える。
そこから更に、燻製屋ヤマオさんのチキンの脂、鶏皮部分を除いた身の部分と骨とを、共に煮込む。
勝負するなら、あの塩道美雪には絶対できない技。
だが、かつての美雪ならできたであろう技術で勝負すべきと考えた。
スープの根幹。
ラーメンの味全体を決めるタレの部分に、塩道美雪が否定した『既製品』を使う。
バランスが命とされる塩ラーメンにおいて、それは大きな賭けだ。
しかし、七星は、生産者の顔を知っていた。
ならばこそ、揺るぎない信頼を以って、堂々と全ての賭け金を乗せる。
ここで七星、魚介スープの方に最後の一工程。
バサリバサリと削り節を加える。
この時、鍋の水面は、十分に温まった、僅かに湯気が見える程度。
実は、カツオ節などに含まれるイノシン酸は85℃が最も抽出されやすい。
しかし、香り成分が最も出るのは60~70℃。
ちなみに、昆布のグルタミン酸が最も出るのは60℃。
そこで七星は、仕込み段階では低温60℃で昆布を30分煮込み、その後、昆布を取り出し、アジの煮干し、サバ節、マグロ節を高温85℃で沸騰させないように煮込み続けた。
現れたのは、魚介のうま味を凝縮した金色に澄んだスープ。
そこへ今、七星は足りない最後の一工程。
70℃で、一分だけ煮込み『香り』を加える。
それは、もはや自ら光を発すると錯覚させるほどの黄金色をしていた。
しかし、七星は止まらない。
会場の調理時間、僅か一時間で、美雪の八年を巻き戻しにかかる。
七星はスモークチキンの鶏皮を炒めて取り出した純粋無垢な鶏油をたっぷりフライパンに敷く。
高温に熱したそこに、骨を除いた同じくスモークチキンの鶏もも肉を丸ごと投入。
チキンは表面に、七星オリジナルの調味液を塗ってある。
バチバチと音を立てながら、鶏の身は皮面をパリッと仕上げる。
それを素早くカット。フライパンの油も仕上げていく。
ここで麺があがる。これまた熟練の手つきでスープに投入。
流れるような動きで具材を乗せていく。
この男、麺を茹でる3分の間に、器でダブルスープを合わせ、具材をカット、チキンの火入れまで行っている。
曲芸じみた作業能力。塩道の技とはまた違ったスゴ味を見せつけていた。
これで完成。と思いきや、まだ終わらない。
七星はフライパンに残ったチキンの油、それもまだ、パチパチと音が鳴りやまないソレを具材にかからぬようスプーンで回しかけていく。
圧倒的な香気を纏って完成。彼の乙女の願いを叶えんがため。
七星慎之介、前代未聞『魚介と鶏出汁、塩を用いぬ塩ラーメン』




