第31話 兵どもが夢の跡②
元魔王城内部、修繕された王の間。
広大な空間を支えるように並ぶ柱の隙間と、重厚な両開き扉からまっすぐ伸びる真紅の絨毯の上をバタバタと兵士が駆け回る。玉座の後ろから差し込む、半分に欠けた月明かりだけを頼りに。
「おいそこの、反射角度が違う! そこのお前はもっと慎重に運べ! 一滴こぼすごとに貴様の血で贖ってやるぞ!」
「ハッ!」
「も、申し訳ありませんフリスト様!」
ある者は鏡を、ある者は水瓶を。またある者は月桂樹の葉を大量に抱え、牡山羊の生首を抱える者まで。床へ大量にロウソクを立てる者たちもいた。
そんな彼らへ指示を出すのは、金銀妖瞳なる桃髪の司祭。
「急げ! 片割れ月の今宵が、神の子様をお迎えする好機! 何人たりとも邪魔を入れさせるな!」
その彼女の隣。玉座に座って眠る少女は夢を見ていた。
想い人がいる、先祖の記憶の続きを。
※
「さらばだ、強敵よ。いつか地獄でまた闘ろう」
男は革のマントを翻し、赤いルビーの指輪が沈む湖を背にした。ずた袋を肩に掛けて崖際から立ち去る。
振り返らずに進む荒野はどこか物悲しく、奪われた左目がうずいて感傷的になってしまうものの、ふと気付く。また転生したら地獄で会えぬのでは。
「なぁフェオよ、わしは……? おいどうした、さっさと来ぬか」
バカな質問だと承知の上で振り返るも、距離が遠い。フェオはすれ違ったままその場で立ち尽くしていた。
首を傾げて見つめると、フードが目深に。
「なぜ俺が、当然のようにお前についていくと?」
「何を今さら。わしの存在が魔王種を生むかもしれぬと説いて、ずっと監視しているのはそちらだろうに」
「……いいのか? このまま旅に出て」
話が急に変わったが意図は察する。コロコロとまったく、本当に童のようだ。
「わしは流浪の双剣使い。宮仕えは性に合わん」
「あの王子はお前に王位を譲ると言った。双炎王国というのも、お前にあやかって名付けている。あいつは本気だ。誰にも仕えることはない」
「王などそれこそ亡者の奴隷、生者の礎よ。というか冗談が過ぎるわい王などと。だからこうやって逃げ出しとるのではないか」
「……この国を見捨てるのか?」
今度は、意図を察せなかった。
「所詮は内乱で分裂した小国だ。本国が正統性を主張し、トール教圏の国々が大義名分を掲げて侵略してくるのは目に見えている」
「技は伝えた。あの弟子どもは簡単にやられるタマではないわ。それに七霊双獣もここに残す。おぬしがあやつらをそう説得してくれたのだろう?」
「ヴァグドラシル以外の全員にすごく文句を言われた」
「それは重ね重ねすまん、が……なんだというのださっきから」
ツカツカと歩み寄る。
正論だが、この十年に渡る戦乱の爪痕は軽くない。特に双炎十字騎士団が結成されてからと、対抗策として投入された『正義』による自滅含む敵方の被害は甚大。戦力が整うのもおそらく己の死後。
そう保証して旅立つ背中を押してくれたのは、フェオ自身のはず。
「おぬしの悪い癖だ。言いたいことがあるならはっきり言わんか」
コツン、と目線より低い位置にある頭を、フード越しに指で叩く。特に嫌がる素振りは見せず。
「……結論として、お前が原因で魔王種が生まれることはないとわかった」
ただフェオは、フードをさらに強く引っ張って俯いた。これまで幾度か見せたことのある仕草。
もう十八年となる、この戦より以前からの付き合いの中で。
「ほう、そうか。ではおぬしと初めて会った時の魔王種は?」
「たまたまだ。あれはもう、魔王種となる寸前だった。お前の影響は数日それを早めた程度に過ぎない」
「なるほどのう……で?」
そうして今世の半分をともに過ごすうちに、わかったことがある。
「お前が強いのは転生したからではない。元から強かったんだ。もしかしたらトールや、ほかの転生者とは別の世界から来たのかもしれない」
「その線は、わしもうすうすな。話も合わぬし、漢字はともかく南蛮人の言語を学者もかくやと言わんほどに理解しすぎだしのう」
「だからお前は、普通の転生者だ。ただ強すぎただけの。勇者のように、魔王種を生むほどの影響力などなかった」
「それはもう聞いた。で?」
こやつは童のよう、ではない。
「だから、もう……」
本当に童なのだ。
「……お前を監視する必要は、ない」
それも、小童だ。
背を向けてフードを引っ張るフェオの後ろ姿に、男は――
「クッ、ククク……!」
――笑いが止まらなくなった。
「カーッカッカッカッカ!」
「! 何がおかし、っ……!?」
「なんだおぬし、つまりさみしいのか?」
振り向きざま、頭をガシガシ。フードが取れて不満げな顔が露わに。
「さみしい? なんの話だ」
スルリと逃れて距離を取られる。
掴みどころがないようで、なんともわかりやすいやつよ。
「だから、わしと旅ができぬから、せめてここに留まってほしいのだろう? いつでも居場所を把握できて、いつでも会えるように」
「誰がそんなことを言った。お前の勘違いだ。完全に、間違いなく。涙目で草」
「涙も出るというものよ、カッカッカ! 前世含め、生涯で一番笑っ……お、やる気か? 人に危害は加えられぬのではなかったか?」
「『正義』を前にして『天』の剣に至った時、お前は人でなくなった。武神の域、とでも言うべきか」
だから今なら殺れるぞ、と言わんばかりに長杖を突きつけてくるフェオ。面白い。そう思ったのも、一瞬血が沸き立ったのも事実。つまり本気のこやつと闘れるのだ。
しかし、楽しみは後で取っておこう。
「すまぬすまぬ、からかいすぎたわ。文句なら道すがら聞いてやるから、ほれ、さっさと行くぞ」
「? 俺の言うことを聞いていなかったのか? もう監視は――」
「ならば今度はわしがついていこう」
再戦の約束はこの未来、いつでも果たせるのだから。
「おぬしもいろいろ忙しいのだろう? 手を貸すぐらいしてやる。それともまさか、わしが足手まといになるとでも?」
「いや、それは、ないが……」
「おぬしといれば魔王種と再戦できるかもしれぬし、一石二鳥よ」
驚き固まるフェオに近寄り、その灰髪頭をグリグリと撫でる。
「まあトール教にとっても、憎き相手がいっしょくたで一石二鳥かもしれぬがな。カッカッカ――」
「ダメだっ!」
――バシッ!
と遠慮なく手を叩かれるも、叩いた本人がひどく動揺。思いのほか力が出すぎたのだろう。
男の指が、曲がってはならぬ方向へ。
「! ガルドごめっ……す、すまない」
よけることもできた。
「すまない、俺は……いつも間違える……」
だが、よけなかった。伝えたかったからだ。
「またきっと……これ以上いっしょにいたら、間違える」
自分になら、いくら間違えてもいいんだと。
「俺は、所詮……人形だから……」
痛みを表情に出さず、パキッ、と指をまっすぐに戻した男は、再びフードを被ろうとするフェオの手を掴んで止めた。
「おぬしそれ、いい加減やめよ」
「……それ?」
「フードで自分の殻にこもるのと、ついでにしゃべり方もだ」
「? しゃべり方?」
「まぁそっちは致し方なしか。誰の猿真似か知らぬが、そのしゃべり方がおぬしにとっての『人形』なのだろうな」
手を離す。
ピクリと再びフードを被ろうとするも、叱られたばかりの内容にためらい、そして指摘された内容に戸惑う素直なフェオ。
その泣きそうな面に手刀。
「っ……!? な、何を――」
「これであいこだ。いちいち気に病むな、うっとうしい」
腫れた指を見せつけながら背を向ける。
「おぬしのような人形がいてたまるかよ、バカめ」
後ろで息を呑む音がしたが、男はそれどころではなかった。この指まさか折れてやしないか。格好つけた手前、治してくれなどと言いづらい。まずいぞこれは。
脂汗を浮かべながら歩くと、追いついてくる声。
「……ガルド、雨を知ってる?」
幼い口調の違和感より、その遠さに若干いら立つ。後をついてくる気なしか。
痛みと怒りの入り混じった表情で振り返るも、今度は男が息を呑んだ。
「不思議な雨なんだ。体はぬれなくて、だけど、地面だけぬれて……」
まだ慣れぬ隻眼とはいえ、見慣れているはずの美青年がまるで別人に。
「俺は、その答えを……本当はずっと、ずっと、知りたくて……」
ただの、泣いている子どもに。
クシャクシャな顔。
「……涙ではないか?」
「? 涙?」
「今、おぬしが流しているものだ」
やっと見せてくれた、相棒の素顔。
「あ……え?」
気付いていなかったらしいフェオが、灰銀の両手を顔に当てて驚く。小童が。
「はっ、そら見ろ。人形が泣くものかよ」
戸惑うフェオに男は笑みを浮かべ、手を差し延べた。
「行こう、相棒よ。おぬしの永遠には付き合えぬが……」
同じ時は流れない。犯した罪を、代わりに背負ってやることもできない。
それでも、飛ぶことに疲れた小鳥が羽を休める、止まり木のように。
「……ま、ひと時の慰めぐらいにはなるだろうて」
せめてこの子どもの、拠り所で在ろう。
男は誓いを胸に秘め、ニッ、と笑いかけた。
「あ……」
惹き寄せられるように動く灰銀の足。一歩、また一歩。男は待った。儀式のような神聖さはなくとも、これはきっと、子の成長を促す大事な機会ではあったから。
しかし男は、間違えたのかもしれない。
「……っ!」
「ん?」
必要なのは単純に、人の温もりだったのだ。
(なんだ、枯れ草か)
二人の間を通り過ぎる荒野の回転草をしばし見送った、次の瞬間。
「……もう十分、慰められたよ」
ギョッとした。目を奪われた。
荒野の回転草が戻ってきた。
「でも俺は……尊き人の間に在ってはならないから」
時間の巻き戻しではない。これは書物を逆に読むような現象らしい。
そう、知っている。
「でも、でも……楽しかった」
すぐに正面を向くも遅かった。
「トモダチって言ってくれて、うれしかった」
立ち止まるフェオ。向ける手のひら、捻れる空間。
涙伴う破顔。
「ありがとう、ガルド」
「待っ――――」
――空白。
『―――― !』
※
「そしてわしは、記憶を奪われた。この真っ白な世界で、あやつの名はもう呼べなかった。まこと卑怯な童よ」
「そうだね……ズルいでござる、フェオは」
「わしの江戸時代の口調やめい。とにかくその後、わしはあやつのことなどきれいさっぱり忘れたが、旅に出ることはなかった。死ぬ直前にほんの少しだけ思い出したように、結局はあやつとてすべてを奪えるわけではなかったということよ。確と刻まれた、この想いだけは……」
「あっ、私も! 私もフェオが王子様だってことだけは、忘れず、に……あれ?」
ものすごく違和感。
上下左右真っ白で、ともすれば天地なき世界。そこにポツンと浮かぶ、ステンドグラスのように色付いた四角い鏡。映っていたのはガルドの記憶。たぶん。
今、この中にいた。
「ああ、これはもにたーだ」
「もに……?」
「てれびのほうがわかりやすく、もないか。余計混乱させそうだから消しとこうかのう」
ポチッ、とボタンなど付いていないカラスの羽根ペンを指で押して、鏡を消す人物。この真っ白な世界でも、変な四角い鏡でもない。違和感の原因はその人。
自分が、二人いる感覚。
「さて、自我はもう切り離したはずだが?」
男でなくなったリアは、隣の男だった男を呆然と見上げた。
秀眉に竜眼、背格好。双炎十字の白コートを羽織る、父によく似た赤銅色の肌の偉丈夫。けれど後ろに撫でつけられた髪は長く、老いに染まって白銀に。フェオの灰銀よりキラキラ。口髭も、頬からあごにかけてつながる髭も銀色で、ゲンドゥルより長く美しい。モジャモジャじゃなくてサラサラ。そして何より左目に傷、隻眼。
男だ。
「私、こんなイケおじだったでござるの!?」
「不思議でならんのだが、いったいどこでそのポンコツ遺伝子は混ざったのだ? わしはそんなことなかった……と、思いたいだけかもしれぬな」
苦笑して、頭をポンポンされる。そこでようやくリアは個の形を取り戻した。意識も、輪郭も。
自分は十六歳の少女。『剣聖の娘』リリアーナ・クルス。
「ようやく会えたな、我が末裔なる娘。わしの後継者よ」
その人は、初代剣聖ガルディン・クルス。死後に贈られし神の名を『剣帝』ガルドと――
「ちと違うな」
「――え?」
心を読んだかのように首を振る男が、これまた父に似た重低音で穏やかに告げた。
「我が名は『剣帝聖君』。人々の幻想であり、業を超越した……おぬしらを見守るただのジジィよ」
そして彼は、ニッ、と笑った。
フェオを惹きつけたあの、生前と変わらぬ笑みで。




