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特別再清掃社・告知事項アリ  作者: 渡辺河童


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7/10

07:手

 通話は、切らなかった。


墨田が何も言わないまま、数秒が過ぎる。


その間も、向こう側の呼吸は一定だった。


「……どこまで進みました」


戸田が言う。


問いではない。

確認だ。


「事務所です」


墨田は短く答える。


「袋が増えています」


「いくつ」


「……分かりません」


数えられない。

増え続けている。


わずかな沈黙。


「そうですか」


戸田の声は変わらない。


焦りも、驚きもない。


「では、予定より早いですね」


意味が分からない。


「何の話だ」


「移動です」


静かに言う。


「現場から、次の場所へ」


墨田は言葉を失う。

理解したくない形で、意味が繋がる。


「……持ち帰ったのか」


「いいえ」


戸田は即答した。


「最初から、ついてきています」


背筋が冷える。


墨田は、ゆっくりと事務所のドアを見る。


わずかに開いた隙間。


そこから、白いものが覗いている。


増えている。

止まらない。


「どうすればいい」


その問いは、ほとんど無意識だった。


――――沈黙。


そして。


「処理します」


戸田は言った。

迷いなく。


「今から行きます」


通話が切れる。


それだけだった。

説明もない。

理由もない。


ただ、来るとだけ。


墨田は、しばらく動かなかった。


「……墨田さん」


高橋が言う。


「来るって……あの人、本気で」


「来る」


短く言った。


「戸田さんは、これを止めるつもりだ」


「止まるんですか、これ」


返事はなかった。


事務所の中で、音がする。


カサ。


擦れる音。

床。

机。

壁。

どこからでも。

袋が増えている。


形を保ったまま。


同じ結び目で。


それが。

動いている。


少しずつ。


こちらに寄ってくる。


距離を詰めるように。


「……逃げますか?」


高橋が言う。


だが、墨田は首を振った。


「無駄だ」


「え?」


「もう場所の問題じゃない」


その言葉の直後。


階段で、足音がした。


ゆっくりと。


一段。

また一段。

階段を上ってくる音。

だが。


この音は、遅れない。


正確だ。

現実の音だ。


止まる。


墨田と高橋の背後で。


振り向くと、戸田が立っていた。


「お疲れさまです」


いつもの声。

いつもの表情。

その背後。


何もいない。

ついてきていない。

戸田だけが、そこにいる。

それが逆に、不自然だった。


戸田はおもむろにドアを開け、室内を見渡す。


袋。

床一面。

机の上。

壁際。


数えきれない。


増殖している。


それを見て。


「……想定より早い」


戸田は小さく呟いた。


驚きではない。


誤差の確認だ。


「下がってください」


戸田は言う。


墨田も高橋も、動かない。


「処理します」


その言葉に。

何かが反応した。


袋が、一斉に動く。


膨らむ。


歪む。


中から、形が浮き出る。


――――人間の手ようなもの。


押し込められた形が。


無理やり、出ようとする。


カサカサカサ。


音が重なる。

増える。

近づく。


戸田は、一歩前に出た。


そして。


袋を一つ、踏みつけた。


音が止まる。

一瞬だけ。

そのまま、言う。


「順番を守ってください」


静かに。

その言葉は。

人に向けたものではなかった。


袋が、震える。

動きが鈍る。

だが、止まらない。


戸田はポケットから、何かを取り出す。


細いスプレー。


無色透明の液体。

それを、床に散布する。


霧状に広がる。

匂いはない。


――――だが。


袋が、反応する。

後退する。

わずかに。


「……効いてる」


高橋が呟く。


戸田は答えない。


ただ、淡々と撒く。


範囲を広げる。


空間を区切るように。


「ここから先は」


低く言う。


「処理範囲外です」


袋が止まる。

境界で。


それ以上、進まない。


――――だが。


その代わり。


別の方向へ動く。


壁。


天井。


上へ。


逃げるように。


「……完全には止まらない」


墨田が言う。


戸田は、頷いた。


「ええ」


あっさりと。


「止まりません」


その言葉に、温度はなかった。


「ですが」


視線を上げる。


「偏らせることはできます」


袋が、天井に集まる。


重なる。

膨らむ。


一つの塊になる。


巨大な。

歪な形。


動く。


蠢く。


圧縮された何か。


戸田は、それを見上げる。


「価値が集中する」


小さく言う。


「良い傾向です」


その瞬間。


塊が、膨張する。


耐えきれないほどに。


形が崩れる。


内側から、何かが押し出される。


声。


無数の。


重なった声。


「……まだ」


「……足りない」


「……出せ」


「……全部」


空気が震える。


圧がかかる。


戸田の表情が、わずかに止まる。


初めて。


ほんの一瞬。


計算が崩れる。


「……想定外ですね」


小さく呟く。


――――そのとき。


塊が、割れた。


内側から。


白いものが、溢れ出す。


袋。


さらに増えている。


数が、跳ね上がる。

空間が埋まる。

境界を越える。


スプレーの範囲を。


侵食する。


「……下がってください」


戸田が言う。


今度は、はっきりと。


「これは、処理できません」


初めての言葉だった。


――――“できない”。


その瞬間。


袋が、一斉にこちらを向いた。


方向を持つ。

意思を持つ。


そして。


一歩、前に出る。

境界を越えて。


こちらへ。


戸田は動かない。


ただ、見ている。


その目に。


初めて。


明確なズレがあった。


計算が合っていない。

理解が追いついていない。


それでも。


口を開く。


「……なるほど」


低く。


「そういう“構造”ですか」


理解しようとしている。


まだ。

やめていない。

袋が、近づく。

距離が消える。


あと一歩。


そのとき。


墨田が動いた。


床の袋を、踏みつける。

音が止まる。


一瞬だけ。


戸田が、視線を向ける。


墨田は言う。


「これ、全部人の手だろ」


根拠はなかったが、袋の中身がそう示してくる。


戸田が静かに言う。


「……ええ」


認めた。

初めて。


「ですが、もう違います」


袋が、再び動く。

止まらない。


増える。

満ちる。

空間を埋める。

完全に。


逃げ場がなくなる。


その中で。


戸田は、立っていた。


崩れない。


まだ。


思考を止めていない。


ただ一言。


「……次の手順が必要ですね」

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