399回目 県内制圧 2
県の中枢たる場所。
そこに向けて、トモルは軍勢を動かしていた。
自動車によって運び込まれる部隊。
それらは次々に展開していく。
それと共に、他の領主の部隊も一緒に送り込む。
戦力としては銃を持つ者達に劣るが、敵の包囲には役立つ。
そうした補完として彼らは役立った。
彼らにトモル軍の動きを見せる必要もある。
今までとは違う戦い方。
違った武器。
それを用いた新戦法。
それがどれほどの威力を持つのかを。
そうして実際に見せて、差を知ってもらわないといけない。
でないと、無意味に共同戦線を張ると言われかねない。
それが不可能なほどに戦力差がるのを、実際に見てもらわねばならない。
見せねば分からない事もある。
そのための包囲でもある。
敵を逃がさない為だけではない。
味方に見せる為でもある。
建物内部の様子は分からなくても、様子を見せる事は出来る。
そうやって、自ら動きを見せていく。
見た者達に分からせていく。
トモルの軍勢とその他の間にどれだけのひろがりがあるかを。
それが分からないと、役割分担を告げても納得しない。
見栄なり意地なりというものが人にはある。
それ自体はある程度仕方がない。
やるべきところで、やるべき事というのがある。
それをなす原動力に見栄や意地というのが関わる事がある。
しかし、その使いどころを間違える者は多い。
だからこそ見栄っ張りというのは嫌われる。
見栄だけしか頭にないからだ。
その見栄が、世間的な名声とくっついてると厄介だ。
戦争においては、一番槍や敵軍の撃破がこれにあたる。
そして、功績の為に無駄に己の存在を主張するようになる。
作戦の成否、戦争の戦略などおかまいなしに。
だからトモルは最初に見せる事にした。
どれだけの違いがあるのかを。
それを見せる事で、無駄に張り合う馬鹿を牽制していく。
この場合、味方こそが最悪の敵である。
己の存在感を主張するために声を張り上げるような。
そんな馬鹿を可能な限り排除せねばならない。
特に、トモルと同じように行動しようとする者。
あわよくば出し抜こうと考える者。
それを早めに潰さねばならない。
でないと、無駄に足を引っ張られる。
この際、味方との協調など考えてられない。
無駄に対立を作るだろうが、それでも断固とした処断をせねばならない。
だからトモルは反対意見の全てをねじ伏せていった。
県内に残る敵陣営。
これを潰すために、自軍だけを使った。
共にやろうという言葉を踏みにじって。
それらが善意から出てるなら良いのだが。
残念ながら、そうではない者達が多い。
(しょうがないんだろうけど)
気持ちが分からないでもない。
復活して地位を取り戻した旧氏族。
トモルが引っ張ってきた、貴族の元部屋住み達。
彼らからすれば、手柄を立てる機会なのだ。
この際に、少しでも功績をたてようと躍起だ。
だが、トモルは彼らに後方任務を求めていった。
戦場においても、戦線構築の要員として用いるつもりでいる。
戦闘を主任務とせず、どちらかというと補助や援護が主な活動になる。
あるいは、後方で輸送任務など、地味なものを担わせようとしている。
そんなものを望む者はいない。
死にたくない兵士達はともかくとして。
指揮官あたりになると、どうしても功績を求めるものだ。
なので、補助的なものや後方勤務には反発する。
そんな彼らは、共同歩調を口にする。
実際に肩を並べて戦おう、という殊勝なものではない。
相手を出し抜くために、自分も戦場に立つために。
その為の方便である。
そんな考えを潰すべく、実際にトモルの軍勢が戦ってるところを見せる。
どれだけの差があるのかをはっきり見せていく。
その効果は覿面だった。
トモルの軍勢と共に行動した者達は、もう何も言わなくなった。
差がありすぎて、一緒に行動する事が出来ないのを察していく。
一部の馬鹿はそれでも食い下がるが。
そんな連中は容赦なく拘束拘禁していく。
そこまで馬鹿ではどうしようもない。
むしろ、指揮官としての資質を問わねばならない。
何よりも、上に立つ者としての才能や才覚を。
的確な判断も出来ず、功をあせってるだけなのだから。
そんな輩をそのままにするわけにはいかない。
そのままの地位に留まれば、大きな問題になりかねない。
残念ながら更迭するしかない。
そういった問題もあぶり出していく。
そうして軍勢を再編していく。
今後に向かっていくために。
だが、県内の制圧そのものは上手くいった。
イツキヤマを含む周辺地帯は、タカヤスの支配下になっていく。




