356回目 世相の変化や時代の流れとの付き合い方
幸いな事に、状況は順調に推移していた。
想定外の外出は増えたとはいえ。
発展は順調に進み、知識や技術の進歩は激しい。
一気に産業革命を迎えようというのだ。
否が応でも世の中は変わる。
あまりの変化の早さに、ついて来れない者が出るほどに。
それでも、人はなんとかついてきている。
生活が確かに良くなっているのが大きい。
めまぐるしく出てくる新製品に新商品。
それらをもたらす新発見と、新発見の普及・拡散。
昨日の新商品が今日は旧式になっていく。
それがいたずらな混乱をもたらすならともかく。
大きな恩恵をもたらすのだ。
誰も文句を言う事は無い。
「大変だけど、ついていこう」
そんな声があがってくる。
そうした流れに対して、人もそれなりの対応をしていく。
めまぐるしく変わる世相。
次々に出てくる様々な機器。
それらを追いかけていく事を彼らは断念した。
毎日のように出てくる新しい機器。
それらを次々に導入する、という事はなくなった。
新しく買ってもすぐに旧式になる。
だったら、しばらく買うのを控えて、より新しいものを買えばいい。
数ヶ月もすればより良いものが出てくる。
それを導入すればいい。
そういう考えも出てきていた。
そうして時間をおいて新機器の導入をしても問題は無い。
更新が緩やかになっても大きな違いはない。
それに、新しい物が出れば、古い物は値下がりする。
それをあえて導入すれば、予算は低く抑えられる。
最新ではないが、それでも問題は無い。
今まで使っていた旧式よりは効率が良いのだから。
世の流れにある程度距離を置く。
そうして世の中の流れについていく。
それでも十分どうにかなっていく。
トモル側の人間は、世相の変化にそうやって対応していった。
それでも流行を追いかける者はいる。
あるいは、流行から完全に距離をおき、旧態依然というべき事を続ける者もいる。
そのどちらも間違ってはいない。
どちらも正しい。
新機器の導入は、やはり強みだ。
それを続ける事が出来るなら、それは大きな力になる。
ただ、それを実行するにはそれなりの資本が必要になる。
それが出来る者はより大きくなっていく。
そうした者達は事業を手広く広げていく。
より多くの人間を確保し、事業を拡大していく。
そうして、新機器導入する部分と、そうでない部分を分けていく。
こうする事で、部分的な更新が出来るようになっていく。
組織全体で新機器の入れ替えはさすがに出来ない。
だが、一部でも新しくなれば、その分効率は上がる。
そして、時間が経過すれば、次の部署の更新を行なっていく。
その頃には、より新しい機器が出て来ている。
それを導入する事になる。
こういった事を繰り返していき、全体の更新を図っていく。
規模が大きいからこそ出来る事だった。
これが大企業の誕生につながってもいく。
これまではそれほど大きな事業規模を持つ商人や職人はいなかった。
あるとすれば上位や高位の貴族が率いてるものがほとんどだった。
それが一般庶民である商人・職人などに変わっていく。
これにより一般庶民や平民達の地位も上がっていく。
少なくとも財産や資産という面では大きくのし上がる事になる。
相対的に貴族の地位が低下していく事になる。
それもまた、世の中の大きな変化へとつながっていった。
一方で、そうした世の中の流れに背を向けた者達もいる。
新機器の導入には目もくれず、昔ながらの方法を続ける者達も。
そうした者達はさすがに時代に取り残されていく。
しかし、そうした者達もまた、独特の存在感を発揮する事になる。
時代の流れに関わらず、昔ながらの方法を続ける事で。
伝統工芸や伝統芸能と呼ばれるようになっていく。
彼らは確かに旧態依然としたやり方に固執してると言えるだろう。
だが、新しい技術に興味がないわけではない。
使う道具などは古いままであっても、それを工夫して何が出来るかをつきつめていく。
それがまた新しい発見につながる事もある。
伝統と呼ぶべき古くからの継承。
それが内包する叡智。
それがまた世の中の発展に寄与していく。
また、工作機械などで手軽に簡単に様々な物が作られるようになった。
そんな中にあって手作りであるという事が価値を持ちもする。
やろうと思えば簡単にできる。
しかし、そこをあえて手間をかけて作る。
そこに価値を見いだす者もいる。
自然とこれらは高級品としての価値を放ちはじめていく。
もちろん実用性や機能性あっての話だ。
使い物にならないのではガラクタでしかない。
それでも手作りで作られた高級品を求める動きも出てきた。
それはそれで新たな需要だ。
産業として成り立つならトモルは歓迎である。
民衆の稼ぎは税収としてトモルにも利益となるのだから。




