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失われたもの

「ふざけんじゃねえ、私いろんな仕事に手を出してきたがね、色商売だけはしたことないんだよ、妾なんざお断り、帰る」

 そう言って着せかけられた上等な衣類を襟をつかんで脱ぎ捨てようとする。

「やめなさい、それに支度金ももらってしまったでしょう、今帰ればその倍支払ってもらうことになりますが」

 美蘭はぎりっと歯を鳴らした。

 支度金そのままも返す当てはない、とっくに父親が手を付けてしまったはずだ。ましてやその倍となれば借金をする羽目になる。

 借金はまずい、それで弟が学問所に行けなくなれば本末転倒というものだ。

「わかりましたか、すでに貴女方に選ぶ権利はないのですよ」

 ふっくらした顔に柔らかな笑みを浮かべて女は言う。

 美蘭はぎりぎりと歯をかみしめた。

「あの、王の側室に選ばれたということですけど」

 別の女がおずおずと声を上げる。

「どうしてですか? 私たちのようなものに声を掛けなくとも、側室になりたがるものはいくらでもいると思われますが」

 そう、それが当たり前、王の側室になりたがる女は腐るほどいる。そんな女の中から選べばいいのだ。

 美蘭の様に最初っからその気のないものを騙して連れてくるなんてしなくても。

「それはこちらの事情ですが、あなた方は知る必要はありません、また王のお気に召さない場合は、適当なものに引き取らせることになります」

 美蘭は低く呻く。

 王の妾になれなければ、また別の誰かの妾として下げ渡されることになる。

 この話を持ってきた仲介者の首を締めあげたい気分になってきた。

 気分だけではない、実行できたら確実に絞めに行っている。

 そういったことに無知な美蘭ですら、王の側室となれば後宮に軟禁状態に置かれるという基本的知識はあるので、そのことを断念せざるを得ないだけだ。

「それでは最低限の礼儀作法と教養を得てもらいます。そのための授業を午前中に設けてありますので受けるように、午後からは自由時間です。好きに過ごしなさい」

「ちょっと待って、仕送りはどうすんのよ」

 またお前かと女は美蘭を睨む。

「うちに仕送りすることになってるの、それがないと困るのよ」

 美蘭はも度は一歩も引くつもりはない。

「支度のための費用が出ます。その費用の一部を実家に送金という形にすればいいでしょう、ただし、なにがしか入用になっても知りませんよ」

 美蘭は足りないものは我慢することが習慣になっているので、それくらいなら十分だと思い頷いた。

「質問はありませんね、ならば、授業は明日からです、今日は好きに過ごしなさい」

 そういって女は去っていった。

 おそらく、後宮で高い身分を得ている女だろう。普通後宮に努めるというと女たちに仕えることだが、明らかに美蘭たちを下に見ている。

 美蘭は自分に与えられているらしい部屋に戻った。

 最初気づかなかったが扉に文字が書かれている。

 勿忘草、それがこの部屋の名前、そして、美蘭はこれより元の名前を失い勿忘草の妃と呼ばれることになる。そんなことも知ったのは翌日になってからだった。

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