海の見えるレストランと岩窟王女
苦肉の策だった。
今でもそれが正しかったのかと問われれば、胸を張って答えることができない。
成人したばかりの女性を、地獄に叩き落すような選択肢をするのは、騎士道にもとるのではないか――そんな自問自答を繰り返し、だがそれ以上の手立ては思いつくこともなく、ゲイルは残された義務を果たすべく奔走した。
エルカが罪を着せられたことは明白だった。
それは、厳氷穴に居た幽霊達からの証言を元にした結論だ。
彼らは失われた古代王国の技術者だったために、洞窟を守り監視する術に長けていた。
「あのお嬢ちゃん? ここ数ヶ月は覚えが無いなぁ」
「最近来たのはあの魔族の少女と、あとはボロに身を包んだ男だった」
「女じゃない、間違いなく男だ」
「見間違えるということはない、見ているのは外見ではなく魔力や魂だからな」
「あんな太陽のような魔力をもった女はそうそういない」
だが、この証言を使うことは難しかった。
身元の確認できないゴーストは証言台には立てない。
モンスターの一種とみなされるのが通例だ。
しかしそのボロをまとった男という僅かな手がかりを元に調査を進めることがはできる。他にも幾つかその男の特徴や足跡を見出すことができた。
が、ゲイルと騎士団員達は手分けをして捜査にあたったものの難航を極めた。
そもそも白翼騎士団は武力にこそ通じてはいるが、地道な調査という仕事は長い経験や顔の広さが物を言う。設立経緯からして捜査を目的とした騎士団ではない。ゲイル自身も事務官よりの軍務の経験はあったが、都市での仕事は大きく勝手が違った。
そして同時に、妹クリスとその婚約者トマスの失踪の報せがもたらされたとき、不吉な予感が頭をよぎった。
……まさか、妹が関係しているのでは。
いや、確執があったとはいえ、そこまでするはずがない。
だが何故か、一抹の疑いを拭い去ることができなかった。
ウェーバー家も、トマスのアーヴィング家も伯爵家である。
伯爵家の娘と、伯爵家の次期当主が失踪ともなれば相当な事件だ。
ここでゲイルは身動きが取れなくなった。
妹と親友が、何か事件に巻き込まれたのか。
それとも、何かしらの考えがあっての行動なのか。
アーヴィング家とウェーバー家は大きく慌てふためいたが、だがその動揺を沈めたのは黄金騎士団からの通達であった。
「魔族の侵入による事件が多発しており、巻き込まれた可能性が高い」
「貴族間で情報が広まると捜査に問題が出るため、箝口令を敷く」
この二つであった。
明らかな嘘がある。
都市内部に魔族が侵入しているのであれば騎士団全員に通達がなければおかしい。そもそも周辺地域に居たゲリラは白翼騎士団が捕縛したのだ。身柄こそ金剛騎士団に引き渡しはしたものの、それまでにある程度の尋問はしている。少なくとも協力者の存在が居る可能性こそあったが、都市内部でこのような通達が出されるほどの派手な活動をしているはずはなかった。
だがこの嘘に縋るしか無い。
ゲイルは病床の父に代わり、伯爵家長男ではなく既に当主の名代として活動している。そして当主として判断したとき、通達に楯突くという選択肢は無かった。何の理由もなく身分の高い人間が失踪するというのは、その家の恥、甘さ、弱さだ。庶民や町民とは違い、自分の身を守るための努力を怠るということは醜聞に他ならない。ともすれば罰すら与えられかねない。アーヴィング家はまさしく窮地に立たされていた。ここで事を荒らげては、自分の家のみならずアーヴィング家を更に危機へと追い詰め、それはまたウェーバー家へのダメージとして返ってくる。苦しい立場だった。
そうした八方塞がりの状況の中。
思いもよらぬところから、助けの手が差し伸べられた。
★☆★
海岸は、静寂に包まれている。
窓辺から聞こえるさざ波の音。
燦々と輝く太陽がひさしに遮られている。
その先に広がる砂浜は目が眩むほどに白く明るく、まるで陰と陽に区切られた別世界だ。
首都の南東に位置するこの島は、夏の到来が一足早い。
この島の人間の朝は早いが、昼下がりに動く者は多くはない。
太陽に勝負するよりも、ただ過ぎ去るのを呑気に見守ることが、島民達に課せられた数少ないルールの一つであり愛でるべき情緒だ。
カモメの声が遠くから響いてくる。
海は良い。この海の先には故郷がある。
距離は遠くても、海は繋がっている。
「ご昼食をお持ちしました」
開放的な間取りのレストランの、窓際のテーブル。
丁寧な所作で老人がわたしに声を掛けた。
執事として雇ったウェルだ。
老齢で島の暮らしが長いにも関わらず丁寧な所作を忘れない紳士で、そこが気に入っている。荒んだ環境でも美意識を忘れない人間は稀有であり、わたしもそうありたいと思っている。
彼は洗いざらしの白いシャツに、黒い布をエプロン代わりにしている。刈り上げた白髪頭と白い髭からは、野性味よりも几帳面さが感じとれた。
「ウェル、今日は何かしら?」
「真鯛のポワレにございます」
「あら、良い魚が入ったのね」
「ここの海は魚にとっても戸惑うような潮の流れをしているようで、浅瀬での釣りでも良い魚が手に入ることがあるのです。季節外れの鮭が手に入ったこともありましたが、脂が乗って実に美味でありました」
「普段は貝や海老が多かったから嬉しいわ」
「どうぞご賞味ください」
皮目がよく焼かれた鯛だ。
一口食べただけで繊細な旨味が感じられる。
味付けは食べたことのない不思議なソースだ。これはなんだろう。
独特な酸味と塩気を感じながらも、鯛の味わいを邪魔せず味わえる。
ああ、それにしても皮目が美味しい。香ばしさと食感がたまらない。
「この味付け、初めて食べたわ」
「豆を発酵させた調味料でして、北の国の出の者から分けて頂けました。あとはバターと香味野菜やスパイスを少々」
「豆を調味料に、ねぇ。甘く煮付けた豆料理は食べたことがあるけれど」
「ほう、それは興味深いです」
「バロルでは魚こそ少なかったけど、甘味は色々と手に入ったわ」
「ここだと果物がどうしても多くなってしまいますな。砂糖が手に入れば良いのですが。……おや?」
『船だな、この時間にしては珍しい』
老人が、何かに気付いた。
また、テーブルの側に建て替えていた杖から、男の声が流れでた。
「また新入りでしょうか」
「いえ、いつもの船とは違うわ。珍しいわね」
「見えるのですか、この距離で?」
「もう少し近寄ればあなたもわかるわ。船頭が多いし、船も豪華だもの」
海の遠く先から、船が近づいてくる。
ここの島の名は骸火島。
ただの牢獄や鎖で縛ることすらできない、力ある罪人の最後の住処。
弱肉強食が支配する地を訪れる者は二種類しかいない。
これからこの島に放り込まれる者と、それを送り出す看守達だ。
「さて、デザートをお持ちします、お飲み物はいかがいたしますか?」
「そうね、コーヒーをお願い」
★☆★
陽が少しずつ傾き始めた。
一番暑い時間帯を過ぎると、空気が冷え込むまであっという間だ。
海岸に吹きすさぶ海風の冷たさを侮ると、あっと言う間に体を壊す。この島は雲の流れが激しく天気はいつも不安定だ。気候に耐え切れず倒れる者も少なくない。
もっともわたしに限ってはそんなことはありえないし、何よりも今のわたしは無常の喜びに包まれていた。失われていた半身とも言うべき愛犬との再会を果たしたのだ。
「「わん! わふっ!」」
「ぽちちゃん! 良かった……!」
『健康面では問題なさそうだな』
杖の言う通り、特に痩せた様子もないようだ。声もいつも通り。毛並みだけは潮風で少しかさついている。ブラッシングしてあげなきゃ。馬毛は手に入るかしら。まあ居なければダンジョンでそれらしいモンスターを狩れば良い。
わたしがこの島へ行くことが決まったとき、ぽちちゃんを連れて行くことはできなかった。持ち込めるのはあくまで手荷物や武器だけで、ペットの同行は前例が無かったからだ。
「いえ、ここに来るまではあまり元気がありませんでした。どことなく寂しそうで」
「ごめんね、ぽちちゃん……!」
「「わおん!」」
ぽちちゃんをひとしきり撫で擦り、わたしはゲイルを迎えた。
船に乗ってやってきたのは、彼であった。
わたしの愛犬を連れて面会に来てくれたのだ、感謝せねばなるまい。
「ありがとうございます、ぽちちゃんを連れてきてくれて」
「礼には及びません、むしろ私の方があなたに謝らねばなりません」
「大丈夫よ、ここの生活にも慣れたわ」
「エルカ様が如何に強いとはいえ、強さだけで乗り切れないこともあります。こうした場所で食うや食わずの生活を送ってるのではないかと、とても心配していたのですが……」
「まあわたしも、ちょっとくらい苦しい生活送るかなっては思ってたんだけど」
ゲイルは、しばし沈黙した。
周囲を眺めている。ふふん、どうかしらこの建物は。
「……ええと、元気そうな姿を見て安堵しました。ですが、今は何をしてらっしゃるのですか」
ゲイルが怒っている……いや、違う。戸惑っている。
そういえば、生まれて初めてモンスターを退治した時も父様がそんな顔をしていた。
褒めてもらえると思っていたからがっかりしたものだが、今思えばそれも懐かしい。
ともあれ、どうやって説明しよう。
「……まあ、その、ちょっと、趣味に走ったかなって」
「桟橋を建て直したのはエルカ様ですか? 船頭が助かったと言っておりました」
「そうよねそうよね?」
「ええ。ですが、海の見えるレストランも作ったんですか?」
「あら、なんでわかったの?」
「そこにあなたの肖像画があるではありませんか。それと、海岸線には彫刻も。貴族の別荘にしてもこのような瀟洒な雰囲気の場所はそうそうありませんぞ」
「ええと、腕の良い料理人と大工と絵師が居たから、つい……」
暇だから色々と作らせたのよね……しまった、作りすぎた彫像も海岸線に置きっぱなしだったわ。飾るところがなかったのよね。
『良い絵だろう、芸術家と俺の合作だぜ。俺の故郷にある「民衆を導く自由の女神」って絵をモチーフにしてみたんだ。首都ネビュラやバロルに持ち込めば相当な値が付くぜ、この絵の構図には秘密があってな……』
「何をしてるんですか、杖であるあなたも」
ここに居る囚人は、ほとんどが訳ありだ。
貴族の逆鱗を買ってここに投げ込まれた者も少なくなく、娑婆よりも腕の立つ職人も少なくないし、たとえ何の技術も無くとも生きていくために何かしら熟達するようになる。それすらもできない人間のための救済措置はあるが、それもまた過酷な道だ。
「お飲み物はいかがなさいますか?」
言葉が途切れたタイミングで、ウェルが現れる。
「……飲み物も選べるのですか」
「ええ、エルカ様の面会者ともなれば礼を尽くさないわけには参りませぬ」
胡乱げな目でゲイルは男を見定めようとした。
「……この方は?」
「執事のウェルよ。他にはシェフのバイアンと芸術家のエルメス、あと使用人が何人か居るわ」
「こちらに投獄されて三十年ほどになります、エルカ様に拾って頂きまして」
「……すみません、聞いていた話を相当待遇が違うもので、戸惑っております。地獄のような島だと聞いたのですが」
「あー、うん、そうよねぇ……」
確かに、ここは世に聞く恐ろしき骸火島であることには変わりない。
弱肉強食が支配する囚人達の地獄。
つまるところ、強ければ何の問題もない。
★☆★
骸火島は監獄としての役割を持っている。
が。
監獄としての機能を果たしているかというと実際のところ怪しい。
その理由は、囚人は基本的に自由であること。この島において実際に牢獄として機能しているのは、港の付近に立てられた建物だけだ。二百から三百人程度が収容できる無骨な建物で、ここには看守達が居て、牢屋があり、貧しい飯、規則正しい生活、そして過酷な労働が与えられる。ただし、この建物から出ることは自由だ。ここは、島における唯一暴力から逃げられる場所である。弱者を守るための場所なのだ。この島の自然は厳しい。天候は変わりやすく、屋根の無い場所で生きていくことは難しい。だが、森の木々や天然の洞窟を使って拠点を作ろうとしても、すぐに他の囚人やモンスターに襲われてしまう。それを咎める者も止める者も居ない。受刑者がモンスターに食われて死ぬことも、受刑者が受刑者に殺すことも、そして暴力で支配することも、全ては自由だ。非暴力が認められるのは監獄の中だけだ。どんなに苦しかろうと、そこには安全がある。
「……で、島に来たばかりの新入りの受刑者を狙うこすっからい連中も居るわけなの」
「野盗のような連中ですね」
ゲイルが相槌を打つ。
『いやー本職よりひでえぜ。取り締まる騎士は居ないしやりたい放題さ』
「で、それでエルカ様はどうしたんですか?」
「エルカ様は腐海王ヴィルカを倒し、新たに南側の海岸線を取り仕切る王となられました」
執事のウェルが口を挟んだ。
「王ってやめてよね、不遜だわ」
「ヴィルカ……聞いたことがあります。海賊を取り仕切る大首領でしたな。ここへ投獄されていて……え? 倒したのですか?」
「嫌なやつだったわ、粘着質だし磯臭いし」
「……騎士団を壊滅させた程の腕前だったはずですが」
ゲイルが眉間を揉んでいる。確か、頭が痛くなってきたときの仕草だった。すっかりここの環境に馴染んでしまったので、娑婆を思い出して懐かしい。
『海棲型のモンスターを支配下に置き、また自分自身も海棲生物の能力を宿すことで異常なまでの防御力や再生能力を発揮する奴だった。実際強かったぜ。こいつの正面からの剣撃に耐えたんだから……まあ結局は倒したが。ま、海賊をしきってたのも納得だ』
「ええ、あの男が海岸線を取り仕切っていたために、大変苦しい生活を強いられました。この島を支配する七人の不死王の中で、もっとも卑劣でしたので」
ウェルが何処か遠い目をしながら語る。
ウェルと知り合ってから、そこまで時間は経っていない。わたしには話していない、何か言い知れない怨みや確執があったのかもしれない。
「……七人の不死王?」
「あまりにも強く、死刑すらできずにこの島に送る以外の罰を与えることができなかった強者達の異名でございます」
『まあ厳密に言うと不死じゃあないんだが、それに準ずる能力はあるらしい。まあ腐海王はエルカと相性は良かったんだが他の連中はそう簡単にはいかないだろうぜ』
「ちょっと、なんでわたしが戦う前提で話をしてんのよ」
『え、やんねえの?』
「めんどくさい」
「いいや、そういうわけにはいかん。お前は残り六人の王を倒し、ここを平定してもらう」
レストランの入り口が、ぎいっと音を立てて開いた。
壮年の貴人だった。
均整のとれた体に、がっしりとした顎、そして力強い眉と目。
人目で高価な服を着ているとわかるが、それもその男の野性味を抑えることはできず、むしろ男ぶりをあげる道具にすら見えてくる。余人にはないカリスマを感じさせる男だった。
「伯父様!」
「久しぶりじゃな、エルカ」