晦日月・6
数年前、運び込まれた結城の屋敷で出会った時は、ふわふわとした、人のいいおぼっちゃまとしか見えなかった。しかし、数カ月間一緒に暮らしてみて、和眞は柊の明敏さを十二分に感じ取っている。
――それでも。
おそらく柊は、常識的にすぎるのだ。権力を握る者たちの傍若無人さを、理解していない。
和眞の姿を認めた仮面の黒服が、ちょうど良いタイミングで扉を開く。
扉の向こうはもう、碁盤の目のような水路の走る庭園である。オートウェイの到着場所には、今は真っ白なコンバーチブルが一台停まっていた。
「和眞様、お早いお帰りですね。もう少し円舞曲を楽しまれるのかと思っていました」
肩までの長髪をぴっちりとなでつけた運転手が、馬鹿丁寧な一礼をして車のドアを開ける。
「一刻も早くコロニーを出る。予定が狂った」
和眞は柊を車に押し込み、続いて自分自身も乗り込むと、勢いよく車のドアを閉めた。
運転手も、和眞のただならぬ雰囲気を察したのだろう。質問を差し挟むこと無く、すぐに運転席に戻る。
アクセル音が高く、夜空に響いた。
柊の悲鳴が上がり、フリルが舞い上がる。
「おや」
運転手がバックミラー越しに、スカートの裾を直している柊に目を留め、二、三度瞬きをした。
「弓削昴、随分と身長が伸びたんんじゃねえか?」
「は?」
豹変した話し方に、体勢を立て直した柊が運転手を睨みつけた。
「悪い悪い、お前の顔は見たことあるな。確か……平良柊だったかな」
使用人の仮面を速くも脱ぎ捨てた運転手の顔には、にやにやとした笑みが浮かんでいる。
「和眞様、彼は何者です?」
「俺は清宮だ」
和眞が答える隙きも無く、運転手が答えた。
「和眞の」
清宮はそこで言葉を区切り、軽く後部座席を振り返る。そして
「友人ってことでいいのか?」
と、和眞本人に確認をとった。
「恩人だな」と和眞が答えると「だそうだ!」と、かぶせ気味に言い切る。
答えを聞いても、柊は怪訝な顔をしたままだった。
そうこうしている間にも、和眞と柊を乗せた車は、スピードを落とすこと無く、広々とした庭を駆け抜けていく。いくつかのゲートを通り抜け、いよいよ京極家をぐるりと囲む最外層の城壁へと近づいた。
遠くに低く見えていた壁は、近づくにつれ威圧感を増していく。
分厚い門扉はぴたりと閉じていたが、車が近づくにつれ、ゆっくりと口を開け始めた。
「勿体つけた動きだぜ」
喉の奥で抗議の音を立てながら、清宮は車のスピードを落としていく。
「このゲートを出てしまえば、自由だ」
和眞は少しずつ開いていく重厚な門戸を静かに見つめた。
「自由、ですか?」
「当面の間はな。いまごろ京極も、父も母も、俺の婚約者について、あやぎぬ会の面々や招待客に説明するのに必死だろうからな」
もともと和眞は、婚約者披露のために一曲踊り終えたらこの屋敷から出ていく手はずになっていた。きちんと挨拶をして、礼儀正しい姿など、求められていないからだ。
『困った後継ぎだ』
そんな程度に思われていればいい。それでこそ、次に社交界デビューする侑眞の株があがるというものだ。
だから、和眞が今この屋敷を出ていくことに不信感を持つ警備員はいないだろう。
それでも、不安がないといえば嘘になる。
六つの瞳は、開いていく扉をじりじりと見つめていた。
「よし!」
車が通り抜けられるほどにの空間ができると、待ちかねていた清宮がエンジンを踏み込む。
門を通り抜けるのは、あまりにの一瞬で、あっけないものだった。
背後を振り返ると、星空の下、薄っすらと白い城郭が浮かんで見える。
「どこに行くんですか? 清宮様。それから、どうして私の旧姓をご存知なんですか?」
清宮が、咽るようにして笑い始めた。
笑いつつ、胸のポケットから取り出したサングラスをかける。
「清宮様、夜なのに、サングラスを掛けるんですか?」
笑っていて答えない清宮に業を煮やして、柊は質問を変えたが、更に清宮の笑い声を大きくしただけだった。
柊の白い額に縦皺が刻まれる。
「清宮様、なにがそんなにおかしいんです」
顔を朱に染めて、柊が運転席の方へと身を乗り出し、ようやく清宮は笑いを抑えた。
「おかしいさ、清宮様だと? ウチの奴らだって、清宮様なんて言わねえな。気色わりい」
「では、なんと呼べと?」
「自分で考えろよ」
清宮はダッシュボードの奥から銀色に光る小箱を取り出した。蓋をスライドさせ、軽く振ると中からクレヨンほどの大きさの棒状のものが飛び出してくる。清宮はそれを口に加えて火をつけた。
吐き出された煙が、あっという間に後ろに流れていく。
柊が物珍しげに清宮の手元を覗き込んだ。




