後編
「――ねえ、もうちょっと、静かにできませんか、先輩方」
私は、とうとう、我慢ができなくなって、目の前の3人に声をかけた。唯一、小春先輩だけが、申し訳なさそうにしている。小春先輩は、もう、人見知りが治ったのか、兄たちの後ろに隠れることはないけど、彼らにがっつりと注意できるまでに成長したわけではないようだ。
……まあ、そんなに簡単に成長できたら、人間、誰しも、そんなに苦労したりはしないだろうけど。
「んー? 細かいことは気にするんじゃないよ、かおるちゃん」
景虎先輩は、どうやら、変態スイッチが入るのは、対象者(無機物にも時たまスイッチが入るらしいから、恐ろしい)と2人きり、もしくは、少人数での時のみらしく、こんな、みんなが見ているようなところでは、基本的に、何もないらしいからいいんだけど……
「かおる、週末のデートはどこがいい? 俺的にはー、この映画かー……あ、この映画とか、どう?」
「私、いつ、銀治先輩とデートに行くって言いましたか。しかも、なんで、チョイスが恋愛映画ばっかりなんですか。絶対に行きません」
1番の問題は銀治先輩だ。 小春先輩いわく、景虎先輩ほど厄介というわけではないらしく、銀治先輩はバカなので、適当にあしらってしまえばいい、とのこと。
小春先輩は――こう言ってしまうと、小春先輩には悪いけど――意外と頼りになる人である。
そして、何より、うるさいのは、我が兄である。
「銀治、誰が口説けと言った! 俺はそんなこと、許可しとらん!」
「えー、口説こうが何しようが、俺の自由じゃん。そこまで、真に制限されなきゃなんない理由がわからない」
「そうそう。まあ、それで、かおるちゃんが銀治に落ちるのかどうかというと……見込みは低そうだけどね」
「おいー。景虎、ケンカ売ってんのかあ?」
「ちょ、お前ら! かおるを取り合ってケンカとか、そんな少女マンガ的展開は誰も望んでない! やめろやめろ! かおるの精神的負担を増やすなぁああ!」
……まあ、言ってることはまともなんだけどね、うるさいよ、兄さん。この疲れる状況に、兄さんの大声が重なって、頭が痛いんだよ。
「……かおるちゃん、疲れてるね。保健室でも行く?」
「いや……毎回、そんなことしてたら、留年しかねませんから」
「あー……。じゃあ、休み時間だけでも、保健室に避難するようにすれば?」
なんだか、小春先輩のまともな気遣いに泣きそうになるのはなんでかなー……。
「小春先輩は、こんなのと毎日、一緒なんですよね。いつも、ご苦労様です」
「いや……いつもは、ここまで酷くはないんだけどね。たまーに、こうなるんだ」
「あー……」
小春先輩も、なんだか、疲れているようで、小春先輩を連れて、本当に保健室に避難してしまおうかと一瞬だけ、マジで思ってしまったのも仕方のないことだろうと思う。
っていうか……授業の合間ごとに来ないでください。あんたら、本当に、ちゃんと授業受けてるんですか。
兄さんの中では、銀治先輩と景虎先輩を野放しにしておくのは危険だと判断されたようで、こうやって、先輩たちと行動を共にして、私のもとに来た時、少しでも暴走を食い止められたら、ということで来てくれているようなのだが……
正直、余計な暑苦しさとうるささが上乗せされただけのような気がするのは、なんでだろう。
もう、もう…………
「癒し要員の小春先輩は置いてってくださって結構ですので、後の方は、どうぞ、お帰り下さい」
つい、そんな言葉がもれてしまったのは、お昼休み、女の子たちと、ご飯を食べようとしていた時にやってきたヤツらに、女の子たちが怖気づいて、私から離れて行ったのが原因だった。もう、いい加減に限界である。
「えー、かおる、どういうことだよ。小春が良くて、俺がダメな理由がわからない。なんで、小春がいいわけ?」
「ご自分の行動を振り返ってみてください。正直、先輩方は、迷惑です。そんな中で、唯一の癒しだったのが小春先輩です。見た目はさることながら、小春先輩だけが、私にまともで正常な気遣いをしてくれたので。それが、どれだけ、救いになったことか……」
銀治先輩がすかさず文句を言ってきたけど、ばっさりと切り捨ててやる。つい、遠い目になりそうになりながらも、それじゃあ、しまりがないと思ったので、必死に、眉間にしわを寄せて、怒ってる顔を作ってみる。
私の顔は、怜悧で理知的と称されることからもわかるように、怒鳴るより、冷静に淡々と言葉を連ねる方が迫力があるというか、怖いというのは、自分でもわかってる。
それは、同じ系統の顔をしている兄さんに、兄さんもそういうスタンスをとった方がいいと――少しでも、見た目に合う術を身につけ、少しでも落ち着いてほしかったため――語ったことがあるため、本気で私がキレていることを悟ったらしい。兄さんは静かになった。
どうやら、まわりをよく見ている、気遣い屋さんの小春先輩は、そんな兄さんの様子に気付いたらしく、なんだか、気にしているようだ。
しかし、私のアドバイスを微塵も生かさず、先輩方と一緒になって、ぎゃあぎゃあと騒いでいた兄さんが悪いのだ。そんなヤツに、気を遣わないでいいんですよ、小春先輩。
すると、冷静になることに成功したらしい兄さんは、そんなわたしの視線にも気付けたようで、銀治先輩と景虎先輩の腕を掴んで、引っ張りながら、ぼそりと言った。
「撤退だ」
しかし、駄々をこねたのは、銀治先輩だ。
「えー。きっと、かおるは、照れてるだけなんだって。ツンデレなんだよ」
「銀治先輩、ないです。それだけは、ほんっとうに、ないです。さっさと、どっか行ってください」
「ねえねえ、かおるちゃん、もしかして、俺も?」
「当たり前です」
……景虎先輩は、うるさいのも問題だけど、それ以上に、いつ変なスイッチが入るかわからない、恐ろしい先輩なわけだから、間違っても置いていかないでほしい、というのが本音だ。だって、兄さんと銀治先輩がいなくなると、確かに、静かになるだろうけど、私と小春先輩じゃ、絶対に手に負えないのは、目に見えてるじゃないか。
すると、少し冷却された兄さんが、2人の腕を掴んで捕獲したまま、小春先輩に声をかけた。
「……かおるは、小春ならいいって言ってるけど、どうする?」
兄さんの言葉に、私も、なんとなく、小春先輩に視線を向けた。さっきは、確かに、小春先輩は置いてけ、みたいなことを言ったけど、別に、絶対ってわけじゃないし、無理していてもらう必要もない。
でも、小春先輩は、自分のことを少し下の位置から見上げる形になっているだろう、私を見て、少し、考える仕草を見せた。別に、私が半強制的な言い方をしたから、というわけではなく、先輩なりに何か考えている様子だったので、“別に、兄さんたちと行ってもらってもかまいませんよ”とは、改めて、言ったりはしなかった。たぶん、それは、小春先輩もわかってそうだと思ったのだ。
「せっかく、かおるちゃんもこう言ってくれてるわけだから、僕は、かおるちゃんとお昼食べてから戻るよ」
そう答えた小春先輩に、兄さんだけがあっさりと“そうか”と答え、他2人が、自分たちの自由を奪っている兄さんや、1人、ここに残ると言いだした小春先輩に、ぶーぶーと文句を言っている。
しかし、意外にも、兄さんだけでなく、小春先輩も、特に、うるさい2人を気にすることなく、無視していた。小春先輩は、私が思っていた以上にメンタルが強かったらしい。小春先輩には悪いけど、もっと、弱弱しいというか、か弱いお姫様のような人だと思ってたもんだから、意外だ。
で、兄さんは、そんなに軽いはずもないだろう、高校生男児を片手に1人ずつ引きずって、帰っていった。意外と力あるんだよね、あの人。
……もしかしたら、この人間関係のせいで培われていたものだったり……いや、そんな微妙な気持ちになることを考えるのはよそう。なんだか、あれほど、バカだ、残念だ、と思っていた兄が、今度は、可哀想なものに見えてくる……。
昼休み、兄さんに引っ張られていったおかげで、こりたかと思ったんだけど、そう、うまくはいかないらしい。というか、銀治先輩は、諦めが悪いというか、物わかりが悪いというか……。
「かーおる! 一緒に出掛けようよー。せっかくの休日なのに、家に引きこもってたらもったいないよ!」
しつこい。正直、うざい。鬱陶しい。さすがの私だって、こんなにしつこくされたら、笑顔でなんていられない。
そんな私たちのやり取りを、半ば諦めたように眺めている兄さんと、気遣わしげに見ている小春先輩。そして、何を考えているのか、よくわからない顔で、景虎先輩。……嫌になるほど、とても賑やかな下校メンバーである。
「じゃあさ、みんなでお出かけっていうのはどう?」
そんなことを言い出したのは、さっきまで黙ってこちらを見ていた景虎先輩である。みんなの視線が、景虎先輩へと集中した。
「みんな?」
言葉を発したのは、私じゃない。小春先輩だ。……小首を傾げて問いかける小春先輩の可愛らしさは核兵器並みである。
全国の乙女のみんな、ごめん。きっと、どの女の子よりも小春先輩の方が可憐だと思う。
「そ。ここの男4人と、かおるちゃんの5人で。どう?」
「わ! 楽しそう!」
景虎先輩の言葉に、小春先輩は、両手をパンと合わせて、思わずといった様子で声をあげた。……とても自然な動作だった。そのあざとさのない可愛さが恐ろしくもあります。小春先輩。
小春先輩は、私に観察されていたことに気付いたらしく、はっと、私の方を見た。
「あ……ごめん、かおるちゃん。嫌だった?」
小春先輩は、器用に、私より高い背丈なのに、上目遣いに私の様子をうかがってくる。……確かに、私が助言をした通りに、上目遣いをする回数も前よりは減ったけど、ここぞという時は、無意識に出るらしい。小春先輩ったら、恐ろしい。
「いや、そんなことありませんよ。小春先輩さえよろしければ、私は……」
言葉尻を濁して、にっこりと笑ってみせる。……ついつい、いつも、女の子を相手する時みたいにやってしまった。
あ、やっちゃった、と思った瞬間、呆れた顔をした兄さんと目が合った。……とりあえず、兄さんからは、目をそらしておいた。そして、その視線の先には、小春先輩。さっきの、しおれてしまいそうな顔から、可憐な花が咲いたような華やかな笑顔に一変していた。
「かおるちゃん、ありがとう!」
ああ……和む。癒される。いや、これから、どれだけ面倒な事態に陥ったって、私は、構わないと言える。小春先輩、可愛すぎる。最強だ。
「小春先輩は、どこに行きたいですか?」
ついつい、にやにやが抑えられない顔で言葉を落とした私に、兄さんは、呆れきった顔をしていた。いや、もう、この際、どう思われようが構わない。
“小春、ずりー!”って銀治先輩の言葉も、“かおるちゃんは、可愛いものに弱いんだね”なんて景虎先輩の言葉にも、この際、構わない。無視させていただこう。
「ゆ、遊園地行きたい!」
……頬を上気させ、瞳をキラキラさせて言った小春先輩に、首を横に振れるだろうか。否。無理である。私は、何度も何度も、首を小さく縦に振った。
「はい。行きましょう。遊園地!」
後ろで、ぶーぶーと文句を言っている銀治先輩と景虎先輩なんて無視してやる。あの小春先輩相手に首を横に振れるわけないでしょうって。……それにしても、2人は、どこに行くつもりだったんだろうか。
その後、銀治先輩と景虎先輩の意見は9割無視の形で、今週の土曜日、遊園地の最寄り駅に集合して、遊園地に行くことに決めました。
みんなは放っておいて、2人で出かけないかとしつこい銀治先輩を適当にあしらいながら、ようやく、やってきた週末。土曜日。語るとキリがないのですが、“遊園地へ行こう”当日です。
もちろん、私と兄さんは出発地が同じなわけだから、別々に行く理由もないし、一緒に家を出た。
「え、かおる、それはないんじゃないの」
1番に待ち合わせ場所に着いていたのは、銀治先輩だった。まあ、この人は、遊んでそうなイメージだったし、遅刻はしないだろうと思ってたけど。
で、銀治先輩の第一声の意味がよくわからないんですけど。
眉間にしわを寄せて、首をかしげてみせた私の言いたいことを、銀治先輩も察したのだろう。口を開いた。
「だーかーら、今日の紅一点だっていうのに、なんで、ジーパンなの!」
「……変ですか? オシャレしてきたつもりなんですけど」
私は、自分を見下ろす。白のワイシャツに黒に灰色のストライプのベスト。シンプルだけど、ダサくはない細身のベルトに、ゴツすぎない、ほどほどのダメージが入ったジーンズ。……なんか、間違ったかな。
兄さんは、特に何も言わなかったから、大丈夫かと思ったんだけど……。
私は、兄に助けを求めるべく視線を向けると、兄さんも首をかしげた。かと思ったら、何か、思い当たることがあったらしく合点がいったようで、すっきりした顔でうなずいた。
「銀治は、もっと、デートみたいな女の子っぽい格好を期待してたんだよ」
「ああ……」
私は、銀治先輩に、胡乱な目を向けていたことだろうと思う。……まあ、確かに、これじゃあ、女の子のオシャレとは程遠いものがある。
「かおる、普段着がいっつもこんな感じだから、気にもならなかったわ」
……これは、兄の言葉である。
「真なら、わかってると思ったのに……!」
「あー、はいはい」
銀治先輩の言葉は、兄によって、適当にあしらわれた。もちろん、私は、横から口を出すとかバカなことはしない。
「あー、かおるちゃんたち、もう来てる! 小春! 早く早く!」
どうやら、残りも来たようだ。景虎先輩と小春先輩は、一緒に来たんだね。
景虎先輩は、来てすぐに、私を上から下まで見ると、納得したようにうなずいた。
「うん。なんか、かおるちゃんっぽいね」
「……スカートとまでは言わないけど、短パンとかさぁ」
銀治先輩の文句に、景虎先輩も、“あー、はいはい”と適当に対応していた。
「じゃ、そろったところで、行きますか」
兄さんがそう言って、先頭をきって歩き出す。未だに文句を言っている銀治先輩のことは、完全にスルーして、兄さんについていく。小春先輩も、気にした様子もなく、私に続いたのだった。
「さーて。何から乗る?」
なんだかんだ言ってもノリノリ。いつも全力投球なのが、うちの兄である。兄が手元で広げた園内地図に2人も顔を寄せた。
…………ん?
“2人”……?
「景虎先輩がいない!」
「はあ!?」
私の叫び声に、他の人たちも反応した。
小走りで道を戻ると、少し戻ったところで、景虎先輩らしき人が道の端でしゃがんでいるのが見えた。
「……景虎先輩?」
「あ、かおるちゃん?」
私の呼びかけに応じて、上げられた顔は、やはり、景虎先輩だった。
“まったく、何をしているんですか”と言葉を続けようとして、口をつぐんだ。
景虎先輩の前には、小さな小さな女の子が、しゃがみ込んでいたのだ。その女の子は、それはそれは、この世の全ての絶望を詰め込んだかのような、悲愴な顔をしていた。
「もしかして、迷子……ですか」
景虎先輩は、女の子に視線を戻しながら、うなずいた。私も、そっと、その子の前にしゃがみ込んだ。
「――……泣かないで。せっかく、可愛らしい顔をしているのに」
そっと、気遣うように笑って、そのふくふくとした、柔らかで小さなほっぺに右手を添えた。涙で濡れた頬は、風にさらされて冷たくなっている。
「……冷たいね」
もう片方のほっぺにも、手を添えると、ふわふわ、優しくなでる。少しでも暖まればいいな、と思って。
「そうだ。涙が止まるおまじないをしてあげよう」
できる限り、優しく笑う。くりくりとした瞳が、不思議そうに私を見上げる。
私は、前髪越しに、おでこにそっと、キスをした。
「……おうじさま、だ」
熱にうかされたような声が、下でこぼれた。そっと見下ろせば、キラキラとした瞳が、こちらを見上げている。
「涙、止まったみたいだね」
「うん! おうじさまは、まほうがつかえるのね!」
……うん? 王子様って、私のことなのかな。まあ、慣れてるから、いいんだけどさ。
私は、せっかく泣きやんでくれたんだし、とあえて、勘違いを正すことはせず、微笑むだけにとどめた。
「さあ、お母さんが探してるかもしれないから、迷子センターで放送してもらおう。立てるかな?」
「うんうん!」
「ふふっ。いいお返事だ」
女の子の返事を聞いてから立ち上がった私の動作を追うようにして、女の子も立ち上がった。そして、自然な流れで、彼女は、私の手を握ってきた。
「ねぇ、また、いつかあえる?」
「そうだなー……。お嬢ちゃんがいい子にしてたら、きっと、いつかは」
そう返した私に、その子は、満面の笑みを浮かべるのだ。
「……かおるちゃんの王子様オーラは幼女にも有効なのか」
「まあ、女の子ってマセてるからな」
……景虎先輩と、それに続いた兄さんの言葉も、まとめて無視しておく。
「幼女までたらしこんで何が面白いんだよ」
……銀治先輩の言葉は、もちろん、無視である。
「かおるちゃんって、生粋の王子様なんだね」
……なぜか、小春先輩の声は楽しそうに弾んでいた。
「あー、まだ、結構、並んでんな」
そんなことを言いつつ、遊園地に来たらジェットコースターは外せないと主張したのは、兄である。他2人は、何も文句も言わず、あくびをしながら並んでいる。
ん?
“2人”……?
「銀治先輩がいない!」
「はあ!?」
私の叫び声に、他の人たちも反応した。
3人には、そのまま並んで待っててもらえるように言って、私だけ、列を抜けた。
きょろきょろしながら、少し歩いていると、それらしき後ろ姿を発見。
「銀治先輩?」
私の呼びかけに反応して、くるりとこちらを向いた銀治先輩は、私を見つけて、ぱっと笑顔になった。
「あーっ! かおる!」
「銀治先輩! 何やってるんですか!」
銀治先輩に駆け寄ってみると、片手には細長いチュロス。
「……わざわざ、それ買いに行ってたんですか。一言ぐらい、誰かに言ってから動いてくださいよ。みんな、ちゃんと並んでるのに……」
これ見よがしにため息をついてみせたというのに、銀治先輩は、全く動じた様子もない。
銀治先輩は、私に向かって、チュロスを差し出してきた。……怒りを静めるための供物ってか?
冷たい視線を向けているつもりなのに、やっぱり、銀治先輩は、動じない。それは、もう、にっこにこである。……この人の神経、どうなってんの。
「あげる!」
「…………」
「かおるのために買ってきたんだよ?」
「…………」
「ほんとだってば」
「…………」
「……お願いだから、何か言ってよ」
私は、ようやく、眉尻を下げるという動きを見せた銀治先輩に、またしてもため息を送っておく。
「……なんで、私の分だけなんですか」
「そりゃあ、これから、かおると抜けようと思って」
「はあ?」
「これから、2人で抜けようよ、かおる」
……ダメだ。この人、話が通じない。何度、2人では出かけないって言ったと思ってるんだろうか、この人は。
「何考えてるんですか。みんな、並んで待ってるんですから、私たちだけ抜けるわけにもいかないでしょう」
「いいじゃん。他のヤツらは、ほっといてさぁ」
「ダメです」
「かおるってば、マジメっていうか、堅いよねー」
「なんと言われようがかまいません」
私は、とうとう、頭をかかえた。この人まで連れてきたのは、間違いだったんだろうか。
「ほら、先に帰っててください」
「えー。一緒に……」
「いい加減にしないと迷子になりますよ」
「ならないって」
「みんなとはぐれちゃいますから」
「かおると一緒なら、はぐれてもいいけどな」
……このドヤ顔まじった笑顔、ほんっと、腹立つな。この分からず屋。
「私、みんなでつまめるものでも買ってきますから」
「俺も」
「先に帰って、兄さんあたりにでも説教されててください」
「えー……」
「ほら、」
「あ、俺、荷物持ちするよ!」
ほんっと、わからない人だな、この人は!
「帰っててください……!」
「…………はい」
「さて。そろそろ、昼飯にすっかー」
いつでも全力投球な兄が完全に主体となって遊園地を満喫。乗り物も、結構、乗った。他2人も、兄さんと一緒に、どこでお昼ご飯を食べようかと相談している。
ん?
“2人”……?
「小春先輩がいない!」
「はあ!?」
私の叫び声に、他の人たちも反応した。
まさか、小春先輩に限って、銀治先輩みたいなバカな理由でいなくなったわけではなかろう。
私は、今来た道を小走りで戻った。
角を右に曲がってすぐのところだった。大きい男が3人、道を塞ぐように立ち止まっていた。邪魔である。
危うくぶつかりかけた私は、ギリギリのところで踏ん張り、横をすり抜けた。
「あ、いや、そのっ……僕は……っ」
…………ん?
私は、立ち止まって、振り返った。
まさか、と思って、少し戻って、何かを囲むようにしている男たちの間から、中心にあるものを覗き見た。
「…………」
……小春先輩。まさかのナンパですか。逆ナンではなく、ナンパされてんですか。一瞬だけ、どうしようか迷ったけど、やることは決まっている。
「……すいません、通してください」
男たちの中へと割って入った。
「かおるちゃん……!」
こちらを向いた小春先輩の顔は、心なしか、少しだけ青いように思える。
「すみません、お兄さん方。この人、“俺の”ツレなんで」
そっと、困ったように笑ってみせ、優しく小春先輩の肩を抱いた。
「はあ?」
「何言ってんだ、兄ちゃんよお」
「んなひょろっひょろな体して、俺らに楯突こうってかあ? ああん?」
「すごまないでください。小春は、繊細なんです。お兄さん方のような大きい体した男3人に囲まれたら、失神してしまいます。ああ……顔が真っ青じゃないですか」
そっと、両手で小春先輩の頬を包み込む。……なんか、冷たい気がするのは、気のせい?
え?
小春先輩、冗談抜きで大丈夫ですか?
「あの、のいてもらえます? 小春に、これ以上、無理はさせたくないので。座らせてあげてください」
“言うこと聞けや。文句は言わせねぇぞ。ああん?”これが副音声である。
小春先輩の肩を抱いて、一緒にベンチに座る。私たちの様子を男3人が、ぼーっと眺めている。
「……どうしました? お兄さん方?」
“ああん? 何見てやがんだよ”が副音声である。
お兄さん方は、私を睨んでから、一目散に撤退していったのでした。
「……小春先輩、大丈夫ですか? 本当に、顔色が悪いですよ?」
「ごめん、かおるちゃん……」
小春先輩は、もう、涙目である。
「なんで……なんで、男にナンパされなきゃなんないんだよぉおおおお……!」
「あー……小春先輩、泣かないでください」
「なっ……泣いてなんかないやい!」
「はいはい」
もう、可哀想だったので、これ以上の追求をすれば、追い討ちをかけることになりそうだったし、何も言わないことにして、ただ、背中をなでてあげた。
「うわー……男女逆転してるよ」
私は、声が聞こえてきた方向を睨んだ。……なんで、追い討ちをかけようとするんですか。
言葉を発した景虎先輩はというと、悪気があったわけではなく、つい、ぽろっと、口をついて出てしまったような感じだった。
……っていうか、3人とも、来てたんなら、助けに入ってくれてもよかったのに。私だって、体格のいい男3人に囲まれて、睨まれて、ハラハラだったんだから。ため息だけは、止められなかった。
「……かおるって、ほんとに、規格外だわ」
銀治先輩の言葉には、反論しなかった。……というか、できなかった。
「なあ、かおる?」
帰り道でのことだった。銀治先輩、景虎先輩、小春先輩と別れて、兄さんと並んで家までの道を歩いていた。
「どうかした?」
私は、改まったような兄さんの声に気付かないフリをして、声を返した。あんまり、マジで受け取ると、どうでもいいことを言い出した時の疲れがハンパないからである。
「兄ちゃんは、間違ってたのかな」
私は、そこで、ようやく、兄さんの顔を見た。
「冗談とかじゃなくてさ……女の子の幸せってあるじゃん? なのにさ、かおるは容姿のせいで、王子様扱いなんてされてさ。かおるは優しい子だから、みんなの期待を裏切れないのかなって。少しでも、みんなの目を変えたかったんだけど……」
私は、兄さんの言葉を笑い飛ばすことにした。
「私、これでも、楽しんでるんだよ?」
兄さんの視線を感じながらも、前を向く。なんだか、言い慣れないことを、顔を見て言うのは、気恥ずかしかったのだ。
「兄さんが私のことを気にかけてくれるのは嬉しいし、なんだかんだ言っても、先輩たちと一緒にいるのも嫌いじゃないんだよ?
……まあ、うるさすぎるのはどうかな、とは思うけどね」
ちらりと隣を見ると、兄さんも、気恥ずかしそうに笑っていた。
久しぶりに手を伸ばして、握ってみた兄さんの手は、私が知っているのよりも大きく、しっかりとしていた。
兄さんも、私の手を振り払うとか空気読めないことはせずに、優しく握り返してくれたのだった。
遊園地へ行った直後の月曜日からは、授業の合間ごとに、先輩たちが来ることはなくなった。
だけど、昼休みには顔を出しに来るし、放課後も、みんなが顔を出すわけではなく、たまに、誰かが家まで送ってくれる程度になった。正直、家まで送ってもらうのは心苦しいものの、以前に比べれば、私にとっては、とてもいいお付き合いができているのではないかと思う。
文化祭の準備が本格的になってきたのも理由のひとつかもしれないけど、あの日、兄さんとちゃんと話をしたのもよかったのかもしれない、と思っている。
「かおる様ー! 採寸のお時間でーす!」
クラスの女の子に呼ばれ、空き教室に連れて行かれ、細かいところまで採寸される。
うちのクラスの出し物は、喫茶店である。しかし、普通の喫茶店ではない。決まった時間に、ちょっとした劇が見られる喫茶店なのである。
給仕役には、次に予定されている劇に出る役者も含まれる。もちろん、衣装もその役仕様。そして、同じ劇は2度しない。よくそんなこと考えついたよね。
なんとか、普通教室より大きな多目的室を勝ち取ることには成功したものの(どうやって上級生に勝ったのかは不明である)やはり、体育館でやる劇より規模は小さくなるため、雛壇もサイズが大きくて多目的室に入らず、手作りするハメになっている。
うーん……。手間をかけているよね。
「あー! 絵の具なくなったー!」
「なあ、なあ、釘はー?」
……賑やかである。
私は、辺りを見回してから、声を張った。
「何か足りないものがあったら、私、買ってくるよー!」
「え、ほんとですかー?」
同級生なのに、なぜか、敬語の女の子に男子の声が続いた。
「お、さっすが、伊澄! 気が利くな!」
「伊澄ー、釘頼むわー」
「伊澄ー、赤の絵の具もー」
釘と赤い絵の具、とメモの走り書きをする。
「ちょっと、男子たち! 遠慮ぐらいしなさいよ!」
「ああ、いいの、いいの。私、やること終わったからさ」
「えー……。ちょっと! 誰か一緒に行って差し上げて!」
大声をあげた女の子をなだめ、言いつけられた物を書き出したメモを片手に、1人で教室を出た。釘と絵の具と画用紙だけだから、何人も必要ないし。なんで、あんなに気を遣われたんだろうねぇ……。
ぶーらぶーらと、メモを片手に、近くのホームセンターへ行って釘を買う。ホームセンターが大きい店舗のものだったからか、絵の具も画用紙も、そこで揃ってしまった。案外、楽に仕事を終えた私は、ぶーらぶーらと、のんびり歩いていた。
「あれ? かおるちゃん?」
知ってる声で名前を呼ばれたような気がしたので、振り返ってみる。すると、そこには、きょとんとした顔の小春先輩。
「あ、小春先輩!」
自然な流れで、進行方向を小春先輩の方へと変更する。
「あ…………っ」
私は、小春先輩の肩越しに見えてしまった光景を、放っておくことができなかった。
頭が真っ白になったのは、その一瞬だけ。
なんとか、持ち直して、はっきりと物事が考えられないでいる脳を叱咤する。
私の異変を感じ取った小春先輩が目を白黒させていたけど、説明してる時間も惜しい。
小春先輩に手に持っていた物を全て押しつけ、小春先輩の横を走り抜けた。歩道と車道の境目に植えてあるツツジを飛び越える。
……小春先輩が私の名前を呼んだような気がしたけど、振り向くこともできなかった。
車道の真ん中で、女の子が座り込んで泣いている。――車が突っ込んできているのに。
確かに、車道の真ん中に座り込んでいるのも問題だけど、なんで、あの車は、スピードを落とさない……!?
手を、伸ばす――間に合うかっ……!
触れた。
女の子の両脇に手を差し入れ、抱き上げて、がばっと胸に抱え込む。
あとは、走り抜けるだけ……っ!
「――あっ……!!」
左肩を、かすった。
止まるな……!
「……っ」
走り、抜けた…………。
胸元で、女の子が大声で泣き叫んでいる。私は、その声をどこか、遠いところで聞きながら、その場に、へたりこんだ。――ダメかと、思った。
左肩は、少しかすっただけで、たいしたことはない、と思う。
自分でこんなことをしておいてアレだけど……。
心臓、止まるかと思った……。
「かおる!」
背中に、聞き慣れた声がかかった。
「こは……っ」
ああ、情けない。自分でしたことなのに、動転して、まともに声も出ないじゃないか。
「何やってるんだよ! 心臓止まるかと……」
すごい剣幕で声を飛ばした小春先輩だったけど、私のそばまでくるなり、勢いを失った。
「……なんて顔してるの」
しゃがみ込んだ小春先輩の顔が、うつむいたまま、女の子を抱きしめることしかできないでいる私の顔をのぞき込んだ。
小春先輩は、私の顔を見るなり困ったように笑ってみせて、左手を伸ばしてきた。そっと、頬をなでられる。そっと、そっと。
視界が、ぼやけた。
「ダメかと、おもった……」
頭で考えるよりも先に、言葉が出た。ダメだ、と思う前に、涙が転がり出た。
「……うん」
小春先輩は、私の言葉に、ただ、うなずいて。やっぱり、頬をなでる。
「どうしようって思う前に、もう、動き出しちゃってて……」
「……うん」
「――こわかった」
「…………うん」
「――こわかったよぉぉ……」
「……よしよし」
そぅっと、恐る恐る、小春先輩の腕が背中にまわってきた。
それから、私より先に泣きやんでいた女の子が、“お姉ちゃん、泣かないで。きれいなお顔がだいなしよ?”と言うまで、そのままだった。
なんだか、いつも私が言うことを言われてしまって、なんとなく、笑えてしまった。
「あ! かおるちゃん!」
文化祭の準備で賑わっている廊下を歩いていると、声をかけられた。……なんとなく、どきっとした。
声は小春先輩のもので、他にも、兄さんや先輩方……いつものメンバーが勢揃いだった。
「あ……その、小春先輩、昨日はすみません。あと……ありがとう、ございました」
昨日、小春先輩は、今日のところは家に帰って、一応、病院にも行ってくるように、と言ってくれて、頼まれていた物をクラスまで届けてくれた上に、兄さんに報告までしてくれていた。
小春先輩の助言通り、一応、病院にも行ってはきたんだけど、左肩が軽く痣になってるだけで、たいしたことはなかった。
「真は大丈夫って言ってたけど、本当に大丈夫? 痛まない?」
「あー……左肩は軽く痣になってるだけなので」
“心配していただいて、ありがとうございます”と再度、頭を下げると、景虎先輩と銀治先輩にも絡まれた。どうやら、2人も心配してくれていたようだ。2人にも、頭を下げておく。
「かおる、ほんと、無茶すんのな」
呆れたような口調で銀治先輩に言われてしまい、さすがに、何も言い返すことができなかった。
バツが悪く感じられて、視線をそらしていると、誰かの気配が近づいてきた。
そっと、顔を上げると、そこにいたのは、小春先輩で。
……なんとなく、1歩下がった。
怪訝な顔した小春先輩が、2歩近づく。
急いで、3歩下がった。
今度こそ、はっきりと私が小春先輩を避けているのがバレてしまい、小春先輩はむっとして、早足で4歩来る。
私は、ぎょっとして、大股で3歩下がった。
――背中が、壁に当たった。
あ、ヤバイ。逃げ場がない。
「――ねぇ、かおるちゃん。僕、何かした?」
“僕が悪かったんなら、謝るよ”
苦しげに言った小春先輩は、真面目に、自分が何をしてしまったのかと悩んでいるようだ。
何を、どう言ったらいいのかわからない私は、視線を泳がせ、言葉になっていない声を発する。
――私だって、なんで体が小春先輩から逃げてしまうのか、わからないのだ。
小春先輩は、私が目を泳がせたのは、逃げ道を探しているからだと勘違いでもしたのか、両手を私の肩あたりの位置に伸ばし、壁に手をついた。――これは、完全に、逃げ場がない。
ぎょっとした私の顎に、そっと触れた小春先輩は、優しく、でも、絶対に抗えないような力で、顔を小春先輩の方へと向けさせられた。
「かおるちゃん、言ってくれなきゃわかんないよ」
ああ……、顔が熱い。赤くなっていたりしないだろうか。
「わ、私も、よく……わかんなくて」
「うん?」
「その……あの……!」
昨日、抱きしめてくれた小春先輩の、香水とは違った柔らかい匂いがすごく心地よかったこととか、意外と腕がしっかりしていたこととか、胸が広くて、硬くて、しっかりしてて……思っていた以上に、小春先輩はまがう事なき男の子なんだなって思うと……なんか……もう……!
なんて言えばいいんだろう!? ほら、なんて言うの!?
妙に、気恥ずかしいっていうか、嬉し恥ずかしっていうか!? いや、嬉しいのか!? 何が嬉しいんだ!?
でも、これだけは言える!
このままだと、心臓破裂する!
いや、その前に、なんだかよくわからないけど、泣いてしまうかもしれない……!
「……おーい、小春。そんぐらいにしてやって」
……天からの助け……いや、兄さんも、たまには、いい仕事をするじゃないか。
小春先輩は、私のことを怪訝に、それでいて、少し心配そうに見ていたけど、兄さんの声に反応して、兄さんに視線を移した。
……どうやら、私の言動は、よっぽど、おかしなものだったらしく、“この子、ほんとに大丈夫なの?”と視線は語っていた。
――そんな小春先輩の視線を受けた兄さんは、穏やかに、笑っていた。それは、なぜだか、どこか嬉しさのまじったもののようにも見えて、首をかしげそうになる。
小春先輩も、兄さんの表情を不思議そうに見ていた。そして、再度、私に視線が戻ってくる。びくっと反応した私を見た小春先輩は、心配そうにため息をついて、
「無理だけはしちゃダメだからね」
そう言って、私の頭をポンポン、と軽く2回叩いた――いや、なでた?
そうして、私の心臓をとんでもない早さで稼働させた小春先輩は、ようやく、私から離れていったのだった。
落ち着かなくて、なんとなく、兄さんに反射的に視線を向けると、なんだか、困ったように、私を見て笑っていて……――これが、やっぱり、どこか、嬉しそうに見えてしまうので、腹が立った。
我が校に、意外と鈍感な“王子様”と、意外と苦労の耐えない“お姫様”の名物(逆転)カップルが成立するのは、だいたい、2ヵ月後のことである。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
きっと、かおると小春は、楽しい文化祭やら、勉強会などを経て、クリスマスあたりにでもくっつくんじゃね? と思いますが、ここから先は、皆様の妄想――げふんげふん。ご想像にお任せします。