十四章 交渉
窓から差し込む日差しを背に、ゆったりとした椅子に腰掛けた一人の男。そこはどこかの一室のようである。
部屋の本棚には、エルフィンとの大戦を記された書物やら、魔法に関するもの、あるいは魔物について書かれたものなどが並んでいた。
そして、部屋隅のソードと鎧は、埃一つ見あたらず綺麗に飾られているところをみると、名だたる物であることが見受けられる。
男の前に備え付けられたデスクの上には大きな地図が広げられていた。
男は広げられた地図の国境線を、赤いインクの筆で縁取っていく。
領地が拡大したとて、わしの心は満たされることはない――インクの赤は、そこで流された人々の血のようであった。
そう、もう後戻りはできぬのだ――国境を縁取ったところで、男の持つ筆が小刻みに震えだした。
たとえ争いとは無関係の血がどれだけ流れようとも――筆は加えられた圧力に耐えきれず、二つに折れた。乾いた音が静まり返っている室内を支配した。
忌々(いまいま)し気に折れた筆を見つめる男――ガルの口からは、ギリギリと歯ぎしりが漏れた。
その時、不意にデスクに置かれた四角い箱から耳障りなベルの音が鳴り響いた。
ガルは顔をしかめながら、箱に取り付けれたスイッチの一つを押した。
「なんだ?」
「――帝国の国境付近の砦に、解放軍を名乗る軍使が来たとのことです」
ザーという砂荒らしのような雑音に紛れて、ややくぐもった男の声が箱から流れる。
「わかった。くれぐれも丁重に迎えるように伝えろ」
「――は、了解いたしました」
ガルは箱のスイッチを切ると、椅子から立ち上がった。
「丁重にな――」
意味深に呟くと、内心で言葉を続ける。
ついに手に入れたか。
暗黒龍を呼び寄せるほどのダーククリスタルを。
くくくっと、ガルの喉から笑い声が漏れる。
「これでわしの計画もいよいよ大詰めだ」
髭に覆われた口が大きく開かれ、こみ上げる歓喜を高笑いに変える。
「ぐふふ――ハァッハァッハァァァ」
窓に映し出された焼け野原を眼下に、ガルの高笑いがいつ終わるともなく、室内に響きわたっていた。
暗黒要塞最深部の大広間。
漆黒の闇が支配するその空間に、一つの光が落ちた。
そこに浮かび上がるは帝国軍を率いる総統、ガル・ダース。高い位置に設置された玉座に背中を預け、天井から照らされる光は黒塗りの鎧を妖しく輝かせる。
「お前か――」
ガルは呟き、眼下に視線を走らせる。
目に写るは闇に浮かび上がる白いドクロ。
白いドクロはガルを見上げると、地の底から響くような声を発した。
「奴は――いたのか?」
ガルは口元を妖しく歪めた。
「マスク・ド・スカル――貴様の読み、さすがと言うべきか。領地を拡大する我が軍に加わることで貴様の目当てとする人物にたどり着く――遅くとも我が帝国がエフシエル全土を制圧するまでにな」
その言葉に白いドクロ――マスク・ド・スカルは重ねて問う。
「いたのか!?」
怒気を含んだマスク・ド・スカルの言葉に、ガルは大きく頷いた。
「反乱軍に――桐生の名を持つ人物がな」
その言葉を耳にした白いドクロは踵を返し、闇の中へと姿を消していった。
――海斗・桐生、ミリィ・カウラ。
――よもやこの二人が反乱軍にいようとは、なんたる巡り合わせであろうか。
そして、運命に引かれた男がまた一人。マスク・ド・スカル。
ガルは全て自身が掌握しているかのごとくふふふと、口から小さく笑いを漏らす。
そして、再び静寂が訪れ、周囲は漆黒の闇に包まれた。
「ルミー様、使いの者は一体何をしているんでしょうかね?」
ライムは退屈そうに座っているイスをくるりと回し、上段に据えられた指令席のルミーを見上げた。
「心配ですね。何事もなければよいのですが――」
ルミーが応えたその時だった。
ぴぴっと耳障りな音が指令室内に響きわたった。
「!?」
ライムは真剣な面もちで、座席正面の計器類に視線を向ける。
キーボードといわれる、記号、アルファベットが羅列された無数のボタンに指を走らせる。
「――間違いない」
ライムの額から一筋の汗が流れた。
指令室前方の巨大スクリーンの画像に割り込んで、簡易地図が表示される。
そこには丸い印が点滅していた。
「暗黒獣です!」
叫び、ルミーに視線を向ける。
指令室に緊張が走った。
「なぜこんなところに!? ライム、暗黒獣の数と距離は?」
ライムは操作球を操り、キーボードを素早く叩く。
指令室前方スクリーンに、いくつかの数字が並んだ。
「数は一体。さきほどレーダーに感知さればかりですので、テーレより十キロくらい北上した付近です」
ルミーはスクリーンを睨み、思案する。
「テーレに近づけてはなりません。レーダーを搭載している新型に討伐命令を発動なさい!」
「了解!」
ライムは短く返事を返すと、再び慌ただしく計器類の操作を始めた。
食堂。
ミリィと海斗は長蛇の列に並んでいた。
食いっぱくれてなるものかといった殺伐とした空気が漂い、いつもながら戦場ねと、ミリィは苦笑した。
その時だった。
う、お、おしっこ――不覚にもトイレに行きたくなってしまった。
「ねぇ、海斗、頼まれていいかな?」
「あん? どうした?」
前方の海斗が振り向いて、不振げな表情を向ける。
「ちょ、ちょっと、ね――」
そこまで言うと、ミリィは突如列から離脱した。
「トイレぇぇぇ」
海斗は状況が飲み込めず、目をまん丸にしながら、ぽかーんとただ惚けていた。
「まったく、肝心な時になんでだろう」
そう愚痴りながら女子と書かれたドアを開け、トイレへ駆け込んだミリィに、試練が待ち受けていた。
「ていうか、使用中だし!」
こんなに広い食堂で、個室が一つしかないトイレなんてと、怒りを露わにしながらも、腕を組んで待つことにした。
すると、使用中のトイレ内から、女性の声がかすかに聞こえた。
「あ、う、うぅぅん――」
おいおい、大きいほうかよ。長くなりそうだなと、ミリィの顔が青く変わった。
「う、うぅ、あぁぁ――」
一際大きな声とともに、ジャァーっと水が流れる音が聞こえ、ミリィは胸をなで下ろした。
よかった――思う間もなく、がちゃりとドアが開き、一人の女性が姿を現した。
げ!? リリアさん!――リリアがトイレであれだけ気張っていたところが想像できず、ミリィは絶句してしまった。
「お待たせ」
通り過ぎ様に一言漏らし、リリアは洗面所に向かう。
ミリィはたあいもない妄想を慌てて振り払い、ようやくトイレに入れると安堵した。
そして、個室に向かい、ドアに手を掛けたミリィであったが、目の前の状況に言葉を失った。
「ジェシー!?」
なんと、ジェシーが様式の便座にぐったりとしていたのだ。
下着を膝まで降ろし、スカートはめくり上げられ、瞼は半眼で息をあらげている。
さっきリリアさんがここから出てきたということは――ジェシーが「食べられてしまった」ことを確信し、ミリィの背中に冷たいものが走った。
さっきの声ってもしかして、ジェシーの声?――ジェシーがリリアにかわいがられ、最後の絶頂の叫びであったことは容易に想像できる。
「――違うトイレにしよう」
ミリィは何も見なかった事にして、くるりと身を返した。
が、ミリィの腕がものすごい力で引っ張られた。
「いた!」
思わず声が漏れた。
腕を引いたのはジェシーだった。
ミリィはバランスを崩し、ジェシーの膝の上に倒れ込んでしまった。
ジェシーはミリィの耳元に唇を寄せて囁いた。
「ねぇ、お願い――もっと――して」
ジェシーの目が虚ろにとろーんとして、囁く言葉がとっても甘ったるい。
「ひぃぃぃぃ」
ミリィの顔が一瞬にして蒼白に変わり、恐ろしさのあまり悲鳴を上げる。
「ごめんなさいぃぃ」
ジェシーの手を必死に振り払い、意味不明な叫びを上げながら、ミリィはトイレを飛び出した。
「はぁ、すっきりした」
全く、今日はなんて日かしらと、水の流れる音を背に、洗面台に向かう。
少々遠いが、最初から個室の多いトイレにすればよかったと後悔の念がこみ上げた。
ハンカチで手を拭いていた時、突如艦内放送が流れた。
「ナイアード搭乗者は至急出動願います。繰り返します――」
え、ナイアードだけ出動って一体どういうこと? 何か嫌な予感がする――ミリィはハンカチをしまうと、海斗を残してきた食堂に向かって駆けだした。
「ミリィ!? どこに行っていた?」
「トイレよ! それより放送聞いたでしょ?」
あぁ、と海斗は頷いた。
「一体なんだろうな」
「急ぎみたいだから、とにかく格納庫に行きましょう」
飯まだなんだけどなとぼやく海斗を後目に、ミリィは駆けだした。
「これじゃいつもと逆だな」
海斗は苦笑しながらミリィの背中を追いかけた。
「スタンバイできていて?」
ミリィの声に整備兵が無言で親指を立てて返事を返す。
メンテナンスは良好のようだ。
まずはミリィがナイアードの搭乗口に入り込み、続いて海斗が入る。
「指示は無いのか?」
いち早く席についたミリィに海斗が問いかける。
「何にもないわ」
ハッチが閉まり、前方スクリーンが格納庫の情景を映し出す。
バリバリという音と共に、通信音声が入った。
指令塔からだった。
「これから任務を伝えます」
ライムの声だ。
「ここから北に暗黒獣の反応がありました。町に被害が出る前に戦滅してください」
「数は?」
「一体です。ここからの距離ならナイアードのレーダーに反応が映るはずです。暗黒獣の詳しい位置はレーダーで確認願います」
「らじゃ!」
甲板の扉が開き、巨兵形態のナイアードが徐々に姿を現していく。
「サーモスキャンモードオフ!」
海斗が叫んだ瞬間、赤い巨兵は鉄の鳥に姿を変えた。
「いくぜ!」
鉄の鳥は翼を広げ、大きく羽ばたいた。
推進装置が高速で回転を始める。
鉄の鳥は徐々に加速を始め、ふわりと宙に体を踊らせていった。
前方スクリーンに表示された、ダーククリスタルの反応が大きくなった。子画面に表示された赤丸が大きくなったからだ。
「海斗! この辺じゃないかしら?」
ミリィが前方スクリーンの画像と、左隅に小画面で表示されたレーダーを見比べる。
鉄の鳥形態のナイアードは、ぐんぐん加速し、いまにもダーククリスタルの反応がある地点に到達しようとしていた。
にもかかわらず前方スクリーンには、ただ砂漠が広がっているだけだった。
訝しげな面もちで、海斗が頭部に搭載されたカメラを操作し、ダーククリスタルの反応があるであろう地点の画像を拡大していく。
「え、ちょっと、そこ!」
ミリィが指で示した先――そこには小さな人影らしき物があった。
「ちょっと様子がおかしいな」
海斗の呟きに応じて鉄の鳥――ナイアードはゆっくりと降下を始めた。
鉄の鳥が砂の大地に近づくにつれ、突風が砂塵を巻き上げる。
「サーモスキャンモードオン!」
海斗の声に応じて、滑降をしている鉄の鳥が巨兵に姿を変えた。
舞い上がる砂塵に、まるで黄色い霧が一面に立ちこめたようだった。
やがてうっすらと、砂の大地に足をつけた人型の巨人、ナイアードの姿が浮かび上がってゆく。
「様子を見てくるか」
ナイアードがしゃがみ込んだその時だった。
「なに!?」
「なんなの!?」
ナイアードの目の前に突如、光の柱が噴き上がった。
天まで届くかと思われるほどの青い光の柱だった。
強烈な光によってカメラが焼き付きを起こしていた。
今は視界の回復を待つしかないと海斗は思いつつ、いつでも反撃できるよう神経を集中する。
カメラにかかったもやが徐々に晴れていく。
「え、なに!?」
「こいつは!?」
唐突にそれは出現していた。
前方の巨大スクリーンに映るもの。
それは青く巨大な人型の生物だった。
海斗が訝しげに眉を寄せていることに、ミリィは海斗に問いかけた。
「海斗! なにか知っているの?」
海斗は小さく頷き、口を開く。
「大きく裂けた口から覗く牙、後頭部には二本の角。長く伸びた鋭い爪。こいつは外界に古くから伝わる化け物、鬼――か」
「お、に?」
ミリィは聞き慣れない言葉に首を傾げるが、一方の海斗は口元をつり上げた。
「おもしれぇぇ」
ナイアードが右足を後方に踏み込んだ。
夥しいほどの砂塵が舞い上がった。
ナイアードは十分に腰を落とした双手の構えを取っていた。
「ギッシャァァァ」
鬼は両腕を開き、咆哮をあげる。
まるでガラスを爪で引っかいたかのような叫びだった。
ミリィの背筋にゾワゾワと不快なものが駆け巡る。
とっさに手で両耳を覆ってしまった。
つまらぬことに気を取られていたことに気づき、ミリィは慌ててスクリーンに視線を戻す。
鬼はすでに動いていた。
砂に足を捕られながらも、ナイアードとの距離を詰める。
近距離の間合いに入ると同時、鬼の右腕が振り上がった。
「くっ!?」
ナイアードから気合いが漏れる。
ナイアードの左足が大きく後方に退いた。
火花が散った。
まさに鋼と鋼がぶつかったごとくだった。
振り降ろされた鬼の爪はナイアードの肩の装甲を浅く削り取っていた。
鍛え抜かれた鋼の装甲を削るとは、さしずめ鋼の爪か――海斗の脳内で戦いの戦略が組み立てられていく。
再び鬼の手が振り上がる。
それよりも早くナイアードの左足が地面を蹴っていた。
ナイアードのローキックが鬼の右足を叩いた。
乾いた音が響いた。
鬼は振り上げた右手で足を押さえる。
海斗がウェアウルフ戦で見せた素早い蹴りだった。
威力は下段回し蹴りに比べれば見劣りするが効いている。
ナイフを持った相手の対処と一緒だな――海斗は内心で呟き、笑む。
右足を気にしながらも、鬼は右腕を振り上げる。
「ずぇぇぇぇぇい!」
右の前蹴り。
鋼の爪先が鬼の下腹部にめり込んだ。
「ぐえぇぇ」
鬼の顔が歪む。
体を折り、口から胃液を垂れ流す。
「フシュ」
ナイアードから息が漏れた。
青い右手を掴み、引っ張る。
鬼の体が揺らいだ。
そのまま左拳を振るう。
「せい!」
鬼の右側頭部を鋼の拳が打ち据えた。
左の上段正拳突きだった。
「お楽しみはこれからだ!」
掴んだままの鬼の右腕に、鋼の体が絡み付く。
右腕をひねりあげた。
左の脇の下に腕を挟み込む。
そして全体重をかけた。
鬼は前のめりのまま砂の大地に体を落としていく。
「脇固め!」
夥しいほどの砂塵が舞い上がった。
濛々と漂う砂埃が晴れた瞬間、大きな音が響き渡った。
ごきりという乾いた音だった。
鬼の右腕はあらぬ方向を向き、力は失せていた。
すかさずナイアードが動く。
鬼の背中を跨ぐ。
馬乗り――背後からのマウントポジションを取った。
鬼の頭部を右の脇の下に挟み込む。
そして残った左腕を左の脇の下に抱え込んだ。
「ドラゴン・クラッチ!」
それはレッスルのキャメルクラッチという技と、ドラゴンスリーパーという技の複合技だった。
馬乗りのまま両足を踏ん張り、体をしならせる。
「でえぇぇぇぇりゃぁぁぁぁ!」
鬼の体が逆海老に反っていく。
ミシミシと上半身の骨が軋み出す。
大きく裂けた口から泡が噴き出す。
「キィィィシャァァァ――」
喉から断末魔に似た叫びが搾り出された。
刹那、またごきりと鈍い音がした。
背骨と首からだった。
同時に鬼の全身から力が失せた。
辺りが静寂に包まれ、風が音もなく砂の大地を撫でる。
ナイアードは立ち上がり、双手に構える。
うつぶせの鬼の右腕はおかしな角度を向き、首は横に折れ曲がり、動く気配すら感じられない。
「うし――」
ナイアードが下段払いの構えを取った瞬間、周囲が強烈な光に包まれた。
「またかよ!」
ナイアードはとっさに右手で頭部カメラを庇い、光がレンズに入るのを遮断する。
焼き付きはなく、光がおさまった周囲をカメラが捉える。
「暗黒獣が消えた」
ミリィは呟き、前方モニターに目を凝らす。
慌ただしく動いていた眼にふと小さなモノが過ぎった。
「海斗! あれ!」
ミリィが指で示した場所の映像が素早く拡大される。
「人――か!?」
拡大された画像。
そこにはマントを羽織った人が、うつ伏せで砂漠に倒れ込んでいた。
海斗はすかさずナイアードを膝まづかせ、搭乗口を開く。
「おい、大丈夫か!」
ナイアードから降り立った海斗が、男の元に駆け寄った。
男の口から時折うめき声が漏れていた。
まだ息がある。
海斗は男をゆっくりと仰向けにした瞬間、驚きで目を向いた。
「こ、これは解放軍の紋章!?」
男のマントから覗く鎧に刻まれた紋章。
それは紛れも無く解放軍、いや、ヤン国の紋章だった。
なにがどうなっている!――海斗が男の肩を揺さぶると、男は重い口を開いた。
「同志――か?」
海斗は無言で頷いた。
男は震える手でマントに隠れた懐を探った。
「こ、これを、ルミー様、に」
男が懐から取り出したのは、細長く折り畳まれた紙だった。
「わかった」
海斗は紙を受け取り頷いた。
「さっきの魔物は、私だ――ガルは、恐ろしい実験をして、いる。奴を、奴を――討て」
最後の力を振り絞って発っせられた男の言葉は掠れ、ついに途絶えた。
渾身の力で訴えていたのであろう、力尽きてなお、男の目は大きく見開かれていた。
海斗は事切れた男の双眼を閉じさせてやった。
さっきの鬼が解放軍からの使者。
――人間を魔物に変える――それが、奴の、ガルのやっている実験ってやつか!
海斗の肩がワナワナと震え、ぐしゃりと右手の手紙が握り潰された。
「ゆるせねぇ――」
吹き付ける風が熱を帯びた。
熱い風が砂の大地を叩く。
それは海斗から立ち上る怒りを象徴するかの如くに。
戦艦ミラージュ司令塔。
海斗、ミリィ、ミミ、モモ、アレン、リリアが居並ぶ。
海斗の報を聞いたルミーが魔法兵団を直ちに召集したのだった。
海斗から受け取った書状に視線を落としていたルミーは、おもむろに面を上げた。
「書状には、ヤン国の国民を解放すると書かれていました――」
その言葉を聞いたアレンの顔が途端に明るく変わった。
しかし、対してルミーは険しい表情のまま言葉を続ける。
「その条件として、ダーククリスタルと、私の身柄を要求してきました。ナトウ平原で取引を行う――と」
「な!?」
アレンばかりではなく、その場に居合わせた全員が言葉を失った。
たしかに解放軍の長であるルミーを押さえればガル軍は優性になる。しかし、ミリィにはいささか引っ掛かるものがあった。
「しかし、なんで軍使にダーククリスタルの実験をして、解放軍に返したんだ? それじゃ、ガル軍はこん実験をしますよーってばらすようなもんじゃねぇか?」
空気が読めない場違いな質問はモモだった。
たしかにあたしもひっかかったんだけどねと、自分が抱く疑問を代弁してくれたモモに、ミリィは苦笑することしかできなかった。
モモの問いに、そういえば、そうですわねと、ミミも首を傾げる。
「実験を施し、暗黒獣に変えられた人間をワシ等への見せしめによこしたのじゃろう。恐怖を植え付け、戦意を削ぐ為の常套手段じゃ」
声の主はミラだった。
ミラは司令室の片隅から聞き耳を立てていたようだった。
「して、ルミーよ、奴の要求に応じるのか?」
ミラは白い眉を歪め、ルミーに問うた。
ルミーは一瞬視線を落とすと、決意を固めミラの顔を真っすぐ見据えた。
「もちろんです」
全員が驚愕し、水を打ったかの静寂を破った。
「ルミー様!」
「そんな!?」
「おい!」
「姫さん!?」
全員が口々に言葉を吐き出し始めた中、まるで自分の問いが愚問であったかのように、ミラは大きくため息をついた。
「同じじゃな――そなたの父、ヤンと」
ミラは感慨深く目を細めて呟いた。
「同志の亡きがらを手厚く葬ってあげてください。その後は――」
ルミーは魔法兵団を見回す。
そして固めた決意を吐き出すかのように口を開いた。
「ナトウ平原に向かいます。総員――決戦に備えよ!」
司令室に凛とした声が響わたった。
いつもの柔らかな声は影を潜め、まさに主としての威厳に満ちた声だった。
「了解!」
魔法兵団、そして司令室のオペレーター達も起立し、ルミーの号令に敬礼で応えた。
ナトウ平原。
元ヤン国近辺に位置する大平原である。
そこは山など視界を遮るものが見当たらず、両雄が五分の条件で戦える為、合戦には好都合な地形を有していた。
解放軍の戦艦ミラージュは広大な平原で待機していた。
甲板には巨兵形態のナイアード、ウィンディ、そしてしゃがみ込んだ状態の雷龍が並ぶ。
その手前には、ルミーを中央に、アレン、リリア、そしてミラ、メカ兄、司令塔のオペレーター達クルーが並んでいた。
四角い木箱を持つルミー。
その水色の髪を柔らかな風がサラサラと波打たせていた。
ルミーはただ正面を凝視していた。
固めた決意が不動であるかの如くに。
「ルミー様、本当に奴の要求を呑まれるのですか?」
アレンは主君の身を案ずる言葉で問いかける。
ルミーは沈黙を守っていたが、やがてその重い口を開く。
「国民の命に比べれば私の命など安いものです」
普段であれば主君に対して従順であるアレンであるが、血相を変えたように言葉を返す。
「しかし、ルミー様がいらっしゃらなければ我々はどなたに忠を尽くせばよいのでしょうか?」
ルミーは一瞬の間瞳を閉じると、淡いピンクの紅の乗った口元を動かした。
「我が身に代えても国民の命を、財産を、大事なものを守る――それが国主である私の勤めです」
そのとき、アレンには幼い時に謁見した在りし日のヤン・エルロードの姿と、今のルミーの姿が重なってみえた。
姿こそ違えども、威厳を含んだ尊様はヤン・エルロードそのものに思えた。
「――」
アレンは閉口した。これ以上は何も言えなかった。
ルミー様、あなた様は私の主君です。
どんなことがあろうとも必ずお護りいたします。
アレンはそう心の内で改めて誓うと、ルミーが見つめる先に視線を合わせた。
ミラージュの遥か前方に何かがうごめいた。
それは背景に溶け込むように体を歪ませていた。
例えるなら、どす黒い山である。
それはじわり、じわりと大きさを増していき、肉眼で確認できるくらいの大きさになると、黒い山はそれ以上は動かなくなった。
「来ましたね――ガル」
アレンはルミーの呟きに、あの大きな山はガル軍の船、暗黒要塞であると確信した。
ふと肌を撫でる風が冷たく変わった。
風は徐々に強さを増していき、ついには突風に変貌した。
アレンは咄嗟にルミーの体を庇う。
ミラージュの甲板に黒い影が落ちた。
上空からミラージュを見下ろす赤いカメラの光。
黒光りする装甲。
肘からせり出した大きな突起。
「シャドーか!?」
アレンが叫んだごとく、それは紛れも無くガル軍の新型魔法巨兵、シャドーであった。
シャドーはルミーと向かい合うようにゆっくりと降下し、甲板に両足をつけた。
ルミーは鋭い眼差しで黒い魔法巨兵、シャドーをきっと睨み据える。
シャドーは直立不動の状態から、膝を立て、体を屈ませる。するとおもむろに胴体の一部が開き、中から人影が現れた。
風に靡く紫の髪。太陽の光をうけ、黒く光るライトメイル。
その男こそガル軍の軍将、ガラン・ディークだった。
「ガラン!? 貴様、おめおめとルミー様の眼前に姿を現しおって」
燃え盛る怒りで奥歯を噛み締め、アレンはガランを睨みつける。
「相変わらずだなアレン。その堅物ぶりは父親譲りか」
甲板に降り立ったガランは、アレンの言葉を皮肉で返し、薄ら笑いを浮かべながらルミーの元に一歩、一歩と歩を進める。
「貴様こそ、ヤン国一といわれた居合の技術を持つ父が今頃泣いているぞ」
ガランは歩を止めると、アレンに向かい鼻で笑う。
「父の主君はヤンであっても――」
瞬間、せせら笑っていたガランの表情が一変した。
「我が主君はガル総統御一人だ!」
まるでナイフのように鋭い視線がアレンに突き刺さる。
「おのれ――」
かつては主君であった国王の名を呼び捨てる態度に、アレンは全身の血が逆流するほどの怒りを覚えた。
アレンがソードの柄を握り、鯉口を切ろうとしたその時だった。
「おやめなさい」
鋭い口調でルミーがそれを制した。
ソードから手を離すアレンを尻目に、ルミーはしずじずと、ガランに向かって歩きだした。
「ル、ルミー様!? いけません――」
アレンの悲痛なほどの声を振りほどき、ルミーは歩を進めた。
「ここの中に、ガルが欲しているダーククリスタルがあります」
ガランに向き合い、木箱を差し出す。
ガランは箱を受け取り、蓋を開けた。箱の中には黒い宝石があり、青白い光を放っていた。
「たしかに」
箱の中身を確認したガランが大きく頷く。
「さあ、私をガルの元へお連れなさい」
「ルミー様ぁぁぁぁぁ!」
アレンが鯉口を切った。
「おろかだぞ! アレン!」
ルミーはガランに左腕で抱え込まれ、その喉元にはソードが当てられていた。
「アレンよ――」
声の主はミラだった。
ミラはアレンの腕に手を置き、納刀を促した。
「残念だったな、我が好敵手よ!」
ガランは言い捨てると、ルミーを人質にとったまま、シャドーに向かう。
「イー、さ」
「まて!」
シャドーに乗り込む途中のガラン。それを閃光魔法で狙い撃とうとするリリアを制したのは以外にもアレンだった。
「ルミー様の思いを――無駄にするつもり――か」
ギリリと奥歯を鳴らし、アレンが呟く。
その肩はワナワナと震えていた。
それはまるで自分の非力を泣いているかのようであった。
リリアは手の平の魔法を散らすと、我が君を飲み込んだ黒い魔法巨兵をぐっと睨んだ。
胴体の搭乗口が閉まると、シャドーは立ち上がる。
再び周囲が突風に包まれ、黒い機体は大空に向かって舞い上がった。
「くそ、逃がすかよ!」
海斗の叫びと同時にナイアードが鉄の鳥に姿を変えた。
「まちやがれぇぇ!」
突如、雷の音と聞き違えるかのような大爆音がこだました。
その声は集音機を介しているにも関わらず、雄々しく、猛々しく、有無を言わさぬ凄みを感じさせていた。
鉄の鳥のメインカメラが一人の男を捉える。
掻きむしったかのように乱れた白髪を靡かせ、ノーネクタイのワイシャツ。
シャツに隠れた肉体は、はちきれんばかりに盛り上がっていることが、モニターごしにでも確認できる。
その男こそ声の主であった。
「ミラ王!?」
普段細い目は鋭く釣り上がり、鉄の鳥のカメラを睨み据えていた。
「今追ったところで、何ができる――ルミーまで巻き添いにするつもりかぁぁ!?」
その一言に、すぐさま鉄の鳥は広げていた羽根を折り畳んでしまった。
そしてミラは居並ぶクルー達をゆっくりと見回す。
「おい、聞け、てめぇ等! ルミーがいねぇ今、この船は俺が仕切るからな! わかったかぁぁぁぁぁぁ!」
世界の果てまで届きそうなほどの大爆音でミラはまくし立てた。
胸の奥まで揺さぶられるような迫力に、クルー達は思わず身を縮めてしまっていた。
ドラゴンシェフのオーナーの姿はどこにも存在しなかった。そこにいるのは紛れもなく、荒ぶる剛剣――英雄ミラ王であった。
「これが――英雄ミラ王――」
暗黒龍を討伐し、わずか一代で一国を納める王となった初代ミラ王。
ミリィは英雄といわれるその姿を、初めて目の当たりにした瞬間であった。