十二章 闇水晶
空の青。
青いキャンバスに、ぽつんぽつんとちぎれた綿が貼り付いたかのような雲の白。
そして、自らの存在を主張しているかのような太陽が、金色の光で、万物を照らしていた。
そこに、無機質な鋼の固まりが、金色の光を反射させる。白、赤、緑の交わった鋼の固まり――解放軍魔法巨兵、ウィンディ、雷龍、ナイアードは、空の青に白い線を残しながら飛行していた。
外界の生物、鷲の形を模したナイアードが、ウィンディの胴を鋭い足で掴み、ナイアードの背に雷龍がうつ伏せではり付いていた。
これがナイアードの巨兵輸送の形態である。
前方スクリーンに映される景色は、真ん中を境に空、大地が半々で、木々や山の大きさから見て、かなり上空を飛行していると、ミリィは感じた。
上を飛べば敵さんに発見されにくいからだろうと、ミリィは海斗の意図を勘ぐった。
「ね、まだ目的地まで遠いの?」
ミリィが海斗に問いかける。
戦艦ミラージュを出発してから、四時間は経った頃だ。
「小画面をみてみろ」
海斗の言われるまま、ミリィは前方スクリーンの左上に表示された黒い、小さな窓――小画面に注目した。
黒い四角の中には赤い砂を散りばめたような点があり、その中心に、白い矢印。矢印のすぐ上には大きな赤い丸が点滅している。
「あの白い矢印が、ナイアードの位置、それで、赤い点が暗黒獣の位置、赤い大きな丸が、クリスタルの位置だ」
「もう少しで、矢印とくっつきそうだね」
「ああ、そろそろだな――」
てっきり長旅を予想していたミリィは、あまりに早い到着に、拍子抜けしてしまった。
ま、それだけこの新型の性能が良かったってことか――ミリィは旅の楽しみが萎んでしまった気持ちをなだめるように、そう自分に言い聞かせた。
「降りるぜ」
海斗がそう告げたとたん、操縦室が前方に傾くような感覚に襲われる。地上に降下し始めたんだとミリィは悟った。
上下に巨兵を貼り付けた鉄の鳥は、小高い山脈すれすれで、急上昇を開始した。鋭い嘴を天を向けて空中で停止すると、推進装置を調整しながら高度を落としていく。
茶色の肌に覆われた小高い山脈が続く。その合間を縫うように、ウィンディの足が荒れた大地を踏みしめた。
「ここで間違いないのだな」
鉄の鳥の背中から、拡張されたアレンの声が響いた。
雷龍は鉄の鳥の背中から両手を離し、乾いた大地を踏みしめる。
「あぁ、この近くだろうよ」
鉄の鳥は、折り畳んでいた赤い翼を大きく羽ばたかせ、ウィンディの目の前に降りたった。
「兄貴、この近くって、山しかねぇよ」
鉄の鳥は、振り返ることなく、長い首を後方に向ける。
「この近くを捜索してみますか――」
ミリィの拡張された声が、鉄の鳥の嘴から発せられた。見慣れない者が見たら、まるで鳥の魔物が言葉を発する異様な光景だと思うに違いない。
「しょうがねぇな――調べてやるぜ」
ウィンディは白く清純さを感じさせるフォルムでありながら、それに似合わない台詞で、リボンを模した装甲が取り付けられた後頭部に右手を当てる。
下半身は、短いスカートを思わせる装甲があり、女性らしいボディラインを備えた巨兵に、ミリィは内心で、もったいないと思った。
「貴様等! 今回の指揮はこちらが行うと言ったはずだ!」
アレンが拡声器の音量を最大にまくしたてる。集音機が忠実にアレンの声を拾い、鉄の鳥と、ウィンディの操縦室に落雷のような大音声が響きわたる。
ビリビリと空気が振動し、スクリーンの画像までも一瞬乱れた。
「るっせぇ――」
そう言いかけた海斗が息を呑んだ。
「どうしたの――」
つられるように、ミリィも海斗の視線の先を見据え、息を呑んだ。
「これって――」
「あぁ――」
ミリィと海斗の視線の先、すなわち、前方スクリーンの小画面には、複数の赤い点がポツポツと、矢印に向かって移動していた。
「サーモスキャンモードオン!」
海斗が叫んだ。
ミリィが赤い髪を後ろで束ねる。
鉄の鳥から、赤い巨人に姿を変えたナイアードが、拳を交差させ、ゆっくり腕を降ろし、正対に構えた。
「兄貴!?」
モモが突如変形したナイアードの様子に、思わず声を上げる。
「勝手な行動は――」
「黙って!」
アレンの言葉をリリアが遮った。
それは、まるで物々しい気配を察知したごとくだった。
そして、ミリィ、海斗以外、全員の予想が的中した。
「暗黒獣!?」
誰が叫んだともわからないくらい、複数の叫びが交錯した。
「敵は何体だ!」
雷龍のメインカメラがナイアードの後頭部に向く。
「前の山陰から二体、後方から三体」
感情を押し殺したミリィの声が山肌にぶつかり、反響した。
「ウィンディ!」
「わぁたよ!」
アレンとモモの声が木霊した。
ウィンディと雷龍が後方を振り向く。
二体の魔法巨兵が、ナイアードと背中合わせになった。
雷龍がソードの鯉口を切った。
ウィンディは両手を突き出し、掌を開く。
左右とも小高い山壁に囲まれ、戦えるスペースは限られている。
その距離、巨兵が四体並ぶのがギリギリといった感じだった。
あまり大振りはできんなと、アレンは呟く。
直立シートに拘束された両腕に、ジワリと力を注ぐ。
アレンの筋肉の動きに連動し、雷龍は切っ先を空に向け、ソードの柄を頭部右側面に置いた。
八双の構えだ。
雷龍の頭部カメラが、山の間に影がうごめくのを捉えた。
「来るぞ!」
瞬間、土色の生物が、山陰から躍り出た。
アレンが前方スクリーンで目標を確認した。
「リザードマン!」
雷龍と同じくらいの大きさ。
人型でありながらも茶褐色の全身からは、人ではないことを認識させる。
爬虫類独特の鋭角な顔立ち。
大きな口から細い舌を垂らしながら、雷龍をじとりと睨み据える。
鋭い爪が妖しく光る。
思った刹那、雷龍に向かって跳躍する。
茶褐色の尻尾が靡く。
太陽光を遮り、雷龍に暗い影が落ちる。
――クソ!
アレンは内心で吐き捨てる。
その時だった。
「イー・サー!」
ミミとモモの声が交錯した。
赤い閃光が走った。
まるで一本の線のようだった。
それは宙を舞うリザードマンの右肩を貫いていた。
甲高い野獣の叫びが響きわたった。
リザードマンの体が傾く。
雷龍がソードを振り上げた。
上段から一気に斬り降ろす。
「ぬぉぉぉぉ!」
縦に白い閃光が走る。
ソードがリザードマンを頭からまっぷたつに裂いた。
雷龍の頭上から青い雨が降り注ぐ。
宙を舞う暗黒獣は二つの肉の固まりに変わった。
雷龍はソードを振り降ろしたまま沈黙する。
二つの肉塊は、重い音を立て、雷龍の左右に落下した。
土煙が雷龍を包んだ。
「さっきの光は――」
「ファイアーを極限まで凝縮させた閃光魔法――」
アレンの疑問に、リリアが感情の欠落した声で解説する。
これがエルフィンの魔法――アレンは驚愕した。初めて目にするエルフィンの魔法に。
「次! 来るぜ!」
ウィンディの頭部が前方を向いた。
掌を開き、右腕を構える。
山陰から黒いモノがうごめく。
「イ――」
ウィンディの右手の空間が歪んだ。
「サァァ――!」
再び閃光が走った。
山陰から、二足歩行で姿を現したブルードラゴンの胸を貫通した。
丸い穴が開いた。
ウィンディの腕の太さくらいはある穴だ。
肉が焼きただれ、黒い煙がくすぶる。
丸く開いた穴は、まるでトンネルのように、ドラゴンの背後にある岩の壁を写し出していた。
ドラゴンの動きが止まった。
雷龍が踏み込んだ。
ドラゴンとの距離を詰める。
ソードの間合いに入った。
八双から振り被る。
「でぇぇりゃぁ――」
ドラゴンを袈裟で斬りつける。
ソードがドラゴンの左肩から斜めに肉を裂く。
青い鮮血が迸る。
雷龍の上半身が青く染まった。
刹那、雷龍の体が衝撃を受ける。
腹が浮き上がった。
「クソ! 新手か!」
水掻きのついた右足が、雷龍の下腹を蹴り上げていた。
魚の顔、二足歩行、全身が銀の鱗に包まれたキングマーマンだった。
雷龍が上段にソードを振り上げる。
瞬間、頭部カメラが闇を捉えた。
衝撃が再び雷龍を振動させた。
体がくの字に曲がった。
キングマーマンが右手で雷龍の頭部を掴み、膝蹴りを叩き込んでいたのだ。
まるで破壊を楽しむごとく、執拗に膝を雷龍の下腹に叩き込む。
「密着してるから魔法を放てねぇよ!」
モモの声が空しく木霊した。
そのとき、雷龍とキングマーマンの間から、氷の粒子が舞い上がった。
「ボンバー!」
リリアの声だった。
同時に耳をつんざく破裂音が響いた。
砕けた無数の氷が光輝く。
爆裂魔法、クリスタルボンバーだ。
キングマーマンが後方に吹き飛んだ。
銀の背中が、岩を打った。
山肌に体が貼り付いていた。
ウィンディがすかさず右手を突き出す。
冷気が集まる。
掌に集まった冷気が圧縮される。
氷の刃が形成される。
「イ――」
冷気の圧力が限界を超える。
「――ウゥー!」
そして――爆発した。
ウィンディの右手から放たれた無数の氷の矢。
岩に貼り付いた魔物の腕、足、胸、胴に――夥しい数の氷の矢が突き刺さる。
体が岩に縫いつけられ、一体と化した。
「爆裂と冷却の高等魔法――」
アレンが口を開くより早く、リリアが再度解説をした。
さすがはエルフィン――アレンは笑んだ。
全身に力を込める。
腹から気合いを吐き出す。
「でぇぇぇやぁぁぁ!」
雷龍が大きく踏み込む。
上段から振り降ろされる斬撃。
ソードが頭からまっすぐ肉を裂いた。
鮮血が雷龍をさらに青く染めた。
「はぁ、はぁ――」
アレンの荒い呼吸が漏れる。
肩が上下する。
雷龍の肩も上下していた。
雷龍は二つの肉塊に向かい、正眼に構えたまま動かない。
今までキングマーマンであった肉の固まりは、びくんびくんと、時折痙攣を起こす。
まるで、生命力の強さを誇示するごとくに。
そして、血が尽き、生命の息吹は散っていった。
「やったぜ! 兄貴――」
雷龍が残心を解いたのを確認し、モモが声を上げた。
「!?」
モモは言葉を失った。
後方を向いたウィンディの頭部カメラが捉えたものは、人の頭部を持った巨大な獅子に押し倒されているナイアードの姿だった。
「くそ!」
海斗は吐き捨てた。
油断だった。
正対に構えていたナイアードは、突如出現した四本足の暗黒獣に不意をつかれた。二足歩行とは比べものにならない素早さに、構えの移行が間に合わなかったのだ。
ナイアードはのし掛かるように押し倒され、マウントを取られていた。
「海斗! あいつマンティコアよ!」
顔は人、細長い尾には猛毒の針を持つ、赤毛に覆われた獅子である。
人とは思えないほど大きな口を開き、長く鋭い牙が、ナイアードの肩の装甲に食い込んでいた。
「関係ねぇ――」
叩きつぶすだけだ!
ナイアードの足が動いた。
マンティコアの後ろ足をするりと抜け、丸い胴体に鋼の両足が絡みついた。
マウントへのガードポジション。
肩を食らう口の中に両手をねじ込んだ。
「せぇぇぇいやぁあ!」
肩に食い込む牙をひきはがす。
メリメリと鋼がきしみ、大きな傷を残す。
牙の攻撃から逃れたナイアードを、新たな衝撃が襲う。
「なに!?」
揺れ動く操縦室に、ミリィは狼狽した声をあげた。
ナイアードの両手はマンティコアの顔面を上に押し上げるように掴んでいる。
牙を使った攻撃はありえない。
前足を使った攻撃なのかとミリィは悟った。
獅子の雄叫びが響き渡った。
右前足が振りあがる。
鋭利な爪がナイアードの胸に迫った。
「フシュッ――」
息が漏れた。
右前足を掴む。
瞬間、マンティコアの右肩から首に、たすきをかけるごとく、ナイアードの両足が絡みついていた。
ナイアードの両手がマンティコアの右前足を掴み、まっすぐに間接を伸ばし、両足で首筋を絞り上げる。
「三角絞め!」
ギリギリと間接が軋む。
鋭い牙の隙間から唾液が流れ落ちる。
野獣の吃哮が掠れていった。
ナイアードの右手が、マンティコアの顔を鷲掴みにした。
レッスルのアイアンクロー!?――着実に次の敵が差し迫っている状況で、確実にしとめんとする海斗の意図をミリィは悟った。
座席前のパネルに意識を伸ばす。
伸ばした意識がナイアードの右手を捉え、激しい炎が吹きあがる。
「ぐぉぉぉ――」
獅子の悲痛なまでの吃哮。
「ファイアァァ!」
「でりゃぁぁぁ!」
ミリィと海斗の気合いが吃哮を上回った。
周囲の空間を二人の叫びが征した。
マンティコアの頭部が炎に包まれる。
炎の赤が、赤い髪に勝り、黒い煙をあげながら焼き払う。
不意にボキっと大きな音がした。
大木がへし折れたような音だった。
ナイアードの両足から覗く人の顔は、真っ黒に焼きただれ、所々白骨が姿を覗かせていた。
ナイアードは技を解き、覆い被さるマンティコアの下から這いだした。
「海斗!」
小画面を見ながらミリィが叫んだ。
「残心すら取らせてくれねぇのかよ!」
吐き捨て、小画面を睨む。
赤い点が、白い矢印に向かって、近づいていた。
ナイアードは立ち上がると、右足を後方に踏み込み、腰を落とした。
後屈立ちで、両手を開いた円心の構えだ。
「今度は油断しねぇぜ――」
海斗は笑みを浮かべ、前方スクリーンを見据えた。
「海斗!」
ミリィの声だった。
小画面の赤い点と、矢印が重なった。
「――」
海斗は前方スクリーンを凝視する。
しかし、前方スクリーンには、変わらずゴツゴツとした岩が映っていた。
――どこだ!?
前方スクリーンの画像が、左右に流れる。
しかし、映るものは、厳つい岩の壁だけである。
「兄貴! 上!?」
モモの声に反応し、ナイアードの頭部が空を仰いだ。
「ガーゴイル!?」
ミリィが叫んだ。
前方スクリーンには、奇妙な生き物が空に貼り付いている画像が映し出されていた。
全身が黒光りしている。
顔はコウモリのように裂けた口、小型の魔物、牙猿を思わせる体型に、背中には大きな翼を有していた。
「俺が打ち落としてやるぜ!」
「待って!」
右手を構えるウィンディを、ミリィの声が制した。
「表面は石の肌に覆われて、魔法もソードもきかないわ!」
「チィッ!」
舌打ちとともにウィンディの腕が下がる。
「すぐに片づける!」
ナイアードの左手が上を向いた。
股を大きく開いた。
それはサバラ砂漠で、サンドワームを向かえ打った構えである。
ナイアードが構え終わると同時に、ガーゴイルが動いた。
翼を畳み、高度を落とした。
口が大きく開いた。
そして炎が吹き出した。
灼熱の炎がナイアードの頭部を包み込んだ。
「くっ!」
息を漏らす。
左掌で頭部カメラを守る。
瞬間。
「うぉっ!」
「きゃっ!」
衝撃を受けた。
くそ! ファイアーブレスは肉弾攻撃を当てる為の囮か――海斗は唇を噛んだ。
「兄貴! 奴の武器は右の爪だ!」
モモの声が操縦室に響いた。
状況が掴めぬ海斗を案じたモモの声が、今はとても頼もしく感じられた。
サンキュー! モモ――海斗は笑み、脳内で戦いの戦略を組み立てていく。
スクリーンを睨む。
ガーゴイルは再び空に貼り付いていた。
「はぁぁぁぁ――」
ナイアードから、力強い息吹が漏れる。
大地の底から響くような息吹は、周囲の空気をビリビリと振動させた。
ナイアードは左足を後方に踏み込む。
腰を落とす。
両手を開いた。
円心の構えのサウスポースタイルだ。
「きやがれ!」
海斗の叫びに応ずるがごとく、ガーゴイルは滑空を開始する。
再び大きな口が開いた。
ファイアーブレスの体勢だ。
その瞬間、ナイアードの足が大地を蹴った。
鋼赤の巨人が宙を舞う。
両手が黒い頭を掴んだ。
赤い右膝が、ガーゴイルの顔面を打ちつけた。
頭部を抱え込んでの飛び膝蹴りだった。
不発したブレスが、ガーゴイルの口から黒煙となって吐き出された。
「ギィィヤァァァ」
甲高い叫びが轟いた。
ガーゴイルが空中でバランスを崩す。
「フシュッ!」
ガーゴイルの頭部を右わきの下にはさみ込んだ。
ガーゴイルの右腕を掴み、自らの胸に巻き付ける。
「D・D・T!」
ナイアードは両足を振り子のように前方に投げ出す。
そして、ガーゴイルの胴体に両足を挟んだ。
重力に引かれ、黒と赤の巨体が大地に落ちる。
レッスルのDDTという技だ。
ガーゴイルの頭部は、激しく大地に打ちつけられた。
大地が振動した。
砂埃が舞い上がり、赤と黒の巨体の姿を包み込んだ。
「膝蹴りからのD・D・T――カラテ、レッスル、全く異なる格闘技の技が、自然に連携されている」
レッスル、カラテの多彩な技の中から、状況に適した技で連携させているとでもいうのか――それはまるで一つの技のように見えた。
アレンは流れるような連携技に、内心で感嘆の声をあげた。
砂埃が晴れ、ナイアードが姿を現す。
ガーゴイルはナイアードの右脇に挟まれたまま、うずくまるように背を丸めていた。
ナイアードの両足は、ガーゴイルの胴に巻き付き、翼の動きを封じていた。
「兄貴、どうしたんだ? まったく動かない――」
「おかしいですわね――」
暫しの沈黙が流れた後、突如アレンが叫んだ。
「D・D・Tの体勢のまま絞めている! フロントフェイスロックだ!」
ナイアードの右腕が細かく震えていた。
まるで万力のようにガーゴイルの頭部をきつく絞めあげていた。
両足で封じられた翼が、ビクリビクリと空しく動く。
黒い左手が地面をひっかき、爪痕をつくった。
「兄貴ぃ! 落とせぇぇ!」
乾いた音と共に石の首に亀裂が走る。
「でりゃぁぁ!」
気合いが迸った。
石の頭部が粉々に砕け散った。
破裂音が木霊した。
そして静寂が訪れた。
「やったぜ! 兄貴!」
「愛してますわー!」
勝利を確信したミミとモモが、喜びの声をあげた。
それに応えるかのごとく、ナイアードが体を起こす。
そして、横たわるガーゴイルに向かい、拳を構えた。
頭部を失ったガーゴイルの体は、まるで石像のように固まっていた。
そこに生命の息吹は微塵も感じられなかった。
ゆっくりと構えを解く。
ナイアードは石の固まりと化したガーゴイルを見下ろしていた。
残心を取るまでもない――海斗が悟り、サーモスキャンモードを解除する。
「うし!」
海斗がイスの状態に戻ったシートから立ち上がり、ビシっと下段払いを決めた。
「楽勝!」
前部席席から立ち上がったミリィが、海斗の手をパン! と叩いた。
「もたもたしてると、また奴らに見つかるぜ」
「そうね、見つかる前に周辺を捜索するしかないわね」
海斗と、ミリィが会話を終え、ナイアードが歩きだした。
「兄貴! 待ってくれよ!」
「あ、わたしのフォルム、待ってくださいましー」
「貴様等、ここの指揮は――」
「黙って!」
雷龍は心なし肩を落としながら、ウィンディの後に従った。
緑の背中は哀愁が漂い、泣いているようにも感じられた。
ナイアードが先頭を歩き、その後をウィンディが続き、ウィンディの後を雷龍がとぼとぼといった感じで従っていた。
小画面では左側に大きな赤丸が点滅している。
そのため、左手の山に沿ってナイアードは進んでいた。
ふと、ミリィはかすかな音を感じた。
集音機で拾った外の音だ。
それは、さらさらとなにかが流れるような音だった。
「海斗! 近くに何かない?」
「あぁ!?」
ナイアードは慌てて足を止め、カメラを備えた頭部で周囲を見回した。
「いきなり立ち止まるなど――」
「黙って!」
雷龍は肩を落とした。
はたから見れば、同じ巨兵から交互に聞こえるやりとりで、肩を落とす様は、一人芝居をしているような間抜けさがある。
くっくっく、うふふと、かすかな含み笑いが、ウィンディから漏れた。
そんなことがあるとはつゆ知らず、海斗の真面目な声がナイアードから響いた。
「川だな」
数歩進んだナイアードが、左の山肌を指で示した。
「なに!」
「兄貴!」
ぞろぞろと、二体の魔法巨兵がナイアードの横に群がった。
岩が重なってできた山肌にぽっかりと大きな穴があり、そこから水が流れ、川を創っている。どうやら湧き水のようである。
穴の大きさは、巨兵が入るには十分な大きさだ。
「いくぞ」
雷龍が迷うことなく、穴に入っていった。
「有無を言わさずね――」
ミリィの呆れたような声が漏れ、ナイアードが肩をすくめた。
どうやら海斗も同じ気持ちらしい。
「俺たちも行こうぜ!」
「そうだな――」
ナイアードとウィンディは雷龍の後を追い、水しぶきをあげながら、暗い洞窟の中に入っていった。
洞窟の中は丸みを帯びた岩がいくつも垂れ下がっていた。
あたかも氷柱のような岩は、水気を帯び黄色く、てかっていた。
硫黄といわれる成分が混じった水が至る所から流れていることから、長い年月をかけて自然が作り上げた洞窟であることが伺い知れる。
洞窟内には、淡い光を放つ苔が無数に生息していることで、明かりが無くても行動には不自由しない。
水の流れをたどり、二体の魔法巨兵は歩みを進める。
「兄貴!」
ウィンディが指で示した場所に、雷龍が背中を向けて仁王立ちをしていた。
雷龍の前にあるのは、黄色い水が流れ落ちる大きな滝だった。それは行く手を阻むかのように立ちふさがっていた。
「どうした! アレン!」
「行き止まりだ」
走りよってきたナイアードを見向きもせず、雷龍はアレンの声で吐き捨てた。
「行き止まりかよ――」
遅れてきたウィンディが、どうしたものかと、肩をすくめる。
ナイアードの頭部が周囲を見渡すが、前方スクリーンに写し出される画像は、黄色い滝と、鍾乳石の壁だった。
「待って!」
リリアの声だった。
「滝の向こう――」
「なに!?」
リリアの声に反応して、雷龍が滝に右手を伸ばした。
ザッっという音と共に、黄色い水のカーテンが、雷龍の腕を境に下に向けて割れた。
「空洞だな」
雷龍は腕を上下左右に動かし、穴の大きさを確認すると、滝に向かって前進する。
ザザッという音と共に、雷龍は滝に飲み込まれるように姿を消した。
「奥に続いているわ」
滝の音に紛れて、かすかにリリアの声が届いた。
「海斗!」
「あぁ――」
ナイアードは頷くと、雷龍に続いて滝の中にその身を投じた。
「おもしろそう!」
「ですわー」
ナイアードの後に続き、ウィンディは跳ねるように滝のカーテンを潜った。
滝を潜ると、そこは岩に囲まれた洞窟だった。巨兵が手を伸ばせば天井に手が届くほどの穴だ。光苔が生息していることから、中は湿っていることが伺える。
壁は鍾乳石ではなく、しっかりとした岩壁であることから、水による浸食は少ないようだ。
ダーククリスタルの位置がわかるナイアードが先頭を歩いていた。
光苔が放つ淡い光は、数歩先までの周囲を照らしている。ナイアードは視界の悪い洞窟を、慎重な足取りで進んでいた。
「なんで金色の賢者はこんなところにダーククリスタルを隠したんだろう?」
ミリィがふと思いだしたかのように呟いた。
そもそも巨大な暗黒獣がうろつくような場所に、危険を冒してまで封印する理由がわからない。
「クリスタルの悪用を防ぐため――」
独り言のつもりが、それにリリアが応えていた。
「暗黒獣は、すべてを破壊する兵器ですけど、クリスタルの力を持つものは傷つけないのですわ。暗黒獣から村を守るということで、エルフィンの村ではクリスタルが祭られていていますの」
ミミが解説を加える。
「なるほど、それで、兵器として機能していたわけね」
ダーククリスタルで暗黒龍を呼んだところで、自分の国が滅んでしまえばアホとしか言いようがない。
一応納得したミリィは、でも、と言葉を続ける。
「そうすると、エルフィンの人は村の外に出られないってことにならない?」
「その為に、空を飛ぶのですわ。飛行する暗黒獣は少ないし、飛行距離の短いガーゴイルくらいなら振り切れますわ」
なるほどと、ミリィは納得する。
しかし、暗黒獣のあの巨体を維持するには、相当量の食料を必要とするはずだ。人間や小型の魔物を食料とするのでは、到底足りるとは思えない。エルフィンを食料とできないなら何を食料とするのだろうか。
「そうすると、暗黒獣同士では争わない、つまり、共食いはしないわけだから、奴らは何を食べているのかしら?」
「暗黒獣は、取り込んだクリスタルの力で活動しますから、食料はいりませんわ。体内のクリスタルの力が無くなれば、普通の魔物に戻ってしまいますけど。ダーククリスタルの力が切れるのが百年後か、千年後かわかりません――」
「なるほど。まさに生物兵器ね――」
さきほどナイアードが倒した、ガーゴイルという暗黒獣は、食料を必要としないことは、昔、魔物のことを記された書物を読んでいてミリィも知っていた。その本には、暗黒獣も魔物と表記されていたので、暗黒獣全部が食料を必要としないとは全く知らなかったわけであるが。
言われてみると、ドラゴンの谷にの中には、これといって食料になるようなものは見あたらなかった。そんな場所にドラゴンが何年もいたわけである。
さすが暗黒獣を造りだしたエルフィンだけはあって、詳しいわねと、ミリィはミミの持つ知識に舌を巻いた。
しかし、ミリィの中で、また新たな疑問が浮上した。
「でも、そんなに恐ろしい力を秘めたクリスタルを、なぜ、金色の賢者は全部破壊しなかったのかしら?」
「研究の為――」
「研究?」
ぶっきらぼうに短く応えたリリアの声に、ミリィは納得できずに聞き返す。
「金色の賢者は、ダーククリスタルがいかにして造られたかを研究する為に、身を隠した――」
金色の賢者は学者であった――飽くなき探求心がそうさせるものかと、学者という存在にミリィは自身の理解を超えたものを感じた。
そんなことを考えていると、不意にナイアードが歩みを止めた。
「また行き止まりだが、ここにクリスタルの反応があるぜ!」
海斗の声に、ミリィは小画面に視線を移した。
黒い窓――小画面の中央に大きな赤い丸が、白い矢印を包むように点滅している。
ここに間違いない――はずである。
「どこも岩の壁だぜ」
海斗がナイアードの頭部を動かし、前方スクリーンを変化させる。
「どけ!」
雷龍がナイアードを押し退け、行き止まりの壁に向かってしゃがみ込んだ。
不意に横から力を受けたナイアードは、バランスを崩し、ヨタつきながらも体勢を整える。
「なにしやが――」
雷龍の様子に訝しさを感じ、海斗の声が途中で止まる。
雷龍はしゃがみこんだまま、右手を動かしていた。
「岩?」
雷龍の右人差し指と、親指の間に、丸い岩が挟まれていた。
岩の壁に囲まれた洞窟内に、丸い岩が一つだけ落ちているわけである。
ミリィは妙な不自然さを感じていた。
これは、誰かが置いたとしか思えないわね――ミリィは雷龍が映る前方スクリーンを固唾を飲んで見つめた。
岩を投げ捨て、雷龍の胸が開き、搭乗口から人影が現れた。
「海斗! あれ!」
「俺たちもいくぞ!」
ナイアードがしゃがみ込む。
「お、お、待ってくれよ!」
「行くですわー」
ナイアードの搭乗口が開いたのを確認したのであろう、モモの狼狽しきった声が鳴り響き、ウィンディも大地に腰を落とした。
ついさっきまで岩があったであろう場所に、アレンは四つん這いで何かを探っていた。
「なにかあったのか!」
海斗がアレンの背後に駆け寄った。
「なにか見つかったの?」
「兄貴ー」
海斗に続き、ぞろぞろとミリィ、モモ、ミミ、リリアがアレンの背後に集まった。
アレンの探っている場所は、他と同じく、ゴツゴツとした岩でできた地面だ。よくよくみると、アレンが右手を伸ばす場所だけ、細かい石が散乱し、なにかで削り取られたような窪みがあった。明らかに人の手が加えられて造られたものであると、ミリィは感じた。
「む!?」
突然、アレンが、窪みの小石を両手で払う。
すると、窪みの間にすっぽりと収まった、四角い箱が姿を現した。
アレンは慎重に箱を取り出し、立ち上がると、居並ぶ全員に向き直った。
「見ろ」
言うと、右手に乗せられた正方形の木箱を差し出し、ゆっくりと上蓋を開ける。
箱の隙間から青い光の筋が漏れ、それは次第に大きく膨らんでいく。
「これが――」
「――ダーククリスタル」
海斗の言葉の後を、ミリィが続けた。
それは、丸められた白い紙の中に埋まるようにして、四角い箱に納められていた。
飴玉くらいの大きさはある黒く丸い石が、青白い光を放ち、のぞき込んだ全員の顔を青く照らしていた。
「こ、こんなものが――」
そのときだった。
箱に向かって黒く小さな手が伸びた。
「な!?」
アレンの右手からは、木箱の姿は消えている。
ミリィは事の次第を理解し、周囲を見渡すと、洞窟の岩壁に向かい、木箱を振り上げるモモの姿が視界に映った。
「チィッ!」
舌打ちすると、アレンはソードの柄を掴み、モモに走りよった。
「こんなものがあるから――」
モモの叫びが壁に反響した。
「こんなものがあるからミミは――」
振り上げた右腕に力を込めた瞬間、まるで石にでもなったかのように、腕が動かなくなった。
「バカやろう」
海斗がモモの腕を掴み、怒りでつり上がった青い瞳を見据えていた。
海斗はそれ以上なにも言わず、優しい眼差しでじっと、モモの瞳を見つめていた。
「――」
右手から箱が滑り落ちた。
乾いた音をたてて、木箱が地面を叩いた。
黒い水晶が箱からこぼれ、岩の地面を転がった。
「うわぁぁぁ――」
モモは海斗の胸に顔を埋め、大声で泣いていた。
海斗は絹のような頭を優しく撫で、か細く小さな体を強く抱きしめた。
真っ赤な夕日の光が、鋼の固まりを赤く染めていた。
輸送形態の鉄の鳥は急上昇し、天を向いた状態のまま、戦艦ミラージュに向かって、ゆっくりと高度を落としていく。
そして、三体の魔法巨兵が、各々の格納ポイントに移動すると、ミラージュに飲み込まれるようにその姿を消していった。
格納庫に降りたったナイアードが、両肩を拘束具で固定され、搭乗するための足場が胸に取り付けられる。
搭乗口が開き、ミリィが足場に降り立った。
「やっとついたわね」
そう呟くと、大きく伸びをした。
「あぁ、そうだな」
海斗が足場に足をつく。
すると、正面に、アレンと、リリアが歩き、ミミが浮遊しているのを見つけた。
そこにモモの姿はなかった。
「おい! モモはどうしたんだ!」
海斗の声に気づいたミミが、浮き止まった。
「モモなら、着くなり珍しくどこかに飛んでいっちゃいましたわ」
ミミは首を傾げ、瞼をぱちくりとさせた。
その仕草をみても、よほど珍しいことであることがわかる。
「あのバカ!」
「ちょ、海斗!」
突然走り出した海斗に、とっさにミリィは手を伸ばすが、すぐにやれやれといった感じで腕を組み、ため息をついた。
ミラージュの甲板にモモは膝を抱え、うずくまっていた。甲板のすぐ下には、町の倉庫やバザーのテント、様々な色の屋根が垣間見れる。
地平線の向こう側にうっすらと山脈が連なり、その手前には砂漠が無限の広がりを見せる。砂漠と町の間には湖があり、風を受けて波打つ水面は、夕日の光を写し込んで赤く染まっていた。
モモは地平線に沈もうとする太陽を見つめていた。
なんでハーフエルフィンなんだ――モモは大きく自己主張している太陽を睨みつけた。
「探したぜ」
背後から声がした。
カツカツと鉄の甲板を叩く音が近づき、モモの横で止まった。
「なぁ、暗黒龍が倒されて、エルフィンも人間も幸せになったんだよな?」
「――」
モモの声は風に流されるように空しく消えていった。
答えがないことに、モモは視線を膝に落とした。
「俺の母さんは、人間の男と結婚した――」
「――」
「そして、ミミと俺が生まれた。でも、俺たちはエルフィンからも人間からもつまはじきにされた。エルフィンの奴らは、人間なんか汚らわしいっていいやがる。人間は人間で、魔物をみるように俺たちを憎んだ」
一陣の風がモモの短い銀髪をサラサラと撫でる。尖った耳が髪の隙間から顔を出した。
「それでミミは心を閉ざした。物は裏切らない。信じられるのは人なんかじゃなく、物なんだって」
「――」
海斗は何も言わなかった。
ただモモと同じ夕日を眺めていたい。
そう言うかのように静かだった。
「俺はミミを、ミミを傷つける奴はゆるせねぇ――」
目頭に熱いものがこみ上げてきた瞬間、頭を大きく、暖かいもので包まれた。
「全部自分一人で背負い込むんじゃねぇ」
モモが傍らの海斗を見上げた。
海斗は優しい笑みを向けながら、大きな手をモモの頭に乗せていた。
「ここは何かを守りたいって思う、物好きな連中が集まる所みてぇだな」
夕日が沈み、赤茶けた空に、ムーア大陸に残してきた友の顔が浮かんだ。
ゾレフさん――心の内で呟くと、泣き咽んでいるモモの肩に、優しく腕を回した。