5:煩悩退散!
翌日。
目覚めるとそこにセルジュの姿はない。
代わりに元気いっぱいでグラマラス美女三姉妹の侍女が天幕にやって来た。
「お顔を洗いましょう!」
「終わったら着替えです!」
「着替えの後は髪を整えます!」
有能な侍女三人により、私の身支度はすぐに整う。
空色のワンピースを着て、ショートブーツを履き、天幕を出ると……。
「おはようございます、王太子妃殿下」
「おはよう」
騎士や従者、農夫が声をかけてくれる。
「セルジュ様は……?」
「! 殿下はアマレット様にデザートを食べさせたいと森に入りましたが、もう戻って来るかと」
メディがそう言った瞬間。
ふわっと空気の揺れを感じ、振り返るとそこにセルジュがいる!
シルクのような黒髪をサラサラと揺らし、白シャツにベージュのベストとズボン姿のセルジュが私の方へと歩み寄る。
「セルジュ様、おはようございます」
挨拶をしたら、セルジュの金色の瞳がうるうるになっている。
これには「???」となるが、その手に持つshallow wicker basket(浅めの編み籠)に山盛りになっている紫紺色の実は……。
「お、おはようございます、アマレット! これはマルベリーの実です。人間の皆さまも召し上がりますよね? 完熟しているので、このままでいただけます! 川の水で洗っておきました」
私の視線の動きに気づき、セルジュがそう言ってマルベリーを差し出してくれる。少しはにかむようなその表情は……愛い!
「ありがとうございます、セルジュ様! わざわざ取りに行ってくださったのですね。とても嬉しいです」
バスケットを受け取り、御礼の言葉を伝えて微笑むと、セルジュがその張りのある肌をポッと赤くする。
「……その、きっと、甘い物を召し上がりたいだろうと思い……。喜んでいただけて良かったです!」
この様子を見て、グラマラス美女三姉妹は「まあ♡」「お可愛い♡」「うふ♡」と声を揃えた後、「それでは皆さん、朝食の用意ができました! 手の空いている方は取りに来てください!」とスティが声をあげる。その直後、エリーが耳打ちをする。
「アマレット様、ついに殿下のことお名前で呼ぶようになったのですね!」
これには「!」となるが、今度はメディが耳元で「名前を呼ばれ、殿下は大喜びですね!」とささやく。
そこで私はセルジュがはにかみ、頬を赤くした理由を理解する。
(なんて初心な反応なのかしら……)
なんだか胸がキュンキュンする中、皆が集合し、朝食となった。
◇
朝食を終えて、早速出発になったが、セルジュはブラックキャットの姿にはならない。その理由は――。
「いよいよ魔獣の森の中に入ります。いつ何が起きてもおかしくないので、すぐに対応できるよう、この姿で向かうことにしました」
これには「なるほど」であり、そうすることが正解に思えたが……。
改めてセルジュと二人きりの馬車の中。
正面に拝みたくなる美貌のセルジュが座っている。
その現実に私は――。
(お、落ち着かないわ! ブラックキャットの姿のセルジュなら、こんなにドキドキしないのに……。そういえば正面で座るより、隣もしくは斜め左右のどちらかに座った方が、緊張しないのよね、確か)
膝の上にセルジュがいる時は、自然と言葉がついて出てきた。他愛のないおしゃべりをリラックスしてできていたのに。今は、視線は彷徨うわ、言葉も出てこないわで、最悪の状態。
(以前、私は見た目ではなく、中身だ、とセルジュに話していた。ブラックキャットの姿であろうと、人の姿であろうと、中身はセルジュだから、関係ないと言ったのに! これでは……)
「アマレット」
「ひゃい!」
「そんなに緊張しないでも大丈夫です。確かに魔獣の森に入るのは……怖いですよね。でも何か起きても、わたしが必ずアマレットのことを守ります」
「あ……」
セルジュは……なんてピュアなのだろう。私の挙動不審を魔獣の森に入る緊張感だと考えてくれるなんて。
(本当は、イケメンの正面に密室で長時間座るのは耐性がないとキツイ件――で悩んでいたのだけど、ここはその思い違いに便乗してしまおう!)
「そ、そうなのです。私は……初めて目にしたのはガーゴイルで、その次にバジリスクに捕食されそうになりました。やはり魔獣は……怖いです」
これは嘘ではない。魔術を使えない、しかも武器も扱えない私からしたら、魔獣は怖い存在であることに違いなかった。
「……そうですよね。不安になり、緊張したりして当然だと思います。……もしご迷惑でなければ、隣に移動してもいいですか?」
「へ……?」
「正面ではなく、隣に誰かいると、安心できるのでは?と思ったのですが……」
これはまさに好機到来!
正面に座る美貌のセルジュにどうしていいか、わからなくなっていた。
隣に座ってくれる。まさに神の救いだわ!
「ど、どうぞ、隣にお座りになってください! 確かにすぐ横に最強のセルジュ様がいれば、安心できます!」
「そうですか。では……」
走行中の馬車で、席の移動は禁じられている。
でもセルジュなのだ。
ひょいっと、あっという間に移動し、私の隣にストンと腰を下ろした。
「あ……」
思わず声が漏れたのは、彼が隣に座り、あの甘いムスクの香りを感じたからだ。
(いい香り)
つい体がセルジュの方へと向かってしまう。
(いかん、いかん! これではセクハラよ!)
体を元の位置に戻そうとしたまさにその時。
車輪が少し大きな石の上に乗り上げたようだ。
馬車が大きく揺れた。
「アマレット」
気付けばセルジュにぎゅっと抱きしめられ、あの甘い香りに包まれる。
心拍数は急上昇で、呼吸が浅くなっていた。そうなると必然的に呼吸の回数が増えてしまう。するとその香りをさらにたっぷり吸い込み――。
バニラの香りは男性の魔族にとっては媚薬だという。
だが私は……セルジュのこのムスクの甘い香水が媚薬のように思える。
(ダメ、ダメ、何をしているの、私! 離れないと)
煩悩退散!とばかりに身を起こそうとしたが――。
またガタッと馬車が大きく揺れる。
「馬車道が整備されているわけではないので、しばらくは悪路となりそうです。いざとなれば馬車を下り、馬で進む必要もでてきます。当面の間はこうしていましょう。座席から落ちることがあっても、これならアマレットを守ることができます」
「セルジュ様……、ありがとうございます」
申し訳なさそうにしているが、心の中では拍手喝采!
(こんなご褒美ならウエルカム!)
いつかはこの優しさは私ではない誰かに向けられる。
でも今この時、この場所には、セルジュと私しかいないのだ。
(今だけ。期間限定だったとしても。この誰かに守られる安心感を、私は心から味わいたい……)
肩の力を抜き、セルジュのその引き締まった胸に全身を預けた。














