失われた時を思う
「こちらが名乗らなかったのです。皇女様の名前をお聞きすることもできませんでした。馬車には紋章は出ていませんが、そのお姿から、貴族であることは明白。年齢は……社交界デビュー前だと思えました。それならば、社交界デビューする令嬢が多く来る宮殿の舞踏会へ顔を出していれば、必ず再会できる。そう思うようになったのです」
「そうだったのですね……。でもその頃には既に継母とロージーから外出を禁じられ……。結局、社交界デビューはまだなのです。一応、ライヴリィ男爵には、男爵令嬢として必要となるマナー、社交術、ダンス、教養などは……一通り教えていただいたと思います。ただ、学校へは進学できず、社交界デビューもできず、私は……」
本来の悪役令嬢パメラだったら、社交界デビューも完璧だったし、学園も優秀な成績で卒業していた。それなのに私ときたら……。
思わず肩を落とし、しょんぼりすると。
「皇女様」
改めて呼ばれ、何だろうと思い、顔を上げる。するとヴィクターは真摯な目で私を見た。
「あの時間は無駄だった……と思うのは、とても勿体ないと思います。実際、私は皇女様と会えるのではないかと期待し、特に興味があるわけではないのに、連日宮殿の舞踏会へ顔を出しました。結局、舞踏会で皇女様に会うことはできませんでした。では舞踏会へ顔を出した時間は無駄だったのでしょうか……」
そこでヴィクターは、焦げ茶色の髪をサラッと揺らして、微笑む。なんて柔らかい表情。和むなぁ。
「皇女様と会えなかったのですから、正直に言えば、無駄です。完全に無駄足でしょう。でも社交術は磨けましたし、貴族の皆様の人間関係もみっちり学ぶことができました。ダンスの腕も上がりましたし、決して無駄ではありませんでした。同じように。皇女様が本来学園へ通うはずだった三年間。それは行儀見習いに励んだ三年間だと思いましょう」
なんて前向きなのだろう。胸がジーンと感動する。ヴィクターの性格の良さをしみじみと実感してしまう。
「ただ、暴力や暴言は、行儀見習いであってはならないこと。それはすぐに忘れることはできないでしょう。辛い時は、私に吐き出してください」
「……! ありがとうございます」
リップサービスだと思う。今はこんな形でヴィクターと会い、話すことができている。でも普通、そんな簡単に会える相手ではない。彼に辛い気持ちを吐き出すなんて……後にも先にもないだろう。
そうであっても、そんな気持ちを少しでも私に向けてくれたことが、嬉しかった。
「その一方で、家事の腕はあがりましたよね。男爵家の令嬢で、実際行儀見習いされる方も多いですから。家事を知ることで、優秀な侍女を見分けることができるようになるでしょうし、彼女達の苦労も理解できると思います。良き女主になれることは、間違いありません」
良く理解した。前向きに捉える気持ちになっている。不思議だな。ヴィクターの言葉一つでこんなに気持ちが上向くなんて。
それに実際、継母は屋敷の管理を任せられていたのに、私を含めた使用人に、それを押し付けていた。おかげで屋敷のどこに何があるのか、予算の使い道の決定、価値のあるものの見分け方はできるようになった。食器やワインの目利きはかなりできると思う。
「そうですね。そうやって前向きに思うようにします」
「足りないことは、これからまた学べばいいですよ。皇女様はまだ十八歳。お若いです」
「殿下も十八歳ですよ」「そうでしたね」
若いなんて言うけれど、同い年なのだからとひとしきり笑った。
なんだか息が合うというか、とても楽しい気持ちになれた。
ゲームをプレイしていた時、悪役令嬢パメラとヴィクターって、こんな風に笑っていたのかな。ゲームの進行はヒロインが中心になる。パメラとヴィクターのエピソードなんて、紹介されない。本当は……もし二人がこんな風に笑い合う仲だったのなら。ヒロインがそれを壊していたとしたら、今さらだけど、申し訳なく思う。それはヒロインでプレイしていた、一人のプレイヤーとして。
「皇女様」
そこでふと真面目になったヴィクターは、私を呼ぶと、こんなことを言い出した。
「舞踏会に通うことで、もう一つ身につけたのが、ご令嬢のあしらい方です」
「あしらい方? それは……令嬢からのいろいろなお誘いをお断りする方法、ということですか?」
私の問いに、ヴィクターは「その通りです」と頷く。
年齢的には異性へ興味を持ち、どうやって令嬢達と仲良くしようかと、画策しそうなのに。ヴィクターは逆行していたようだ。
「そして十五歳になって以降、婚約者を作るようにと国王陛下には言われていました。ただ幸い、わたしは第三王子です。二人の兄は元気いっぱい、かつとても優秀。既に婚約者もいます。もしもの王位継承を踏まえ、早く結婚して世継ぎを……というプレッシャーからは、わたしは解放されています。おかげで未だに婚約者もいません」
本来、悪役令嬢パメラが正しく機能していれば、ヴィクターには婚約者がいたわけで。ヴィクターが現在もなお婚約者がいないのは……私……元悪役令嬢パメラのせいに思える。
とはいえ、舞踏会での逆行した行動。婚約者についても、あえて自ら作っていないようにも思える。
これってもしかして……。
ライヴリィ男爵のこともある。
「あ、あの、殿下」
「はい、何でしょうか」
「大変申し上げにくいことを……これから口にしても大丈夫でしょうか。その……私の発言が罪に問われることがないか、不安なのです」
ヴィクターは「ぷっ」と古典的に吹き出して笑っている。
「皇女様を不敬罪に問うなんて、さすがにできませんよ。……もしも問うなら、宣戦布告になりかねませんが、そんなつもりはないですから。生死をちらかつせるような言葉を言うつもりなら、止めますが、そうではないのですよね?」
当然、そんなことを言うつもりはないので「違います!」と返事をする。勢いよく回答したので、ヴィクターは驚き、でも笑顔で答えた。
「であるならば問題ない……としか思えませんが、なんなら近衛騎士を、もう少し後ろに下げますか?」
ヴィクターを護衛する近衛騎士は、もう十分離れた場所にいた。温室内と外に、がっちり彼らは控えている。今の時点で、話し声など聞こえているわけがなかった。むしろこれ以上離れると……。
「さすがにこれ以上距離をとると、何かあった時に、間に合わない心配もあります。……私が小声で話すので、大丈夫です」
「そうですか」とヴィクターは、またもクスクスと楽しそうに笑う。
そこで私は、小声で彼に話しかける。
「殿下はもしかして が好きなのですか?」
「え、何ですか?」
「ですから、殿下は がお好きなのですか?」
困った顔のヴィクターが、両腕を白い丸テーブルにのせた。そこで椅子に座ったまま、前傾姿勢になる。つまり、対面に座る私の方へ、上半身を近づけた。
「皇女様、わたしの耳の聞こえが悪くて申し訳ないです。もう少し耳の近くで、話していただいてもいいですか?」
「! 失礼しました!」
言いにくいことを話そうとしているので、つい肝心の部分がかなり小さい声になっていた。すぐにテーブルに身を乗り出し、ヴィクターの耳元へ顔を近づけると。
「あっ……」
いい香りがする。爽やかですっきりした香り。
これは……ヴィクターがつけている香水だ。
香水は贅沢品で貴族が使うものだけど、継母とロージーが来た時点では、私はまだ子供だった。よって香水なんてなしのまま、この年齢まで来てしまったのだけど。
改めて慣れている人がつけていると、心地よい香りに感じる。
前世では香水の付け方が不得手な人が多く、「付けすぎ! 食欲減退」なんてこともあった。でもヴィクターは、そんなことがない。適切な量をつけているのだと思う。嫌味なく、この爽やかですっきりした香りを、本人もそうだろうが、私も楽しめる。
「皇女様……」
切羽詰まったヴィクターの声に、どうしたのかと、その顔を見ると! とても彼の顔が近いことに驚き、思わず後退る。驚くことではなかった。自分から身を乗り出していたのだから。つい香水に気を取られ、その近さを失念していた。
一方のヴィクターは「はぁ」と息を吐いて口元を押さえ、頬を赤くしている。テーブルに置かれた左手は、少し震えているような?
「ど、どうされましたか!?」
ヴィクターは上目遣いで私を見る。その仕草にまさに瞬殺され、椅子に座りこむ。
「どうされたましたと聞くということは、無自覚であんなことを……。皇女様は罪深いです」
私が罪深い!? 何がですか!?
こちらとしては、その上目遣いこそが、大変罪深く思えるのに!
「私、何か罪を……?」
「無自覚なので、仕方ないです。ただ、わたしの理性が吹き飛びそうになりますので、次は用件をすぐに伝えてください」
これには「?」となるが、ヴィクターは先ほど同じように、上半身を丸テーブルの上に乗り出すようにしたので、私はすべきことを思い出す。今度は香水に気をとられず(でも香りは満喫し)、尋ねたかったことを遂に口にする。
「舞踏会では令嬢をあしらう方法を学ばれたのですよね。そして婚約者もいない。そうなると殿下は、男性がお好きなのですね?」
「え」
ゆっくりその耳元から顔を離すと、ヴィクターは笑い出し、手を振り、「それはないですよ」と答える。「恥ずかしがる必要はないです。私の身近なところに、男性が好きという者もいましたから」と告げると……。
「わたしが令嬢のあしらい方を覚えたのも、婚約者を作らないのも、それはすべて皇女様のせいです」
ここはドクンと大きく心臓が反応した。
だってこれはつまり、悪役令嬢パメラが正しくヴィクターの婚約者にならなかったことを、責められている……のでは!?
でもそんな風に責めることができるのは、ここが乙女ゲームの世界であることを、知る者のみだ。
え、もしや、ヴィクター、お前もか!?
……ブルータス、お前もか……を思わず思い出してしまったけど、そうではない!
まさか転生者なのかしら、ヴィクターも!?
「あ、あの、殿下。もしや転生者ですか?」
「え、テンセイシャ?」
この世界でも、転生者と言う言葉は存在している。でもいきなり口にした私の言葉は、この場にそぐわないようで、ヴィクターは「?」になっていた。
ということは。ヴィクターは転生者ではない。
ではなぜ、私を責めるような発言をしたのかしら?
「自分でも分からないのです。分からないのですが、あの日、あの時、あの場所で。皇女様を見てから、忘れられないのです。ずっと。その結果、皇女様以外との未来が、考えられないのです……」
「それは……!」
「お会いするのは、これが二度目。お互いの素性を踏まえて出会うのは、実はこれが初めてという状態です。そのような状況で、こんなことを言うと、驚かれてしまうと思います。ですが……嘘偽りない気持ちを、あなたに伝えさせていただきます」
ヴィクターは碧い瞳を潤ませ、頬を赤く染め、私をじっと見つめた。いきなりの甘い表情にたじろぐと、彼はおもむろに口を開く。
「わたしは……皇女様に恋をしています」
これにはビックリだった。あまりに驚き過ぎて、もう言葉が出ない。困惑する私を見て、ヴィクターも困った顔になってしまう。
「……突然、こんなことを言われても困りますよね。申し訳ないです。ただ、皇女様は、いろいろとひと段落されたら、ウィンザーフィールド帝国へお戻りになりますよね。そうなったら次はいつお会いできるのか……。時間がないと思ってしまったのです」
苦悩を浮かべた碧い瞳が悲しそうに揺れる。これはグッと心を掴まれてしまう。ヴィクターの切ない気持ちがひしひしと伝わってきてしまう。
「ウィンザーフィールド帝国に戻られるまでの間。我が国にいらっしゃる間に、チャンスをいただけないでしょうか。皇女様と散歩をしたり、食事をしたり、お茶をしたり。観劇したり、観賞したり……。そんな時間を皇女様と持ちたいのですが、いかがでしょうか?」
あまりにも真摯な眼差し。
これまでヴィクターのことは漠然と、悪役令嬢パメラの婚約者……というイメージしかなかった。しかもゲームをプレイしている時に、ヒロイン目線で見たヴィクターは好感度が高かったが、パメラの立場で彼を考えると……。
手厳しい断罪をする婚約者。パメラという婚約者を捨て、ヒロインに走った男。とまあ、マイナスなイメージしかなかった。
でもヒロインの目線でもなく、パメラの婚約者にもなっていないヴィクターと話してみると……。
純粋に一人の人間として、好ましさは感じていた。一緒に過ごす時間を持つことで、私の中でヴィクターに対する気持ちに何か動きがあるのかしら? それは分からない。でも今、ここで、「それは無理です」と断る理由はないと思った。
「まだしばらくはこの国にお世話になると思います。私は王都へまだ行ったことがないですし、正直この男爵領以外、ほとんど行ったことがないので、ぜひいろいろ案内くださりますか?」
「勿論ですよ、皇女様!」
ヴィクターは、世界が明るくなるような笑顔になった。
お読みいただき、ありがとうございます!
【蕗野冬先生描き下ろし表紙絵付きの新作公開】
新作『運命の相手は私ではありません!~だから断る~』(表紙:蕗野冬先生)
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3月までアニメも見ていたので感動もひとしお~
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ぜひご覧いただけますと幸いです!
あらすじ:
気づけば読んでいた小説の世界に転生していた。
しかも名前すら作中に登場しない、呪いを解くことを生業とする、解呪師シャーリーなる人物に。さらにヒロインが解くはずの皇太子の呪いを、ひょんなことから解いてしまい、彼から熱烈プロポーズを受ける事態に!
この世界は、ヒロインと皇太子のハッピーエンドが正解。モブの私と皇太子が結ばれるなんて、小説の世界を正しく導こうとする見えざる抑止力、ストーリーの強制力で、私は消されてしまう!
そこで前世知識を総動員し、皇太子を全力で回避しようとするが……。























































