あの時
「皇女様とお会いするのは、今回が初めて、というわけではないのです」
「え……そう、なのですか?」
ゲームをプレイしていた時には散々、ヴィクターを見ていたが、転生してから会ったことなどあったかしら?と首を傾げることになる。
基本的に、ライヴリィ男爵とそのパートナーだった騎士は、屋敷で過ごすことを好んでいた。そもそも屋敷は敷地も広かったし、そこには馬小屋もあれば、鶏小屋もあり、牛もいる。ちょっとした菜園もあれば温室もあった。庭園には、ボードもできる池もあり、屋敷で過ごしても、つまらないことはなかった。
その後、ライヴリィ男爵との二人きりの生活でも、遠出はほとんどなく、近くの街へ行くこともあったが、そう頻繁ではなかった。
継母とロージーが来てからは、すぐに二人から嫌がらせを受けるようになり、外出自体を禁じられていた。
そんな状況の中で、ヴィクターに会っていたの……?
ただの貴族ではない。王族だ。王族に会って覚えていないなんてこと、あるのかしら?
王族が王都以外の場所を訪れれば、ニュースペーパーで記事になる。でもライヴリィ男爵の領地で、王族が訪問するようなイベントはなかった。スクリフ子爵領でもなかったと思う。
こうなるとお手上げだ。思わず「うーん」と唸る私を見て、ヴィクターは慌てて話を再開した。
「きっと覚えていないと思いますが、わたしと皇女様は、お会いしたことがあるのです。その時、わたしはお忍びで、外出していました。公務では無く、私的な遠出です。私的といっても、大したことではありません。わたしの乳母をかつてしており、役目を終えた後、夫の領地に戻った、伯爵夫人がいたのです。彼女が少し、体調がよくないということだったので、お見舞いに行ったのですが……」
ヴィクターはそこで髪をかきあげ、頬をぽっと赤くする。
「連日の雨で道がぬかるんでいました。王都は道の整備が進んでおり、ぬかるみに車輪がはまることは、滅多にありません。さらに御者もまだ若く、慣れていなかったようで……。難儀しているところを、助けていただいたのです、皇女様に」
それはバッチリ覚えている。何せ娼館に売られるかもしれないと、かなり焦っている時のことであり、忘れようにも忘れることはできなかった。娼館に売られることを恐れ、そのための回避行動をとっていた。そこでぬかるみにはまる馬車に、遭遇したのだ。ゲームの見えざる力が、私の娼館回避行動の邪魔をしているのでは!?と思ったぐらいだった。
そこでふと気づく。
成り行きとはいえ、私を育ててくれたこと、衣食住を与え、生きるチャンスを与えてくれた父親……ライヴリィ男爵には感謝している。
だが銅山の採掘で行き詰った時、私を娼館に売ろうとした……というのは、何気にひどいわよね。ただ、ライヴリィ男爵はパートナーを失い、心にぽっかり穴が開いていた。それを埋めるために、鉱山の事業に没頭していたのは事実。あの時は、正常な判断ができなかったのかな。
さっき聞いた話だと、その執着していた鉱山事業……金山さえ、部下に任せることにしたのだ。そして虐待する子供を保護する施設を作りたいとまで、言っているのだから……。すっかり心を入れ替えたのだろう。
ライヴリィ男爵がしようとしていることは、きっとこの国にとって意味がある。私を娼館に売ろうとした!と過去のことをとがめ、その動きを止めるのは、もったいない。せっかく国としても、ライヴリィ男爵の活動を、支援しようとしているのだから。
私はいろいろと思い出し、考え込んでいた。一方のヴィクターは、無言で黙り込んだ私を見て、誤解したようだ。少し慌てた様子となり、私に碧眼の瞳を向け、真摯に謝罪を始めた。
「あ、あの時は名乗りもせず、本当に申し訳ありませんでした」
名乗りもせず、立ち去ったことに私が腹を立て、無言になったと思ったようだ。
座っている状態でできる最大限で頭を下げられ、これには驚き、慌てて顔を上げることをお願いした。
「お忍びでの外出だったのですよね? 私的な外出なので、護衛の近衛騎士の数も、通常よりは少なかったのだと推測できます。よって身分がバレないよう、名乗らなかったのだと、理解できていますから。それに紋章を出さず、身分を隠して馬車に乗ることは、よくあることです。気にしていません。むしろ、すこし手助けしただけで、金貨をくださったのですから……。金貨により、かなりの身分の方に違いないと、思ってしまいましたよ」
私の言葉を聞いたヴィクターは「しまった……!」という表情になる。
応接室で継母やロージーと対峙していた時は、とてもキリッとしていたのに。今はなんだかタジタジで可愛らしい。
「皇女様」
「は、はいっ」
「そんな目で見ないでください。その、あなたを前にして、わたしは少し冷静ではないのかもしれません。こんなにたじたじになるなんて……」
「そ、そうですよね。殿下はいつも落ち着きがあり、冷静に物事を判断できる方ですわ。ぬかるみに車輪がはまるという、慣れない経験をしたのです。あの時の『しまった』という気持ちも思い出し、今は少々動揺されているだけに思えます」
するとヴィクターは不思議そうにその碧眼の瞳を私に向ける。
「……あの場所で一度だけ、皇女様とはお会いしました。でもわたしは名乗りもせず、姿も見せなかったのに。なんだか皇女様は、わたしのことをよく知っているようですね」
ギクリ。
「それは前世の乙女ゲームの知識があるからです」と答えるわけにはいかず、必死で誤魔化す。
「お、王族の皆様については、ニュースペーパーでは毎日、『今日の王族』として紹介されていまして……。そこには殿下も度々登場します。それを読んでいれば、おのずと殿下フリークになりますわ」
「フリーク……?」
しまった。この世界でフリークと言ったら、ただの変態になってしまう。自らヴィクターのことを、変態的に興味を持っていますと打ち明けたようなものだ。侮辱されていると、指摘されてしまう!
「こ、言葉を選び間違えました。違うのです、そうではないのです」
「でもわたしに関する記事を、熱心に見ていてくれた――ということですよね?」
「そ、そうです。それで……その、勝手に自分は、殿下に詳しい人間の気持ちになっていまして……」
やばい。どう考えてもただのストーカーちっくになっていると思う。
さっきまで慌てた感じのヴィクターを見て、ニマニマしているのは私だったのに!
今は慌てる私を見て、ヴィクターが楽しそうにしている。
「会ったこともないわたしに興味を持ち、動向を気にしてくれるなんて、不思議ですね」
ああ。変な女認定された……。
そう思ったのだけど。
「ですがニュースペーパーに『今日の王族』というコーナーがあるということは、皇女様以外にも、王族の動向が気になる人がいるからでしょう。ですから皇女様がおかしい……なんて思いませんよ」
……! か、神様だと思う、ヴィクターが! おかげで変態やストーカー認定は免れたと思う。この世界だと「侮辱している!」って怒られてしまうところだったわ。いわゆる不敬罪よね。
「そ、そう言っていただけると安心できます」
「それに私も気になっていましたから」
「え?」
思わず首を傾げ、ヴィクターを見ると、彼はふわっと優しい笑顔になる。
「……私はあの時、一度きりしか皇女様に会っていません。ニュースペーパーに、あなたの情報が載ることはなかったのに。あなたのことを……ずっと忘れることができませんでした」
「え、そうなのですか……?」
あの時の私、そんなに印象的な服装をしていたかしら? 確かアイボリーのドレスで、襟、袖、裾にラベンダー色のフリルがついており、身頃には飾りボタンが並ぶものを着ていた気がする。そんなに忘れられないというドレスだったとは思えない。
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