確信
「僕の……」
「ん?」
「僕の記憶が偽物っていうのはどういうことだ?」
ランさんはニコリと笑う。
「正確には偽物なのは、私に関する記憶だけだよ」
僕の頭の中にある彼女の記憶は全部偽物だと彼女は言った。
「私と君が初めに出会ったのは、今日の朝だよ」
衝撃を受けた。とても信じられない。
僕の記憶では、ランさんと初めて会ったのは入社の時だ。それから、全ての事件を共にしている。それが全部嘘だというのか。
「ふふふふふ。ごめんね」
ランさんは、愉快そうに笑う。僕は悔くて、唇を噛んだ。
気付くこともできたはずだ。少し前から、記憶に違和感があった。その違和感に、もう少し疑問を持っていれば、野上さんはこんな目に合っていなかったかもしれない。
「朝ということは、会社で会った時だな」
僕とランさんが会ったのが、朝ならあの時しかない。だが、ランさんは首を横に振った。
「ブブー、不正解」
彼女は両腕で、バツを作る。
「正解は、通勤中だよ」
そんなはずはない。あの時はランさんには会ってはいない。
あの時、会ったのは野上さんだ。
「ソレは、よっぽど君が大切なんだろうね」
ランさんは野上さんを見る。
「心臓を食べるために、長い間ソレを観察してきたけど、君という存在を知って驚いた。まさか、ソレが大切に思っている人間がいるなんてね。いったい、どうやって口説いたんだい?」
ランさんはクスクス笑う。
「最初は君を操って、罠に掛けようとしたんだけどね。ソレに邪魔されて失敗した。人避けの結界を張って、君に接吻までしたんだよ?それなのに、君は覚えていない。まったく、酷い奴だね」
そんなことが本当にあったのか?信じられない。
「君に呪術を使った瞬間、結界だけじゃなく、その時間ごと巻き戻された。まったく、ムチャクチャ過ぎるよ」
彼女は、呆れた様子で肩をすくめる。
「ソレには気付かれないように細心の注意を払ってたから、私のことに気づいていたわけじゃない。君に何か呪術的なものが掛けられたら、自動的に時間を、巻き戻す術を掛けられていたんだろうね。まぁ、戻す際いくつか、小さい間違いが起きたみたいだけど」
そうか、だから出社する時、野上さんは僕の所に来てくれたんだ。
時間が巻き戻ったということは、僕の身に危険なことが起きたということだ。
だから彼女は、ずっと僕の手を握っていたんた。
僕を守るために。
なんで僕のためにそんなことを?
野上さんを見るが、彼女は何も答えられない。
途方もない話だ。
時間を巻き戻すなど。野上さんは滅茶苦茶だと思っていたが、ここまで、できるとは思わなかった。
テレポーテーションしたことがあったが、これはそれ以上だ。
ああ、そうだ。思い出した。
野上さんと一緒に仕事をしたのは、今回が初めてじゃない。三首村の事件を一緒に調査したんだった。野上さんの姿が普通の人間には見えないことを知ったのも、部屋の隅で体育座りしてたのも三首村でのことだ。
もちろん、僕にはランさんと一緒に三首村に行っている記憶がある。
しかし、その記憶が嘘と言われた途端、野上さんと三首村に行った記憶が蘇った。今は、こちらの記憶が正しいと確信できる。
そういえば、此処に来る前、野上さんに挨拶した時、野上さんは少し不思議そうな顔をしていたっけ。それはそうだろう。僕が『ご一緒するのは初めてですね』なんてことを言うから。その場面を思い出した拍子に、もう一つのことに気が付いた。
僕と握手した後、ランさんも野上さんと握手をしようとした。でも、野上さんはそれを無視した。だが、無視してしたのではなく、気が付かなかったのではないのだろうか?
ランさんと野上さんが、直接会話する所は見ていない。
それどころか、目も合わせていなかった。
さっき彼女は『ソレには気付かれないように細心の注意を払ってたから』と言っていた。つまり、野上さんにはランさんの姿が見えていなかったのではないのか?
野上さんとランさんの目が初めて合ったのは、ランさんが野上さんの心臓を取り出した時だ。
おそらくあの瞬間、初めて野上さんはランさんの存在を認識できたのだろう。
そう考えると、野上さんには、僕とランさんとの会話も認識できていなかったかもしれない。もし、認識できていたら僕のことは、さぞ奇妙に見えていただろう。
市役所の応接室を出る時も野上さんは不思議そうな顔をしていた。
目を閉じて寝ていたと思っていたが、応接室を出るとき目が合ったから、会話は聞いていたのかもしれない。
あそこには、大森さんもいた。
第三者が加わることで、術にも何らかの不具合があったのかもしれない。
僕と大森さんだけ会話をしていると見えていたとしたら、元神様の目から見ても会話の内容は変だっただろう。
ランさんが僕の記憶を操り、自分を先輩だと思わせ信用させたのは、そういうことか。自分は隠れたまま、野上さんを罠に掛けるために僕を利用した。
あの時、狼の呪術を喰う提案をしたのはランさんだが、それを野上さんに伝えたのは僕だ。術で僕を操るのには失敗したが、代わりに会話で僕を操り、野上さんを罠に掛けた。
野上さんに触れている感覚が小さくなっていく。
野上さんは切れかけた電灯のように点滅していた。
「あと少しだね~」
ランさんは、それを満足そうに見ている。
「ソレが消えたら、次はナナシ君だね!」
彼女はニコリと笑う。
次は、僕のことも喰うつもりらしい。
僕は叫ぶ。
「僕のことは、食べていい。その代り、もし野上さんを助ける方法があるなら、それを教えろ!」
ランさんは、クスクス笑う。
「その提案は、何の意味もないよ。君自身も分かっているでしょう?」
その通りだ。この提案は、何の意味もない。
彼女には、野上さんを生かす理由は全くない。それどころか、野上さんを助けてしまっては確実に報復される可能性が高い。
そんなことをするはずがない。
「いいから、教えろ!何か知っているんじゃないのか?」
だが、頭では分かっているが、もうこれしか方法がない。
「さぁ、どうだろうね?知っているかもしれないし、知らないかもしれない」
彼女の口調は侮蔑に満ちている。
「ふざけるな!」
頭にきた。
怒りに任せ、彼女に詰め寄ろうと野上さんを抱きしめたまま、一歩進む。
ジリッ。
ランさんは、少しだけ。だが確実に一歩下がった。真っ白になりかけていた頭が、元に戻った。どうして彼女は一歩下がった?
今、彼女が恐れるものなど何もないはずだ。
そもそも彼女はどうして僕を殺さない?
野上さんを何度も踏みつけたり、犬塚聡をいたぶって殺したりと彼女の本性は残虐なのだろう。それがなぜ、こんな僕を殺そうとせずに話をしている?
自分が仕掛けた罠を自慢したかった?いや、そんな理由ではないような気がする。
もう一つ分からないのは、なぜ僕達を追い掛けてきたのかということだ。
『とどめを刺そうと思って追い掛けてきたけど』と言っていたが、その割には野上さんを攻撃する気配がない。
頭の中が激しく回転する。
そして、一つの答えを導き出した。
「もしかして、僕達に危害を加えられないのか?」
彼女の笑顔が、初めて揺れた。
やはりそうだ。彼女は僕達に危害を加えることはできない。何故かは、分からない。だが『ソレが消えたら、次はナナシ君だね!』
と言っていたことから考えると、危害を加えることができないのは野上さんが存在している間だ。それともう一つ、確信したことがある。
おそらく、野上さんを助けることができる。




