三分前
「ここにいる、ここにいる、ここだよ、此処です、ココニイル、此処だ、此処、ここです、ここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここ、こここ、こここ、こここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここここ、ここ、ここ、ここ、ここ、ここここ、ここ、ここ、ここ」
男性の声、女性の声、子供の声、老人の声、優しい声、乱暴な声、様々な声が僕の頭に直接入ってくる。
「悲しい、苦しい、つらい、お父さん、お母さん、出して、帰りたい、会いたい、心配かけてる、助けて……」
声がだんだん大きくなる。大小さまざまな手が僕に迫ってきた。手はやがて一つの大きな手になり僕の腕を掴む。バラバラだった声も一つに統一された。
「見つけて!」
はっと目が覚める。顔に当たる光が、意識が覚醒させる。スズメがチュンチュンと鳴く声も聞こえた。
額の汗を拭う、腕を見ると手の形をした大きな痣がくっきりと残っている。あんな夢を見るのは久しぶりだった。深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
そこで、部屋の時計が目に入った。思わず叫ぶ。
「まずい!」
時間は八時三十分を指している。三橋さんとの約束の時間は九時だ。慌てて布団を出る。
そこで気づいた。
「野上さん?」
周りを見回すが、野上さんがいない。
「野上さん!野上さん!」
呼びかけてみるが返事はない。どこに行ったのだろうか?
もしかして、もう待ち合わせの場所に行ったのだろうか?僕は急いで宿を出た。
三橋さんとは三猫神社で待ち合わせをしている。
最近、彼は亡くなった父親の跡を継いで、この三猫神社の宮司になったらしい。まずは調査のため、化け猫が狙っている首を見せて欲しいと頼んだところ快く引き受けてくれた。
八時五十七分、待ち合わせの三分前に到着した。三橋さんを待たせていたとしたら謝罪しなければならない。だが、待ち合わせ場所の神社の入り口を見てみたが、どこにも見当たらない。神社の中にも誰もいなかった。先にこの場所にいると思っていた野上さんもいない。
途方に暮れる。三橋さんは携帯電話の類を全く持っていないらしいので、こちらから連絡の取りようがない。そのまま待ってみるが、二時間経っても彼が来ることはなかった。
仕方がないので、一人で三猫神社を調査することにする。
調査と言っても首が埋めている場所は代々、この神社の宮司にしか知らされてはいないため、見ることはできない。とりあえず、神社の周辺を探ってみることにした。
三猫神社の社は深い森の中にある。森には樹齢何百年を超える木が何本も立っている。社の中には、沢山の猫の絵が貼ってあった。意外なことにその絵には化け猫の絵は一つもない。あるのは普通の猫の絵だけだ。
不思議なことはまだある。それは、この神社から恨みや憎しみといった感情を全く感じないことだ。飼い主が殺され、自身も殺された挙句、封印されたのだとしたらそれなりの恨みが満ちていてもおかしくないように思える。封印が強力で、そのような力が全く外に漏れ出てない可能性もあるが、どうにも腑に落ちない。
結局、三猫神社に三橋さんが現れることはなかった。神社を訪れる参拝者に聞いても三橋さんを見た人はいないらしい。
それどころか野上さんも来ることはなかった。もしかして、もう宿に戻ったのではと考えたが、野上さんは宿にも帰っていなかった。少し心配になる。まさか、化け猫に襲われたのでは?
何故そのことに思い至らなかったのだろうか、彼女が元神だから化け猫に襲われても安心だと思い込んでいたのだろうか?だが彼女は今、力を失っている。化け猫と戦って必ず勝てるという保証はない。
なんとか彼女と連絡を取る方法はないか社長に聞くしかない。また電話を借りるため、女将を探すことにした。
「お客様!」
廊下に出ると女将が向こうから走ってきた。
ちょうどいい、電話を貸してくださいと言いかけたが、なんだか様子がおかしい。女将は明らかに動揺していた。
「どうしたんですか?」
「実はさっき、警察から連絡がありまして……」
「警察?」
僕の疑問に女将はこう答えた。
「殺されたそうです」