第1話 教え子たちを守って死んだ
腹部を貫いた触手が、私の体を壁に縫い付けていた。
「先生っ!」
悲鳴を上げたのは、蓮城フレイアだった。赤い髪を振り乱し、炎をまとった剣を振るう少女だ。正義感が強く、仲間が傷つけば真っ先に飛び出していく。そんな彼女が今、燃え盛る剣で何度も敵に斬りかかっていた。
「このっ、離しなさいよ!」
炎が弾け、逆咲ムクロの巨体を包み込む。しかし、黒い肉体は焼け焦げたそばから再生し、フレイアの攻撃をものともしなかった。
「フレイア、下がって! その攻撃じゃ再生を止められない!」
叫んだのは、氷室エルサ。青白い髪を持ち、氷の魔法を操る少女だ。冷静な判断力と優れた観察眼を持つ一方、他人に頼ることを嫌い、何でも自分で解決しようとするところがある。彼女は敵の動きを見極めながら、次々と氷の刃を放っていた。
だが、その刃もムクロの体を貫いたところで止まってしまう。傷口から伸びた触手が氷を砕き、エルサへと襲いかかった。
「危ない!」
紫電レイが横から飛び込み、雷をまとった腕で触手を弾き飛ばした。金色の髪を揺らす彼女は、雷の魔法を得意とする祓魔師だ。普段は冗談ばかり口にして周囲を笑わせているが、仲間が危険にさらされたときには誰よりも必死になる。今も笑顔を作ろうとしていたものの、その頬はこわばっていた。
「3人とも、早く逃げなさい……!」
私はかすれた声で叫んだ。
私は岩田ジョー。私立セイント祓魔師学園で教師を務める男だ。悪魔を祓う力を持つ少女たちを指導し、彼女たちが一人前の祓魔師になれるよう見守る。それが私の仕事だった。だが、強大な悪魔を相手にすれば、こうして一方的に傷つけられるしかなかった。
それでも、彼女たちを見捨てることだけはできなかった。
逆咲ムクロ。
人間の姿を借りた上級悪魔であり、私たちを脅かす存在だ。人間をいたぶることを好み、無数の触手を自在に操る。切り落としても再生する肉体を持ち、並の祓魔師では太刀打ちできない。
そして私は、この世界の本当の姿を知っていた。
ここは、かつて現世でプレイしたゲーム『聖魔少女・エクソシスターズ』の世界だ。私はその世界に教師として転生し、ゲームの登場人物である彼女たちと出会った。ゲームの筋書きでは、彼女たちはこれから幾度も残酷な運命に巻き込まれていく。私はその結末を変えようと、教師としてできる限りのことをしてきた。
だが、手を尽くしてもこのザマだ。情けない。
「嫌です! 先生を置いて逃げるなんてできません!」
フレイアが叫んだ。彼女は再び剣を構え、炎を限界まで高めようとしている。自分の身が危険にさらされていることなど、少しも考えていない。
「感情的にならないで! 先生を助ける方法を考えるのが先でしょ!」
エルサはそう言いながら、私を拘束している触手へ狙いを定めた。冷静な口調を崩していないが、額には汗が浮かび、指先は震えている。
「だったら、3人で一気に攻めるしかないじゃん……! 先生、今助けるから!」
レイも雷を集めた。いつもの軽い調子は消え、声には隠しきれない焦りがにじんでいた。
彼女たちは、私を助けようとしている。
その気持ちは痛いほど分かる。私にとっても、彼女たちは守りたい教え子だった。フレイアの無鉄砲な優しさも、エルサの不器用な気遣いも、レイが人前では決して見せない弱さも、私は知っている。
だからこそ、胸が張り裂けそうだった。
彼女たちが私を助けようとするたび、ムクロの攻撃は激しさを増していた。私を拘束する触手が腹部をえぐり、熱い血が制服を濡らしていく。呼吸をするだけでも激痛が走り、意識が遠のきかけていた。
「お願いですから……、私の言うことを聞いてください」
声がかすれた。
もう長くはもたない。
ムクロを倒さなければ、3人は陵辱される。逃がすだけでは足りない。この悪魔は逃げる者を追い、隠れた者を探し出し、最後には必ず彼女たちを捕まえる。
ここで確実に仕留める必要があった。
私は懐に手を伸ばした。指先に触れたのは、魔力を限界まで圧縮した禁忌の魔導核だ。使用者の魔力をすべて注ぎ込むことで、周囲一帯を消し飛ばすほどの爆発を引き起こす。その威力は上級悪魔さえ滅ぼし得るが、使用者自身も無事では済まない。
最初から、選択肢などなかったのだ。
「先生……? 何をするつもりですか?」
レイが私の手元に気づいた。彼女の顔から血の気が引いていく。
私は答えなかった。
血に濡れた指で魔導核に触れ、残された魔力を注ぎ込む。術式を書き換え、爆発の範囲を狭める。ムクロの魔力を標的として固定し、彼女たちのいる場所には決して届かないよう、結界を幾重にも重ねていく。
時間がない。
指先の感覚が消えていく。視界が暗くなり、耳鳴りが頭の中を満たした。
「やめてください、先生!」
エルサが私へ駆け寄ろうとした。普段は他人に弱みを見せず、感情を抑え込む彼女が、今は明らかに取り乱していた。
私は最後の力で首を振った。
「来てはいけません」
できることなら、もっと教えていたかった。彼女たちが自分の力を信じられるようになるまで、そばにいたかった。卒業する姿を見たかった。教師として、そんな当たり前の未来を望んでいた。
フレイアが一人前の祓魔師として胸を張る姿も、エルサが誰かを信じられるようになる瞬間も、レイが無理に笑わず、本当の気持ちを話してくれる日も見たかった。
けれど、それはもう叶わない。
「フレイアさん、エルサさん、レイさん」
私は3人の顔を見た。恐怖にゆがみ、涙に濡れた顔だった。
こんな顔をさせたくなかった。最後くらい、安心させてあげたかった。
「あなたたちは、生きてください」
「先生っ!」
魔導核が白く輝いた。
異変に気づいたムクロが、無数の触手を私へと伸ばす。黒い触手が体を締め上げ、残された肉体を容赦なく傷つけていく。
それでも、私は魔導核を手放さなかった。
逃げるつもりはない。ここで私が逃げれば、彼女たちを守る者はいなくなる。だから、最後までやり遂げる。
私は残された魔力を解き放った。
爆発は私を中心に広がった。ただし、3人のいる場所だけは結界が守っていた。
轟音が空間を揺るがし、ムクロの触手が根元から引きちぎられる。再生しようとした肉体は魔力の奔流に押しつぶされ、黒い外殻が砕け、無数の目玉が次々と潰れていく。
『――貴様ァッ!』
憎悪に満ちた叫びが響いた。
私は最後の魔力を振り絞り、ムクロを逃がさないよう術式を閉じた。巨体が内側から砕け散る。黒い肉片は光の中で灰となり、伸ばされた触手も、うごめく影も、跡形もなく消えていった。
そして、私自身もまた、爆発の中心で崩れていった。
腕が失われた。足も、胴体も、すべての肉体がばらばらに砕け、意識だけが魔力残滓と一緒に取り残される。
痛みは、もう感じなかった。
「……先生?」
フレイアの声がした。
爆煙が晴れていく。結界に守られた3人は、傷ひとつ負っていなかった。
良かった。うまくいったみたいだ。
彼女たちは周囲を見回し、私の姿を探していた。
「先生! どこですか! 返事をしてください!」
フレイアが灰の中を駆け回る。炎を放つ剣を握ったまま、血痕の残る地面を何度も探した。つい先ほどまで敵に立ち向かっていた勇敢な少女が、今は迷子の子供のように私を呼び続けている。
エルサは膝をつき、地面に残った血痕を見つめていた。敵の攻撃を分析するときには決して乱れなかった瞳が、今は焦点を失っている。
レイは震える手で魔力を探っていた。普段なら誰よりも早く冗談を口にする彼女が、何も言わずに周囲を見回している。それでも私の反応は見つからない。
「……私たちを守ったんだ」
エルサの声がかすれた。
「爆発の範囲が……、私たちのところだけ避けられている。最初から、先生は……」
「いや……」
フレイアが首を振った。
「だって、先生は逃げろって言ってた。何度も、何度も……。それなのに私たちは聞かなかった。先生を助けようとして……」
言葉が途切れ、彼女はその場に崩れ落ちた。
「私たちが弱かったから、先生を死なせたんだ」
違う。違うんです。
私は心の中で叫んだ。君たちのせいではない。私が選んだことだ。君たちを守りたかった。それだけなのだと、伝えたかった。
けれど、声は出なかった。
「最後に、笑ってた……」
レイが両手で顔を覆った。
「先生、私たちを安心させようとして……。あんなに苦しそうだったのに、笑って……」
彼女の肩が震える。
レイはいつも、つらいときほど笑っていた。自分が苦しんでいると知られれば、誰かに心配をかけてしまう。そんな考えから、どれだけ苦しくても冗談を口にしていた。けれど今は、そんな彼女が涙を流していた。
エルサも顔を伏せ、声を押し殺して泣いていた。誰かを信じることを恐れ、簡単には心を許さなかった彼女が、私だけは信じようとしてくれた。その私を失ったことが、彼女の中にどれほど深い傷を残したか。
「ごめんなさい……。先生、ごめんなさい……!」
フレイアは血のついた地面を拳で叩き、何度も謝り続けている。
私は何もできなかった。
生きてほしいと願った彼女たちが、私の死を自分の罪として抱えている。私が守りたかったものが、私の最後の選択によって傷ついてしまった。
「おかしい……」
エルサが涙を拭い、かすれた声で言った。
「こんなの、絶対におかしい。先生は、死んでいい人じゃなかった」
「先生のいない世界なんて、意味がない……」
フレイアの声には、悲しみだけではない何かが混じっていた。まるで、私がいなくなった世界そのものを許せないとでも言うような、強い感情だった。
違うのです。私はただ、君たちに生きていてほしかっただけなのです。
私は彼女たちの泣き声を聞き続けた。手を伸ばすことも、名前を呼ぶこともできないまま。




