夜の始まりさ
目が、閉じられない。
いや、正確には――閉じているのに、何も見えない。
黒一色。音もない。身体も動かない。息をしている感覚だけが、かろうじて自分をつなぎ止めている。
これが、就寝時間。
全員が強制的に“停止”させられる時間。
だが。
「……は、はは……」
笑い声が漏れた。
俺は動ける。
身体が自由だ。視界もある。声も出る。足も、手も、全部。
役職――強盗。
名前は、黒瀬 陸。
昼間は目立たないようにしていた。誰にも覚えられないように、誰の記憶にも残らないように。
そのための夜だ。
ポケットに入れていた小型ナイフを確かめる。昼のうちに拾ったものだ。使える。
時計を見る。二十時三分。
ルールでは、一分間だけ攻撃が許される。
誰を狙うかは決めてある。
白石。あいつは記録を取っている。情報を持つやつは、後になるほど危険だ。
廊下に出る。
静かすぎる。世界から音が消えている。ドアを開けても、床を踏んでも、音が“存在しない”。
それでも、動ける。
これが例外。
教室の扉を開ける。白石は机に突っ伏したまま、完全に無防備だ。
ナイフを逆手に持つ。
心臓の位置を確認する。
あと、ほんの少しで——。
その瞬間。
視界の端で、何かが動いた。
反射的に振り向く。
廊下の向こうに、立っている影。
細身。無表情。
鼻歌。
——明星。
「……っ」
心臓が跳ねた。
あいつも動ける。そういうルールだ。わかってはいたが、実際に鉢合わせると話は別だ。
距離はある。だが、あいつの間合いが読めない。
黒瀬は、白石から手を離した。
優先順位が変わる。
生き残ること。
明星は、こちらを見るでもなく、ゆっくりと歩いてくる。手にはクロスボウ。
矢は番えられている。
狙われているのかどうかすら、わからない。
足が、勝手に後ずさる。
逃げるべきか。隠れるべきか。それとも——。
そのときだった。
「この命の残滓を贄に、終焉を刻め。」
空気が変わった。
「喪滅魔剣ダーインスレイヴ。」
音が戻る。
いや、違う。
“音”ではない。
圧力だ。
耳鳴りのような低音が、空間そのものを震わせる。
明星が、足を止めた。
その視線が、わずかに上を向く。
「……ああ」
小さく、納得したように呟く。
次の瞬間。
首輪が、赤く点滅した。
視界の隅で、数字が走る。カウントでも、警告でもない。もっと直接的な何か。
そして——。
『神器、発動』
校内放送。
機械的な声が、静寂を引き裂いた。
同時に、空気が歪む。
廊下の空間が、まるで熱に焼かれたように揺らぐ。視界がぶれる。床が、壁が、天井が、存在を保てなくなる。
黒瀬は思わず膝をついた。
息が詰まる。
圧力が増す。
何かが、切断されている。
物理的な刃ではない。概念的な、もっと根源的な切断。
どこかで、何かが“消える”。
それが、わかる。
『死亡者をお知らせします』
一拍。
『西園寺悠斗、死亡』
遠くで、何かが弾けた気がした。
『三上玲奈、死亡』
空気がさらに重くなる。
息ができない。
『——白石蓮、死亡』
その名前を聞いた瞬間、黒瀬の背筋が凍った。
振り向く。
さっきまで目の前にいた白石の身体が、消えていた。
血もない。跡もない。ただ、“いない”。
存在ごと、削り取られたみたいに。
廊下の向こうで、明星が静かに立っている。
その表情は変わらない。
ただ、ほんのわずかに。
「——黒瀬陸、死亡」
「……便利だね」
そう呟いた。
神器。
喪滅剣ダーインスレイヴ。
四人が、一瞬で消えた。
理解が追いつかない。
だが一つだけ、確かなことがある。
このゲームは、考えているよりずっと速く終わる。
「彼」は立ち上がった。
足が震えている。
だが、止まっている暇はない。
強盗の権利は、まだ残っている。
別の教室へ向かう。
次に狙うのは——。
「……はぁ……はぁ……」
息を殺しながら、影の中を進む。
もう一人の強盗。
春日颯太。
彼もまた、夜の例外だった。
手には、細いワイヤー。絞殺用に用意したものだ。
「……四人……一気に……?」
さっきの現象を、彼も感じていた。
理解できない。
理解する必要もない。
重要なのは——減ったという事実。
人が減れば、分配金は増える。
そして、疑いは広がる。
「……いいね」
小さく笑う。
教室の扉を開ける。
中には、無防備な生徒。
名前は——長谷川。
迷いはない。
背後に回り、ワイヤーを首にかける。
締める。
抵抗はない。
一分。
それだけで、終わる。
手を離したとき、春日は静かに息を吐いた。
「これで……一票」
夜が、静かに進んでいく。
誰にも見えない場所で、確実に人数が減っていく。
そしてどこかで、鼻歌がまだ続いている。
次に誰が消えるのか。
それはもう、誰にもわからない。




