第五章2『大湧泉の日常と、魔鋼の産声』
『始源の石碑』が大地を割って産声を上げてから、数日の時が流れた。
新星都市・大湧泉を包み込む空気は、日を追うごとにその清浄さと魔力の密度を増している。広場に停められたまま動かなくなったダンプカーや重機たちの表面には、早くもこの大地の異常な生命力に当てられた青々とした蔦が絡みつき、無骨な鉄の塊はゆっくりと、しかし確実に「旧時代のモニュメント」として緑の中に溶け込もうとしていた。
エンジンの駆動音も、電子機器の無機質なアラームも、もはやこの都市には存在しない。代わりに風に乗って響き渡るのは、荷馬車を引く獣の嘶きと、人々が木材を組み上げる威勢の良い掛け声、そして何よりも力強く、絶え間なく打ち鳴らされる『鉄と鉄がぶつかり合う重厚な槌音』であった。
神の理から解き放たれ、数千年後の地球という真のファンタジー世界へと還りついた泥だらけの異邦人たちは、失われた便利さを嘆く暇など一秒たりとも与えられていない。彼らの闘争の本能は、未知の生態系が蠢くこの広大な大地で生き抜くための『新たな牙』を、熱い炎の中から引きずり出そうと沸き立っていたのである。
「オラァッ! もっと熱を入れろ! 鉄の芯まで魔力を叩き込むんだよ!!」
「ガハハハ! 凄ぇ熱気だぜ! 俺たちの魂まで焼き尽くされそうじゃねぇか!」
大湧泉の南区画に新設された、巨大な『合同鍛冶工房』。
吹き抜けの広大な石造りの空間には、昼国が誇る熟練の鍛冶師たちと、柄シャツを脱ぎ捨てて上半身裸になった極道の男たちが、滝のような汗を流しながら一つの巨大な炉を囲んでいた。
かつて火薬の匂いと排気ガスに満ちていた彼らの日常は、今や純粋なマナが燃える青白い炎と、焦げた鉄の匂いに完全に塗り替えられている。
「カイルの旦那! 炉の温度が少し下がり気味だ! 白銀の魔力で火力を引き上げてくれ!」
昼国の鍛冶長が、煤だらけの顔で叫ぶ。
「承知しました! ――『白銀・陽炎の息吹』!!」
炉の正面で待機していたカイルが、聖剣を杖のように地に突き立て、純白の魔力を炉の底へと送り込む。かつては電動工具のプラグに電気を流していた彼の魔力変換は、今や炉の火力を神話級の高温へと引き上げる「極大のふいご」としての役割を完璧に果たしていた。
青白い炎がゴォォォォッと凄まじい咆哮を上げて天を焦がし、炉の中にある巨大な金属の塊をドロドロに溶かしていく。
「……信じられない熱量ね。離れていても肌が焼けるように熱いわ」
工房の入り口の柱に寄りかかり、その熱狂的な鍛冶の光景を見守っていたシオンが、腕を組んで感嘆の息を漏らした。
彼女の隣には、日傘代わりに漆黒の影を展開して涼んでいるハクと、エプロン姿のまま冷たい果実水が入った樽を抱えてきたリオナが並んでいる。
「お疲れ様、みんな! 冷たいお水持ってきたよー!」
リオナが澄んだ声を上げると、汗だくの男たちが「おおっ! 姫様、ありがてぇ!!」と歓声を上げて群がってきた。
「ふぅ……。リオナ様、ありがとうございます。生き返る心地です」
カイルも額の汗を手の甲で拭いながら、リオナから木のコップを受け取る。その背中には、例によってダボダボのパーカーを着た銀髪の少女・アノンが、まるで熱さなど一切感じていない無表情のまま、ピッタリと張り付いていた。
「もうっ、カイルったら汗だくじゃない! ……って、ちょっとアノンちゃん! こんな熱い炉の前にいるのに、なんでカイルから離れないのよ! カイルが重いでしょ!」
リオナが、ぷくっと頬を膨らませてアノンのパーカーを引っ張る。
『……特異点ベータ。気温の上昇は検知していますが、私の生体パーツはマナの循環によって冷却システムが自動作動しています。さらに、この高温下でカイルが放出する魔力波長は、普段よりも出力が30%増加しており、急速充電に最適なのです』
アノンは、カイルの背中に頬をスリスリと擦り付けながら、極めて論理的かつ空気を読まない返答を淡々と返した。
「きゅ、急速充電って……! だからカイルは家電じゃないってば!!」
「リ、リオナ様、引っ張ると危ないです! 僕の首が絞まって……げほっ!」
相変わらずの白銀の聖騎士を巡るドタバタ劇が繰り広げられる中、炉の前で一際大きな歓声が上がった。
「出来たぞ!! 龍崎ギルドマスター! 貴殿らの熱き魂と、現代の遺物が混ざり合った、この世界に二つとない最高傑作だ!!」
鍛冶長が、革の分厚い手袋越しに、水槽から引き揚げたばかりの『それ』を高く掲げた。
大量の水蒸気が晴れた後、そこに現れたのは、身の丈ほどもある無骨で巨大な【魔鋼の大剣】だった。
「おおおおぉぉぉっ!! これが、俺の新しい相棒か!!」
龍崎が、目をギラギラと輝かせて前に進み出た。
彼が受け取ったその大剣の刀身は、ファンタジー世界の高純度な魔力鉱石と、動かなくなったダンプカーの『エンジンブロック』の特殊合金を完全に溶かして打ち直された、重厚な漆黒の輝きを放っていた。剣の柄には、龍崎の背中の刺青と同じ、見事な昇り竜の意匠が荒々しく彫り込まれている。
「……ズッシリきやがる。だが、不思議と重たさを感じねぇ。俺の手に吸い付くように馴染みやがるぜ」
龍崎が、大剣を片手で軽々と振り回す。
ブゥンッ!!
ただ空を切っただけにも関わらず、刀身に込められた強烈なマナの残滓が、旋風を巻き起こして工房の空気を切り裂いた。
「す、すげぇッス、アニキ!!」
「弾が出ねぇチャカ(拳銃)なんかより、何百倍も強そうッス!!」
舎弟たちが、キラキラと目を輝かせて拍手喝采を送る。彼らの手にも、それぞれトラックのサスペンションや鉄パイプの素材から打ち直された、頑丈な魔鋼の長剣や戦斧が握られていた。
「ガハハハ! これで文句なしだ! 銃も車もねぇなら、己の肉体とこの剣一本でシマを切り拓くまでよ! 俺たち武闘派ギルド・龍崎組の新しい門出だぜ!!」
龍崎が大剣を天に突き上げると、工房中に野太い雄叫びが響き渡った。
「……フッ。見事な剣気だ、龍崎殿。貴殿らのその任侠の魂、確実に剣の芯まで叩き込まれているぞ」
いつの間にか工房に顔を出していたジーグ将軍が、純白の甲冑を鳴らして歩み寄り、深く頷いた。かつての極道たちは、現代兵器という便利な殻を脱ぎ捨てたことで、ファンタジー世界における真の『戦士』へと完璧な脱皮を遂げたのである。
「おい、極道のおっさん。剣が立派でも、振るう腕が鈍ってちゃ魔獣の餌になるだけだぞ。早速、そのデカブツの試し斬りに行こうじゃねぇか」
ハクが、壁に立てかけてあった巨大な肉の骨を放り投げ、凶悪な笑みを浮かべて龍崎を挑発する。
「上等だ、ハクの兄貴! 俺もウズウズしてたまらねぇところだ! この剣で、森の奥でデカい面してるバケモノの首を獲って、今夜の宴のメインディッシュにしてやらぁ!!」
龍崎が大剣を肩に担ぎ、ニヤリと牙を剥く。
「……まったく。男って生き物は、どうしてこう血の気が多いのかしらね」
シオンが、呆れたようにため息をつく。
だが、彼女の紫の瞳もまた、未知の生態系が蠢く深い森への探索に向け、鋭い戦意の光を帯びていた。
始源の石碑の波動によって、かつての箱庭の魔獣たちは、この数千年後の真の地球の環境に適応し、想像を絶する『幻獣』へと変異を遂げているという報告が、偵察に出ていたゼッカの暗殺部隊(泥ネズミ)から上がっていたのだ。
「行くわよ、みんな。この新世界の生態系の頂点が誰なのか、森の隣人たちにキッチリ教えてあげるわ」
シオンが魔剣『雷月』の柄に手をかけると、仲間たちは一斉に力強い鬨の声を上げた。
現代の理を捨て去り、純粋な魔力と剣だけを武器にした暁の星徒たちによる、初めての「真なるファンタジーの狩り」が、今、高らかに幕を開けようとしていた。
城壁の外に広がる『大湧泉』の森は、始源の石碑がもたらしたマナの飽和によって、わずか数日の間にその姿を劇的に変貌させていた。
かつては人間の背丈の数倍程度だった木々は、天を突くような巨木へと成長し、その葉は脈打つように淡いエメラルドグリーンの光を帯びている。足元に群生するシダや苔すらも、微細な魔力を発して発光しており、森全体がまるで一つの巨大な生命体として呼吸しているかのようだった。
鬱蒼と茂る木漏れ日の中を、シオンたち一行は慎重に、だが確かな闘志を秘めた足取りで進んでいく。
先頭を歩くのは、新調した漆黒の魔鋼の大剣を肩に担いだ龍崎と、その舎弟たちである。彼らはもはや現代のスーツや柄シャツではなく、昼国の鍛冶師が仕立てた軽量かつ強靭な魔獣の革鎧を身に纏い、その姿は完全にファンタジー世界の歴戦の傭兵ギルドそのものだった。
その後ろを、ハクが鼻をヒクつかせながら周囲の気配を探り、シオンとリオナ、カイル、そしてアノンが続く。
木々のざわめきとは違う、地響きのような重い足音が前方から近づいてきた。
ゼッカの部下である夜国の偵察兵が、木々の梢から音もなく飛び降り、シオンの前に片膝をつく。前方数百メートルの開けた場所に、マナの異常摂取によって巨大化・狂暴化した『幻獣』の縄張りが確認されたという報告だった。
シオンが静かに頷き、龍崎に視線で合図を送る。
龍崎はニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、大剣の柄を両手で強く握りしめた。
森の開けた広場に出た彼らの前に立ち塞がっていたのは、まるで小山のような巨体を持つ『岩鎧の巨熊』だった。
全身を覆うのは単なる毛皮ではなく、大地から吸い上げた魔力鉱石が結晶化した、分厚く鋭利な岩の装甲。二つの瞳は血のように赤く濁り、口からは高熱の蒸気が荒い息と共に吐き出されている。かつての箱庭にいた魔獣とは明らかに格が違う、新世界の生態系の頂点に立つにふさわしい威容だ。
「……デケェな。だが、的がデカい分、叩き斬り甲斐があるってもんだ!」
龍崎が、一切の恐怖を見せることなく、大剣を構えて広場のド真ん中へと進み出た。
侵入者に気づいた巨熊が、空気を震わせるほどの凄まじい咆哮を上げる。
大木のように太い腕が振り上げられ、龍崎の頭上へと無慈悲に振り下ろされた。直撃すれば、人間など一瞬で挽肉になる圧倒的な質量と速度。
「アニキ!!」
舎弟たちが悲鳴を上げる。
カイルが助太刀に入ろうと動いたが、シオンがその肩を掴んで制止した。「見なさい。彼らはもう、ただの素人じゃないわ」
龍崎は、巨熊の丸太のような腕が迫る瞬間、極道としての修羅場で培った野生の勘と、革鎧の軽さを活かした最小限のステップで、その一撃を紙一重で躱した。
ズガァァァァンッ!!
巨熊の爪が地面を抉り、大量の土砂が吹き飛ぶ。
「オラァッ!! チャカの弾よりは遅ぇんだよ!!」
龍崎は、回避した勢いを殺さず、そのまま巨熊の懐へと深く潜り込んだ。
全身のバネと、極限まで研ぎ澄ませた任侠の気合。そして、現代のエンジンブロックとファンタジーの魔鋼が融合した大剣に、彼自身の荒々しい生命力(闘気)が注ぎ込まれる。
漆黒の刀身が、昇り竜の如き軌跡を描いて下から上へと跳ね上がった。
ガキィィィィィィンッ!!!!
火花が散り、強烈な衝撃音が森を揺らす。
「……ッ、硬てぇ!! だが、斬れねぇ道理はねぇ!!」
龍崎の腕の筋肉がはち切れんばかりに膨張し、大剣が巨熊の岩の装甲に深く食い込み、メリメリと亀裂を走らせていく。銃弾すら弾くであろう分厚い魔力鉱石の鎧が、一人の男の腕力と剣の重さによって、強引にこじ開けられていく。
「いけぇぇっ、龍崎ギルドマスター!!」
ゴランたち昼国の騎士が、思わず歓声を上げて拳を突き上げる。
「チッ、おいしい所を全部持っていかれるのは癪だからな! 俺も混ぜろ!!」
ハクが、広場の影から漆黒の触手を無数に展開し、巨熊の四肢を絡め取ってその動きを完全に封じ込めた。
「グォォォォォッ!?」
巨熊が拘束を解こうと暴れるが、ハクの影の力は以前よりも遥かに増しており、巨体はピクリとも動かせない。
「龍崎、ハク! そのまま押さえてて!!」
シオンが、レザージャケットの裾を翻し、魔剣『雷月』を抜いて高く跳躍した。
新世界の濃密なマナを吸収し、彼女の全身から溢れ出す紫金の雷光は、もはや一つの小さな太陽のように森を照らし出している。
「装甲ごと、そのデカい脳天をカチ割ってあげるわ! ――『紫雷・神断』!!」
雷鳴の如き裂帛の気合と共に、紫金の極大の斬撃が、龍崎がこじ開けた装甲の亀裂に向かって正確に、そして無慈悲に振り下ろされた。
ズバァァァァァァァァンッ!!!!
紫雷の閃光が巨熊の体を脳天から真っ二つに貫き、断末魔の咆哮すら上げる暇を与えず、その巨体を完全に両断した。
大地が揺れ、魔力鉱石の装甲が粉々になって吹き飛び、巨熊はドス黒い血を撒き散らしながらズズンと重い音を立てて崩れ落ちた。
静寂が戻った森に、紫の雷の残滓がパチパチと音を立てて消えていく。
「……ハァッ、ハァッ……。やりやがったな、姉ちゃん。見事な太刀筋だぜ」
龍崎が大剣を肩に担ぎ直し、汗だくの顔で豪快に笑い飛ばす。
「あんたの大剣の一撃が効いたのよ。……これで分かったわね。現代の兵器なんてなくても、私たちの力とあんたたちの根性があれば、この世界の頂点だって獲れるってことが」
シオンも、魔剣の血振りをして鞘に収めながら、誇らしげに微笑み返した。
「よっしゃぁぁっ! アニキ、シオンの姉御、最高ッス!!」
「今夜はこのバカデカい熊の肉で、昨日以上の大宴会だぜ!!」
舎弟たちが、解体用のナイフを手に歓喜の声を上げて巨熊の死体に群がっていく。彼らの顔に、異世界に放り出された迷いや恐怖はもう微塵も存在していなかった。彼らはこの新しい世界を、自分たちの新たな「シマ」として完全に受け入れ、力強く生き抜く覚悟を決めているのだ。
その勝利の余韻の傍らで。
カイルの背中にへばりついていたアノンが、トテトテと降り立ち、巨熊の死体の断面を無表情のままじっと見つめていた。
『……生態データのスキャン完了。
この個体は、通常の魔獣ではありません。始源の石碑が放つマナの波動によって、細胞の設計図が強制的に書き換えられた「急速進化」の産物です』
アノンの言葉に、シオンたちが振り返る。
『……マナの飽和は、この都市周辺だけでなく、数千年後の地球全体に影響を及ぼし始めています。この急速進化の震源地……最も巨大な異常魔力反応は、ここから遥か東に位置する廃都に集中しています』
「東の、廃都……」
シオンが眉をひそめる。
『はい。かつて貴女たちが住んでいた巨大な都市の成れの果て。
……神のシステムが管理する巨大な迷宮、硝子の廃都【トキオ】です』
アノンの緑色の瞳が、木々の隙間から見える東の空を静かに見据えた。
『……そこに、神の理の中枢へ至るための、次なる鍵が眠っています』
その言葉は、彼らの戦いがこの森の狩りだけで終わらないことを示していた。
新星都市での平和な日常を築き上げる一方で、彼らはいずれ必ず、かつての故郷が変貌した恐るべき廃都へと足を踏み入れ、神の領域へと迫らなければならない。
風に揺れる巨木たちのざわめきが、彼らを待ち受ける遥かなる冒険と、避けられない運命の足音のように、シオンたちの耳に低く響いていた。
巨大な熊の肉が次々と荷車に積まれ、帰路につく一行の足取りは驚くほど軽かった。
龍崎たち武闘派ギルドは、初陣で己の力(魔鋼の剣)がこの世界に通用することを証明し、完全に新星都市の戦力として組み込まれた。彼らの笑い声が、森の奥深くまで朗らかに反響している。
だが、シオンの脳裏には、アノンが告げた『硝子の廃都トキオ』という言葉が、鋭いトゲのように引っかかっていた。
数千年の時を経て、かつての巨大都市がどのようなファンタジーの迷宮へと変貌を遂げているのか。そこに眠るという神の理への鍵とは一体何なのか。
彼らは大湧泉での地盤を固めつつ、やがて来るべきその大遠征に向け、さらなる力と魔法の探求を進めなければならない。




