第八章7『巨樹の島との別離、いざ混沌の海へ』
帝国の無機質な「対魔鋼」と、未開の大自然が誇る「精霊樹」。絶対に交わるはずのなかった二つの理は、極道たちの規格外の熱量によってねじ伏せられ、無敵のハイブリッド船『新生・反逆の泥舟』として生み出された。
心地よかった泥だらけの休息は終わりを告げ、一行はついに星の記憶が示した次なる闘争の地「混沌の大陸」へと舵を切る。
感情を奪われていた市民たちが初めて触れた、温かい命の交流。満身創痍の反逆者たちを癒やし、新たな力を与えてくれた森妖族たちとの、名残惜しくも晴れやかな別れの時。
新たなる心臓の鼓動を響かせながら、地獄の海へと漕ぎ出す極道たちの出航の儀式が、抜けるような青空の下で幕を開ける。
「……スゲェ。本当に水に浮いてやがる。鉄の塊と木のバケモンをくっつけただけだってのに、見事なバランスじゃねェか」
ハクが岸辺から目を細め、波間に揺れる『新生・反逆の泥舟』を見上げて感嘆の息を漏らした。
昨日の狂気じみた造船作業から一夜明け、砂浜から海へと押し出されたその船は、静かな波に揺られながらも、微動だにしない圧倒的な安定感を誇っていた。
漆黒の対魔鋼で覆われた重厚な船体を、精霊樹の強靭な木材が骨組みとしてガッチリと支え、船体の隙間からは大自然の魔力が淡い翠緑の光となって呼吸するように明滅している。
「ガハハハッ! あたりめェだ! 俺が力ずくで重心を合わせたんだからな! これなら、どんな大嵐が来てもビクともしねェぜ!」
甲板の上から龍崎が身を乗り出し、自慢の丸太のような腕を叩いて豪快に笑う。
「魔力回路のアイドリング、正常。……ハイブリッド・コアの出力は、以前の帝国製メインエンジンの約三倍を計測しています。理論上、現存するいかなる海流も突破可能です」
操舵輪の横でコンソールを操作するゼッカが、冷静な声で頼もしい数値を弾き出した。
出航の準備が着々と整っていく中、砂浜では、セブンたちサイボーグ市民と森妖族の村人たちによる、名残惜しい別れの時間が流れていた。
「……セブン、本当ニ行ッチャウノ?」
ロアの弟である小さな森妖族の子供が、耳をペタンと伏せてセブンの服の裾をぎゅっと握りしめる。
「……うん。私たちは、もっと広い世界を知るために、シオンたちと一緒に海に出るの」
セブンはしゃがみ込み、生身の左目から大粒の涙をこぼしながら、子供の頭を優しく撫でた。
「ここで食べたお肉の味も、一緒に登った木からの景色も、絶対に忘れない。……私に『心』の温かさを教えてくれて、本当にありがとう」
箱庭の歯車として、ただ消費されるだけの命だった彼ら。
この未開の島で過ごした数日間は、彼らが「人間」として生まれ直すための、かけがえのない揺り籠だったのだ。
「……ヤレヤレ。泣イテ別レルノハ、我ラ森妖族ノ性にハ合ワンゾ」
杖をつきながらゆっくりと進み出た長老が、温かい金色の瞳でセブンたちを見つめた。
その後ろでは、ロアをはじめとする森妖族の戦士たちが、新しく編み上げた丈夫なロープや、日持ちする干し肉、そして巨樹の蜜が入った樽を次々と船に積み込んでくれている。
「長老。短い間だったけど、最高の休息になったわ。あんたたちには感謝してる」
シオンがタラップの前に立ち、長老に向かって極道らしく、しかし深い敬意を込めて一礼した。
「礼ヲ言ウノハコチラノ方ジャ。森ヲ脅カス鉄ノ悪魔ヲ退治シテクレタダケデナク、コノ島ニ、久シブリニ『生キル活気』ヲモタラシテクレタ。……オマエタチノコトハ、精霊ノ巨樹ノ記憶ト共ニ、代々語リ継ガセテモラウヨ」
長老はニヤリと笑い、シオンの前に右手を差し出した。
「ええ。せいぜい、デタラメで最高にタフな連中だったって伝えといて頂戴」
シオンはそのしわがれた手を力強く握り返す。
「……行クノジャナ、シオンヨ。星ノ記憶ガ示シタ『混沌の大陸』。アソコニハ、帝国ノ理スラモ通用シナイ、純粋ナ厄災ガ渦巻イテイル」
長老の表情が僅かに引き締まり、忠告するように声のトーンが下がる。
「オマエノ内ニ宿ル強大ナ魂ガ、ソレヲ求メテイルノハ分カル。ダガ、ドウカ命ダケハ粗末ニシテクレルナヨ」
「心配無用よ」
シオンは紫の瞳に獰猛な闘志の炎を灯し、口の端を吊り上げた。
「私の中の『黎の魂』は、死にたがりなんかじゃないわ。最高に生を実感するために、最強の喧嘩相手を求めてるだけ。……向こうの厄災ごと、キッチリ喰い破ってやるわよ」
その迷いのない宣言に、長老は満足げに深く頷き、杖を高く掲げた。
「良イ面構エジャ! ナラバ行ケ、反逆ノ者タチヨ!! 精霊ノ巨樹ノ加護ト、星ノ導キガアランコトヲ!!」
「「「オォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」」」
長老の声を合図に、集まった数百人の森妖族たちが一斉に歓声を上げ、空に向けて花びらや木の葉を撒き散らした。
美しい緑と光の吹雪の中、シオンはマントを翻し、タラップを軽快に駆け上がる。
「野郎ども!! 挨拶は済ませたわね!!」
シオンが甲板から見下ろすと、ハク、カイル、リオナ、そしてセブンたち全員が、涙を拭ってそれぞれの配置についていた。
「抜錨!! 私たちの新しい心臓の産声を、この星の海に響かせなさい!!」
「ガッテン承知だァッ!!」
シオンの号令に応え、龍崎が巨大な錨の鎖を素手で掴み、常軌を逸した膂力で一気に引き上げる。
ガラガラガラッ! という重厚な金属音が響き渡り、海水を滴らせた対魔鋼の巨錨が甲板へと引き上げられた。
「機関、最大出力へ移行します!」
操舵輪を握るゼッカが、コンソールの魔力スロットルを迷いなく押し込んだ。
その瞬間、船体中央に組み込まれた『ハイブリッド・コア』が激しく脈打つ。帝国の冷徹な赤黒いエネルギーと、大自然の翠緑のエーテル。絶対に交わるはずのない二つの力が極炎によって融合した極彩色の光が、船の血管である魔力回路を一気に駆け巡った。
ズドォォォォォォォォンッ!!
船尾の推進器から放たれたのは、単なるスクリューの水流ではない。極炎の爆発的な推進力と、大自然の魔力が波を押し退ける圧倒的な反発力だ。
巨体をもたげた『新生・反逆の泥舟』は、重力を無視したかのような凄まじい加速で白い砂浜を蹴り出し、大海原へと飛び出した。
「うわぁぁっ!? すっごいスピード!」
リオナが慌ててマストにしがみつき、カイルがその後ろから支える。
「帆を張れ! 風の抵抗を魔力で逃がすんだ!」
カイルの指示で、セブンたち市民が協力してロープを引き、森妖族が編み上げた巨大な緑の帆が海風をはらんで大きく膨らんだ。
ザバーーーーーンッ!!
船首が巨大な白波を割り、水しぶきが甲板に降り注ぐ。
しかし、対魔鋼の重装甲と精霊樹のしなやかな骨組みは、その凄まじい衝撃を完璧に吸収し、船は滑るように波の上を疾走していく。
「ハハハハッ! 最高の乗り心地じゃねェか! 前のポンコツ船とはエンジンの咆哮が違うぜ!」
マストの天辺、見張り台に立つハクが、強風に煽られながらも楽しげに笑い声を上げた。
遠ざかっていく緑の巨樹の島。
砂浜では、ロアたち森妖族がいつまでも大きく手を振って見送ってくれていた。セブンたちも甲板の手すりから身を乗り出し、島が緑の点になり、水平線の彼方に完全に消えるまで、ちぎれるほど手を振り返し続けた。
感情を持たなかった彼らが、出会いと別れを経験し、自らの足で新しい世界へと踏み出していく。その背中を、シオンは腕を組みながら静かに見守っていた。
「……いい顔になったわね」
「ええ。彼らの魂もまた、この泥だらけの航海を通して、より強靭に磨き上げられていくでしょう」
いつの間にかシオンの隣に立っていたゼッカが、義眼のない左目で同じように市民たちを見つめながら応える。
やがて、精霊の巨樹の加護が及ぶ穏やかな海域を抜け、船は本格的な外洋へと突入した。
それと同時に、太陽が照りつける青い空と、穏やかだった海面が、徐々にその様相を変え始める。
「……おい、姉御。空模様が怪しくなってきたぜ」
見張り台のハクから、鋭い声が飛ぶ。
シオンが前方へ視線を向けると、先程までの抜けるような青空は嘘のように消え失せ、水平線の先には墨汁をひっくり返したような分厚い暗雲が渦を巻き、空と海を黒く塗り潰していた。
「気圧およびエーテル濃度の急激な変動を感知。……前方海域、完全に自然の摂理から逸脱しています。空間そのものが歪んでいるようです」
ゼッカの分析に、甲板の空気が一気に張り詰める。
「星の記憶が見せた通りってわけね。……帝国の理が届かない、純粋な混沌の海」
シオンの紫の瞳が、暗雲の中で不気味に瞬く紫色の雷光を捉え、獰猛に細められた。
ゴロゴロゴロゴロォォォォォォォッ!!
空を分厚く覆い尽くす暗雲の中で、不気味な紫色の雷光が網の目のように這い回り、耳をつんざくような轟鳴が海面を震わせた。
先程までの穏やかな青い波は完全に消え失せ、海は底なしの墨汁のように黒く濁り、家屋ほどの高さがある荒波が四方八方から無秩序に牙を剥いて襲いかかってくる。
「……ッ! なんだこの波、風向きも潮の流れもメチャクチャじゃねェか!」
マストの上で風を読んでいたハクが、顔に打ち付ける痛いほどの雨粒を拭いながら叫ぶ。
「ゼッカさん! 右舷から巨大な波が来ます!」
「予測済みです。……カイル、リオナ、衝撃に備えて結界の展開を」
「了解! リオナ、魔力を船の骨組みに流し込むんだ!」
「うんっ! 『聖光・霊樹の盾』!!」
カイルとリオナが手をかざすと、船の骨組みとなっている精霊樹の木材が淡い翠緑の光を放ち、漆黒の対魔鋼の装甲の表面に、魔力のバリアがドーム状に展開された。
ズドゴォォォォォォォォォォォンッ!!
巨大な黒い波が『新生・反逆の泥舟』の右舷に激突する。
だが、かつての泥舟であれば一撃で装甲がひしゃげ、転覆していたであろうその衝撃を、ハイブリッド船は全く意に介さなかった。対魔鋼の絶対的な硬度が物理的な衝撃を弾き返し、精霊樹のしなやかな骨組みが残りのダメージを海中へと綺麗に逃がしていく。
ミシリ、という軋む音すら立てず、船は巨大な波を粉砕して悠然と進み続けた。
「ガハハハハッ! 全くビクともしねェ! 最高の船じゃねェか!!」
甲板で波の飛沫をモロに浴びながら、龍崎が愉快そうに丸太棍棒を振り回して吠える。
セブンたちサイボーグ市民も、最初は嵐の恐怖に怯えていたものの、船の圧倒的な安定感と魔法組の光の盾に守られ、今やロープを握りしめながら嵐の海を食い入るように見つめていた。
「……前方、空間の歪みがさらに増大しています。通常の物理法則から完全に逸脱した、巨大な『魔力の渦』が形成されています」
操舵輪を握るゼッカが、ゴーグルの数値を読み上げながら警告を発した。
シオンが船首から前方を見据えると、暗雲のさらに奥、海面そのものがすり鉢状に陥没し、全てを呑み込もうとする漆黒の大渦が待ち構えていた。
ただの自然現象ではない。星の理を捻じ曲げるような、純粋で禍々しい『混沌』の吹き溜まりだ。
「避けますか、シオン女王陛下?」
ゼッカの問いに、シオンはフッと笑みをこぼし、包帯の取れた右腕を前方に突き出した。
「避ける? 冗談でしょう。この程度の嵐にビビってたら、海の向こうで待ってる『厄災』の顔を拝むことすらできないわよ」
シオンの右手に、極炎と紫電、そして大自然の緑のエーテルが混ざり合った『極彩色の劫火』がバチバチと燃え上がる。
彼女はそれを、船首の対魔鋼の装甲へと直接叩き込んだ。
「ゼッカ、機関最大! まっすぐあの渦の中心をブチ抜くわよ!!」
『了解しました。ハイブリッド・コア、臨界突破』
ドクンッ!!
船体中央の心臓が爆発的な鼓動を打ち、シオンの流し込んだ極彩色の炎が、船全体を炎の矢のように包み込んだ。
「オラァァァァァァァッ!! 振り落とされるんじゃねェぞォッ!!」
龍崎の咆哮と共に、『新生・反逆の泥舟』は巨大な漆黒の大渦へと真っ向から突入する。
轟ォォォォォォォォォォォォォォッ!!
混沌の魔力が船を押し潰そうと渦巻くが、極彩色の炎を纏ったハイブリッド船は、その渦そのものを焼き切り、物理的な質量でねじ伏せながら、狂乱の海を文字通り「一直線に」貫いていった。
帝国の理も、大自然の脅威も通じない狂気の海。だが、極道たちの規格外の熱量は、その混沌すらも喰い破って進む。
「……アハハッ! すごい、私たち、嵐を真っ二つにしてる!」
セブンが涙と雨で顔を濡らしながら、信じられない光景に歓声を上げた。
シオンは船首に立ち、荒れ狂う風を全身で受けながら、遥か前方の暗雲の切れ間に微かに見える「禍々しい大陸の影」を見据えていた。
彼女の胸の奥で、『黎の魂』が歓喜の声を上げて脈打っている。
「さあ、案内しなさい。この地獄の海の先にある、最高にイカれた闘争の舞台へね……!」
凄まじい水柱と極彩色の炎を海に刻みつけながら、泥だらけの反逆者たちを乗せた船は、ついに狂気と混沌が支配する未知の海域へと完全に呑み込まれていった。
妖族たちとの名残惜しい別れ。感情を持たなかったセブンが流した涙は、彼女がこの島で「心」を取り戻し、人間として確かな成長を遂げた証です。未開の大自然での出会いと別れは、彼らの魂に一生消えることのない温かい記憶を刻み込みました。
そして、ついに真価を発揮した『新生・反逆の泥舟』。
帝国の対魔鋼と精霊樹の木材、相反する二つの力を極彩色の炎で束ねたこのハイブリッド船は、物理法則を無視した混沌の嵐をも意に介さず、正面から真っ二つに引き裂いて進むという規格外のタフさを見せつけました。避けるのではなく、真っ向からブチ抜く。シオンの極道らしい決断と、それに歓喜で応える仲間たちの姿は、彼らが次なる舞台に立ち向かうのに十分な力と覚悟を持っていることを示しています。
全14部構成で描かれるこの第八章において、本部はちょうど物語の折り返し地点にあたります。ここから旅の舞台は、いよいよ後半戦へと突入します。
荒れ狂う混沌の海流を抜け、新たなる厄災の地「混沌の大陸」へと近づく一行。これまでの常識が一切通用しない未踏の領域で、彼らを待ち受けるものとは――。次なる第八部からの後半戦の展開にも、引き続きご期待ください。




