Ⅷ・仏 – ブッディズム A790/2013
-とある色褪せた記憶に埋もれた過ぎ去りし日-
――それはキーちゃんと出会う丁度一年前。
自分という存在が確立されず、有象無象の影が迫りくる恐怖から逃れる毎日だった。
一人では何にもできないのは分かっていた。
もう自分は限界かもしれない。
涙は枯れ果て泣くことすらもできないでいた。
優しかった両親の愛情をたっぷり受け、ワガママに育った幼少期。
お父さんは毎日仕事が終わったら必ずお土産を買って帰ってくれた。
そんなお父さんに抱きついて、おかえりなさいと言うと、お父さんははにかんだような笑顔で小さいこの身体を持ち上げてくれた。
お母さんの手料理はものすごく美味しくて、特に甘いモノは絶品だった。
そんなお母さんの間延びしたようなふんわりとした性格は子供心に心地よく、どんなにワガママを言っても優しく叶えてくれた。
世界は私を中心に回っている。
そう、私はこの世界で一番大切にされなければならないお姫様だ。
いや、お姫様だった。
ある日、そんな自分を包んでいた幸せは偽物だと分かった。
親の愛情も、取り巻く世界も、与えられた基盤も、何もかも作り物で出来ていた。
本物だったはずのこれら全て……。
たくさんの罪の上に成り立つちっぽけな自尊心。
返すにはそれ以上の罪を背負わなければならないだろう。
キーちゃんと出会う一年前。
一人の少年と出会った。
「キミは誰?」
少年が不思議そうに訪ねてきた。
「私が見えるの?」
「うん、勿論だよ。キミも僕と同じなの?」
「ううん、私は違う。だって貴方みたいにそんな弱ってる獣なんかに襲われて死んだりしないもの」
私の存在に気付いてくれたその少年は、野生の凶暴な猪に引きずり回され冷たい躯となっていた。
「やっぱり……僕は死んじゃったんだ」
「なんでそんな無茶をしたの?」
「だってアイツ……サキや村の皆が頑張って育てた作物を全部食べちゃったんだ。許せなかった」
「私が代わりに追い払ってあげようか?」
「ううん。これは僕がやらなくちゃダメなんだ」
「でもキミはもう死んでるんだよ」
「うん……分かってる。分かってるけど、絶対許せない。アイツだけじゃない、皆を悲しませる存在全てが」
「そっか、じゃあ貴方に私の力を上げる。猪くらい小指一本で軽く退治できるようなとてつもない力。その代わり、貴方の命に代えてもその存在全てとやらを排除してくれるかな?」
少年は考える間もなく私を真っ直ぐ見つめながら即答した。
「勿論、約束するよ」
力を譲渡するには死体の状態でなくてはならない。
また、これは『譲渡』であるので私自身の所有物を渡すことなになる。
何の考えもなしに、少年のキラキラした意思の強さを前に思わずやってしまったが、これから先どうしよう。
これで私は完全な無力だ。
もう私に残されたものはこの想いだけしかない。
この少年で7人目。
始まりは……幼かったあの日。それから大人になって養親である御父様に視力を。
次に焼け果てた村の長に聴覚を。
お母さんの味そっくりなスープを作ってくれた旅人には味覚を譲り渡した。
そして様々な大陸を旅して回り、あらゆる感覚や肉体を失った。今の私は文字通り何も残っていない。
だけどこの罪を償うためにはまだ足りない。
私の幸せを叶えるためにはもっとたくさんの人に与えなければならない。
あと何十人もの命と、それに見合う力を返していかなければいけないんだ。
絶望に打ちひしがれる私。
この世界に私のいるべき場所は既になかった。
そこから先の事は何も思い出せない。
『……カリンちゃん、ごめんなさい』
最後にそう呟き自ら消え去ろうとするキーちゃん。
恋い焦がれる大切な存在と引き離され、光も音も失くし全てに絶望し少女。
私のたった一つの想いとたくさんの罪を引き継ぐその少女との邂逅はまだ少しだけ先であった。
◇◆◆◆◆◆
-2013年 とある灼熱の外気に戸惑う小暑の日-
七夕。日本では短冊を飾るのに夢中になるだろうクソ暑い7月7日のこの日、アタシは自室にて東京にいる親友と携帯電話で連絡を取っていた。
「キーちゃん、突然辞めるってどういうことなの?」
『どうもこうもない、言葉通りだ』
「アタシには難しいこと良くわかんないけど、小さい頃から頑張ってたことなんでしょ?」
『まぁな』
「じゃあなんで?!」
『会社がより大きく成長する為だ』
いつも通り、キッパリと簡潔にアタシの問いに答えるキーちゃん。
だけどアタシにも分かることがある。
「嘘吐き」
『ん?』
「キーちゃん、アタシに嘘吐いてる」
『バカを言うな、お前に隠し事なんてするわけ――』
「あのね、キーちゃん」
アタシは親友の反論を遮り語り続ける。
「キーちゃんと聖女様……アイハ・ユーキエさんって、どういう関係? もしかして本人?」
『ッ!』
「やっぱり。ただ字面が似てたり、聖女様像とキーちゃんがソックリだったり、偶然なわけないよね」
聖女様の足跡を追う旅は3人目で途切れてしまった。
ライゼックを超え、そのまま船で他の大陸へと渡ってしまった為それ以上は分からなかったのである。
その代わり、文献解析作業に没頭し名前――アイハというユーキエ家の養女となった救出当時の記録を探り出すことに成功した。
『……待て、何を言っている? 突然聞き覚えもない名前を出されて面食らっただけだ』
「聖女様。奇跡を発揮するには亡くなった方……あるいは殺した人にしか力を渡せないんだよね?」
『はぁ。それは一体……何の……御伽噺だ……はは、カリンも昔からそーゆーの好きだな……』
「6年前だったよね」
『…………!?』
「キーちゃんがアタシにキスして、殺したの」
『…………それは――』
「言い訳はイラナイ」
アタシはこれまでの旅を。そして幼少期からの記憶を振り返る。
「アタシね、すごく怒ってるんだよ?」
心の中には今日の暑さ以上の熱気が飛び散り怒りを巻き起こしている。
「キーちゃんがアタシのこと、真剣な気持ちで好きだったからって……別にいいんだよ」
『…………』
「アタシの初めてを……アタシの意識を有耶無耶にした状態でディープまでしたからって……そんなのもどうでもいい」
『…………』
「むしろ、今まで全然気付かなくてゴメンともちょっとだけ思う」
『…………ぅぅ』
電話の向こうから鼻を啜る音、嗚咽が聞こえるがアタシは気にも留めない。
「キーちゃんが聖女様本人なのかどうかだってアタシには関係ないよ」
『……』
「だけど……」
アタシは腹に思いっきり力をこめて声を大に溜まった気持ちをぶちまける。
「なんで……、この親友のアタシに黙って。そして大事な約束を破って、どうして勝手に自殺なんてしたの? 絶対許さないから。ううん、アンタみたいな弱虫、親友でもなんでもない、勝手に辞めて勝手にどこにでも消えちゃえ、バカーーッ!」
「カリ――」
アタシはそのまま携帯の電源ボタンを押し、壁に思いっきり投げつけた。
その衝撃で窓枠にかけてあった写真立てが床に落ちる。
壊れた携帯の残骸と写真立ての砕け散ったガラスの中に、幼い頃のアタシとキーちゃんの写真が舞い落ちる。
その中の二人の笑顔は笑ってるようでとても切ない顔をしていた。
今のアタシ達のようだ。
死者にのみ施される聖女様の奇跡の理屈は解明できた。
そして偶然の一致とも思えぬ親友との共通項目にも気づいた。
6年前の漠然としたアタシの記憶の断片も、先ほどの反応ではやはり夢ではなかったのだろう。
アタシもキーちゃんに殺されて奇跡を受けた。
アタシが持つこの不思議な力は、その時生まれたもの。
そしてこの世界に転移した瞬間それが目覚めたと考えられる。
そして気付いた。
キーちゃんはアタシと一緒に泊まる時、絶対素肌を見せようとしなかった。
以前、アタシの裸はいつも覗こうとするクセにと理不尽に感じたアタシが、キーちゃんが寝ている隙に一度だけ盗み見た右腕の大きな傷跡。
とても悲しかったけど、未遂だけならばと安堵もした。
実際、リストカットは自殺ではなく、傷をつけることで「生」を確認しストレス解消するという自殺とは真逆の面が強い。
親友のアタシにその痕跡を隠すキーちゃんが自殺をするほど弱い人間のハズが無いと思っていたかった。
アタシの胸には外傷は全く残っていない。
だから勘違いなら良かったのに。
隠し事をされイライラしてしまった。
嘘を吐かれ抑えきれなくなった。
アタシの想像が事実だったと分かりとても悲しかった。
間違いなくキーちゃんの病気が治ったのは聖女様の奇跡だ。
自殺して死んだキーちゃんと、何らかのきっかけでアタシの世界にやってきた聖女様が出会った。
アタシの記憶といい、皆が手にした異能の力といい……キーちゃんがウチの会社で聖女様の代わりをなしている。
こっちの世界の数人。そしてアタシたち全従業員……多分102人全員。
そんなにたくさんの人間になんでそんなことをしたのか分からない。
今はそんな事実の解明より、ぽっかりと空いた心が悲しくて、ただ枕を濡らしていた。
色んな辛さが数珠つなぎにつながっている。
とても眠れそうにはなさそうだ。




