第29話「相性いいらしいですよ」
倭の「線」と振の検証は、一度では終わらなかった。
最初の実験から数日後、条件を変えてもう一度試すことになった。前回は三本だった線を一本、五本と増減させ、長さや配置も変える。わたしとの距離も1mずつ調整し、どこから反応が強くなるのか細かく記録していった。
結果は、前回とほぼ同じだった。
わたしが倭の近くで振を合わせると、線そのものの長さや強度が大きく変わるわけではない。ただ、線を通して倭へ戻る情報が減衰しにくくなる。
普段なら曖昧になる距離でも、誰かが触れた位置や強さをかなり正確に拾えるようになるらしい。
今日は実験を終えたあと、倭は先に駐車場へ戻っていた。
わたしだけ研究室へ残り、結果について簡単な説明を受けている。
「今回も再現しましたので、偶然と考える必要はほぼないでしょう」
研究員が二回分のデータを並べる。
通常状態。
振の干渉中。
数字を見ても詳しいことまではわからないけれど、後者のほうが遠い距離まで識別できていることはわかった。
「前回より線を増やしても同じですか」
「はい。ただし、本数が増えるほど天喰さん自身の処理負荷は上がっています。振によって情報が明瞭になる分、拾えるものも増えますから」
「便利になるだけじゃないんですね」
「能力というのは大体そういうものです。取得できる情報が増えれば、それを扱う側にも負担がかかります」
研究員は別のグラフを開いた。
「それでも、この組み合わせはかなり興味深いですよ。水守さんの振は、対象によって反応の強さに大きな差がありますが、天喰さんの線には非常に安定して作用している」
「夜也さんの晶と比べると?」
「方向が違うので単純比較はできません。慈さんの晶も反応性はかなり高いです。ただ、線の場合は水守さん側の調整がまだ粗い段階でも、比較的同じ結果を繰り返せています」
「じゃあ、使いやすい?」
「今のところはそうですね」
研究員が少し笑う。
「研究上の表現なら、能力相性がかなりいい、と言っていいと思います」
前にも聞いた言葉だった。
「かなり?」
「はい。もちろん、水守さんと天喰さん本人の相性という意味ではありませんよ」
「それはわかってます」
「天喰さんが妙に気にされていたので、念のため」
「倭さん?」
「前回、何度も『能力の話ですよね』と確認されました」
少し意外だった。
わたしの前では一回か二回しか聞いていなかった気がする。
「そんなに気になるんですかね」
「さあ。そこは研究対象外です」
「そうですか」
研究員が楽しそうなので、何か別の意味があるのかもしれない。
でも、能力の相性という言葉はそのままの意味だ。
振と線。
それ以上でもない。
説明を聞き終えて研究室を出る。
倭へメッセージを送ろうと思ったところで、すでに一通来ていた。
『終わった?』
『今終わりました』
『下いる』
いつもの短さだった。
エレベーターで一階へ降り、外へ出る。
駐車場には見慣れた車が停まっている。
助手席へ乗ると、倭はペットボトルの水を飲んでいるところだった。
「お疲れさまです」
「ん。説明長かった?」
「少しだけ」
「なんか問題あった?」
「ないです」
シートベルトを締める。
倭が水をもう一口飲む。
「結果、何だって」
「前と同じです」
「線の感知伸びるやつ?」
「はい。再現できたので、かなり相性いいらしいですよ」
盛大にむせた。
「っ、ごほ、げほっ……!」
「大丈夫ですか」
倭が急いでペットボトルを口から離す。
少し水がこぼれた。
「ちょ、待っ……」
「背中叩きます?」
「いらねえ!」
咳き込みながら手で制される。
わたしはとりあえずティッシュを取って渡した。
「はい」
「……ありがと」
倭は口元を拭きながら、まだ少し咳をしている。
「そんなに変なこと言いました?」
「タイミング!」
「飲んでましたね」
「見てただろ」
「見てました」
「じゃあ飲み終わってから言えよ!」
「結果聞かれたので」
「それはそうだけど!」
珍しく声が大きい。
駐車場なので、少し響いた。
「すみません」
「……いや、別にそこはいい」
倭は息を整えながら水の蓋を閉めた。
もう飲まないらしい。
「で」
「はい」
「何が相性いいって?」
「振と線です」
「……能力な」
「そうです」
「研究員がそう言った?」
「『能力相性がかなりいい』って」
倭の顔がまた少し固まる。
「その言い方そのまま伝えんなよ」
「何でですか」
「何でも」
「前も同じこと言いましたよね」
「言った」
「そのときも変でした」
「変じゃねえ」
「今日はむせましたけど」
「水飲んでるとき急に言うからだろ」
「じゃあ、飲んでなかったら平気だった?」
「……平気」
一拍あった。
たぶん平気ではない。
「倭さん、“相性”って言葉苦手なんですか」
「別に」
「じゃあ何で毎回『能力の』って確認するんです?」
倭が黙った。
エンジンをかける。
「帰るぞ」
「答えは?」
「帰る」
「誤魔化した」
「うるせえ」
車が駐車場を出る。
倭は前を向いている。
耳が赤い。
今日は咳き込んだからかもしれないと思ったけれど、しばらく経っても戻らなかった。
「研究員さんも言ってました」
「何を」
「倭さんが前回、何回も能力の話か確認してたって」
「……あの人余計なこと言いやがって」
「何でそんなに確認したんですか」
「念のため」
「何の」
「意味違ったら困るだろ」
「人間同士の相性って意味だったら?」
聞いた瞬間、倭の指がハンドルの上で強く閉じた。
「そういう話、研究所でするわけねえだろ」
「ですよね」
「わかってんなら聞くなよ」
「倭さんが気にしてるから」
「気にしてねえ」
いつもの返事だった。
でも、明らかに気にしている。
何がそんなに困るのかはわからない。
「人間同士でも、相性いい人っているでしょう」
「いるんじゃねえの」
「倭さんは?」
「知らねえ」
「今まで誰かに言われたことないんですか」
「何を」
「相性いいって」
「……あるかもしれねえけど、覚えてない」
少し投げやりだった。
その話を続けたくないらしい。
なら、無理に聞く必要もない。
「わかりました」
「何が」
「もう聞きません」
「そうして」
それから数分、車内は静かになった。
倭は運転に集中している。
わたしは今日渡された資料を見る。
線。
振。
感知範囲。
減衰率。
まだわからない言葉も多い。
「なぎ」
「はい」
倭のほうから呼ばれる。
「さっきの」
「相性?」
「その単語連呼すんな」
「はい」
また耳が赤くなる。
「研究員、他に何か言ってた?」
「振がまだ上手く使えない段階でも、線には安定して作用するって」
「ふうん」
「相手によっては何回やっても反応が弱いので、線は振と噛み合いやすいのかもしれないそうです」
「じゃあ実用にはできそう?」
「安全な範囲がわかれば」
「なぎの負荷は」
「今回は前より少なかったです」
「痺れ」
「ほとんどないです」
「ほんと?」
「はい」
「ならいい」
そこから先は、完全に護衛の話になった。
「実際に使えるなら、学校の周りにももう少し広く線張れるかもしれねえ」
「普段も張ってるんですか」
「場所による」
「学校にも?」
「最低限」
「知らなかったです」
「言ってねえし」
「誰か引っかかったりしない?」
「触れたら切れるようなやつ張ってねえよ。感知用」
「そういう調整もできるんですね」
「できなきゃ街中で使えねえだろ」
倭が少しだけ得意そうだった。
戦うこと自体は好きではないと言っていたけれど、自分の能力を使いこなしていることには自信があるらしい。
「振で範囲が広がったら、便利そうですね」
「ああ。なぎ連れてるときは特に」
「わたしが振を使わないと駄目では?」
「毎回使わせる気はねえよ」
「でも」
「緊急時に使えるってわかってりゃいい」
即答だった。
「普段から使ったら感知しやすいのに」
「そのために毎日あんたに負荷かける意味ねえだろ」
「軽い負荷なら?」
「必要ないならやらねえ」
倭にとっては、そこは迷うところではないらしい。
「もったいなくないですか」
「何が」
「せっかく能力の相性いいのに」
倭がまた咳き込んだ。
今度は水を飲んでいなかったので、一度だけだった。
「……なぎ」
「はい」
「わざとか?」
「何がですか」
「いや、もういい」
本当にわからない。
倭は片手で額を押さえたあと、すぐハンドルへ戻した。
「能力の話するとき、毎回頭に『能力の』つけろ」
「長くないですか」
「つけろ」
「能力の相性がいい」
「そう」
「これなら平気?」
「まだマシ」
何が違うのだろう。
「じゃあ、わたしと倭さんは能力の相性がかなりいいらしいですよ」
「……」
倭が黙った。
「倭さん?」
「それでも言い方がなんか嫌」
「難しいですね」
「もうその話やめよ」
「はい」
しばらくして、わたしは資料へ視線を戻した。
倭も少しずつ落ち着いてきたらしい。
信号待ちで飲みかけの水へ手を伸ばし、途中でやめる。
「飲まないんですか」
「あんたがまた変なこと言いそうだから」
「何も言いませんよ」
「信用ならねえ」
「ひどい」
「二回やられた」
「一回目はわざとじゃないです」
「二回目は?」
「普通に話しただけです」
「もっと悪いわ」
倭は結局、水を飲まずに発進した。
少し面白かった。
最初に会った頃、倭はほとんど表情を変えなかった。
何を言っても「ん」「そう」「別に」で終わることが多く、水守家にもわたしにも距離を置いていた。
今でも愛想がいいとは言えない。
でも、少しずつわかるものが増えている。
甘すぎるものはあまり好きではない。
お菓子を半分渡すと妙に機嫌がよくなる。
急に触れたことは、自分のほうが気にする。
嫌なことは言えと言う。
そして、「相性がいい」という言葉には弱い。
最後だけ、理由はわからない。
「なぎ」
「はい」
「今なんか考えてただろ」
「倭さんのこと」
車が少しだけ揺れた。
「運転中にそういうこと急に言うな!」
「危ないですよ」
「誰のせいだよ!」
また声が大きくなった。
「何を考えてたか聞いたの、倭さんでしょう」
「そうだけど、言い方あるだろ」
「倭さんについてわかってきたことを考えてました」
「……何」
「言っていいんですか」
「やっぱいい」
「じゃあ言いません」
倭は少し迷ったあと、
「一個だけ」
と言った。
「何がわかった」
「相性って言われるとむせる」
「忘れろ!」
今度は少しだけ笑った。
倭が横目でこちらを見る。
「笑うな」
「すみません」
「全然悪いと思ってねえだろ」
「少し」
「少しかよ」
車の中に、いつもより会話が続く。
最初の頃なら、たぶんなかった時間だった。
水守家へ着く。
玄関前で車が停まる。
シートベルトを外す。
「今日もありがとうございました」
「ん」
扉へ手をかける。
「なぎ」
「はい」
倭が少しだけこちらを見る。
「今日の結果」
「能力の?」
「そう」
「かなりいいらしいです」
「……わかった」
今度はむせなかった。
「慣れました?」
「慣れてねえ」
「でも平気でした」
「覚悟して聞いたから」
「そんなに?」
「帰れ」
追い出された。
車を降りる。
扉を閉める前に、倭が小さく言った。
「まあ」
「何ですか」
「護衛としては、助かる」
「相性が?」
倭が一瞬固まる。
「能力の!」
「はい」
「絶対わざとだろ、今」
「少しだけ」
「おまえな……」
初めて、倭に「おまえ」と呼ばれた。
怒っているような言い方だったけれど、本気ではなさそうだった。
「また明日」
「……おう」
倭はまだ少し不満そうな顔で答えた。
「また明日」
車の扉を閉める。
玄関へ向かいながら、少しだけ思う。
能力の相性がいい。
研究上は、それだけの話だ。
でも倭に言うと、なぜか普通の検査結果よりずっと反応が大きい。
理由はまだわからない。
今のところは、知らなくても困らない。
ただ、倭のことをまた一つ知った。
それだけで十分だった。




