第23話「専属ボディガード」
天喰倭の送迎が始まって三日目には、朝の流れがだいたい決まっていた。
7時5分になると、倭から『着いた』と短いメッセージが来る。
わたしが『今出ます』と返す。
玄関を出ると、いつも同じ場所に倭の車が停まっている。
助手席へ乗ってシートベルトを締めると、倭はその日の予定を一度だけ確認する。
「今日、学校だけ?」
「放課後は力環です」
「何時」
「4時半に学校を出て、5時から。終わりは7時前くらいです」
「迎えは力環でいいな」
「はい」
それで会話はだいたい終わる。
倭は朝から無理に話さない。
音楽も小さい。
運転しながら頻繁にこちらを見てくることもない。
必要なことがあれば聞かれ、なければ学校まで静かなまま走る。
その時間は、思っていたより楽だった。
一日目には「知らない人の車」という感覚があったけれど、三日目になると助手席の位置にも慣れてきた。鞄を足元のどこへ置けば邪魔にならないのかもわかるし、倭が右折の前に少し早めに速度を落とすことも覚えた。
倭のほうにも、わたしについてわかってきたことがあるらしい。
「朝、喋んねえほうがいい?」
信号待ちで突然聞かれた。
「別に喋ってもいいです」
「どっちだよ」
「話すことがあれば」
「なきゃ黙る?」
「はい」
「じゃあそれで」
それ以降、本当に用事がなければ黙るようになった。
そういう調整は早い。
愛想はないけれど、こちらが言ったことは覚えている。
学校へ着く。
「今日、正門で待つ」
「また降りるんですか」
「流れまだ見たい」
「目立ってますよ」
「知るか」
「わたしが知るんですけど」
「何が」
「学校で聞かれるので」
倭が少しだけ眉を寄せる。
「何て」
「誰なのって」
「護衛って言えば」
「言ってます」
「なら終わりだろ」
「終わらないんですよ」
倭には学校という場所の噂の広がり方がわからないらしい。
一日目。
赤い髪の長身女性が、校門前で水守なぎを待っていた。
二日目。
同じ女性が朝も夕方も現れた。
三日目。
わたしが教室へ入った時点で、別のクラスの子まで倭の存在を知っていた。
「昨日もいた人、今日も来てたよね?」
朝、席へ着くなり聞かれる。
「いますね」
「毎日?」
「今のところ」
「ほんとにボディガードなの?」
「そうです」
「すごくない?」
「何がですか」
「ボディガードいる高校生、初めて見た」
「わたしも初めてです」
「他人事じゃん」
別の子まで会話へ入ってくる。
「めっちゃ背高い人でしょ?」
「高いですね」
「髪真っ赤な」
「はい」
「モデルとかじゃないの?」
「違うと思います」
「思います?」
「モデルしてるか聞いてないので」
「聞いてよ」
「何でわたしが」
倭の職業について、本人より周りのほうが興味を持っている。
「何歳?」
「18」
「18!?」
予想通り声が大きくなる。
「え、3個上だけ?」
「そうです」
「もっと上かと思った」
「背が高いから?」
「それもあるし、なんか雰囲気が」
「怖い?」
「ちょっと」
「わかります」
「水守さんが言うんだ」
「本人もたぶん否定しないです」
怖く見えることを気にしている様子はない。
むしろ昨日、「愛想ないって言われます」と伝えたら、「そうだろうな」で終わった。
「でも綺麗じゃない?」
誰かが言う。
「そうですか」
「そうですかって、毎日会ってるのに」
「顔をちゃんと見てないかも」
「嘘でしょ」
考えてみる。
赤い髪。
赤い目。
大きい。
怖い顔。
そこまでは認識している。
でも、美人かどうかという基準ではあまり見ていなかった。
「今日見てみます」
「報告して」
「しません」
朝から少し疲れた。
倭が有名になるのに、一週間もかからなかった。
昼休みには、わたし自身が知らない話まで増えていた。
校門の赤髪の人は、水守家の親戚らしい。
元軍人らしい。
格闘家らしい。
外国人らしい。
芸能人らしい。
全部違う。
「元軍人ではないですよ」
「じゃあ格闘家?」
「違います」
「外国人?」
「日本人です」
「芸能人?」
「違うと思います」
「じゃあ何者なの」
「護衛です」
最初からそう言っている。
それなのに、なぜか一周してまた同じところへ戻る。
「遺能者?」
そこは少し迷った。
倭の「線」は登録された遺能だし、護衛として公に活動しているなら完全な秘密ではない。ただ、学校でわたしから詳しく説明する必要もないと思う。
「そうですけど、詳しいことは本人に聞いてください」
「聞ける雰囲気じゃない」
「じゃあ諦めてください」
「水守さん冷たい」
午後の授業が終わる頃には、今日も倭がいるのかという話になっていた。
「今日、力環なんでしょう?」
「はい」
「じゃあ赤い人が送るの?」
「そうです」
「見に行こうかな」
「何を」
「赤い人」
「動物園じゃないですよ」
わたしが言うと、周りが笑う。
でも本当に、見物に行くようなことではない。
ホームルームが終わり、倭へ連絡する。
『終わりました』
返事はすぐだった。
『正門』
それだけ。
鞄を持って教室を出る。
廊下を歩いている時点で、何人か同じ方向へついてきている気がした。
気のせいではなかった。
「何でついてくるんですか」
「帰る方向同じだから」
「嘘ですね」
「ちょっとだけ見たい」
「やっぱり」
追い返すほどでもないので、そのまま歩く。
正門が見える。
その横に、倭がいた。
今日は車にもたれていない。
門から少し離れた位置で立ち、学校から出てくる生徒の流れを見ている。
黒いパンツ。
暗い色の上着。
鮮やかな赤い髪。
周囲の保護者や迎えの車の中でも、すぐ見つけられる。
確かに目立つ。
「いた」
後ろから小さな声がした。
「ほんとにでかい」
「かっこよくない?」
「怖い」
「全部聞こえたらどうするんですか」
「聞こえないって」
たぶん聞こえていない。
でも、倭はこちらに気づいた。
わたしの後ろにいる子たちへ一瞬だけ視線を向け、それからまたわたしを見る。
「遅かったな」
「普通です」
「ホームルーム終わって10分」
「教室からここまであります」
「5分で来れる」
「測ったんですか」
「昨日」
何を測っているのだろう。
「友達?」
倭が後ろを見る。
ついてきた子たちが一瞬だけ静かになる。
「同じクラスです」
「そ」
倭はそれ以上興味を示さなかった。
一人が勇気を出したように口を開く。
「あの」
倭が見る。
「はい」
返事だけはする。
「水守さんの……ボディガードなんですか?」
「そうだけど」
「本当に?」
「嘘つく意味あんの?」
「あ、ないです」
もう質問が終わってしまった。
倭はわたしの鞄を見る。
「今日そのまま力環だろ」
「はい」
「乗って」
助手席の扉を開けるでもなく、自分が先に運転席へ向かう。
わたしも車へ向かう。
後ろから小声が聞こえた。
「かっこいい」
「怖いけど」
「水守さん毎日あれなの?」
振り返る。
「聞こえてますよ」
「ごめん」
「また明日」
「また明日!」
車へ乗る。
倭がエンジンをかけながら、窓の外を見る。
「何」
「何がですか」
「あいつら、あたし見に来た?」
「気づいてたんですね」
「気づくだろ」
「有名ですよ、倭さん」
「何で」
「赤いから」
「髪?」
「あと大きいから」
「それだけ?」
「毎日いるから」
「仕事だろ」
「学校では毎日同じ長身赤髪の女性が校門に立ってることが珍しいんです」
倭は心底どうでもよさそうな顔をした。
「知らねえよ」
「ですよね」
車を出す。
学校から力環までの道は、朝とは違って少し混んでいた。
倭は前を見ながら運転する。
「なんか言われてんの」
「いろいろ」
「何」
「元軍人」
「違う」
「格闘家」
「違う」
「外国人」
「どこ見て言ってんだ」
「芸能人」
「それはもっと違う」
予想通りの返事だった。
「あと、綺麗って」
倭の手がほんの少しだけ止まった。
「……誰が」
「クラスの子」
「そう」
前を向いている。
耳までは見えない。
「自分ではどう思います?」
「何が」
「綺麗かどうか」
「知らねえ」
「夜也さんなら即答します」
「一緒にすんな」
反応が速かった。
「知り合いなんですよね」
「仕事で見たことある程度」
「夜也さんは、倭さんの仕事は信用してるって言ってました」
倭が少しだけ眉を寄せる。
「何であいつとあたしの話してんだよ」
「夜也さんが聞くので」
「何を」
「護衛どう、とか」
「……」
倭の顔が少し嫌そうになる。
「毎日?」
「結構」
「暇なのか、あいつ」
「仕事は忙しいらしいです」
「なら仕事しろよ」
昨日わたしも似たようなことを言った。
「夜也さん、わたしの予定聞くの好きなので」
「何で」
「知りません」
「家の人間でもねえのに?」
「晶守家です」
「そういう意味じゃねえ」
声が少し低くなった。
「なぎ」
「はい」
「予定、誰にどこまで言ってる」
「家と、倭さんと、力環。夜也さんにも聞かれたら答えることあります」
「細かい移動時間まで?」
「たまに」
倭が前を見たまま数秒黙った。
「やめろとは言わねえけど、全部言う必要ないからな」
「どうして?」
「護衛上、知る必要あるやつと、知りたいだけのやつは別」
「夜也さんが危険ってことですか」
「そうは言ってねえ」
「じゃあ?」
「単純に、あんたの予定はあんたの情報だろ」
そこまで言うと、倭はそれ以上説明しなかった。
少し考える。
夜也に予定を聞かれることには、もう慣れてきた。
何時に終わる。
どこへ行く。
明日は何をする。
最初は不思議だったけれど、最近は普通に答えている。
倭は、それを止めろとは言わない。
ただ、答えるのが当然だと思わなくていいと言っているらしい。
「嫌なら答えなくていいってこと?」
「そう」
「夜也さんにも?」
「誰でも」
倭は短く答えた。
「家にも?」
「誰でもって言っただろ」
水守家も入っている。
そこが倭らしかった。
「わかりました」
「ん」
しばらく静かになる。
車は大きな交差点を曲がった。
「倭さん」
「何」
「学校で有名になったの、嫌ですか」
「別に」
「見られるのは?」
「仕事の邪魔じゃなきゃどうでもいい」
「写真とか撮られたら」
「それはやめさせる」
「どうやって?」
「普通に言う」
「怖そう」
「怖く言わねえよ」
少し間を置いてから、
「たぶん」
と付け足した。
「自信ないんですね」
「顔が勝手に怖いんだよ」
本人も自覚はあるらしい。
「笑えばいいのでは」
「何で知らねえ高校生に笑わなきゃなんねえんだ」
「人気出そう」
「いらねえ」
即答だった。
「有名なのも?」
「いらねえ」
「でももう遅いです」
「何で三日でそうなんだよ」
「赤いから」
「結局そこかよ」
少しだけ、倭の声に呆れ以外のものが混ざった。
笑ったわけではない。
でも、初日に比べれば、会話は続くようになっている。
力環へ着く。
駐車場へ車を入れ、倭も降りる。
「中まで来るんですか」
「受付までは」
「力環の中は安全ですよ」
「わかってる。帰りの確認」
二人で入口へ向かう。
受付の職員がわたしの顔を見て、その次に倭を見る。
「水守さん、お疲れさまです。こちらは?」
「護衛の天喰さんです」
「天喰倭」
倭が名乗る。
必要な手続きをして、送迎担当として登録される。
「終了予定は18時45分ですね」
「延びたら連絡入れます」
倭が言う。
「お迎えも天喰さんで?」
「はい」
職員が入力する。
これで、力環にも倭の名前が入った。
昨日まで、水守家の車が来る欄だったところに。
「じゃ、終わったら連絡」
「はい」
「体調悪くなったらそれも」
「わかりました」
「あと」
倭が何か言いかけて止まった。
「何ですか」
「……別に」
「気になるんですけど」
「終わったらすぐ出ろって言おうとしたけど、研究の片付けあんなら急がなくていい」
「待つんですよね」
「待つ」
「何分でも?」
「仕事だから」
言い方はいつも通りだった。
「わかりました」
わたしが研究棟へ向かう。
振り返ると、倭はもう外へ戻ろうとしていた。
今日はここで別れる。
でも、2時間後にはまた迎えに来る。
明日の朝も。
明日の放課後も。
これからしばらく毎日。
専属護衛という言葉は、最初に聞いたときには大げさだった。
今は少しだけ意味がわかる。
危険なときだけ現れる人ではない。
何も起きない朝にもいる。
普通に授業を受けたあとの校門にもいる。
力環へ向かうだけの日にも、帰るだけの日にもいる。
それが仕事なのだ。
夕方。
検査と記録作業を終えて力環を出ると、駐車場の同じ場所に倭の車が停まっていた。
運転席の窓が少し開く。
「遅かったな」
「7分だけです」
「知ってる」
「測ってたんですか」
「時計見りゃわかる」
助手席へ乗る。
座席の横を見ると、小さなペットボトルが一本置かれていた。
朝にはなかったものだ。
「これ何ですか」
「水」
「倭さんの?」
「二本買った。一本あんた」
「わたしに?」
「検査終わり喉渇くだろ」
倭は前を見ている。
「ありがとうございます」
「別に」
キャップを開ける。
一口飲む。
冷たい。
「いくらでした?」
「は?」
「払います」
倭がこちらを見る。
「いらねえよ」
「でも」
「100円ちょいだろ」
最近、似たような会話をした気がする。
夜也なら、ここから長い攻防になる。
「じゃあ、もらいます」
「ん」
終わった。
あまりにも早い。
「何」
「いえ」
「言えよ」
「夜也さんなら、ここから200円で10分くらい揉めるなと思って」
「知らねえよ」
倭が車を出す。
「つーか、あいつと一緒にすんなって言っただろ」
「はい」
「……水、嫌なら次から買わねえ」
「嫌じゃないです」
「ならいい」
それだけだった。
窓の外が暗くなり始めている。
助手席で水を飲みながら、前を見る。
学校では、もう倭は「校門にいる赤い人」になっている。
力環では、今日から送迎担当として名前が登録された。
わたしのスマートフォンにも、毎朝同じ時間に倭から連絡が来る。
『着いた』
短い三文字。
それが届いたら家を出る。
帰る時間になれば、また車が待っている。
まだ倭のことはほとんど知らない。
倭も、わたしのことをほとんど知らない。
それでも、知らないまま毎日会うことだけは、もう決まっている。
翌朝も7時5分。
スマートフォンが震えた。
『着いた』
昨日と同じ文字を見て、鞄を持つ。
玄関を出れば、今日も赤い髪が待っている。
それが少しずつ、朝の景色の一部になり始めていた。




