第21話「赤い髪の護衛」
遺能が見つかってから、増えたものはいくつかある。
力環へ通う日。
研究協力員としてのカード。
学校の鞄に入れておく書類。
定期的な体調確認。
夜也から届く連絡の量。
そして今日、新しくもう一つ増えるらしい。
「護衛?」
朝食の席で聞き返すと、父が頷いた。
「正確には、通学と力環への移動を中心に担当してもらう予定だ。学校内や力環内部ではそれぞれの警備があるから、主に移動中だな」
「今まで通り車じゃ駄目なんですか」
「車は使う。ただ、運転手に警護まで任せるわけにはいかない」
わたしは箸を止めた。
今までだって、水守家の車で学校へ通っていた。運転手がいて、必要なら使用人が同行する。それで困ったことはない。
「何かあったんですか」
「今のところは何も」
父はそう答えたあと、少し言葉を選んだ。
「だからこそ、何か起こる前にだ」
隣にいた母も口を開く。
「なぎの遺能について、今はまだ力環と家の中でも知っている人は限られているわ。でも、いつまでも完全に伏せておけるとは限らないでしょう?」
「研究協力員になったから?」
「それもあるわね」
力環へ定期的に出入りするようになった。
しかも、ただ検査を受けるだけではない。
遺能「振」は他人の異能へ干渉する。単独ではCランクでも、対象次第では通常の評価範囲を大きく外れる可能性があると説明されたばかりだった。
それを「面白い」で済ませる人ばかりではないらしい。
「まだ誰かに狙われてるわけじゃないんですよね」
「そうだ」
「じゃあ、念のため」
「そう考えてくれていい」
父の言い方は穏やかだったが、もう決定事項なのはわかった。
わたしは少し考えてから聞く。
「水守家の人じゃないんですか」
「外部だ」
「どうして?」
「今回必要なのは、家の中の役目ではなく実務としての護衛だからだ」
父が湯呑みを置く。
「水守の名や慣習に引っ張られず、必要ならこちらにも意見できる人間を選んだ」
それは少し意外だった。
水守家は古い家だ。
白を守ることを長く役目としてきたせいもあって、「守る」ということに関しては家の内側で完結させたがるところがある。
そこへ、わざわざ外の人間を入れる。
「信用できるんですか」
「経歴は確認している。護衛実績も十分ある」
「何歳ですか」
「18」
今度は別の意味で止まった。
「18?」
「そうだ」
「わたしと3つしか違わないですけど」
「若いが、実力は年齢で決まらない」
それは、夜也を見ていればよくわかる。
でも夜也は23歳だ。
18歳というと、学校に通っていてもおかしくない。
「高校生ではないんですか」
「現在は通っていない。独立して仕事を受けている」
「資格とかは?」
「護衛業に必要なものは案件ごとに違う。ただ、運転免許は持っているし、車も自分で運転する。近接戦闘と遺能の両方に実績がある」
そこまで説明されても、18歳の護衛という響きにはまだ慣れない。
「今日、会うの?」
「午後に来てもらうことになっている」
「今日ですか」
「嫌だった?」
母に聞かれる。
「嫌というか、急だなと思って」
「正式に決まったのが昨日なの。先方も予定を調整してくれたみたい」
その「先方」という言い方が、わたしと3歳しか違わない相手に使われているのが少し変だった。
朝食を終えて自室へ戻る。
今日は休日で、力環の予定もない。
午後までは自由だった。
机へ向かって学校の課題を少し進めていると、スマートフォンが震えた。
夜也だった。
『今日護衛の子来るんでしょ』
どうして知っているのだろう。
『知ってるんですか』
『知ってるよ』
『うちのことなのに夜也さんのほうが早くないですか』
『晶守にも情報くるからね』
水守家と晶守家は別の家だが、力環との連携や異能案件では互いに関わることが多い。わたしの遺能登録についても、夜也は検証協力者だった。
『天喰 倭』
名前が送られてくる。
あまじき、やまと。
父からはまだ名前まで聞いていなかった。
『知り合いですか』
『顔と仕事は知ってる』
『仲いい?』
返事はすぐ来た。
『全然』
少し笑う。
『強いよ』
続けて届く。
『B上位。近接かなり強いし、線も護衛向き』
『線?』
『本人に聞いたほうがいい』
珍しく、夜也が全部説明しなかった。
『なぎ、たぶん最初ちょっと嫌われると思う』
手が止まる。
『どうしてですか』
『水守だから』
その一文だけで、少しわかった。
水守家に対して何かある。
『何かあったんですか』
『それも本人の話だから、ぼくが先に言うことじゃない』
夜也にしては、かなり慎重だった。
『でも仕事はちゃんとするよ』
『そこは信用してる?』
『してる』
即答だった。
それなら、少なくとも危険な人ではないらしい。
『なぎが嫌ならちゃんと言いなよ』
『まだ会ってもないです』
『だから会ってから』
『わかってます』
『あと、ぼくより近くにいる時間長くなるのちょっと嫌』
何の話だろう。
『仕事でしょう』
『わかってる』
『じゃあ何ですか』
『なんでもない』
そう言いながら、そのあと三つくらい関係ないメッセージが続いた。
昼を過ぎた頃、玄関のほうで車の音がした。
水守家の車とは違う。
窓から外を見る。
門を抜けてきたのは、黒に近い濃い色の車だった。夜也の車ほど露骨に高そうではないが、仕事用らしく余計な装飾のない大きめの車だ。
運転席の扉が開く。
最初に見えたのは、赤い髪だった。
鮮やかな赤。
肩より少し下まである髪の一部を編み、後ろでまとめている。
車から降りた女性は背が高かった。
夜也ほどではないけれど、それでもかなりある。
後で聞けば179cm。
身体は細いというより、無駄なく鍛えられている。黒いパンツに赤を少し入れた上着。動きやすさを優先しているのが一目でわかった。
玄関まで歩いてくる。
足が速い。
でも音はほとんどしない。
遠くからでも、あまり愛想のいい人ではなさそうだと思った。
元々そういう顔なのか、眉間に少し皺が寄っている。
「なぎ」
母に呼ばれる。
「今行きます」
一階へ降りる。
応接室へ入ると、父と母、それから知らない女性が座っていた。
さっき外で見た人。
近くで見ると、やっぱり大きい。
赤い髪。
少し垂れ気味なのに鋭く見える赤い目。
肌には屋外で過ごす人らしい薄い日焼けがあり、手の甲には小さな傷がいくつか残っている。
わたしが入った瞬間、その目がこちらへ向いた。
まず顔。
次に肩。
手。
足元。
最後にもう一度顔。
品定めというより、確認されているような視線だった。
「なぎ、こちらが今日から護衛をお願いする天喰倭さん」
父に紹介される。
「水守なぎです」
頭を下げる。
「……天喰倭」
短い。
倭も少しだけ頭を下げた。
声は低めで、少し掠れていた。
「よろしくお願いします」
「ん」
そこで終わった。
母が一瞬だけこちらを見る。
たぶん「ずいぶん短い返事」と思ったのだろう。
わたしも思った。
倭は悪びれた様子もなく、父へ視線を戻した。
「学校と力環。基本はこの二つでいいんだな」
「ああ。ほかに外出予定がある場合は事前に共有する」
「本人の予定は本人から聞く」
倭がすぐ言った。
父が少しだけ目を細める。
「もちろん、なぎ本人にも伝える。ただ、家として把握している予定も――」
「それも見る。でも、本人に確認する」
言い切った。
少し驚く。
初対面で、水守家の当主に近い立場の父へかなり直接的に話している。
父は不快そうにはしなかった。
「わかった。その点は任せる」
倭が頷く。
「送迎車は?」
「通常は水守家の車を使う予定だ」
「いらねえ」
「え?」
今度は母が声を出した。
「自分で運転する。車もある。そのほうが動きやすい」
「ですが、運転と護衛を同時に――」
「必要なら別の運転手つけてもいい。でも普段の学校と力環くらいなら、あたし一人のほうが早い」
倭はそこでわたしを見た。
「嫌なら別」
突然こちらへ話が来る。
「何がですか」
「知らないやつの車乗るの」
「今日から護衛なんですよね」
「そうだけど、それと車乗りたいかは別だろ」
少し考える。
「車自体は別に」
「じゃあ、最初一回乗って、嫌なら言え」
「わかりました」
倭はそれで十分らしく、また父へ向き直った。
変な人だと思う。
無愛想。
言葉も短い。
でも、こちらの返事を勝手に決めない。
そこは少しだけ、夜也と似ている。
夜也とは全然違う方法だけれど。
「遺能についてはどこまで?」
倭が聞く。
「概要は共有済みだ」
「振。C、条件依存。近距離で他人の異能に干渉」
「そうだ」
「本人は戦える?」
父ではなく、今度は直接わたしを見て聞かれた。
「ほとんど」
「護身術は」
「習ったことはありますけど、得意ではないです」
「走るのは?」
「普通だと思います」
「百メートル」
「測ってません」
「持久走」
「好きじゃないです」
「力は」
「ないです」
質問が速い。
「身長」
「153」
「体重」
一瞬止まる。
「必要ですか」
「抱えて動く可能性ある」
それなら必要なのかもしれない。
答えると、倭は少し眉を寄せた。
「軽すぎ」
「よく言われます」
「ちゃんと食ってる?」
「食べてます」
「そう」
納得したようには見えない。
でも追及はされなかった。
「能力事故のときはどうした」
「クラスメイトを助けようとして、膜に挟まれました」
「……」
倭が黙った。
さっきより眉間の皺が深い。
「何ですか」
「今後、それやるなとは言わねえ」
少し意外だった。
「言わないんですか」
「目の前で誰か倒れてたら行くやつは行く。止めてもやるなら、止める前提で考える意味ない」
倭は椅子の背へ軽くもたれた。
「ただ、あたしがいるときは先に言え。勝手に飛び出すな。助けるなら助けるで、あたしが道作る」
それは「何もするな」と言われるよりわかりやすかった。
「わかりました」
「ほんとか?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
初めて、倭の表情が少し動いた。
呆れたらしい。
父が契約内容の説明へ戻る。
わたしは途中から聞きながら、倭の手元を見ていた。
話しているあいだ、指がときどき小さく開いて、また閉じる。
落ち着きがないわけではない。
むしろ身体全体はほとんど動かない。
ただ指だけが、ときどき何かを確かめるように動く。
倭がこちらを見る。
「なに」
「いえ」
「見てただろ」
「手」
倭が自分の手を見る。
「癖」
「そうですか」
「気になる?」
「別に」
「ならいい」
また会話が終わった。
夜也なら、このあと「どこ見てたの」「手好き?」「ぼくの手きれいでしょ」と何分も続きそうなのに、倭は本当にそこで終わる。
静かだった。
契約の話がまとまり、明日から実際に通学の送迎を担当することになった。
「朝7時10分」
倭が言う。
「玄関前でいい?」
「はい」
「遅れたら連絡」
「わたしが?」
「あんたも、あたしも」
「わかりました」
「学校終わる時間は」
「明日は3時40分くらいです」
「部活は」
「入ってません」
「寄り道」
「今のところ予定なし」
「力環」
「明日はないです」
倭はスマートフォンへ何か入力する。
予定を記録しているらしい。
「連絡先」
差し出された画面を見る。
交換する。
登録名をどうしようか少し迷い、そのまま「天喰倭」と入れた。
相手側の画面が一瞬見える。
わたしは「水守なぎ」。
それだけだった。
「じゃ、明日」
倭が立ち上がる。
やっぱり大きい。
母が玄関まで見送ろうとするが、倭は「いい」と短く断った。
わたしも玄関までは一緒に行く。
靴を履いた倭が扉を開ける。
外には、本人が運転してきた車が停まっていた。
「倭さん」
呼ぶ。
少し離れかけていた背中が止まる。
振り返る。
「何」
「一つだけ」
「ん」
「わたしのこと、嫌いですか」
倭の眉がわずかに動いた。
母が後ろで驚いた気配がした。
でも、夜也から聞いたことが少し気になっていた。
水守だから最初は嫌われるかもしれない。
実際、今の倭は愛想がいいとは言えない。
本人へ聞いたほうが早い。
倭はしばらくわたしを見た。
「まだ知らねえ」
「そうですか」
「今日会ったばっかだろ」
「それもそうですね」
「ただ」
倭の視線が一度、屋敷のほうへ動く。
「水守家は好きじゃない」
はっきりしていた。
「なるほど」
「怒らねえの」
「わたしが水守家を好きじゃない人に怒る理由、あります?」
倭が少しだけ目を細めた。
警戒なのか、意外だったのかはわからない。
「……変なやつ」
「よく言われます」
「誰に」
「最近は夜也さんに」
名前を出した瞬間、倭の顔が明らかに嫌そうになった。
「晶守の」
「知ってるんですよね」
「知ってる」
「仲悪い?」
「別に」
夜也は「全然」と言っていた。
どちらも仲がいいとは言わないらしい。
「じゃ、明日7時10分」
「はい」
「5分前にはいる」
「早いですね」
「あんたが出てくるまで待つだけ」
「わかりました」
倭が車へ向かう。
運転席へ乗り込む。
エンジンがかかる。
自分で運転する護衛。
18歳。
赤い髪。
水守家が嫌い。
明日の朝から、毎日わたしを学校へ送る。
変なことになったと思う。
車が門を出ていくまで見送ってから、家へ戻った。
自室に着いたところで、スマートフォンが震えた。
夜也。
『会った?』
早い。
『会いました』
『どうだった?』
少し考える。
『赤かったです』
すぐ既読。
『そこ?』
『大きかったです』
『そこも?』
『静かでした』
今度は少し間が空いた。
『ぼくと正反対って言いたい?』
『夜也さんはよく喋りますね』
『知ってる』
少しして、もう一通。
『嫌な感じしなかった?』
倭のことだとわかる。
『水守家は好きじゃないそうです』
『本人に聞いたの?』
『はい』
『なぎ強いなあ』
『聞いたほうが早いので』
『で、なぎのことは?』
『まだ知らないって』
夜也から笑っているような文面が返ってきた。
『それなら上出来』
そうなのだろうか。
スマートフォンを置く。
数分後、また震えた。
今度も夜也かと思った。
違った。
天喰倭。
初めてのメッセージだった。
『明日 7:05着』
7時10分と言っていたのに、5分前に来るらしい。
続けて、
『出るとき連絡しろ』
短い。
夜也とは全然違う。
『わかりました。よろしくお願いします』
送る。
既読になる。
返事はない。
これで終わりらしい。
机へスマートフォンを置いて、明日の予定を確認する。
朝、学校へ行く。
授業を受ける。
放課後になったら帰る。
昨日までと何も変わらない。
ただ、その行きと帰りに、赤い髪の女が一人増える。
夜也が少しずつわたしの日常へ入ってきたと思ったばかりなのに、今度はもっと直接的だった。
明日の朝7時5分。
家を出れば、天喰倭がいる。
専属護衛。
その言葉はまだ大げさに感じる。
でも、たぶん明日からは、それが普通になっていくのだろう。




