第15話 “喰う者”と“喰われた子供たち”
【起】
──幼い頃の記憶:敬とライラの絆
……真っ白な世界だった。
壁も、天井も、床さえも無機質な白で塗り固められ、感情も時間も溶けて消えていくような空間。
そこは、“番号”で呼ばれる子供たちが暮らしていた施設だった。
敬──いや、当時の彼に「ケイ」という名前はなかった。
彼は【K-03】という記号で呼ばれ、定められたカロリーと栄養素を摂取し、毎日同じ時間に同じ訓練と同調試験を繰り返す。そこに疑問を持つことすらなかった。
ただ、「喰う者」として最適化されるまで、育成される。
──それが、自分のすべてだった。
そんなある日。
白い廊下の端、無人の観察室で彼はひとりの少女に出会った。
短く切り揃えられた銀髪。眠たげな目元。けれどその中に、静かな光を宿した瞳。
彼女は座っていた。金属製の簡易ベッドの上で、膝を抱えて。
そして、彼を見て──
「……こんにちは」
それは、K-03が人生で初めて受け取った“挨拶”だった。
返事ができなかった。そもそも返す言葉がわからなかった。
それでも彼女は怒るでもなく、ただ微笑む。
「君、まだ名前つけてもらってないの?」
その言葉に、小さく頷くと──少女は考えるように視線を宙に彷徨わせ、ぽつりと呟いた。
「……じゃあ、私が呼んであげる。“ケイ”って。
K-03の“ケイ”、って意味だけど……それ、君に似合ってるよ」
ケイ。
その音が、胸の奥にふわりと降りてきた。
名を呼ばれるという感覚──それが、こんなにも温かいものだとは知らなかった。
少女の実験番号は【L-09】。
後に知ることになるが、彼女は「感情核」の適合率が高い特殊な個体だった。
そして何よりも、優しかった。
食堂で並ぶとき、他の子に押しのけられそうになった彼をかばってくれた。
模擬戦の訓練で泣き出した幼い子の手を、黙って握っていた。
「だって、怖いのって、ちゃんと感じていいことだよ。
泣いたって、怒ったって、それが“心”なんだから」
──そう言って、彼女はいつも笑っていた。
K-03は知らなかった。“心”というものが、どうやって笑うのか。
でも、そのときだけは、真似するように目元を緩めてみた。
それは、彼にとって初めての“笑顔”だったかもしれない。
名前をもらって、心を知って、感情を知った。
彼の中で、何かが少しずつ変わっていった。
けれど──その穏やかな時間は、長くは続かなかった。
ある日を境に、少女は姿を消した。
呼んでも、応えてくれなかった。
K-03……いや、“ケイ”は、その理由を知ることも許されなかった。
ただ、白い廊下の隅で、名を呼ぶことだけを覚えていた。
「……ライラ」
そう。彼女の名を──
彼に“心”をくれた、ただ一人の少女の名前を。
そして今──
沈んでいく意識の底、かつての記憶に包まれながら、敬は確かにそれを思い出していた。
……君がいた。
君が“名前”をくれたから、俺は“喰うだけの存在”で終わらなかった。
その想いが、またひとつ核に灯りをともす。
次の記憶へ──そして、真実の核心へと、敬の意識は深く沈んでいく。
【承】
──研究施設壊滅の真相と“第零次喰竜事件”
視界が──再び揺らいだ。
空間がまるで、何層ものフィルムを重ね合わせたように色を変え、風景がねじれる。
敬の意識は、次の記憶へと引きずり込まれていた。
──白い施設。
だが今度は、その“静寂”が壊れる寸前だった。
「神核、脈動を確認。……これは、共鳴反応か……!?」
「コードL-09とK-03の同調率が跳ね上がっているッ! なぜ二人が──」
怒号。走る足音。振動する壁面。
記録映像のように再生される記憶の中で、敬は目撃する。
──それは、あの日の“真実”。
彼とライラは、同じ神核の適合因子を持っていた。
それゆえに、共鳴すればするほど、互いの核が増幅し合う。
通常の範囲を超えた“情動による共鳴”──
二人の感情が重なった瞬間、それは制御不能な神霊核の暴走を引き起こした。
研究員たちは、慌てて封印術式を起動しようとするが間に合わない。
中央制御室のガラスが砕け、空間が反転する。
神霊核が“意思”を持ったように暴れ狂い、周囲の幻獣素子を喰らい始めた。
「──遮断しろ! 記憶接続を切断しろ!
K-03には封印印刻! L-09には……感情遮断処理を施せ!」
通信音声の記録が、断片的に脳内に響く。
──それは命令という名の“断罪”だった。
◆記録ログ
《対象K-03:神核共鳴率異常上昇。記憶封印処理を実行》
《対象L-09:情動因子暴走。術式コード「抑制-09」を展開──感情遮断》
敬の胸に、鋭い痛みが走った。
──自分は“消された”のではなかった。
──“忘れるように”されていたのだ。
そして──
ライラは、“感じないように”させられていた。
世界が再び、崩れ落ちるように反転する。
彼が目を開けたとき、目の前には瓦礫と化した研究施設の光景。
壁が溶け落ち、幻獣素子に満ちた空気が赤黒く光っていた。
「これが……“あの日”……」
神核暴走の余波により、施設全体が壊滅。
だがこの事実は外部には公表されることなく──
後に、“第零次喰竜事件”として歴史の影に葬られることとなる。
生き残った実験体は、処理されるか、“兵器”として再編成された。
敬は記憶を封じられたまま、別部署へ。
ライラは感情を失い、適合兵として再育成された。
──二人の絆は、物理的にも精神的にも切り離されたのだ。
だが今、こうして再び記憶が蘇る中で──
敬の胸の奥に、熱を帯びた“何か”が生まれていた。
……なぜ、俺たちは“喰われた”のか。
なぜ、名前と感情を、奪われなければならなかったのか──
怒りではない。悲しみでもない。
それは、彼自身の“核”が──
静かに目覚めようとしている鼓動だった。
そして次の記憶の扉が、ゆっくりと開いていく。
【転】
──ライラが「感情を失う処理」を施された過去
──記憶の深層。
重力のない闇の中、敬はひとり沈んでいた。
しかし次の瞬間、視界に新たな光が差し込む。
それは、敬の記憶ではなく──
ライラの記憶。
冷たい金属の台に縛られ、動かせぬまま涙を流す少女。
白衣の研究者たちが、無表情に詠唱を開始する。
「因子不安定につき、L-09に対し抑制術式を展開。準備完了」
「術式、発動──」
紫がかった術陣が、少女の額に浮かび上がる。
まるで魂に鍵をかけるように、意識の奥へと染み込んでいく。
「感情とは、因子制御における最大の誤差要素だ」
「──“喰う者”に、愛など不要」
そう言い放つ研究者の声。
敬は記憶の中の“傍観者”として、その場に立っていた。
檻の外、ガラス越しに見つめていた。
まだ幼い自分──K-03の姿。
手を伸ばそうとして、動けなかった。
声を上げようとして、出なかった。
──ただ、恐れていた。
何が起きているのかを、知ってしまうこと。
その現実を、心に刻みつけられることを。
……あのとき、俺は。
何もできなかった。
助けるどころか──目を逸らした。
術式が完了する。
ライラの瞳から、光が失われていく。
かつてあれほど人懐っこく笑っていた少女は──
仮面のように無表情な“兵器”へと変わっていく。
仮面をかぶせられ、番号で呼ばれ、命令だけを受け入れる存在。
彼女は“誰かのために笑うこと”を、奪われた。
──すべては、「強くする」ために。
──すべては、「喰うために」。
そして敬は、記憶の奥でようやくそれを直視する。
……俺は、忘れたかっただけじゃない。
怖かったんだ。
あのとき、何もできなかった“弱い自分”を思い出すのが──
感情が溢れる。
悔しさ。怒り。痛み。哀しみ。そして──決意。
彼の核が脈動し始める。
記憶と感情の渦の中で、ひとつの“形”を取り戻し始めていた。
【結】
──敬、自らの核に“再共鳴”を起こし、意識を現実に引き戻す
記憶の海の底。
ずっと目を背けてきた過去を、ようやく見つめ直した敬は、
今、暗闇の中で静かに拳を握りしめた。
──もう、逃げない。
視界の向こう、仮面の奥で震えるように立ち尽くすライラに向け、
敬はまっすぐ言葉を紡いだ。
「……ライラ。俺はもう逃げないよ」
「“喰う”ことしかできなかったとしても、それでも俺は──繋ぎ直したいんだ」
「お前の心と、俺の記憶を。もう一度……今度こそ」
その言葉に、核が応えた。
敬の胸の奥、神霊核が脈動を始める。
赤黒く揺らいでいた因子が、柔らかな光をまとい、形を変えていく。
破壊と吸収に特化していた核が、音のように──光のように──共鳴を始めた。
《共鳴反応検知──再構築因子、活性化》
《神霊核:特性変化──“共鳴型”への進化を確認》
空間全体が光に包まれ、崩壊を始める。
敬がいた“記憶層”──意識の最深領域が、共鳴の波に押され、消えていく。
直前。
淡く揺れる記憶の彼方、ライラの幻影がふと微笑んだ。
声はない。だが、確かに想いは届いた。
(……ケイ……名前、覚えていてくれて──)
──そして、意識が現実に引き戻される。
目を開けた瞬間、眩しい光と、必死な声が耳を打った。
「敬ッ!? 応答して、敬! 生体波形、戻った……っ!」
ユーニの叫び声。隣には、呆然と息を呑むレイナの姿。
どこか焦げたような臭いと、冷えた魔力の残滓が空気を満たしていた。
「……ここは、戻ってきたのか」
「俺は、思い出した。全部じゃない。でも──“確かに”あった」
拳を握る。
そこにはもう、震えるような弱さはなかった。
「行くよ、ユーニ。レイナ。……今度こそ、彼女を取り戻す」
「そして──俺自身の過去も」
敬の瞳には、決意と共鳴の光が宿っていた。




