【第13話】“偽りの庭”と生きていた妹
第13話【起】──残響核に映るライラの記憶
腐蝕の地を越え、かつて緑竜が守っていた《生命の庭》がようやく静寂を取り戻した後のことだった。
敬たちは、緑竜から託された《残響核》を囲むように腰を下ろしていた。
淡く脈動する深緑の核──それは、ただの魔素の結晶ではない。そこには、竜が見た過去の光景、そして託された想いが眠っている。
「……始めるわね」
ユーニが静かに呟くと、彼女の神霊核がかすかに共鳴音を立てた。掌に浮かぶ小さな魔法陣が、残響核と接続される。
《記憶視》──神霊核の中でも限られた者しか使えない、高度な感応術。
次の瞬間、周囲の空気がふわりと緩む。
敬とレイナを包むように、淡い緑の光が広がった。
──視界が反転する。
彼らはいつの間にか、冷たい石壁に囲まれた研究施設の一室に“立っていた”。
重々しい扉。消毒液の匂い。
そして、その奥に設けられた、鉄格子の檻。
中にいたのは、ひとりの少女だった。
まだあどけなさの残る顔立ち。淡い銀髪に、透き通るような青い瞳。
白いローブに包まれた体は小さく、痩せている。
少女は、それでも微笑んでいた。
檻の向こう、誰かがいるかのように──幻影に向かって、語りかける。
「……レイナ、お姉ちゃん……今日は、夢に出てくるかな……」
レイナが、言葉を失っていた。
震える手で、目の前の幻をつかもうとする。
「……ライラ……?」
場面が切り替わる。
書類に記された彼女の記録が、映し出された。
【被験体番号】L-09
【氏名】ライラ・エルネア
【適合率】神霊核中等適合
【分類】生体拡張対象 / 魔素再生因子保有
【特性】回復・増幅系魔素感応 / 神経同調試験中
視界が再び揺れ、記憶の空間が静かに崩れていく。
追体験が終わり、敬とレイナは現実へと引き戻された。
「……あれは……間違いない……」
レイナの声がかすれていた。
「ライラ……私の妹よ……生きてた……あんなところに……!」
ユーニが無言で、残響核を再起動させる。
光の中、コード状の魔素が浮かび上がる。
【生体コード:L-09──活動状態:継続中】
【現在位置:竜骸の地/不定魔素領域】
その文字を見た瞬間、敬の表情が引き締まった。
「まだ、間に合うかもしれない。喰竜派が完全に彼女を……“壊す”前に」
ユーニは小さく頷き、ヴァルが剣の柄に手をかける。
「なら、急ごう。“生きてる”うちに救わなきゃ、意味がない」
こうして一行は、新たな地──
死せる竜たちの記憶が眠る《竜骸の地》へと、再び歩を進める。
彼らの心には、ひとつの決意が灯っていた。
──今度こそ、“喰われる前”に、取り戻すのだ。
【承】──竜骸の地へ向かう途中、“模造幻獣”との戦闘
腐蝕の境界を越えた先に広がっていたのは、かつて神霊竜たちが命を落としたという戦場──《竜骸の地》。
その名が示すとおり、そこにははるか昔に倒れた巨竜たちの亡骸が静かに眠っている──はずだった。
だが今、彼らの前に広がっていたのはまるで異なる光景だった。
「……これは……庭?」
レイナの呟きが漏れる。
死の大地であるはずのその場所には、異様な“生命”の気配が満ちていた。
鮮やかすぎる花弁。光を帯びて揺れる草木。だが、それらはすべてどこか“おかしい”。
自然に存在するはずの色味も匂いも、どこか人工的で、過剰だった。
そしてその中心部──
「……動いてる……あれ……!」
ユーニが指差した先。
巨大な幻獣のような影が、ゆっくりと地を這っていた。
いや、それは“幻獣”ではなかった。
翼の一部が金属で補強され、首元には魔素供給用の管。
脚部の皮膚はところどころ裂け、むき出しの骨に“魔糸”が絡みついている。
「模造……?」
ヴァルが眉をひそめ、剣を抜いた。
「違うな……これは、ただの模倣じゃない。死んだ幻獣を素材に、無理やり繋ぎ合わせた“再構成体”……」
彼の剣が稲光を纏い、唸りを上げる。
「……自然の循環じゃねぇ。これは、死体に魔素を詰め込んだ、ただの“玩具”だ」
その瞬間、森の奥から唸り声が響いた。
次々と姿を現す《模造幻獣》たち。
歪な翼、逆関節の脚、目が三つある狼、半分が植物のような蛇──
「囲まれた!」
レイナが魔弓を構え、ユーニが魔術陣を展開する。
敬は胸の神霊核に手を当て、共鳴を呼び起こす。
「──浄化、展開!」
彼の背後に浮かび上がるのは、淡い白光の円環。
そこから放たれた浄化魔素の奔流が、模造幻獣の魔糸を焼き切る。
だが、相手は無数。
ヴァルが前衛で斬り払い、ユーニが結界で味方を守り、レイナが狙撃を放つ。
短くない戦いの果て──
空間に走った“亀裂”。
まるで世界が裂けるようにして、現れたのは──ひとりの少女だった。
銀の髪。
薄い唇。
仮面をつけたその姿に、敬とレイナの動きが止まった。
「……あれは……」
レイナの声が震える。
少女の髪はレイナと同じ色。
だが、その瞳に映るものは、目の前にいる“姉”ではなかった。
──そこにあったのは、空虚。感情を剥ぎ取られたような、無の視線。
仮面の奥から、少女が呟く。
「敵性個体、識別完了。破壊命令、受領済み」
次の瞬間、彼女の背後に構築される巨大な魔術式。
周囲の模造幻獣たちが一斉に、彼女の魔素に従って動き出す。
レイナの目に、絶望が浮かぶ。
「……ライラ……? うそ……」
だが、少女の口から返るのは、冷たい起動音のみだった。
「対象コード:L-09。戦闘行動──開始」
戦うために生まれ変わった妹との、哀しい邂逅が幕を開ける。
【転】──実験体として再構成されたライラと邂逅
亀裂を抜けて現れた銀髪の少女が、一歩、また一歩と腐蝕の地に降り立つ。
仮面で覆われた顔。その隙間から覗く瞳は、濁った湖の底のように冷たく、何ひとつ感情を映していなかった。
「……識別確認。対象、K-03、E-07、V-02──」
「排除対象。捕獲優先。再確認……完了」
まるで機械のような、感情の欠片もない声。
レイナはその場に凍りつく。
「……ライラ……?」
彼女は、震える声で名を呼んだ。
その名は幻ではない、確かにかつての妹に与えられた本当の名前。
「──ライラ! 聞こえる? 私よ、レイナ! あなたの、姉よ!」
叫ぶ声には、血のように熱い想いがこもっていた。
だが、仮面の少女──コード《L-09》は、何の反応も示さなかった。
その手には、淡く輝く“兵装”が握られている。
喰竜派式の収束兵装──魔核刃。
それは、複数の神霊核断片を埋め込まれた彼女自身の魔素を収束・発振し、対象を断裂する“喰う刃”。
淡く緑がかった刀身が、彼女の呼吸と同調するように振動していた。
「この魔素……一体、いくつの幻獣の核が……?」
ユーニの声が震える。
敬は、目の前の現実に喉が焼けるような苦しみを覚えていた。
「……彼女は、“喰われた”んだ」
「肉体だけじゃない……記憶も、感情も、声も……全部、喰竜派に」
喰竜派が進めていた“祈核融合”の兵器実験。
それは、生存適合率を高めるため、複数の幻獣核を一人の少女に移植するという狂気の行為だった。
彼女はすでに“人”ではなく、“魔素戦術兵器”としての再構成を施されていた。
「命令再確認。攻撃開始──」
ライラの身体が、術式の構築に入る。
足元に刻まれる巨大な魔術陣。
無数の魔糸が地中から伸び、周囲に転がっていた模造幻獣たちの残骸を串刺しにしていく。
「“融合構築”……!」
魔糸が絡まり、幾体ものレプリファントが一つに組み上がっていく。
胴体は狼、翼は鳥、尾は蛇、頭部は幻獣の角を複製した異形──
それは、かつての自然が一度死に、そしてねじくれたまま再誕した、呪われた存在だった。
ライラ──否、L-09は、冷ややかな声で宣言する。
「戦術融合体、起動。対象の排除を開始します」
巨躯が咆哮し、魔素が大地を裂いた。
レイナが思わず後ずさる。
「ライラ……どうして……どうして私を、忘れたの……?」
だが、返ってくるのは応答ではなく、攻撃魔素の濁流だった。
敬がレイナを抱えて飛び退く。
着地と同時に神霊核を解放し、浄化結界を展開する。
「くそっ……! どうすれば、彼女を──!」
ヴァルが剣を構え、ユーニが後衛支援を開始する。
だが──“ライラ”は、ただの敵ではない。
それは、レイナが人生をかけて探し続けた、“もう一人の自分のような存在”だった。
そして今、彼女は自らの意志ではなく、命令だけで動く“兵器”として、姉の命を狙っている──。
「……っ、俺たちで、彼女を取り戻す!」
敬の瞳が燃える。
だがその方法は、“喰う”ことなのか──“記憶を取り戻させる”ことなのか──
今はまだ、誰にもわからなかった。
【結】──ライラは記憶を失っており、「喰う」ための兵器として動く
混濁した魔素が渦巻く戦場に、かすかに風が吹いた。
崩れた《融合幻獣・ガルズ・テオリア》の断片が、まるで命の尽きた亡骸のように地へ還る。
敬の神霊核が展開した防壁は、いまや蒼白い残光だけを漂わせている。
ユーニの詠唱は止まり、ヴァルの剣もわずかに砕けていた。
──だが。
彼らは、生きていた。
それだけでも、この一戦は“敗北”ではない。
ライラ──喰竜派によって再構築された少女は、術式の停止とともに動きを止めていた。
その瞳は未だ仮面に隠れている。
だが次の瞬間、上空から黒い魔糸が雷のように落ち、彼女の身体に絡みつく。
「……っ、あれは──」
ユーニが息を呑む。
《強制召喚術式》──喰竜派が用いる転送拘束術だ。
術対象を空間ごと回収し、遠隔の座標に転移させる。
「待てッ! 連れて行くな!」
敬が神霊核を起動し、転送魔素を打ち消そうとする。
だが、相手は術式の座標ごと“断絶”領域へ接続している。
干渉は──不可能だった。
淡い閃光の中、少女の仮面がわずかに傾いた。
その隙間から見えたのは、姉と同じ色の瞳──銀灰の虹彩。
そして、ほんの一瞬だけ。
その瞳に、確かに「戸惑い」が浮かんだ。
レイナ「……あの子……今、何か、思い出そうとしてた……!」
仮面の奥で何が起きていたのか。
それは、彼女にしかわからない。
しかしレイナは感じた。
声が、届いた。
魂が、揺れた。
あれは、間違いなく“妹”の目だった。
「──私の声、届いたんじゃない……? あの瞳は……」
敬は、それを見逃していなかった。
あのわずかな光に、揺らぎに。
「……彼女は、まだ──“完全に喰われて”なんかいない」
敬の手が、拳を強く握る。
その瞬間、残された空間にノイズ混じりの“音声”が響いた。
≪通信起動:暗号キー認証・A1-17──起動完了≫
「やはり実に、興味深い反応だよ。“感情”は、どうにも制御に不安定要素をもたらす」
それは──銀喰の声だった。
「……K-03君。君の“接触”は、有用な観察材料になった。ありがとう」
敬が顔をしかめる。
「……見てたのか、銀喰」
「もちろん。“感情”が因子強化をどのように阻害し、どこまで自己回帰を許すか──
君と彼女の“邂逅”は、我々にとって貴重な結果をもたらしたよ」
そして、最後に一言。
「君は、“彼女”を取り戻せると思っているんだろう?
──なら、証明してみるといい。“喰われたもの”に、戻る価値があるかどうかを」
通信が切れた。
静寂が戻る。
荒廃した大地に、敬はひとつ息を吐く。
「……ライラは、まだ終わってない。なら、俺たちが──」
レイナが頷く。
「ええ。“私たち”が、迎えに行くのよ」
風が吹く。
戦いは終わっていない。
むしろ、ここからが本当の始まりだ。
──“喰われた妹”と、“奪われた記憶”。
敬たちは、ついに喰竜派の核心領域へと向かう決意を固めた。




