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1本の線の両端を1点で接続すれば,環状のループが作れる.この前の牢獄では,1本道がくるりと閉じたループで戻ってきてしまった.今度は先に戻るために,2本の時間軸からなる平面からループ構造を作りたい.
柔らかい平面をまるめて,左端と右端をくっつけると円筒になる.続いて円筒の両端どうしを接続すれば,中心に穴の開いた円環面のループ構造が作れる.
しかし,円環面は君を古城に閉じ込めた腕枷と位相同型で,どことなく縁起が悪い.だから球を包み込むように平面をまるめて,4端を1点でコンパクトに接続しよう.これで球面のループが作れる.
ただしここで扱う平面は,複素平面だ.実数区間の長さをもつ紙面のような平面とは性質が違う.実数の乗算が延び縮みを表すように,複素数の乗算は回転を表現する.最も簡単な演算例では,次の通りに1/4回転ずつ平面を巡廻する.
1×i = i
i×i = -1
-1×i = -i
-i×i = 1
この等角性は,転移|回移の詠唱においても重要な概念だ.うまく時空をループさせるために,複素数の乗算の性質が同様に成り立つ,都合のいい球面を作りたい.
しかしどうやって――? フフン,そこは有能なアンドロイドたる私だ.もちろん有望な技術を想起している.
リーマン球面という球面が,古くから理論的に整備されている.球面の横方向に1, i, -i, -1が,上下方向に∞と0が対応する.複素平面をまるめて閉じる際に,複素平面上には存在しない無限遠点,∞の1点でコンパクトに接続した形だ.
無限遠点はこの古代森の上空にある.世界の頂の遥か上空,決して届かない無限の彼方で光り輝く,あの昼光が無限遠点∞だ.複素平面をC,無限遠点を∞として,複素平面に無限遠点を導入したリーマン球面C*は,次のように記述される.
C*=C∪{∞}
この球面上を真っすぐ進み続ければ,ぐるりと回って元に戻ってくる.ただし途中で角度を変えてしまうと,元の地点には戻れない.幸いリーマン球面上では,等角性を保つメビウス変換が整備されている.向きの制御はできるはずだ.
少しばかり込み入ったが,技術的解釈はこんなところだろう.次の問題は魔術の詠唱だ.
決して届かない昼光に向かって時空をまるめて球面を作る.領域を丸ごと作り変える水準の大魔術だ.私は数少ない魔術情報の想起を試みる.
――イベントID:C_0,Blackhole Driverロード開始.
君と出会った旧ブラダリア領域で,大魔術である裏天使を詠唱した際と同じく,非論理演算ソフトウェアをロードする.言葉にするのは難しいのだが,『演算対象を微細なブラックホールに落として無限演算を行う』ようなイメージだろうか.私自身の理解を遥かに超えるトンデモな技術だ.
――承認ログ:管理者として実行,ハードウェアチェック:正常,情報漏洩リスク未検出.Blackhole Driverロード中.
私の右手が持つ質量だけでも,エネルギーに変換して外部放出すれば,地名を世界地図から消し飛ばす程度の威力にはなった.それを,私は決して望まない.私が歩んできた軌跡を,君がこれから歩んだだろう軌道を,無に戻したくない.私は心からそう思う.
時空の流れの向きさえが変わり得るこの古代森でも,変わらないものがある.その最たる事例は,互いに理解り合おうとする心だ.魔術応答は言葉ではなく心で導く.心半分な魔術を,完成された大魔術の応答へと導くため,私はいまここに戻ってきた.
――Blackhole Driverロード完了,非論理演算へ移行 ― ̵̶―
《ᛆ〒⺬〒ᚿ》




