第80話 海賊王の玉座
その島が水平線の向こうから現れた瞬間、ジョナサンはソワっと落ち着かない気持ちになってしまった。
旗を掲げた船の残骸。それが積み重なって、島を形成している。
ここにくるまでに、かなりの時間が必要だった。
潮の流れも不規則で激しく、栄養が乏しいのか泳いでいる魚たちも痩せている。
こんな寂れた、漁獲量も期待できない海には、ワケありの船乗りしかやってこないだろう。
外から見るぶんには廃材の山にしか見えない。しかし、幾つもの船が折り重なって作られた内側の空間は、きっと入り組んでいるに違いない。
誰もがみんな、欲しいものがあったのだろう。だから帆を張って波に立ち向かった。
そして、なにも掴むことなく海に沈んだ。ここにあるのは、海の男たちの希望の名残だ。
進路の先で、波間に浮かぶものが見える。ジョナサンは銛を手にとってそれを引き寄せる。
「ここで間違いなさそうだな」
拾い上げたのは、小さな樽だ。ギベッドが目印に落としていったものに違いない。時間が経っても場所があまりずれないように、水の入った瓶が重り代わりにくくりつけてある。
近づいて見ると、難破船の山の周囲には現役で動いている船が何隻も、群がるように繋留してあるのがわかった。
「大丈夫?」
エルモに問われて、ジョナサンは首をかしげた。
「なにがだよ」
「うん。そう言えるのなら、大丈夫だね」
島を囲んでいるのは、いずれも海賊船だ。黒地の布にドクロや心臓の絵柄が染め抜かれた旗がたくさん、島を取り囲んでいる。
メアリーのしわざだろう。海賊たちを一箇所に集めて、皆殺しにする。計画とも呼べない思いつきのような算段は、本当に実行されたようだ。
ひしめき合う大型船のせいで、思うように島へ近づけない。
困っていると、船のすぐ隣でザァッと水が盛り上がり、海面の下から大蛸が顔を出した。
「あれっ、お前は……」
デビーがよく使役していた蛸だ。
「なんか久しぶりだね。元気だった?」
「悪いな、デビーはここにはいなくて……、っておい! なにする気だ!」
蛸は巨大な触手を絡ませて船ごとジョナサンたちを持ち上げると、勢いよく海賊砦へ向かって投げ飛ばした。
「ギャーッ! なんて事するんだ!」
風を切る船の上で、ジョナサンは必死でマストにしがみつき、エルモの手を掴む。
強い衝撃の後、恐る恐る目を開ける。
ドーム状の広い空間に、ジョナサンたちは船ごと放り込まれていた。
奇跡のようなバランスで難破船の廃材が組み合わさり、広間のような大きな空間を作り出している。
その部屋の奥でメアリーは、一目で海賊王のためのものだとわかる椅子に腰掛けていた。メアリーには大きすぎるその椅子の傍らで、村長が顔をしかめてこちらを睨んでいる。
「ジョナサン! なにしにきやがった!」
「わーお、想像通りすぎて笑えてくるね」
積み上げられた金銀財宝の上に、真鍮の骨組みにビロードの布を貼った椅子がある。きっと、全て略奪品なのだろう。椅子の布地は、元は格式高い真紅だったのが見て取れるけれど、塩水と血の染みで汚れてすっかり色あせている。
「本当に迎えに来てくれたんだね」
ここはどうやら、島の中心部のようだ。
天井は、先ほどジョナサンの船が落ちて来た時の衝撃で崩れ、ぽっかりと空が見えている。
薄暗い廃材の山の中に、真上から差し込む陽光が、財宝をぎらりと輝かせている。
「待たせたな。こっちへ来い」
ジョナサンが、玉座に向かって踏み出すと、周囲でどよめきが起こった。
陽の光の当たらない薄暗がりには、どうやら海賊たちがひしめいているようだ。
どう考えても、歓迎ムードではない。ジョナサンたちは招かれざる客のようだ。
ざわざわと、不穏な囁きが辺りに満ちる。
「なんだあのガキ」
「女がいるぞ」
「お前、聞いてないのか? あの嬢ちゃんを連れ戻しに来たんだとよ」
「ひゅう。かっこいいねえ」
「そりゃ困るなあ」
「やっちまおう」
「あの嬢ちゃんさえいれば、俺たち怖いもんなしだって話だからな」
なんの前置きもなく、乾いた破裂音が響いた。
メアリーの手には硝煙をあげるピストルが握られている。
「サメの餌になりたいの? この人たちに手を出したら許さない」
顔色一つ変えず、メアリーは再び銃口を海賊たちに向けた。
釘を刺された海賊のうちの一人が、一歩進み出て弁解を始める。
「いやいや、俺たちはあんたがいなくなっちまうんじゃないかって心配で」
再び乾いた音が響いて、次の銃弾はその海賊の眉間を撃ち抜いた。
「喋っていいなんて言ってない」
椅子から降りると、メアリーはつかつかと倒れ伏した海賊の死体に歩み寄って、その頭をグリグリと踏みつけた。
「黙って言うこと聞いてよ。私だって、海賊王なんてやりたくもないのを我慢してここにいてあげてるんだからさ。あんたたちのせいだよ。あんたたちのせいで……」
パチン。メアリーが指を鳴らした。すると、廃材の隙間からうじゃうじゃと、地面を覆うほどのカニの群れが現れて、血の滴る死体をどこかへと運び出してしまった。
「海賊なんて大嫌い!」
仲間をやられた海賊が数名、怒りの雄叫びをあげた。剣を手に取り、銃を構え、メアリーへ攻撃を仕掛けようとする。
が、それらの騒ぎを一喝で黙らせた者がいた。
「やめろ!」
村長の怒号が全ての喧騒をかき消して、しん、とあたりを静まり返らせる。
そして、メアリーは暗がりに隠れている海賊たちの方へと目をやって、問いかけた。
「文句ある人、いる?」
ジョナサンは、暗がりに目を走らせる。本物の海賊たち。故郷の村にいたような隠居の奴らではなく、現役で活動している奴ら。それが、自分の妹に、年端もいかぬ少女に手も足も出ない。
「メアリー。むやみに銃を使うなって言っただろ?」
「ジョナサン、知ってるよね。私、かわいい女の子になりたい。頑張るって決めたの。だから、そのためならなんでもするよ」
「かわいい女の子はそんなことしないって、わかってるだろ?」
「大丈夫だよ。私負けない。邪魔をする人みんな殺してから、かわいい服を買いに行くの。いい考えだと思うでしょ? 海賊をここに呼び集めたのは、一人残らず渦潮に放り込むためなの」
ざわっ、とまた暗がりがどよめいた。ここにいる海賊たちは知らないのだ。
メアリーは、自分の戴冠式だと言って、海賊たちを呼びつけたが、それは彼らを一箇所に集めて一網打尽にするため。
自分たちがすでに暗礁に乗り上げていると悟ったように、海賊たちは焦り、パニックは広がって行く。
逃げろ。船へ戻れ。みんなが口々に叫び、自分の船へと駆け出した。
「うるさいなあ」
メアリーが再び指を鳴らすと、海賊たちのブーツにおびただしい数のフジツボが発生し、勢いよく数を増して行く。
誰もが悲鳴をあげて、おぞましいブツブツを剥ぎ取ろうと爪を立てるが、数も硬さも手に負えるものではない。爪が割れて血が滲み、最後には床板とブーツをがっちりとくっついて、足を伝って体中に張り付き、海賊たちは一人残らず石像のように固められ、指一本動かせなくなってしまった。
キョロキョロと動くのは目玉だけ。海賊たちの目は、すべてがメアリーの一挙手一投足に注がれている。彼女の気分次第で自分たちは魚卵のようにプチリと潰れる運命にあるのだと、全員が悟ったのだ。
「いい気味」
愉快そうにクスクス笑うメアリーと、すっかり足が固定されてしまって動けなくなった村長に向かって、ジョナサンはずっと考えてきたことを口に出した。
「なあ。村長、メアリー。俺にいい考えがあるんだ」
「いい考えだと?」
脳裏によぎるのは、デビーの言葉。
あなたは望めば、海の覇者にだってなれるのよ。
「俺が海賊王になる。メアリーはやりたくないんだろ?」
パチン、と指を鳴らしてみる。
デビーがそうしていたように。自分の望みを強く感じて、それが叶うのが当然だと胸を張る。
「だったらその席、俺によこせ」
手応えを感じた。大丈夫、眼窩にはまった真珠を通して、海が応えてくれている。




