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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
海賊王の娘
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第70話 急襲

 次の日。太陽が昇って海面が眩しく輝き出すと、ジョナサンはぐっと体を伸ばした。

 大きいメアリーを警戒して交代で見張りをしていたのだが、夜は何事もなく過ぎ去った。

 ついでだからと、みんなが起きてくる前に朝食の用意をする。と言っても、干物とビスケットと果物ジュースを並べるだけだが。

「せっかくだし、街の食堂とかに行くのも悪かねえけど……」

 そうなったら確実にデビーは拗ねるだろう。

 ひとしきり準備ができたところで、桟橋から船に飛び乗ってきた者があった。ギベッドだ。

「ようオッサン。戻ってたんだな。あんたも朝飯いるか?」

「いや、いい。一応こちらの報告をしとこうと思って寄っただけだ。医者は無事見つかった。今日の朝一で往診に来る予定だ。ついでにお前の目も診てもらうといい。それと……」

「それと?」

「……エルモはまだ寝てるか?」

「ああ。いつも最後まで寝てるよ。「あとちょっと」って言いつつかなり長いことゴロゴロして、「お前のぶんの朝飯食っちまうぞ」って脅かしてようやく起きて来る」

「変わらんな」

「なんか用なら、起きたらお前のとこに顔出せって伝えとこうか」

「そうだな。伝えてくれ。それと、お前の耳にも入れるべきだろう」

 静かだった港に、人の気配が戻りつつある。船乗りの朝は早い。ポツポツと現れたざわめきにかき消されないよう、ギベッドははっきりと告げた。

「エルモに、もう一回俺と来ないかって言うつもりだ」

「えらく急だな」

「先日、海賊の襲撃でこの街の神父が死んだらしくてな。後任を探しているらしい。俺としても、集めて来ちまった手前、行き場のない奴らの受け皿は確保しなけりゃならねえ」

「それで、エルモと二人で切り盛りしようって話か。わかった。朝飯食ったらお前のところに顔出せって伝えとくよ」

「止めないのか」

 意外そうに、ギベッドはジョナサンの顔を注視している。

「止めてえけど。俺にその権利はないし。エルモがいたい場所を自分で決めるべきだと思うぜ」

「エルモは随分、お前のことを気に入ってるようだったがな」

「へ、へー。そりゃ嬉しいな」

 喜びが顔に出ないよう、ジョナサンはできうる限り表情筋に力を込めた。

 なにが気に食わなかったのか、ギベッドは面白くなさそうだ。

「なんだよ、人の顔じろじろ見やがって。安心しろよ、エルモとはまだなにもねえよ!」

「まだ?」

 口を滑らせたことに気づいたジョナサンが口を押さえるのとほぼ同時に、ギベッドはピストルを取り出した。

「あんたにとやかく言われる筋合いもないと思うんだが!? あんたエルモのなんなんだよ!」

「それはそれ、これはこれだ。軽い気持ちで手を出す気ならこの場で殺す」

「重っ!」

「お前が軽すぎるんだ。憎からず思ってるならなぜ止めようとしない。ここで別れてもいい程度にしか思ってないんじゃないのか?」

「それは違う!」

 即座に答えてジョナサンが睨み返すと、ギベッドは軽く鼻で笑った。

「だったら、それはお前が海を舐めてるってことだ。紳士的に一歩引いた態度を取るのもいいがな。何人の若い娘が、船乗りの「帰って来たら結婚しよう」を真に受けて泣いたと思ってる。俺たちはいつ死んでもおかしくない。ここで別れれば、それが今生の別れになるかもしれないんだぞ」

「別に俺は舐めてなんか……」

「デビー・ジョーンズが味方についてるからって、タカをくくってるんじゃないか? 気をつけろ。海で落としたものが手元に帰ってくることはない」

「なにが言いてえんだよ」

「大事なものは、必死こいて掴んでおくことだ。波にさらわれてしまえば、なくすのは一瞬だぞ」

 その忠告に、ジョナサンはなにも返すことができなかった。




 ギベッドが連れてきた医者の話では、ジョナサンの目にはまった真珠は、ちょっとやそっとでは外れないということだった。痛みもなければ生活に支障もないのだから、このままにしておくのが一番安全らしい。

 ひとまず健康面に問題がないことがわかり一同はホッと胸をなでおろし、村長は自分の船へと戻って行った。ずっとお頭が不在なのはまずいらしい。

 デビーは真珠を取り出せないのが不満なようだ。

 ジョナサンを自分の前に座らせて、どうにかならないかとまぶたや目の端をペタペタ触っている。

 時刻はもう昼に近い。到着した商船の船乗りたちが声を掛け合って積み荷を降ろしているのが遠目に見える。

「ムムム。困ったわね……。このままじゃ、亡者の魂がデビー・ジョーンズ・ロッカーまで来られないわ」

「そうか? 今までみたいに、俺が先導して連れて行けばいいだろ」

「あら、いいのかしら? 生きてるうちからデビー・ジョーンズ・ロッカーに住むつもり?」

「いいや。俺としてはあっちこっち旅して回って迷ってる奴らを迎えに行きつつ、ロッカーまで案内するのがいいかな。そっちの方が楽しそうだ」

「本当? 「やっぱり地に足つけて暮らしたい」とか言わない? 真珠を持ち逃げされたら困るし、ここであなたを殺して抉り出すのも手よねえ?」

 デビーは、嗜虐的に口の端を釣り上げてジョナサンの頬に手を添えた。指の先が、眼のふちにかかる。

「わお、悲しいな。こんなに尽くしてるのにまだ疑うのか? 俺がデビーの命令に逆らったことなんて一度もないだろ?」

「それもそうね」

 記憶を手繰るようにデビーは少しの間考え込んでから、驚いたように目を見開いた。

「……あれ? あなたもしかして……、ものすごく私のこと大事にしてる?」

「今かよ」

「だって、いつもそうなんだもの。都合が悪くなったらみんな逃げるの。馬鹿正直に下僕になった人間なんか一人もいないわ。いつだって、私に踏みつけられながら「いつか逃げ出してやる」って腹の底では考えてるの」

 ジョナサンはデビーの頭に手を置いて、少々乱暴に撫で回し始めた。

「よーしよしよし! 寂しかったなー。大丈夫だぞー。俺は裏切ったりしないからなー」

「ちょっ、やめなさい! 不敬よ! もっと恭しく触れなさい!」

「じゃ、俺とデビーちゃんは今後も船旅を続けるってことで。クラフトも来るよな?」

「もちろん」

 問題は、エルモとメアリーだ。

 ジョナサンが様子を伺うように目をやると、エルモは少しだけ微笑んだ。

「ねえメアリー。よく聞いてね。私、この街の教会で働かないかって誘われてるの。海賊になるのが嫌なんだったら、陸地でお花を育てながら暮らしたいのなら、私と一緒に来ない?」

「……この街で暮らすの?」

 目をパチクリさせて、メアリーは賑わう街に目を向けた。

「でも、大きいメアリーがまた来るかも……」

「大丈夫。ギベッドがやっつけてくれるよ」

 揺れる瞳でメアリーはエルモを見つめ返した。

 迷っているのがありありとわかる。ここに残るということは、ジョナサンとデビー、そしてクラフトとはお別れなのだから、無理もない。

「待てエルモ。そんなに急には決められないだろう。だいたい君はそれでいいのか。各地で布教活動をするために旅をしているんじゃないのか?」

 クラフトが間に割って入ると、エルモははっきりと頷いた。

「私は迷える子羊の味方よ。今、メアリーには味方が必要だわ。でも、そうね。ごめん。確かに急には決められないよね」

 水平線に目をやってから、メアリーは街の方へ視線をやった。

「じゃあこうしよう」

 クラフトが、メアリーの目の前にしゃがみ込んで手を差し出した。

「実際にその教会を見に行ってみよう。実際に見たらピンと来るかもしれない」

「クラフトは私とお別れでも寂しくないの?」

 不安そうに眉を寄せて、メアリーはその手を取って良いものかと悩んでいる。

「もちろん寂しいさ。でも、君が笑っていてくれるのならそれが一番だ」

 おずおずとクラフトの手を取って、メアリーは潮風にかき消されそうなほど小さな声で呟いた。

「見に行ってみたい」

「よし、じゃあ行こう。エルモ、案内を頼むよ」

 メアリーの手を引いたまま桟橋へと飛び降りて、クラフトは早く早くと急かすように船の方へと振り返る。

「じゃ、俺たちちょっと出かけて来るから。お留守番は頼んだぜ」

 一瞬のことだった。

 ジョナサンが一瞬、デビーの方へ向いていた間に、それは起こった。

 燦々と陽の光が降りしきる海辺の往来は、誰もが伸びやかな気分で歩いていたはずだった。

 異変が起きたとわかったのは悲鳴が聞こえたからだ。

 ただならぬ叫びに、道ゆく人たちが蜘蛛の子を散らすように引いていく。

 石畳の道路に血の海が広がっていくのが、人混みの隙間から見える。

「なんだ!?」

 ジョナサンは船から飛び降りて、現場に駆けつけた。

 まず、クラフトが石畳に倒れているのが目に入った。血の海は、クラフトを中心に広がっている。ジョナサンは呼吸が止まるのを感じた。

 出血はかなりひどい。流れ出す血がどんどんと広がって行く。

 そんなまさか。目の前の光景が受け入れ難くて一瞬硬直したが、ジョナサンはすぐに倒れているクラフトに駆け寄った。

「クラフト! 大丈夫か! しっかりしろ!」

 返事をしようとしたクラフトの口から、塊のような血が吹き出す。代わりに、クラフトが言いたかったことをラヴが叫んだ。

「ボクハイイ……! メアリーヲマモレ!」

 視線を上げると、血に濡れたナイフを持った大人の女がいる。こいつが下手人だと一目でわかった。

 エルモがメアリーを後ろにかばい、女とメアリーの間に割って入っている。しかし、メアリーはすぐにでもエルモの後ろから飛び出して行きそうだ。全身から殺気が満ちている。

「メアリー……!」

 メアリーが殺意に満ちた声で唸り、その目に怒りを滾らせた。


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