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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
聖女の出張懺悔室
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第58話 デビー・ジョーンズの話④

 ねえ、エルモ。

 私、あなたのことは結構気に入ってるの。だから、やめておくなら今のうちよ?

 あなたの、悪魔たるこの私さえ愛でようとする懐の広さを、曇らせたくはないの。

 今ならまだ、引き返せる。助け出した彼らを港で降ろして、二度とやつとは関わらない。そういうのも、あり。わかる?

 そう。じゃあ、仕方ないわね。

 あの男のことも、結構気に入ってたの。

 行動に迷いがないから。非道の限りを尽くす極悪人だった。

 彼は行く先々に地獄絵図を作り出す。悪魔の契約者にふさわしい、ろくでもない男だった。

 エルモには信じられないかもしれないけどね。あなたが知っているのは、あの極悪人が人生の中でほんの一瞬見せた、わずかな善性の部分なのよ。

 私の加護の元、船はたくさんの積み荷を運び、船長であるギベッドに巨万の富をもたらした。

 でも、どうやら満足には程遠かったみたいでね。いくら金があっても休むことなく、せっせと船で働いていたわ。

 商売のかたわら、ギベッドはなにかを探しているみたいだった。不自然に船を降りることが何度かあってね。それで、聞いてみたの。

「あなたは船を降りてる間、なにをしてるの? 商売だけじゃないわよね」

「お前に言ってもわからない」

「いいから答えなさい。命令よ」

「ヴィクター・プレラーティを探している」

 ギベッドの言うとおり、私はその名を知らなかった。

「なによそれ。人の名前?」

「そうだ。年寄りの昔話に出てくる、伝説上の錬金術師だよ。あまりにも荒唐無稽な話が多すぎて、実在したかどうかは怪しいがな」

 私、陸の人間のことなんてまるで知らないから、当然その錬金術師にまつわる話も知らなかった。

「昔の人間なんでしょう? 実在したとしても、もう死んでるんじゃない?」

「なんでも、不老不死をもたらす不思議な石を作れたって話だ」

「嘘くさいわねえ……。なんでそんなの探すのよ。作って欲しいものでもあるの?」

 ロマンを求めるのは海の男の常なのよ。不確かなものを大真面目に探すのがみんな大好きなの。彼も例外じゃなかったってことね。

「そいつの最も有名な話はな、人間を作れた、って話なんだよ。人造人間をたくさん作ったらしい」

 本当なのかしらね。その話。眉唾ものだわ。

 まあ、ここまで聞いたらなんでその錬金術師を探してるのかわかるわよね。奴隷商人が人間を作れる錬金術師を探す理由なんて、一つしかないわ。

「そいつの手を借りれば、わざわざ遠くの島まで行かなくても商品を仕入れられる。見つけられたら最高だと思わねえか?」

「あんたってとことん欲が深いのねえ」

 契約者としては最高の部類ね。この私が唸るほどの極悪人なんて、滅多にいるものじゃないわ。

 ただ一つ、不満があるとするなら、彼も所詮は陸の生き物ってこと。

 きっと、そのヴィクターって錬金術師を見つけたら、ギベッドは私を捨てる。船を出す必要がなくなるんですもの。それくらい、わからない私じゃないわ。

 だからね。ギベッドにプレゼントをあげたの。

 小さな巻貝のブローチよ。形がきれいで色艶のいいものを選んで、ちょっとだけ命令して形を変えた。

 そして渡すときにこう言ったの。

「大事にしてね。もし手放したりしたら、怒っちゃうから」

 ギベッドは頷いて、そのブローチを胸につけたわ。

 それからしばらくは、穏やかに時が流れたわ。

 ギベッドは変わらず商売を続け、空いた時間に調べ物をして、私はその航海の守護をしていた。

 奴隷船の守護なんて、心が痛まないのか、ですって? 誰にものを言っているのかしら? あなたたち、本格的に私が悪魔ってこと忘れてない?

 それに、私にできるのは力を貸すことだけ。私の力をどう使うか選ぶのは、その船の船長。悪魔ってそういうものなの。

 それはさておき話を戻すのだけど、ある時ついに見つかったの。その錬金術師の手がかりが。

 とある港町で積み荷を降ろして商談を済ませ、船に戻って着たギベッドは興奮していたわ。

「ヴィクターについて知ってるっていう奴を見つけた。これから話を聞きに行ってくる」

 そう言ってよそ行き用の服に着替え始めたギベッドの胸元には、私があげたブローチはついていなかった。

「それ、どうしたの?」

 私が指さすと、ギベッドは気まずそうな顔をしたわ。

「いいわ、わかったから話さなくても。お話をしてもらう対価に渡したのよね?」

「……仕方ないだろう。ずっと探してた手がかりなんだ」

「私、手放したら怒るって言ったはずだけど?」

 最初からこのつもりで渡したのだけどね。

 あなたたちも、櫛を作ったときに見たから知っているでしょう? 私の力によって、海のものは形を変える。人間の技術では加工不可能な形にでも、簡単に。

 それが、普通のものじゃないってことは、見る人が見ればわかるのよ。

 錬金術のことを知ってるような、物作りに関わる人間なんかは、一目見ればその不思議なブローチが気になって仕方がなくなるはず。自分の持ってる情報と交換にそのブローチをくれ、って交渉を持ちかけない方が不思議じゃない?

 ギベッドはね、私にブローチを渡された時点で、手がかりを見つけたときに二択を迫られることが決まっていたのよ。私との約束か、自分が追い求めるものか。

 わかりやすくていいでしょう? ブローチがあるかどうかを見れば、私をないがしろにしたってことが一目瞭然なんですもの。

「本当にバカねえ。私の言いつけを破ったくせに、何食わぬ顔で帰ってくるなんて。気づかないとでも思ったのかしら?」

 私が指を鳴らすと、即座に嵐がやって来て船を揺らした。私の命ずるままに、いつもの大蛸が船を破壊し始める。

「あなたの船も、財産も、命も、全部海の底へ引き摺り込んであげる! 全てを奪われたって文句言わないわよね? あなただって、散々他人のものを奪って来たのだから!」

 そこへ、奴隷が一人入って来た。船が壊れて、鎖を繋いでた留め具が取れたみたい。

 その日はたまたま、たった一人だけ船に残ってたの。商談は済んでたけど、引き渡しは明日するって約束で、次の持ち主の焼印もしっかり入ってた。

 私はその子供を見て、いいことを思いついた。この私を裏切ったのよ? 普通に殺すんじゃ面白くないと思って。

「ギベッド? 私たちも長い付き合いだから、一度だけチャンスをあげる」

「チャンス……?」

 ギベッドは苦虫を噛み潰したような顔をしたわ。私がどういう女なのか、よく知ってるから。

 ちょっとだけ希望をチラつかせてから、「やっぱりダメ」って踏みつける気でいたの。

「もしも、あの女の子があなたを許すのなら、一回だけ、命だけは見逃してあげる」

 許すわけないと思った。

 あの男が、奴隷たちにどんなことをしてたのかは、よく見てたから。

「散々踏みにじって来た奴隷に、自分の命運を握られた気分はどうかしら?」

 大蛸の触手が、船室の屋根を破壊した。

 雨風が容赦なく吹き込んで来て、ギベッドと子供はすぐに濡れ鼠になったわ。

 死を身近に感じたんでしょうね。すっかり弱腰になったギベッドは腰を抜かして、簡単に蛸の触手に捕まった。

 そして、小さな女の子に懇願したの。

「頼む。許してくれ」

 私は心の底から笑ったわ。

 極悪非道の限りを尽くした奴隷商人が、小さな女の子に半泣きですがりついているんだもの。

 その希望は、奴隷の少女が首を横に振るだけで、簡単に砕けるはずだった。

 でも、目論見は外れちゃった。

 その女の子ははっきりこう言ったの。

「いいよ」

 って。

 なにが起きたかわからなくて、私も、ギベッドでさえも固まっていたわ。

 年端もいかない子だったから、分別がつかなかったのかもしれないけど、約束しちゃったからしょうがない。

 私はギベッドと女の子を船着き場に降ろしてから、蛸に命じて船を粉々に砕いたわ。

「約束通り、一度だけ見逃してあげる。でも、次に会った時は必ずあなたを私のものにするわ」

 私のその宣言に、ギベッドは呆然とした顔で頷いていた。

 ちょっと遅れて自分は救われたんだと気づいたみたいで、女の子をじっと見ると、その子の手を引いて海辺の教会へ向かって歩き出したの。

 私をはじめとした、邪悪なものは教会には近づけない。身を守るのなら妥当な判断だわ。

 でね、エルモ。ここからが本題なんだけど。

 あの時の女の子の腕に入ってた焼印は、剣の印だった。あなたが花の刺青で上書きしたっていう印も、剣の焼印よね。

 大きくなってたからすぐにはわからなかったけど、あなたの話を聞いて確信したわ。よく見れば、ちょっと面影もある。

 あなたがあの時の奴隷よ。

 やっぱり、あの時は幼すぎたのね。全く覚えてないみたいだし。

 あなたがヒーローだって慕ってるあの男の正体は、あなたを袋に詰めて誘拐して鎖に繋いだ、あなたから全てを奪い取った悪党なの。

 もしも、あの時さらわれて奴隷にされていなかったら、あなたは神様なんかに仕えてないで、自分のための人生を送ってたことでしょうね。

 生まれ育った場所で健やかに成長して、家族や友人に囲まれて、恋とかして。もしかしたら、今頃結婚して子供がいたっておかしくない。あなた、聖職者でさえなければそういう考えててもおかしくない年頃だし。

 あなたはもう、自分がなにをされたのかをちゃんと理解できる歳になった。

 だからね、エルモ。あなたに選ばせてあげるわ。

 私の前にあの男を引きずり出す? それとも、真実を知ってなお許してあげる?

 あなたがどうしてもって言うのなら、便宜を図ってあげなくもないのよ。

 私はあなたが気に入ってるんだから。


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