第56話 泥棒の話
俺は、自分からあの神父の船に乗ったんだ。
さもなきゃ死んでただろうからな。
呪い殺されるか、奴隷になるか。二つに一つだったんだ。
前は冒険家の船の下っ端だった。未知の海域に漕ぎ出して、金になるものを探して帰ってくる。そういう仕事だ。
原住民のいる島がいい。
現地のガイドがいれば動きやすいし、金目のものを漁るだけ漁ったら奴隷として連れていけば大儲けできる。
俺は、いつまでも下働きでいることに飽き飽きしていた。これだけたくさんの積み荷があるのに、全部船長が管理していて、俺のところに回ってくる分け前はほんのちょっぴり。それでも十分に暮らしていける額ではあるんだが、俺は「高価な宝石でもくすねられねえか。一生遊んで暮らせるくらいの金があったら、こんな船さっさとおさらばするのに」って常々思ってたんだ。
そのチャンスがついにやってきた。
草木の生い茂るジャングルに覆われた島だった。暑いし、虫は多いし、肉食獣も住んでたな。あんなところに好き好んで住むやつの気が知れねえ。
その島で、ヒスイの塊を手に入れたんだ。石造りの神殿の、石櫃の中に入ってた。
塊って言っても、たくさんの小石を継ぎ合わせたものだったけどな。継ぎ合わせてくっつけた翡翠の塊は、仮面の形をしてた。ずっしり重かったよ。
俺はそいつを、船長に報告しないで懐に入れた。
仮面がなくなったことに、原住民たちはすぐに気づいた。
原住民たちは、俺にはわからない言語でわめき立てていた。近くの島で雇った通訳が、困り果てて冷や汗をかきながら、彼らがなにを言っていたのか断片的に俺たちに伝えた。
「仮面を返せ」
俺にはなんのことかすぐにピンときたが、他の奴らは違う。野蛮な原住民が言いがかりをつけてきたくらいに思ったことだろうよ。
ラチがあかないと判断した船長は、俺たちに目配せして頷いた。
俺は迷った。
今名乗り出れば、この虐殺は止められる。ってな。
だが結局、だんまりを決め込んだのさ。金が欲しかったからな。
俺たちは船長の合図で武器を取り、現地人の村を制圧した。手向かう奴は叩き殺し、年寄りは売れないから撃ち殺し、あとの者は奴隷にするために縛り上げて船室に閉じ込めた。
俺たちはそこいらにある一切合切を奪い尽くして、船に積み込んだのさ。
その時には、俺はまだ気づいていなかったんだ。とんでもねえ物を盗んじまったことにな。
結構な稼ぎになったぜ。俺は分け前をもらって船を降り、船乗りを引退した。そして古美術商に行って仮面を査定してもらい、とんでもない額の金を手に入れた。
家を建て、家具を整え、召使を雇い、農園を手に入れて、奴隷を買った。
しばらくは、贅沢三昧で楽しく暮らしてたよ。
でも、ある時突然平穏が破られた。
俺の屋敷に強盗が入ったんだ。
そりゃあ、金持ちの家だからそういうこともあるだろう。番犬も飼ってたが、喉をかき切られて死んでた。
俺は震え上がった。
押し入って俺に刃物を向けてきた強盗は、俺があの時盗んだ仮面をつけていたからだ。
割られた窓から風が吹き込んでカーテンが翻り、月の光が入ってきた。その冷たい光に照らし出された仮面が鈍く光るのが、とてつもなく禍々しく見えた。表情のない仮面のはずなのに、俺ははっきりと俺への殺意を感じ取った。
俺は半ばやけくそになって、手元にあった燭台を握りしめ、刃物を持って突進してくる強盗の頭に叩きつけた。
運よく急所に当たってな。強盗はくたばったよ。
人を殺した俺は裁判にかけられたが、ことの次第を何人かの召使いが見ていた。おかげで俺は、すぐに無罪放免になった。
不気味だったが、それよりも俺はちょっぴり得した気分でウキウキしていた。形はどうあれ、あのバカ高え仮面がもう一度手元に戻ってきたんだ。売っぱらえば、あの目玉の飛びれるような額をまた稼ぐことができる。
でも、裁判所から屋敷に帰ると、仮面はどこかへ消えていた。誰に聞いても「知りません」としか返ってこない。
俺は思った。ははあ、誰かがくすねて懐に入れたんだな。あの時の俺みたいに。
俺は屋敷にいる人間を全員集めて、「今正直に申し出れば許してやる」と言った。
召使いや奴隷たちが互いの顔を見合わせ、不安げな顔をしていた。その時突然、メイドの一人が恐ろしい悲鳴をあげた。ネズミを見た時だってあんな声は出るもんじゃねえ。恐怖に駆られたその声のした方を見ると、メイドが顔を抑えてうずくまっている。
メイドは苦しそうに、自分の顔を引っかいていた。顔に張り付いた仮面を剥がそうとしていたんだ。
闇雲に爪を立てるが仮面は外れず、その周りの皮膚が傷ついていくばかり。メイドの指はどんどん血で汚れていった。
最後に一声、鶏が絞められたみてえな声を上げると、メイドは動きを止めた。そして、ガッと顔を俺の方へ向けて一直線に突進してきたんだ。
近くにいたメイド長が部下を止めようと必死になってすがりついたが、全く無駄だった。メイドは獣のようなうめき声をあげて俺に馬乗りになり、首を絞める。
これが、すげえ力なんだ。船を降りたとはいえ、俺は海の男だ。腕っ節はそれなりにある。なのに、女の細腕を相手に全く太刀打ちできない。
だが、数の力ってのはすげえ。
異様な出来事に硬直していた他の召使いたちが、束になって俺を救ってくれた。力自慢の庭師がメイドを押さえつけ、気の優しい給仕が俺を助け出してくれた。
そして、信心深い執事が壁に飾ってあった十字架をメイドに突きつけた。すると、ぽろっとメイドの顔から仮面が剥がれたんだ。
メイドは取り乱してガタガタ震えていたが、メイド長に介抱されているうちに落ち着きを取り戻した。
だがよ、彼女にも自分の身になにが起きたのかわかっていなかった。
急に顔になにかが張り付いて、恐怖と苦しみでもがいているうちに意識がなくなったのだという。
「頭の中に、声が聞こえるんです。誓って嘘ではありません。異国の言葉なのか、なにをいっているのかはわからないのですが、恨み言を言っているのだけは声色でわかりました。その不気味な声で頭の中がいっぱいになって、なにもわからなくなってしまったのです」
そして、最後にこう言った。
「ただ一つわかることは、あの仮面は旦那様を憎んでいるということです。あれをつけている間、旦那様を八つ裂きにしたくてたまりませんでした」
俺は震え上がった。
あの仮面は俺を狙っている。
だから、強盗やメイドに取り付いて、俺を殺させようとしたんだ。絶対に、三人目、四人目もやってくるに違いねえ。
そう思って俺は、襲撃に備えることにした。恐ろしいものに襲われないよう、必死になって身を守るための策を打ったんだ。
幸い、仮面の弱点はわかった。
十字架を突きつければ仮面は取り付いた者から外れる。俺は片時も十字架を手放さず、屋敷に出入りする人間には全て例外なく十字架を身につけさせ、屋敷中の壁に十字架をつけさせた。
屋敷の人間はメイドの騒動を目の当たりにしていたから、みんな協力的だったよ。
だがあの日、仮面は俺のところへやって来た。
朝目が覚めると、屋敷中の十字架が逆さまになってたんだ。
俺は発狂しそうなほどに驚き、慌てて十字架を正しい位置に戻そうとしたが、その肩を叩く者がいた。うちで働いている奴隷の若者だった。
「こわい、のですか。旦那様」
片言の言葉だった。異国から連れてこられた後、働かされているうちに少しだけ覚えた、ってところだろうな。
「どうしたじゃない! この十字架が見えないのか!」
「おいらが、やりました」
俺は奴隷に掴みかかった。
「なぜそんなことをした!」
奴隷は苦々しい笑顔を浮かべ、手に持った仮面を俺に見せた。
「これが、おいらの村の、仮面だから。こうすれば、こいつをあんたの前に、連れてこられる」
そこでようやく、この奴隷があの村からさらって来た人間だということに気がついた。
「貴様!」
止める間もなく、奴隷は俺に仮面を被せた。
苦しかったことはよく覚えている。気が狂いそうだった。
頭の中に、ワンワンと俺を罵る声が響くんだ。あの村の言葉はわからない。だが責め立てられているのだけは感じる。
体が勝手に動いた。俺の腕が俺の首を絞めていた。
俺の頭は、脳を揺らすように内側に響く不気味な声に支配されていた。
もう許してくれ。なんでもするから。
苦し紛れにそう叫ぶと、不意に苦しみが終わった。
奴隷が俺に十字架を突きつけていたんだ。
「なんでもする。そう、言った?」
俺は、阿呆のようにコクコクと頷いた。
奴隷が要求したのは、仲間を買い戻すことと、彼らを故郷へ返すこと。
それと引き換えに、奴は仮面の呪いを解く方法を教えてくれた。
仮面は、あの一族の始祖の墓に供えられた副葬品だったんだとよ。つまり俺は墓場泥棒ってわけだ。
仮面を元の位置に戻し、一族の者たちに許しを求める。許されれば、呪いは解ける。そういう話だった。
解放されたい一心で、俺はあの島からさらった奴隷の行方を捜した。だが、ダメだった。
奴隷商人のところへ調べに行ったが、誰一人連れて帰ることはできなかった。
全員死んでたんだ。
最初の一人が売れたすぐ後、伝染病が発生したんだとよ。広がっちゃまずいってんで、残った奴隷はボロボロの廃船に押し込んで、船ごと全員沈めたらしい。
その知らせを聞いて、奴隷は怒り狂った。
俺は、船を手配した。あの島まで奴を送り届けるためだ。たった一人しか返せないが、それでなんとか許してくれって。
航海の間、奴隷は一言も口を聞かなかった。
ようやく故郷の島に帰り着いても、奴はちっとも嬉しそうじゃなかった。
当然だよな。俺たちが全部ぶち壊した後には、なにも残っちゃいない。
家だった瓦礫の隙間には、殺した奴らの骨が転がってる。
「絶対に許さない」
奴隷は憎しみに満ちた目で俺をにらみ、足元にあった骨の破片を拾い上げ、その尖った断面で自分の心臓を突き刺した。
「これでもう、お前は、永遠に、許されない」
そう言い残すと、奴隷は最後の力を振り絞って自ら仮面を被った。
事切れた死体はすぐに仮面に支配されて立ち上がり、狂ったケダモノみてえに俺に襲いかかってくる。
俺はそいつに十字架を突きつけた。
仮面は剥がれて、力を失った死体はその場に倒れた。
だが無駄だった。
仮面は近くに転がってた骸骨に取り付いて、再び立ち上がった。
あたりは一面虐殺された骨の山だ。このままだと無限に仮面の骸骨が襲ってくる。俺は悲鳴をあげてその場から走り出し、船に逃げ帰った。
大慌てで船を出港させ、沖へ逃げ延びて一安心かと思いきや、そうは問屋がおろさねえ。次は水夫たちが仮面にとり憑かれて襲いかかってくる。
怪奇現象の原因が俺だってわかると、船乗りたちは俺を小舟に乗せて船から追い出した。
正直、安心した。周りに人間がいなけりゃ仮面に襲われることもねえ。
そう思ったが、ダメだった。
しばらくすると、遠くで水しぶきが立っているのが見えた。目をこらすと、仮面をつけた水死体が、こっちに向かって泳いできてるじゃねえか。
ブヨブヨにふやけた腕は水をかくたびに肉が剥がれ落ちる。頭の皮は髪の毛ごとズル剥けて、並みに合わせて揺れている。どう見たって生きてる人間じゃねえ。
そいつが一直線に俺めがけてやってくるんだ。
お情けで渡されたオールを漕いで逃げようとするが、到底逃げきれない。
水死体の手が船縁をつかんだ。船に上がり込もうとするそいつに、俺は十字架をつきつけた。
仮面が剥がれると、その下にあった魚に突かれてぐちゃぐちゃの顔が見えた。知ってるか? 魚って目玉と唇から食うんだぜ。柔らかいからな。
仮面は水死体と一緒に海の底へ沈んで行ったが、どうせすぐに別の体を手に入れて俺を追ってくる。
俺は必死にオールを漕いで、行くあてもなく闇雲に逃げ回った。
後悔してる。あの時、仮面を盗まなければ。盗んだのは誰だって騒ぎになった時、名乗り出ていれば。
そこへ、運良く……、いや運悪く? まあどっちでもいいや。その時出くわしたのが神父の奴隷船だ。
俺は最初、船に近づくのを躊躇した。人の多い場所は誰に襲われるかわからねえから。
だが、この船に神父が乗っているのが遠目に見えて、最後の希望をかけて助けを求めたんだ。十字架が効くくらいだから、聖職者ならなんとかできるんじゃねえかって。
事情をすっかり話すと、神父は俺に鉄の枷をはめた。
「たとえ神が許しても、俺はお前を許さない。それだけのことをお前はした。悔い改める気があるなら罰を受けろ」
神父のそばにいたおかげなのか、あれ以来一度も仮面には襲われてねえ。
だからよう、せっかく助けてもらったが、正直困ってるんだ。
罰を受けるのをやめたら、またあいつに襲われる気がする。
男は話を締めくくると、不安げに辺りを見回した。
「今は聖女様がいるおかげか大丈夫だが、きっとこの船を降りたら俺はまた襲われる。奴らの怨念は、絶対に俺を許さない。俺はどうしたらいい?」
エルモは、努めて厳粛に重々しく、だが穏やかに告げた。
「教会に行きなさい。そこで神に仕え、人々を助けて暮らすのです。教会の中ならば、怨霊もやってこないでしょう」
男は顔を上げた。
「いいのか? 俺に、そんな……」
「その罪を償うことは、もうできないかもしれません。ですが、恐怖の只中で逃げ回るだけの人生を過ごしてはなりません。よく生きようと心がけるのです。許されないとしても、悔い改めることには意味があります」
穏やかに、笑みさえ浮かべながらエルモは話を続けた。
「神は全てお許しくださる。あなたが真に悔い改めて生きるのであれば、その姿を見ていてくださる。それに、たとえ神が許さなくとも、私はあなたが悔いていることを知っていますよ」
憑き物の落ちたような顔で、男は船に戻っていった。
「いいのか? そんな無責任なこと言っても」
ジョナサンは、ちょっと不安な気持ちでエルモに聞いた。
「大丈夫だよ。港に着いたらどうせ最寄りの教会で助けた人の保護を頼むし。その時に私から頼む」
「いや、それもそうなんだけどさ。殺されちまった原住民の人たちの怨念はどうなるんだよ。浮かばれないんじゃねえの?」
「確かに難しい問題ではあるけどさ。私は大丈夫だと思うよ。死んだらみんな神様の御元へ、天国へ行くんだから。その人たちもすぐに天国へ行くよ」
「イキョウトハ、イケナイトキイテイルゾ?」
クラフトの肩の上でラヴが鳴いた。
ジョナサンも、確かにそんなようなこと聞いたことがある。
しかしエルモは即座に答えた。
「そう? 私は異教徒も天国へ行けると思う。自分を崇拝する人だけ贔屓するなんて、そんなの神様のすることじゃないわ」
「雑だなあ。いいのか? そんな適当ぶっこいても」
ふふっ、と愉快そうにデビーが笑った。
「まあ、あなたは気にしてもしょうがないわよ、ジョナサン? あなたは永遠に神の御元へなんて行かないのだから」
怖がらせるつもりだったのか、デビーは嗜虐的な笑みを浮かべている。しかしジョナサンはビクともしない。
「大丈夫大丈夫。俺にとっちゃ、デビーのいるところが天国だよ」
デビーは居心地の悪そうな、苦々しい顔をした。
「やっぱり調子狂うわね。今までの船乗りはみんな、用が済んだら私の支配から逃れたがったものよ?」
「なんで?」
「当たり前でしょ? 悪魔の牢獄に好き好んで入りたいバカなんて、滅多にいないのよ。私は「頼むから許してくれ」「解放してくれ」って泣きわめく男を、高笑いしながら海底に引きずりこむのが好きなのに。まったくもう」
ジョナサンはみんなの方を見ながら言った。
「そんなこと言ったってなあ。よーし、じゃあ聞くぞ? 死んだ後、デビーちゃんのお家に遊びに行きたい人! 挙手!」
ジョナサンの思った通り、全員が手を上げた。
「もう! なんなの!? もっと恐れ敬い畏怖しなさい! そんな友達のお家感覚で来るんじゃないわよ!」
「えっ、私たちお友達じゃないの……?」
メアリーがショックを受けた顔で固まった。
傷つけたことに気がついて、デビーも固まる。
「デビー、ダメジャナイカ。メアリーガカナシソウダ」
「そうだぞー。デビーちゃん、ちゃんとごめんなさいできるか?」
「大丈夫だからね、メアリー。デビーちゃんは照れてるだけなのよ。恥ずかしがり屋さんだねー」
デビーは今日一番の大声で「もう!」と怒った。
ひとしきりデビーをからかい終えたあと、ラヴが次の罪人を呼びに行った。
ジョナサンたちの前にやってきたのは、まだ少女と呼んでも差し支えないような若い女だ。
「私の罪は、あの地獄をができるきっかけになったことと、その片棒を担いだことよ」
少女は真っ直ぐにエルモを見つめる。
「お姉さん、ギベッドと親しいみたいだから教えてあげる。彼がどんなクソ野郎なのかってことをね」
そう吐き捨てると、少女は話を始めた。




