第50話 通りすがりの主婦の話
私の家の隣にね、宿屋があるの。
気のいいおかみさんと、ちょっと無口で気難しいけど実直な旦那さんで切り盛りしてる、いい宿屋なのよ。
でも、二人を悩ませてる問題があった。
ほら、この町は港町でしょう? 海賊がね、よく来るんだよ。
奴ら、すぐに暴れるし物は壊すし、ちょっと気にくわないことがあると難癖つけて来るし。いいお客とは呼べたもんじゃない。
宿屋の旦那さんはちょっと潔癖っていうか、融通がきかなくてね。そういう迷惑な客と揉めることがよくあった。おかみさんは、適当にはいはい、って流してあしらうことにしてたんだけど、旦那さんにはそれができなかった。
騒ぐ客には高圧的に釘を刺し、怒鳴ったり侮辱して来たりした客は謝罪させなきゃ気が済まない。根本的にこの町に住むには向いてない人なんだよ。
「だって、悪いのはあいつらじゃないか。こっちが客商売なのをいいことに、むちゃくちゃ言いやがる。まともな客もそれなりにいるのに、たまに出て来るあの手合いのせいで最悪の気分だ」
っていうのが、旦那さん言い分さ。私も大方同意見だね。たまにいるんだよ。店の者は献身的な母親のように客の要望を全部聞き入れて当然、みたいな態度のお客がさ。
よっぽどの奴は叩き出すこともあったけど、全部を入店拒否するわけにもいかない。
たまにムカつく客が来ても、「こんなクズはロクな人生を送らないに違いない」って腹の中では思いながら「まいどあり」って愛想良くするのが普通だね。
ある時、ついに我慢の限界が来たみたいで。旦那さん、客を殺しちゃったんだよ。
おかみさんの悲鳴を聞きつけて、何事かってご近所のみんなで見に行った。
流れ者の海賊だった。頭から血を流してピクリとも動かなくて、医者を呼んでも無駄だってのは、誰の目にも明らかだった。
満場一致で、そいつの死体を海に捨てることになった。
だってそうだろう。真面目にコツコツ働いてきた善良な二人の人生に、クズみたいな海賊のせいで影が落ちるなんて、みんな嫌だったんだ。
死んだ海賊は、酔っ払って転んで頭を打ち、海に落ちた。そういうことになった。
私はホッと胸をなでおろしたもんだよ。これでまた、明日からはいつも通りだって。
でも、いつも通りの毎日は、ちょっとずつ壊れていったよ。みんなの中で、タガが外れちまったんだ。
だんだん、町のみんなは態度の悪い客を始末することに躊躇しなくっちゃったの。
最初は酒屋の嫁が、次は若い娼婦が、その次は香料売りの若い男が人を殺した。理由はみんな、宿屋の旦那と同じよ。
それまでは、嫌な客に行き当たっても、適当に流しておくのが普通だったんだけどねぇ。犬に噛まれたとでも思って深く気にせず、友人とお茶をするときにちょっと愚痴って、軽く悪しざまに言うだけ。
だけど、みんなの中に「腹に据えかねたら反撃していい」っていう選択肢が不意に現れた。
どれだけ暴言を吐かれて侮辱されて嫌な思いをしても、深く考えずに忘れよう、っていうのが普通の処世術だったんだけどねぇ。
嫌な奴に制裁を加えてもいい、ってなったら、やりたいのが普通だよ。
あっという間に、この町は魔窟になったよ。夜、酔っ払ってフラフラ歩いていたはずの船乗りが、朝になったらフッと姿を消すのが日常茶飯事になった。
私たちはみんな人殺しなんだよ。せめてもの救いは、殺されたのはみんなよそ者で、住民同士での殺し合いは一件もなかったことくらいかね。
私たちもね、人殺しが好きなわけじゃないんだ。悪いことだって、みんな理解してるよ。
でもねえ。そいつの死を望むくらい腹がたつことって、そんなに珍しくないんだよ。
そんなある日のことだよ。あの神父様が現れたのは。
小さいけれど立派な船に乗ってた。船には帆がなくてね。鎖に繋がれた大勢の人が、オールを漕いで船を動かしていたよ。
「罪人や悪人がいれば引き取ろう。奴隷にして地獄を見せてやる」
私たちは、この提案を一も二もなく大歓迎した。
それ以降、この町で人殺しは起きてない。殺す代わりにふん縛って、地獄おくりにすればいいんだから。
私たちが手を汚さなくても、奴らはひどい目にあう。溜飲を下げるために手を汚す必要がなくなったの。
あの神父様のおかげで、私たちは罪から解放された。ありがたい話だよ。
そういうわけだからお兄さんたち、この町のお店や宿屋を使うときは気をつけたほうがいい。うっかり揉め事を起こすと、地獄へ連れて行かれてしまうから。
見たところいい子達みたいだから、そんなことにはならないと思うけど、一応教えとくね。
話を聞き終えると、エルモは青い顔で無理に笑って、女性に礼を言った。女性は干物を大事そうに抱えて、「今晩のおかずに早速食べてみようかしら」と足取り軽く去って行った。
「今の話、どう思う?」
ジョナサンが聞くと、エルモは億劫そうに首を振った。
「間違いなく私の知ってるギベッドだね。悪い奴が嫌いだから地獄を見せたい。そこのところは変わってない」
店の方を見る。クラフトとメアリーだけでなんとか頑張ってくれたようで、干物はすっかり売り切れていた。クラフトに頭を撫でられて、メアリーが嬉しそうにはにかんでいる。
空が暗くなり始めている。
ジョナサンは、ゆっくりと周囲を見回した。
ジョナサンたちのような行商人が店をたたみ始め、商店も戸締りを始める。逆に宿屋や酒場にはあかりが灯りはじめ、活気のある昼間の賑わいが、ひそやかな夜のざわめきに変わっていく。
このぶんだと、もう服屋は空いていないだろう。買い物は明日にしよう。
店をたたみ、先ほどの話をクラフトとメアリーにも共有すると、即座にクラフトが言った。
「その地獄行きの船とやらに行こう。先ほど、僕を怒鳴って連れて行かれた男性、彼もその船に乗せられたのだろうが、罪に対してあまりにも罰が重すぎる。僕にも非はあったようだし、もう気にしていない。なんとか解放してもらいたい」
ジョナサンもその提案に頷く。
「賛成だ。よっしゃ、行こうぜ」
ジョナサンたちは、町の住人に地獄行きの船が停泊している場所を聞いて、そこへ向かった。
確かに、女性の話に出てきた通り、たくさんのオールが伸びている船が停まっている。
「こんにちはー! ギベッド! いる!?」
大声でエルモが怒鳴ると、中から大柄な男が現れる。
質素で黒い神父の服に身を包み、銀の鎖で首から十字架をかけている。大きくて、重たそうな十字架だ。
「誰だお前ら」
ヒュッ、とエルモが息を飲んだ。間違いなく本人なのだろう。しかし、男はエルモに気がついた様子はない。
「今日、ここに揉め事を起こした男が連れてこられただろう。僕を怒鳴って、町の人たちに縛り上げられたんだ。僕は気にしていないから、彼を解放して欲しい」
男は一歩踏み出して、クラフトの前に立った。
「お前はあいつを許すってわけだな」
「許すもなにも、僕には彼を裁くつもりも、その権利もない。あなたもそうではないのか? 自分のルールを強引に振りかざして、みんなを巻き込んでいるように見えるが、その権利が本当にあるのか?」
「へえ、言うじゃねえか若造。お前の言う通り、あの地獄は俺のルールで強引に回ってる。お綺麗な理屈だけじゃやりきれないことってのが、この世にはあるんだよ。人を傷つけた奴は、みんな地獄へ行くべきだ。例外はない」
「それはおかしい!」
クラフトが不思議そうな顔で言った。
「この町の住人は……」
ジョナサンはまずいと思って、大慌てでクラフトの口をふさぐ。
「ふがっ!?」
なにをする! と言いたげなクラフトの耳元で、ジョナサンは囁いた。
「バカやめろ。町の住人みんなが人殺しだ、なんてこいつに言ったら大惨事になる。町の奴ら、きっと自分たちの悪さは告白してねえんだよ。全員まとめて地獄送りにする気か?」
おそらく、町の住人たちは捕まえた悪質な海賊を引き渡す際、自分たちの罪は隠している。あくまで自分たちは、理不尽な暴力を振るわれている被害者、というていで助けを求めているはずだ。
だからこそ今日まで無事だったのだろう。おそらくこの神父は、この町で日常的に殺人が行われていたことを知らない。
クラフトは頷いた。
「わかった」
しかしその時、ジョナサンたちの頭上でラヴがけたたましく鳴いた。
「マチノヒトタチハヒトゴロシ。イッテハイケナイ。マチノヒトタチハヒトゴロシ。ナイショ」
男が怪訝そうな表情で眉毛を片方あげる。
ジョナサンは頭を抱えた。
クラフトはアワアワとうろたえて、慌てて弁解を始める。
「ちっ、違うぞ! 地獄行きの船が現れるまでは、この町では町ぐるみで殺人を行って素行の悪い者を消していたとかそういうことではなくてだな」
ジョナサンはあちゃー、と苦笑いした。
「全部言いやがったこいつ……」
クックック、と押し殺すような笑い声が聞こえる。男が笑っているのだ。
「心配するなよ。ここの奴らが地獄へ行くのは、お前らがうっかり暴露したせいじゃない。最初からその予定だったんだ。いい機会だし、そろそろ実行に移すとしよう」
気だるげな男の目に不意に活力が漲ったのを感じて、ジョナサンはゾワっと鳥肌がたった。
「人を地獄へ送っておいて、自分だけのうのうと生きていられるなんて、そんなはずないよなあ」
にぃ、と男が口の端を釣り上げた。




