第49話 地獄の隣町
と、言うわけなの。とエルモは話を締めくくった。
「みんなにはあんまり関係ない話だし、あれだったら近くの港で降ろしてくれれば、そこからは一人で行くけど」
カラッと笑ってそういったエルモに、ジョナサンは慌てて答える。
「水臭いこと言うなよ。きっちりそいつのとこまで連れてってやる。な? いいだろデビー? 俺たちは今の所、医者を探すくらいしかやることねえんだしさ」
「まあ、そうだけど。でも、私は近づかない方がいいとは思うわよ」
「なんでだ?」
「だって、人間って地獄を作るのがとっても上手なんだもの」
デビーは愉快そうにふふっと笑った。
「その神父はエルモにとっては特別な存在かもしれないけれど、危険人物には違いない。わざわざ渦潮に飛び込むようなものなんじゃない?」
「なんだ? 怖いのか?」
ジョナサンは、「そんなわけないでしょう? 行くわよ」と手のひらが返されるのを期待して、わざとらしくデビーを煽った。
しかし、デビーは至極真面目な顔で答える。
「近づかない方が身のためよ。それでも、この船を地獄へ向かわせたいのなら、そうねえ、相応の覚悟を見せてもらいましょうか」
「覚悟?」
デビーはエルモの目の前に立って言った。
「跪きなさい」
ふふん、と胸を反らして得意げに言葉を続ける。
「神に仕える身で悪魔にこうべを垂れることが、あなたにできるかしら?」
エルモはデビーの目の前にしゃがんで、目線を合わせる。
「こう?」
その様子は、小さい子と接するために目線を合わせているようにしか見えなくて、ジョナサンはデビーにバレないように笑いを噛み殺す。
デビーは不服そうに異議を申し立てた。
「ちがーう! こう、もうちょっと忠誠を誓います、みたいな? 信仰を捨てます、みたいな? そういう服従のポーズをとりなさいって言ってるのよーっ!」
「ああ、なるほど。こうかな?」
驚いたことに、エルモは本当にデビーの前に膝をつき、神に祈るようにこうべを垂れた。その様子は、本当に敬虔な信者のようで様になっている。
そして、エルモは滔々と祝詞のようなものを唱え始めた。おそらく即席だろう。
「海にまします我らが偉大な大悪魔よ。日々の航海を守護してくださることを感謝します」
デビーは、自分でやれと言ったくせにアワアワとうろたえた。
「えっ、ちょっ……? なんでやるのよ! 断りなさいよ! あなたそれでも聖職者なの!?」
エルモは「デビーちゃんかわいー!」とニコニコしているが、その姿勢は崩さない。
デビーは呆れたように目を見開いた。
「前々から不信心だとは思ってたけど、よく今まで火あぶりにされなかったわね。神を信じない者や悪魔を崇拝する者は燃やされる、って聞いてるけど?」
「うちの神父様はいい人だから。それに、デビーちゃんには感謝してるもん。これくらいはするよ」
「……あなたに感謝されるようなことをした覚えは、ないのだけど」
「前に話した画家のおじいさんとデビーちゃんのおかげで、ずっと怖い場所だと思っていた海を、綺麗だって思えるようになったの。神様に負けないくらい、あなたは私の心を救ってくれた。感謝してるよ」
デビーはたじたじと後ずさり、助けを求めるようにジョナサンの方を見た。ジョナサンが半笑いなのに気づいてキッと睨むと、軽くため息をついてエルモの方に向き直る。
「調子狂うわね……。普通なら、「悪魔になびくくらいなら殉教する! どんな責め苦を受けようと信仰は捨てないぞ!」とか言うものなんだけど。そしたら高笑いしながらいびってあげるのに」
ジョナサンはデビーの頭を撫でる。
「エルモは、デビー様も神様に負けないくらい偉大だって言ってるんだ。それらしく堂々としてやったほうがいいんじゃないか?」
「そっ、そうよね! こほん。ふっふっふ。私の偉大さがよくわかってるなんて、いい心がけだわ!」
話はまとまったようだ、とジョナサンは判断して、クラフトとメアリーの方を見る。二人は強く頷いた。
「よし、全員異議はないな」
「もちろんだとも。喜んで手を貸そう。しかしデビー。なんで反対したんだ? 僕はてっきり、「私がいる限り地獄でもなんでも恐るるに足りないわ」なんて言うと思ったんだが」
「ああ、俺も俺も。なんで近づかないほうがいい、なんて言ったんだ?」
デビーは、もう一度ため息をついた。
それから、エルモの方をじっと見つめて、その頬に手を添え、慈しむように小さな手のひらで撫でた。
「嫌なものを見ることになるって、分かりきってるからよ。それこそ、信仰を捨ててしまうくらいには、心に傷を負うかもしれない」
エルモはその手を取って、軽く握りしめる。
「大丈夫。そもそも私、神様のことは話半分くらいにしか信じてないし。だって、私を助けてくれたのは神様じゃなくてギベットだったんだから」
ジョナサンは、重くなった網を引き上げて、クラフトとメアリーに魚を回した。
この辺で打ち止めにしておこうと網を片付け、自分もナイフを持って魚をさばくチームに入る。
まず、エラから刃物を入れてサクッと魚の脳を突き、締める。それから腹の白い皮をスッと切り裂いて、内臓を取る。
開いて、骨を取って、干物にできる状態にしてから、エルモに手渡す。
港までは、まだしばらくかかりそうだ。
干した魚がいい具合に乾いて硬くなり、ちょっとつまみ食いしてかじってみれば口の中に旨味が広がるようになった頃、一行はリバタリアに近い港にたどり着いた。
なかなかにおいしく仕上がった干物は、いくらかはジョナサンたちのおやつになったし、気をぬくとラヴがつついてしまうが、それでもまだ充分な量がある。
ここで一休みしつつギベットが治めているという島へ向かう準備をするため、ジョナサンは港に船を寄せた。
そこまで活気があるわけではないが、ずっと昔からある町のようだ。
宿屋の看板はかすれて読みづらいし、道端に止めてある荷車は潮風のせいか車輪が錆びている。
ここにいる人間は二種類。ジョナサンたちのように船でやって来たよそ者か、この町に定住している住人だ。服の擦り切れ具合と日焼けの具合を見れば、誰がどっちなのかすぐにわかる。
「よーし、それじゃあちょっくら店を開くぞ」
ジョナサンが提案すると、一同は軽く頷いた。
「じゃあ私、その辺の人に行商してもいい場所聞いてくるよ。たまに無許可で商売したら「縄張りを荒らされた!」って怒る人がいるとこもあるし」
ジョナサンは町へ向かって歩いていくエルモの後ろ姿を見送って、頼りになるなあと感心した。自分はそこまで気が回らなかった。なにしろ、見知らぬ土地で商売をするのもこれが初めてなのだ。
エルモの帰りを待ちつつ、残りのメンバーで干物を下ろしてカゴに入れ、すぐにでも品出しができるように準備する。
「ねえジョナサン? これがお金になったら何を買うつもりなの?」
デビーが、山と積まれた干物を見ながら聞いた。
「そうだなあ。ひとまず食料と酒か。備蓄を整えとくのは絶対だな。あと、この辺りの詳しい海図があると助かる。可能なら手に入れときたい」
「あなたって慎ましいわね。本当に海賊には向いてない」
「……お前もそう思う?」
理由は違えど、育ての親である村長からも「お前は海賊には向いてない」と言われている。自分をよく見ている二人から同じ意見が出るということは、本当にそうなんだろうな、とジョナサンは内心で自嘲した。
「ちなみにクラフトもそう思うか?」
「そうだな。君は海賊じゃない」
クラフトも即答した。
「だって君、海賊に憧れてたとか言いつつ、今までただの一回も略奪行為に及んだことはないじゃないか」
「……確かに」
言われてみればそうである。海賊というのは、財を積んだ船を襲い、宝物を奪って行くものだ。今の今までそんなこと、思いつきもしなかった。
「海賊に向いてる人っていうのは、ああいう人のことを言うのよ。見なさい」
そう言って、デビーが指差した先にはメアリーがいる。メアリーの目線の先には、ガラスのショーケースがあって、綺麗に商品が陳列してある。かわいらしい雑貨の店だ。
メアリーは近くに落ちている石を拾い上げ、振り上げた。
「わーっ!? メアリー!?」
ジョナサンは大慌てで船を降りて駆け寄り、ギリギリセーフのところでメアリーの手を捕まえた。
「こらっ! なにする気だ!」
「あれ欲しい」
メアリーが指差した先には、かわいらしい小さなポシェットが飾られている。淡い緑の木綿の布に、小さな花の刺繍が散らされていて、素朴な草はらに野の花が咲いているようだ。
「わかったわかった! 買ってやるから強盗はやめろ!」
「欲しいものは力づくで奪い取ってなんぼ、ってママが言ってた」
「もう! なんて教育に悪い女なんだ畜生!」
くすくす、と小さく笑い声が聞こえた。声のした方を見れば、デビーが心底愉快そうに笑っている。
「似てないものねえ。半分とはいえ、血が繋がってるはずなのに」
「そうだなあ……。なあメアリー。なんでこれが欲しいんだ?」
「かわいいから。こういう女の子らしいもの、持ってみたい」
そう言われて、ジョナサンはメアリーのいでたちを改めて見る。
半ば男装のようなシャツとズボンに、靴も作業用の色気のないもの。髪はデビーにもらった櫛で整えてあるが、むしろその部分が全体から見ると浮いている。
「なるほどなー。女の子っぽくおめかししてみたいわけだ」
クラフトの目を気にしてのことかもしれないが、おそらくそれだけではないだろう。
メアリーは、出会った頃こそ少々淡々としていたが、ここのところは自己主張が激しくなってきた。圧倒的な支配者だった母から離れたことで、自我が芽生え始めたのかもしれない。
「これがやりたい」と言ったときに、それを否定される虚しさを、ジョナサンはよく知っている。
「せっかくだ。かばんだけなんてケチくさいこと言わずに、全身かわいくコーデしちまうか?」
メアリーは顔を輝かせた。
「する!」
ジョナサンは財布を見た。少々心もとない。
「うーん、すまんメアリー。干物が売れてからにしよう」
「やっぱり割る?」
メアリーは握った小石をもう一度振り上げた。ジョナサンはそれを大慌てで止める。
「迷いなく強盗を提案するのやめようか。デビーの言う通り、海賊はお前の天職だな。でもなメアリー。おしとやかでかわいい女の子は、強盗なんてしないんだぜ?」
それを聞くと、メアリーはパッと小石を捨てた。そして、いっそ白々しほどにすました態度を取り、顔から邪気を消し去った。
「よしよし、いい子だ。全身は無理でもひとまずコイツだけは買ってやろう。残りは一仕事した後だ。楽しみにしとけ」
ジョナサンは店に入り、財布の中身をほとんど使い切ってそのポシェットを買った。肩にそれをかけてやると、メアリーの顔が嬉しそうにほころんだ。
「ジョナサン、ありがとう」
「いいってことよ」
そこへちょうどエルモが帰ってきた。行商の許可を取ってきてくれたので、デビーに留守番を頼んでから指定された場所へ干物を運び、商売を始める。
店は即座に大繁盛になった。エルモの一計によるものだ。
エルモはまず、クラフトに「ラヴに「いらっしゃい」って言わせてみて」と言った。言われた通りにラヴが鳴くと、喋る鳥がいると噂が広まり、鳥を一目見ようとやってきたお客が、今度は遠くの海の珍しい魚に目をとめて、どんどん買っていくのだ。
ジョナサンは拍子抜けした。
すごく平和な島だ。すぐそばに地獄があるとは思えない。
「なあ、お客さん。この辺に地獄があるって聞いたんだが、あんたは怖くないのか?」
ジョナサンは、とっつきやすそうな客を一人捕まえて聞いてみた。
「怖いだなんてとんでもない。神父様のおかげで我々はすごく助かってるんだ。この辺も随分住みよくなったよ」
「住みよくなった?」
地獄が近くて助かる、なんて奇妙な話だ。ジョナサンが内容を噛み砕こうと首をひねっていると、すぐそばから怒声が聞こえた。
「なんだとこのやろう! 喧嘩売ってんのか!?」
怒鳴られているのはクラフトだ。面倒な客に捕まったようだ。
「ちょっと待った! どうしたんだ!?」
「どうもこうもあるか! なんだこの失礼な奴は!」
ジョナサンは客とクラフトを交互に見て、説明を求めた。
「なにがあったんだ?」
「わからない。彼が「値段を下げてくれ」と言うから「金がないのか?」って聞いたんだが……」
「オーケー理解した。お前は品出しだけやっててくれ」
このお坊ちゃんは、どうやら値段交渉の文化を知らないらしい。
その辺は後で教えてやるとして、ひとまずはこの客をなだめて商売を続けなければいけない。騒ぎを早く納めないと、空気が悪くなってせっかく来た客が逃げてしまう。
「悪いねお客さん。こいつ、ちょっと世間知らずなもんで」
しかし、客は怒りが収まる様子を見せない。顔色は真っ赤なままだし、ジョナサンの弁解など全く聞かずにノンストップで怒鳴り続けている。
どうしたものか途方に暮れていたが、助けは唐突にやってきた。
町の住人らしき他の客たちが、一斉に男に飛びかかってのしかかり、あっという間に縛り上げてしまったのだ。
そして、大きな声で誰かが言った。
「よし! 地獄行きの船に乗せろ!」
地獄行きの船。その言葉にジョナサンはハッとした。
ワッセワッセと縛られた男は運び出され、残った客は何事もなかったように買い物に戻っていく。
「三つくださいな」
人の良さそうな、ふくよかな女性がジョナサンに声をかけた。
「は、はいよ。なあ、地獄行きの船って?」
「あなたたち、よその人かしら。じゃあ知らなくても無理ないわねえ。悪い人はみんな地獄行き。だから、善良な私たちは安心して心穏やかに暮らせるの。神父様のおかげよ」
「悪いけど、その話詳しく教えてくれねえか?」
明らかに例の島への手がかりだ。エルモもきりのいいところで接客をやめ、話の輪に入ってきた。
「私、地獄の島に用があるんです。神父様はお元気ですか?」
「あら、聖職者の方? 神父様のお知りあいかしら?」
「ええ。でも最近会ってなくて、近況がわからないんです。よかったら、ここで彼がなにをしたのか教えてくれませんか?」
「ええ、もちろん。あの神父様は、まるで救世主みたいに私たちを助けてくれたの」
あれはどれくらい前のことだったかしら、と女性は話を始めた。




