表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
呪われし海にセイレーンの歌
46/86

第45話 帰路

 ジョナサンは、悪寒を我慢して船を進める。

 見えないとはいえ身体中に幽霊がまとわりついていると思うと、気が重い。

 気を紛らわせようと、岩礁での出来事を思い返す。

 剥製から試練達成の証として、鱗を一枚譲り受けた。その鱗を祭壇に収めると、その瞬間ふっとあたりの空気が軽くなったような気がした。

 波間を割って、なんだなんだ? と言うようにたくさんのセイレーンが顔を出す。その顔には、安堵と喜び、そして少しの戸惑いが浮かんでいた。

「感謝する。我々はこれで自由だ」

「いいってことよ。約束どおり、こいつの兄貴と、兄貴と一緒にいた乗組員、返してもらうぜ」

 セイレーンのうちの一人が、クラフトに向かって巻貝を差し出した。

「受け取って欲しい。これを兄の心臓の上に置いて割れば、魂は体へ戻るだろう。……すまないが、他の乗組員たちはすでにここにはいない。皆、兄君が失敗した時に海へ飛び込んだ。絶望して身を投げたのか、我らに殺されると思って泳いで逃げようとしたのか……。いや、ただ単に、我らの声に晒されたせいだろうか」

 クラフトは、少し悲しげな顔をして、巻貝を受け取った。

「わかった。……、なあ。僕たちの声で人が海へ誘われるのを、止めることはできないのか?」

「できない。これは我らの特性だ。我らの意思がどうであれ、我らの声を聞いた者は海へ飛び込む。だが、今後は海で溺れている者を見つけた時は、海底に引きずりこむのではなく近くの島まで運ぶこととしよう。せめてもの礼だ」

「……。そうか。ありがとう」

 波の下から次々に現れるセイレーンは、どんどん数を増やしていく。こんなにもたくさんいたのかとびっくりしたものだ。波の下に広がるセイレーンの王国は、どんな場所だったのだろうか。

「みんな聞け! 試練は達成された! 勇敢な船乗りたちに敬意を! 我々は自由だ!」

 セイレーンたちがどよめいた。恐々と遠くに目をやったり、互いに顔を見合わせたりしている。

「思ったより嬉しそうじゃねえな」

 ジョナサンが不思議に思って呟くと、すぐに答えが返ってきた。

「呪いがかけられたのは、何世代も前の話。我らの中に、この海域の外を知る者はいないのだ」

 クラフトが頷いた。その気持ちはよくわかる、とでも言うようだった。

「なるほど。それで、自由になったはいいものの、いざ外へ行こうとすると尻込みしてしまうわけか」

「なんとも恥ずかしい話だ」

「大丈夫。踏み出した先で目にするものは、きっと君たちの心を震わせる。この僕が保証しよう」

 ジョナサンがもう一度遠くに目をやると、何人かの果敢なセイレーンが、外海に向かって泳ぎ出したところだった。

「俺たちも行こうぜ」

 こうして、ジョナサンたちはセイレーンの住処から船を出し、クラフトの故郷へと船を進めている最中だ。

「このあたりでいいわね。ロッカーへ降りるわよ。魂たちを送って行かないと」

 どっちを見渡しても陸が見えなくなったところで、デビーが指を鳴らした。

 波が大きく渦巻いて、船を海底へ運んでいく。

 一度目の時は取り乱して騒いでいたクラフトも、今度は神妙な顔で大人しくしている。

 船は海底にたどり着き、ジョナサンが眼帯をつけ直すと、どうやら幽霊たちは海底の街に散っていったようだった。

 足元には、この前来た時と変わらず、アンコウたちの作る星空のような景色が広がっている。

「エルモ、一つ頼まれてほしいんだが」

 クラフトが言うと、エルモは即座に返事をする。

「いいよ、なに?」

「彼らが安らかに眠れるように、祈りを捧げてはもらえないか。今ここへ来た魂たちの中には、きっと兄上の船の者たちもいる。助けることはできなかったが、せめて冥福を祈るくらいは、したい」

 その頼みを受けて、エルモは祈りの言葉を唱え始めた。

 神秘的な光景だった。音のない深海で、祈りの言葉だけが響く。

 短い葬儀が済んだ後、クラフトは少しだけスッキリした顔をしていた。

「僕も死んだらここへ来る。デビー、その時はよろしく頼む」

「ええ、歓迎するわ」

 再び船は海上へ上がった。クラフトの故郷までは、まだ遠い。

 ジョナサンとクラフトは、海図を広げて相談を始めた。

「もうしばらくかかりそうだな」

「思ったより遠くまで来ていたんだな。こんなに家が遠いなんて」

「なるべく早く着きたいよなぁ。早く兄貴を元気にしたいだろ」

 ジョナサンが言うと、クラフトが頷く。

「進路を変えるのはどうだ? こちらの航路を使うと、距離は若干長いが潮の流れのおかげで二、三日短縮できるはずだ」

「へー! そうするか!」

「うむむ、しかしな……」

「ん? なんか気がかりなことでも?」

「個人的なことで申し訳ないが、少し家に帰るのが怖いと言うか……。早く帰りたい気持ちもあるが、心の準備のために旅程を引き伸ばしたい気もしていて……」

「ええ? なんでだよ。やっと兄貴を助けられるんだぞ?」

「それはもちろん嬉しいが、僕の家族は僕が航海士になることを認めてくれるだろうか。前回は、兄上を助ける方法を見つけて帰ってくる、と言う話だったが、今回は違う。次はいつ戻るともわからない」

 クラフトの肩で、ラヴが声をあげた。

「ゼッタイニハンタイサレル!」

 悩んでいるクラフトに、ジョナサンは問いかけた。

「じゃあ、家族に反対されたら、お前はこの船を降りるのか?」

「とんでもない。そんなことしないさ」

「ならいつ到着しようが一緒だろ。もし反対されたら俺も一緒に説得してやるから、早くお前の無事なツラを見せてやろうぜ」

「……。そうだな。ありがとう」

 ジョナサンが舵を握り、クラフトはマストに登って帆の調整をし始めた。

 その様子を見て、デビーは笑う。

「ふふっ。下僕が増えると船の動きが良くなるわね」

「下僕じゃないぞ。航海士だ」

「航海士だろうが王様だろうが、私の前では等しく下僕よ」

 メアリーが、ジョナサンの服の裾を引っ張った。

「ん? どうした?」

「私も手伝う」

「おっ、ありがとうな。じゃあ、これ終わったらご飯にするから、船倉から食べ物と酒と……、セイレーンがヤシの実をくれたんだったな。それも持って来てくれ。おーい、エルモ! メアリー一人じゃ持ちきれねえだろうし、お前も頼む」

「わかったー!」

 船が軌道に乗り、あとはしばらく放っておいても大丈夫な状態になったところで、一同は甲板に座って食事を始めた。

 エルモのせいだろう。心なしか出ている酒が多い。メアリーの前には、きちんとライムが置いてあった。誰に言われるまでもなく、ちゃんと自分で皮をむいて、ライムの実を半分に割った。

「クラフトにもあげる」

 どうやらメアリーなりの愛情表現らしい。

 しかしクラフトは、「こら。ちゃんと全部自分で食べなさい」とメアリーをたしなめた。メアリーはすっかり拗ねてしまって、頬を膨らませて顔を背けた。

「お前さぁ……、いや、なんでもない」

 ジョナサンは呆れ笑いを浮かべた。どこが悪いのか指摘してやってもいいが、下手にメアリーの好意を暴いてしまうのも野暮だし、芽生えたばかりの乙女心を傷つけかねない。

「ところでさー」

 エルモが不思議そうに呟いた。

「メアリーが会ったって言う、呪われた海の話をしてたおじさん、あれって誰なんだろうね」

 ジョナサンは、話題を変えてくれたエルモに内心感謝した。

「そういえば、そうだな。意味深なこと言ってたっぽいけど、謎のままだ」

 呪われた海の話をした男。思い返せば、あの男の正体はわからない。

 その男の話に出てくる呪われた海というのは、間違いなくセイレーンの住処のあの海域のことだろう。しかし、なぜあの男がその話を知っていて、なぜ酒場で見かけた通りすがりの少女に話して聞かせたのか。

「みんなでそいつの正体、考えようぜ」

 ジョナサンが提案すると、クラフトは首をかしげた。

「そんなことしたって、誰も答えなんか知らないじゃないか」

「いいんだよ。そうやって、ああでもないこうでもないって話したいだけなんだから。誰かが納得のいく答えをくれれば万々歳。そうでなくても喋ってる間は楽しい。いい考えだろ? どうせ暇なんだしさ」

 ジョナサンは、首をひねってどんな説を提唱したら面白いかな、と考え始めた。

 穏やかな風が帆を押して、船はゆっくりと予定通りの航路を進んでいく。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ