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海賊のひまつぶし  作者: 櫂矢 真衣
呪われし海にセイレーンの歌
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第35話 海への恐怖

 ジョナサンの一声で、その交渉は即座に決まった。

「おう上等だ! やってやろうじゃねえか! なあクラフト!」

 セイレーンに先導されて、船は呪われた海域へ入っていく。

 ジョナサンたちの乗る船は、まず中心の岩礁に案内された。

 岩礁に降り立つ。波に洗われて角の取れた、大きくて平べったい岩だ。岩、と言っても、いざ降り立ってみるとそこそこ大きい。島と呼ぶには無理があるが、デビーを除いた全員が乗っても随分余裕がある。

 その中心に、同じく岩でできた祭壇のようなものがある。

「そこにお守りを納めてもらいたい」

 海の中からセイレーンが言った。

「お守りってどんな形なんだ?」

 ジョナサンが問うと、セイレーンは目を伏せた。

「それは誰にもわからない」

「オーケー、わかった。よし、早速探しに行こうぜ!」

 ジョナサンは船に戻り、海を見渡した。呪われた海での宝探し。ロマンたっぷりの状況に、ワクワクしていた。

 しかし、一緒に岩におりた三人が戻ってこない。不思議に思って振り返ると、クラフトがうずくまっている。その隣でエルモがクラフトの肩を支え、メアリーが困った顔でこちらとあちらを交互に見ている。

「クラフト? どうかしたのか?」

 立ち上がろうとするその足にはうまく力が入らないようで、カクカクと震えている。

「体調でも悪いのか?」

「いいや、そうじゃない」

 顔色も悪い。兄の魂を取り返す方法がわかったというのに、その顔に喜びの表情は見えない。

「僕は、この試練、するべきじゃないと思う」

 クラフトは絞り出すように言った。

「はあ!? なに言ってんだお前!」

「セイレーンたちの封印を解くべきじゃない。僕一人だけで、何隻も沈んだし、数え切れないほどの人が犠牲になった。ここに閉じ込められているセイレーンたちがみんな自由に海に出られるようになったらどんなことになるかなんて、考えたくもない」

「じゃあ、お前の兄貴はどうするんだよ! 助けたいんじゃないのか!?」

「もちろん助けたいさ! だが、君は知らないかもしれないが、船が沈むというのは、本当に恐ろしいものなんだぞ。そんな災厄を振りまくとわかっていて、我欲に走れるはずがない」

 クラフトは、うずくまった姿勢のまま、うまく立ち上がれないでいる。

「僕は、船出を望むべきじゃなかったんだ。僕のせいで兄上はあんなことになった。僕と同乗した人たちは死んだ。ずっと故郷に引きこもっていれば、あんなことにはならなかったのに!」

 自分でも意外なほど頭に血がのぼるのを感じて、ジョナサンはツカツカとクラフトに歩み寄った。

「なんだよそれ。そんなこと言うなよ」

 海に出るのを禁じられた故郷で育ち、それでも憧れを捨てられずに船を出した。自分と似たような経歴でここにいるクラフトなら自分と同じ気持ちでいると、勝手に思っていた。

 それなのに、「海に出なければよかった」なんて言葉が出てくるなんて。

 二人を交互に見ていたメアリーが、悲しげな顔をした。

「ケンカするの?」

「そうだ! ケンカだケンカ!」

「僕には君がわからないよ、ジョナサン。どうしてそうも、恐れ知らずに旅を続けられるんだ? 船は小さくて頑丈とは言えないし、僕が来るまでは乗組員だっていなかったじゃないか。デビー・ジョーンズの加護があるからか? そうだとしても、僕は無慈悲で気まぐれな海というものが、怖くてしかたない。いつ機嫌が悪くなるか、わかったものじゃない」

「海が怖い?」

 ジョナサンが問うと、クラフトは一度一呼吸置いてから、言葉を続ける。その目には、覇気がまるでない。

「君は、乗っていた船が沈んだことはあるか? 足がつかなくて、沈まないよう必死になって水をかいたことは? 海流に揉まれて、死を覚悟しながら気を失ったことは? 海の真ん中で木の切れ端だけを拠り所に漂流したことは? 足の下に現れる正体のわからない魚影に怯えたことは?」

「ハッ。ゴチャゴチャ言ってるが、要は土壇場でヘタレちまったってわけかよ。このクソッタレのビビリ野郎!」

 言い返してこい。「なんだと?」って食ってかかってこい。そう思っていたのに、クラフトの目は伏せられたままで、ジョナサンの方を向きはしなかった。

「ああそうとも。今、海へ出るために船へ向かおうと思うと、足が動かないんだ。僕は海へ出るのが怖い」

「さっきまで大丈夫だったじゃねえか。なあ、気合い入れろよ。あとちょっとで、お前の目標に手が届くんだぞ?」

 肩に手を置いて、揺する。震えているのは足ばかりではない。ジョナサンの手にも、小刻みな体の震えが伝わってきた。

「無理だ」

「なんでだよ!」

「兄上にできないことが、僕にできるわけがない」

 ジョナサンは、クラフトの無気力な胸ぐらを掴んだ。このまま殴ってしまいそうだったが、トンと背中に当たるものを感じて振り返る。

 メアリーがジョナサンの背中にピストルを押し当てていた。

 ジョナサンは冷や汗をかいた。

「ケンカ、よくない」

 頭に昇っていた血が降りていくのを感じる。

「メアリー。いい子だからその物騒なものをしまおうな〜。なんでそんなもん持ってるんだ?」

「あのね、ママが「男が暴力に走るのは、そうすれば自分の思い通りになると思ってるから。それが通じないとわからせるにはこれが一番」って言ってたの」

「とんでもない英才教育してくれやがったな〜」

 ジョナサンは観念して、クラフトの襟から手を離して両手をあげた。

「まあまあ。落ち着いて」

 エルモが言った。みんなをなだめるように、ゆっくりとした調子で声を出している。

「メアリーちゃんも。危ないから没収です」

 メアリーの手からピストルを取ると、エルモは手を挙げてそれを高く掲げた。メアリーは取り返そうと背伸びするが、身長が足りず届かない。

「かえしてよー」

「大丈夫だよ。こんなのなくても、ケンカは終わるから」

 エルモは、ピストルを取り返そうとぴょんぴょん跳ねるメアリーをいなしながら話を続ける。

「クラフトが船に乗るだけなら簡単じゃん。ジョナサンかデビーちゃんに「乗れ」って命令してもらえばいいんだもん。クラフトがどれだけ怖がろうと、逆らえないんでしょ?」

 クラフトがビクッと飛びのいて、ジョナサンから距離をとった。怯えた目をしている。

「落ち着けクラフト。大丈夫。しないから。なっ、デビー。そんなひどいことしないよな?」

 船の上からデビーが答える。

「そろそろ待ちくたびれたから、それもありね」

「ダメだってば!」

「神は言いました。恐怖は罪ではない。あって当然のものだから。罪は、恐怖を乗り越える努力を放棄することにある」

「いいこと言ってる感じの雰囲気出してっけど、その案はクラフトの人権ガン無視だからな?」

「わかってるよ。冗談だよ冗談。「嫌だけど逆らえない」的なシュチュエーションは背徳的で素敵だと思うけどね。正直萌える」

「お前が旅の宣教師してる理由って、もしかして実は教会クビになって追い出されたからだったりする?」

 にこやかに笑うエルモに、ジョナサンは呆れかえった。

「冗談はさておき、クラフトが行かないなら私もここに残るよ。悩める子羊の相談に乗るのも私の仕事だから」

 エルモはクラフトの隣に腰を下ろす。

「わかった。じゃあ、ひとまず俺とデビーで様子見てくる。なにが待ってるのかわかれば、少しは気が楽だろ。なんだったら俺が代わりにその試練ってやつをやっちまってもいい。メアリーはどうする?」

 メアリーは、ジョナサンとデビー、クラフトとエルモを交互に見て、少し迷ってからクラフトとエルモの間の隙間に座った。

 船に飛び乗って、ふとクラフトの言葉が頭をよぎって、船を出す準備をしながらデビーに問いかけた。

「なあ。セイレーンの封印が解けたら、どうなると思う? クラフトの言う通り、危ないことになるか?」

「愚問ね」

 つんと顎を上げて、「そんなことより早く船を出しなさい」と言わんばかりのどうでも良さそうな調子で、デビーは答えた。

「セイレーンがいようがいまいが、船が沈むのなんて日常茶飯事よ。自分の選択一つで海の環境を左右できるだなんて、思い上がりもいいところだわ」

 船が動き始めると、セイレーンの一人が船の舳先付近を泳いで、先導を始めた。

「案内しよう。最初は、長男が住んでいた島。大理石の島だ」

 セイレーンに伴われ、船は岩礁を離れて最初の島へ向かっていく。

「意外だったわ」

 不意にポツリとデビーが言った。

「なにがだ?」

「あなたがあんなに怒るなんて」

「俺だって、自分でも意外だよ」

 少し、考える。似ていると思っていたが、自分とクラフトは違うのだ。

「あいつを拾った時、嬉しかったんだ。他にも俺みたいな奴がいてさ。俺の故郷には、俺の話に同意してくれる奴はいなかったから。だから、そのクラフトが「閉じこもってた方がいい」とか言い出したのが嫌だったんだ」

 デビーは、風を受けながら「ふうん」と答えた。

「でもまあ、よく考えたら俺にもあいつがわかんねえや」

「どうして?」

「俺が海に行きたかったのは、なんにもなかったからだ。遠くへ行けばなにか見つかるんじゃないかと思って、海に出ようとしてた。でもあいつには、受け入れてくれる人たちがいる。帰りを待ってくれる居場所がある。そんな大事なものを放り捨ててまで、海に出たかったのか?」

「ここにいるんだからそうなんでしょう」

 ジョナサンはもう一度考えて、しばらくしてから呟いた。

「俺じゃ、あいつをわかってやれない」

 最初の試練の島は、もう目の前だ。


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