第34話 セイレーンの伝承
海図はかなり正確に描かれていた。
潮の流れを読み、クラフトの兄の船が流れてきたであろうルートを辿る。すると、海図にある通りの三つの島が現れた。
骸骨が一人取り残されている船は、デビーが呼んだクジラによって運ばれていった。クラフトの故郷へ送り届けられるらしい。
三つの島には、生き物の気配がない。岩肌がむき出しの小さな島に、小さな建造物がある。神殿だろうか。
一つは白い大理石、一つは黒い黒曜石、もう一つは透き通ったガラスでできている。
三つの島のちょうど中間地点に、小さな岩礁が顔を出しているのが見えた。広さはそこそこだが、潮が満ちれば海に隠れてしまうほどの高さしかない。
「おじゃましまーす! 来るならきやがれ!」
ジョナサンが大声をあげると、クラフトは大慌てでその口を塞いだ。
「なにすんだよ」
「ナンデヨブンダ! キタラドウスル!」
「お前の兄貴について聞くに決まってるだろ」
「エルモトメアリーハ、セイレーンノコエヲキイタラシヌンダゾ!」
「ああ、そうね。二人ともちょっと来なさい。お守りをあげるから」
デビーがパチンと指を鳴らした。パシャン、と水が跳ねて二頭のイルカが顔を出す。二頭はそれぞれの口に、珊瑚の枝をくわえていた。
デビーが枝を手に取ると、それがグググ、と伸びたり曲がったりして形を変えていく。最終的に、それは櫛の形になった。
同じ作業をもう一度繰り返し、デビーは鮮やかな淡桃色の櫛を二つ用意した。
「髪に挿しておきなさい。少しだけど、あなたたちにもこれを通して加護を与えてあげる。感涙に咽び泣いてもいいのよ」
デビーが言い終わる前に、エルモはデビーを抱き上げて頬を擦りつけた。
「ありがとうデビーちゃん! すごいねえ! 工作上手だねえ! 大事にするよー!」
ぎゅーっと拘束されて、デビーは逃げようともがく。しかし逃げられない。
「ふざけてるの!? なんなのその口の利き方は! だいたいあなた、悪魔の護符をつけるのに抵抗とかないわけ!?」
エルモは満足するまでデビーをよしよしすると、嬉しそうに修道服の頭巾を外し、いそいそと髪に櫛を編み込んだ。
ひとしきりスリスリされて、精魂尽きたような顔をしているデビーの肩を、メアリーが叩いた。
「ねえねえ」
「なによ! 今度はなに!?」
「かわいい。きれい。すごい」
喋り方は淡々としているが、目がかすかに輝いている。嬉しいようだ。
直球で褒められて、デビーは得意げな表情を浮かべる。
「ふふん、そうでしょう? 私の偉大さがわかったようね」
「ありがとう」
「どういたしまして!」
「よかったなメアリー。つけ方わかるか?」
ジョナサンが尋ねると、メアリーは首を横に振った。
「しょうがないわねー! 貸してみなさい! やってあげるから!」
デビーは櫛を受け取ると、メアリーの髪に触れた。
船乗りには長髪が多い。日除けになるし、切る機会もあまりない。例に漏れず、メアリーの髪もそこそこ長いし、量も多い。しかし、それなりに手入れされていた形跡はある。定期的にくしけずられていたようで、サラサラしていて絡みやほつれもない。
デビーはそこに櫛を編み込もうと、毛束をいじる。
だがうまくいかない。子供特有の細い髪は、すぐにぐちゃぐちゃになった。
「デビーちゃん、いたいよ」
「ムムム、結構難しいわね」
「いたいってばー」
「待って、あとちょっとでできる気がするの!」
「いたいよー」
ジョナサンは手元を覗き込んだ。できる気配はこれっぽっちもない。触れば触るほどこんがらがっていく。
「クラフト、やって」
メアリーは頭を振って逃げると、クラフトの方へ逃げて行った。
デビーがショックを受けた顔をしたので、ジョナサンはとりあえず励ましてみる。
「えっと……、元気出せよ」
「いいのよ。別に。気にしてないわ。子供の言うことだもの。許してあげる」
「つーか、そういうのならエルモの方が上手なんじゃねーの? なあメアリー。なんでクラフトに頼むんだよ」
「クラフトがいい」
半分とはいえ、血の繋がった妹である。自分よりクラフトに懐かれると、なんだか微妙な気分だ。
「なんかね、一緒に探検してたら懐いちゃったみたい」
エルモが少し悔しげな顔で言った。
クラフトは慣れた手つきでも連れた髪をほぐし、束ねていく。
「ククルモノハモッテイルカ?」
「うん」
メアリーから髪紐を受け取ると、クラフトは手際よく髪を結い、きちんと櫛を挿した。
「うまいなー」
ジョナサンが感心して声をあげると、ラヴが軽く鳴いた。
「ヨクアネウエニタノマレテイタカラナ」
これで準備は整った。
ジョナサンは声を張り上げる。
「おーい! ここにお住いのセイレーンの皆さん! いるか!? 出てこい! 聞きたいことがあるんだ!」
クラフトは顔を強張らせたが、今度はなにも言わなかった。
しん、と一瞬あたりが静まり返った。
次の瞬間、海面が盛り上がった。頭が三つ現れる。
三人は、まずデビーへ向かって礼をした。
「偉大な悪魔に敬意を」
それから、ジョナサンの方へ向き直る。
「なに用ですか? 海を統べる者よ」
大仰な呼び方をされて、ジョナサンは内心「ケツが痒くなるな」と思った。
「こいつの兄貴がここに来たはずだ。体は帰って来たが、中身は空っぽになってた。魂がここに残ってるようなら、連れて帰りたい。探しに入っていいか?」
「キサマラガトラエタフナノリタチモダ。マダイキテイルヨウナラ、ツレテカエラセテモラウ」
クラフトを見ると、セイレーンたちはひたいを寄せ合って審議を始めた。
「あの男の弟」
「つまり我らの血族」
「しかしあの男は手を出すなと言っていた」
「だが自分から来た」
「試練を受けさせよう」
「そうしよう」
なんのことだ? 怪訝に思っていると、セイレーンたちがバッとこっちを見た。
「少し、話を聞いていってほしい。この海域に伝わる試練の話だ」
三人のうちの一人は、貝殻をあしらった冠をつけている。こいつがリーダーのようだ。
「我々は、この海域に閉じ込められている。出ることは叶わないのだ」
訥々と語るセイレーンの唇は、海水に濡れている。口が動くたびに陽光が反射して、なんだかなまめかしい。
我らの声は、獲物をとるためのものだ。
深海のアンコウが光で魚をおびき寄せるように、我らは声で狩りをする。
だがある時、海に引き込んだ人間の若者と、恋をしてしまった少女がいた。
周りの者たちは「人などただの獲物。やめておけ」と言ったが、聞く耳を持たない。
少女は、すみかを抜け出して恋しい若者の元へと泳いで行ってしまった。
二人は幸せに暮らし、三人の子供を授かった。
海と陸を行ったり来たりしながら穏やかに暮らしていたが、ある日、陸の人間たちに一家の母親が怪物であることがバレてしまう。
一家は地上に居場所を失い、海へ出た。人間の家族とともに、セイレーンは巣へ戻ったのだ。
家出していた娘の帰宅を、群れの者たちはたいそう喜んだ。
人には陸地が必要だ。セイレーンたちは、三人の子供達には三つの島を、中心の岩礁を夫に与えた。
岩礁は潮の満ち引きによっては海に浸かる。夫は、妻との逢引きがしやすいと喜んだ。
しばらくはそうして、海のものと陸のものが共に暮らしていたのだが、事件が起きた。
とある満ち潮の日、夫は群れの中の誰かに食べられてしまったのだ。セイレーンの住処に入り込んだ異種族をよく思っていなかった者のしわざだ。
妻は激怒した。
セイレーンの一族と、人と交わった一家は、激しく争った。
子供達の意見は、それぞれ別だった。
長男は、父を殺したセイレーンを許せないと言った。
次男は、縄張りを侵されたセイレーンの気持ちもわかると言った。
三男は、両方の意見を見て態度を決めかねていた。
上の二人は、はっきりしろと弟を責めたてた。
三男は、辛い争いに耐えかねて「私は二度と、海へは足を踏み入れません」と言い残してこの海を去った。
母親は嘆き悲しみ、この海域と一族に呪いをかけた。
「二度とこのような悲劇が起こらぬよう、我が一族はこの海域を出てはならない」
それから少しだけ考えて、こう付け加えた。
「もしも去って行った我が子が再びやり直せると思ってくれるのであれば、再び海を訪れてくれるのであれば、その時にこそ呪いは解かれるだろう。海へ来た我が子孫を迎えに出るときだけ、ここを出ることを許します」
それから、子供たちが住んでいた三つの島にも呪いをかけた。
「争いが終わった証として、三つの島にあるお守りを中心の岩礁に納めなさい。ただし、三つの島にはそれぞれ試練を用意する。セイレーンたちのために困難に立ち向かってくれる人間が現れなければ、我々はずっとこのままだ」
以来、我々はこの海域から出ることができない。
お守りは陸にある。我々では取りに行けない。
それから長い年月が経った。ここを出られぬ我々は、待つことしかできない。
しかし先日、我々の縄張りの外からセイレーンの声が聞こえた。その声の聞こえる方へ誘われるままに泳いでいくと、不思議なことに外へ出られる。
末の子の末裔がいるのだとすぐにわかった。
黒い船から、次々に人が飛び降りてくるところだった。
我々は船員たちを拾い上げ、末の子の末裔に交渉を持ちかけた。
彼はこころよく引き受けてくれたが、一つだけ条件を出した。
「もしかしたら僕の弟も海へ出るかもしれないが、その子には手出しをしないでくれ。危ない目に合わせたくないんだ」
我々は、胸をなでおろした。これでようやく、長年にわたる呪いが解けると思われた。
しかし、末の子の末裔は失敗した。
試練に打ち勝てず、荒波に飲み込まれてどこかへ流されてしまった。
弟君の声は、ずっと前から聞こえていた。迎えに行こうかと思ったが、約束を破るわけにはいかない。
だが弟君よ、あなたは自らこの地へやってきた。
そこで、相談だ。
ここに巻貝がある。あなたの兄が海へ落ちて、波に揉まれている最中に吐き出した泡が封じられたものだ。彼の魂はここにある。
あなたが我らを解放してくれるというのであれば、引き換えにこの巻貝をあなたに渡す。
どうだろうか?




