第27話 嵐の海で
ジョナサンは反射的にアンの腕を振り払った。
「あら、ひどい」
アンはがっかりしたような顔でため息をついた。
「悪いな。知らない人にホイホイついていくほど純粋なガキじゃねえんだ」
「そう? 悪い話じゃないと思うのだけど。一緒に行きましょうよ。今までの埋め合わせ、たくさんしてあげるから」
今すぐ走って船に乗り込み、悪魔を招待するべきだ。しかしジョナサンは、その場に留まってしまった。
「へえ、そりゃいいな。それで、飽きたらメアリーみたいに殺すのか?」
「まさか。私がメアリーを殺すわけないじゃない」
肩の上で、メアリーが小さく息を飲んだのが聞こえた。
「俺はメアリーじゃない」
「本当にそうかしら? あなたは、最初の子。男の子だったから違うって決めつけちゃったけれど、やっとわかったわ」
アンは、うっすら微笑んだ。
デビーが抑えているとはいえ、まだ天気は悪い。
空は曇り、小雨が海面に不規則な波紋を作っている。
「ねえ、あなたがメアリーなんでしょう?」
「そんなわけねーだろ。あんたもそう思ってるはずだ。だから、デビー・ジョーンズから真珠を盗んだ。どこかにいるメアリーの魂を探すために」
「あなたが一緒に来てくれるのなら、必要なくなるわね」
「馬鹿言うな」
「あら、私は本気よ? あなた、ここにいるってことはあの村から逃げ出したのよね。海に出ちゃいけないなんて言う、馬鹿げた掟に逆らってここにいるのよね?」
アンは嬉しそうに笑った。
「私の若い頃と一緒だわ。あなたも海が好きなのでしょう? 私はあの村の腰抜けどもと違って、あなたの話や望みを否定しない。私も海と、海を自由に渡ることが好きだから。仲良くできると思わない?」
ジョナサンは考えた。取引をするのはどうだろう。
真珠のありかは、アンにしかわからない。船を沈めれば見つかるだろうというのは、あくまで推測でしかない。アンから直接受け取るなり奪うなりした方が確実だ。
心が揺れて日和っているわけでは、決してない。
「なら、その真珠をよこせ。必要ないっていうなら、デビー・ジョーンズに返すんだ」
「あら、いいわね。って言いたいところなんだけど、無理なの」
そう簡単には行かないか。ジョナサンは内心舌打ちをした。
「あの真珠、今は私の手元にないのよ。ジャック……、あなたの父親が私から盗んでいったの」
「親父が?」
「ええ。一度、あなたたちのところへ行ったでしょう? ジョナサンはまだ小さかったから覚えてないかもしれないけど。メアリーの亡骸のありかを知らないかと思って聞きに行ったんだけどね。あいつは隙をついて私から真珠を盗んで、「返して欲しけりゃ追ってこい」って置き手紙を残して消えたの」
「ああ。あの時か」
父親が消えた理由が今更ながらわかって、ジョナサンは「ほー」と軽く息をついた。
「私は、あの男を追いかけながら各地にあった〈魂の灯台〉とよく似た真珠を集めて回ってたの。たくさん集めたら、同じような力を発揮しないかと思って。ダメだったけれど」
アンは、もう一度ジョナサンの方へ手を差し出した。握手でも求めるように、友好的に手を伸ばされてジョナサンは戸惑う。
「あなたは、あの真珠が欲しい。私は私から盗みを働いたあのクソ野郎をぶっ殺したい。一緒に行ってもいいんじゃないかしら? 一緒に寝起きして、ご飯を食べて、海を眺めながら暮らすの」
耳元で、メアリーが「ダメ」と囁いた。
「ねえ。私の船に乗りなさいよ」
ジョナサンは、少し考えてから、小さく頷いた。
ジョナサンを船に招待すると、アンは上機嫌で船を出した。
甲板から振り返ると、街ではまだ戦いが続いているのが遠目に見えた。
武器を打ち合う音や、戦いの声、死霊を恐れる悲鳴がかすかに聞こえてくる。
今頃、デビーが怒ってるだろうな、とジョナサンは軽く苦笑した。
その証拠に、海は荒れ狂い、強い風はマストをへし折らんばかりだし、さっきから絶え間なく雷が鳴っている。大粒の雨が槍のように降って来て、二人とももうすっかりずぶ濡れだ。
肩のあたりで、絶え間なく小さな声で、メアリーが警告を発している。
「ママはあなたも殺すよ」
それに気づかず、アンは鼻歌を歌いながら舵を操っている。
「歓迎するわ。それとも、おかえりって言うべきかしら。せっかくの再会ですもの、たくさんお話ししましょう? なんの話しようかしら。私とメアリーが会った時の話とかどう?」
話を始めようとするアンを、ジョナサンは遮った。
「俺がメアリーだと、本気で思うか?」
アンは即座に答える。
「ええ。だから、たくさんメアリーの話をしてあげる。たくさん聞いたら思い出すかも。今日のご飯はあなたが好きなウミガメのスープにしましょうね。次の街で、あの頃着てたのと似てる服を選びに行きましょうか。男の格好も似合うけど、昔みたいに私とお揃いにしてみたりする? ああ、それがいいわ。髪も伸ばしましょうよ。私が編んであげるから」
「……やっぱあんたみたいな人、苦手だな」
ジョナサンが言うと、アンは不思議そうな顔をした。
「どういうこと?」
「あんたのところにいたら、俺は自由になれないってことだよ。あんたみたいな横暴な奴が海で我が物顔して、人のものや自由を奪ってるのがいやだ。海ってもっと、いいところだと思うんだよね、俺は」
ジョナサンは、手のひらの上に木の小箱を置いて見せた。
「あんたにいいものを見せてやるよ。これはな、あの街にいたばあさんにもらったもので、音を記録する機械なんだ」
「ああ、見たことあるわ。都会の方なら、結構流通してるみたいよ。あなたはずっと離れ島で育ったから珍しいのでしょうけど」
「待て待て、焦るなよ。大事なのはここからだ」
ジョナサンが箱のスイッチを押すと、中の歯車が動いて音が流れ始める。
『母ちゃんってどんな感じだ?』
「これは……、あなたの声?」
「聞かせたいのはここじゃねえ。もうちょっと待て」
小箱から、ジョナサンがクラフトに母親についての相談をしていた時の声が聞こえる。こうして自分の声を聞くというのは、少しばかり気恥ずかしい。
「あなたも悩んでたのね」
「そうじゃねえよ。もうちょっと待て」
『そうだな。母上の顔を見ると、少し安心する』
クラフトの声が流れた。
大波が来て、船が大きく揺れた。ジョナサンは木箱を落とさないように、しっかりと指に力を入れて握る。
『ずっと弟が欲しかったんだ』
箱からは記録された会話が流れ続ける。
『やっぱり私のことお母さんって呼ぶ?』
『……帰って来る動機をあげる。全部終わったら帰ってきて見せなさい』
「なに? どういうつもり?」
「俺はあんたがいなくても大丈夫だって話だよ」
アンは、ジョナサンの顔を見て首をかしげた。
歯車は回り続ける。音声は止まらない。大雨と雷鳴の中でも、鮮明に聞こえる。
不思議そうにしていたアンの顔色が、だんだん変わっていった。目が焦点を結ばなくなり、茫洋とした目で虚空を見ている。
「ねえ、ママはどうしちゃったの?」
肩にいるメアリーが尋ねてくるので、ジョナサンははっきりと答えた。
「セイレーンの声を聞いたんだ。聞いた者は自分からデビー・ジョーンズ・ロッカーへ飛び込んでいく、魔性の声をさ。効果があるのは海の上だけだからさ、穏便に同乗させてもらいたかったんだ」
それから、口の前に人差し指を立ててから続ける。
「こういう使い方したってのは、クラフトとあのばあさんには内緒だぞ? いい気分はしねえだろうからさ」
「わかった。内緒にする」
「おう。素直でよろしい」
アンが舵から手を離した。
「メアリー? そんなところにいたの?」
なにもいないところに話しかけている。
「待たせてごめんね」
フラフラと船べりの方へ歩いて行ったかと思うと、迷いなく嵐の海へと飛び込んだ。
ジョナサンはそれを見送って、少しの間立ち尽くしてから、海に向かって呼びかけた。
「デビー・ジョーンズ。迎えに来てくれ。俺はお前のところへ帰るよ」
その途端、ピタッと雷鳴がやみ、風が凪いだ。雲がちぎれて、日の光が差し込んでくる。
木のきしむ音が聞こえた。巨大な蛸の足が海面から突き出て、アンの船をベキベキと破壊し始める。
そのうちの一本に、デビーが乗っていた。ものすごい剣幕でジョナサンを睨みつけている。
あまりにも到着が早い。さっきまでは招待がなくて入れなかっただけで、早々に追いかけて来ていたようだ。
追いかけて来てはいたものの手出しができずにウロウロしているデビーを想像して、ジョナサンはちょっと笑った。
「もーっ! どういうつもり!? 戻ってこないかと思ったじゃないの! ちゃんと説明してもらうわよ!?」
腹いせのように船を破壊し、カモメをけしかけ、ジョナサンを怒鳴りつけるデビーを見て、ジョナサンは軽く笑った。
「なるほど、親父の気持ちがちょっとわかった」
「なんの話!? 私は怒ってるのだけど!?」
蛸の足に締め上げられ、カモメにあちこち突かれながら、ジョナサンは答えた。
「追いかけられるって悪い気しねえなと思ったんだよ」
そして、デビーが落ち着くまでは甘んじてカモメの刑を受ける覚悟を固めたのだった。




